In the Flames of the Purgatory 61

 さらにもう一歩踏み込みながら横薙ぎの一撃を繰り出す動きで上体をひねり込み、アルカードが左手に残していた鈎爪状の刃物をキメラの腹部に突き立てる――次の瞬間いったいなにをされたのか、キメラが目や口、鼻、耳の穴から血を噴き出しながら身体をのけぞらせた。それでもまだ攻撃する意思があるのか、半ばから斜めに切断された高周波ブレードの尖った先端をアルカードに突き立てようと――

 するより早く、アルカードが突き込まれた高周波ブレードを躱しながら転身した。突き込んだ左腕を担ぐ様にして捕まえながら、背中から体当たりを喰らわせる様にして――

 なにをしたのかも、わからない。

 ずだんっ!

 足を踏み鳴らす様な激しい音とともに、キメラの体がもんどりうって跳ね飛ばされた。

 悲鳴すらあがらない――ゴキリゴキリという骨の砕ける破砕音とともにキメラの巨体が一瞬膨れ上がった様に見え、全身の皮膚が細かく裂ける。まるで細かな亀裂の様な皮膚の裂け目から霧状になった血を撒き散らし、目や鼻や口から大量の血をあふれさせながら、一瞬でボロ雑巾の様になったキメラの体が暴走する馬に撥ね飛ばされたときの様に数ヤードも跳ね飛ばされて再び背後の壁に叩きつけられた。

 いかなる材質で出来ているのか、キメラの巨体が激突しても背後の壁には傷ひとつついていない――だがそれはキメラを吹き飛ばした運動エネルギーが壁を破壊するために一切消費されず、キメラ自身の肉体の破壊に費やされることを意味する。

 キメラの体がまるで巨大な刷毛で塗りたくった様に壁に大量の血をなすりつけながら床の上にずり落ち、内臓にも損傷が出たのか口蓋からまだら色の血を吐き散らす。断末魔の細かな痙攣を繰り返して、もはや動く様子も無い。

「今のは――」

がくだ」

 誰にともなく口にしたその疑問に、答えを返してきたのはグリーンウッドだった。視線を向けると、

「最初の一撃はな――拳に握ったあの妙な刃物を拳が体に当たるまで押し込んで、そのまま浮嶽を撃ち込んだんだ。正確にはまったく同じものではないがな――単に上で俺が奴に使ったのを、真似しただけのものだろう」

 その言葉に、セアラは壁に叩きつけられて床にずり落ちたキメラに視線を向けた――最期の一撃で全身の骨格をばらばらに粉砕されたキメラが、軟体動物の様にぐったりと全身を弛緩させながら細かな痙攣を繰り返している。気道に血が逆流したのか口の端からカニの様に血の泡を噴き、肺に流れ込んだ自分の血の中で溺れながらなんとか空気を取り込もうと無駄な努力を繰り返しているのだ。

 あれほどの損傷を負ったうえに起き抜けでエネルギー補給が十分でない今の状態では、到底再生の望みはあるまい。あの損傷では仮にガス交換を行えたとしても、保持エネルギーが足りずに衰弱死してしまうだろう。なんとか損傷を復旧しようと無駄な努力を続けながら死んで逝くだけだ。

 彼が使ったのが浮嶽だったとして、そのあとで見せた投げ技の様な体勢からキメラの体を吹き飛ばしたあの技にグリーンウッドが言及しないのは、そちらに関しては彼も知らないからだろう。

 キメラの体は叩きつけられた衝撃で全身の骨格がばらばらに砕け、まるでトマトを壁に投げつけたあとの様に壁面にべっとりと血の跡が残っている――グリーンウッドの浮嶽あれは、対象が人間であれば胴体の骨をばらばらにするほどの破壊力がある。一度見て真似をしただけの不完全な状態にもかかわらず、あの吸血鬼はそれで人間よりはるかに頑丈な構造を持つであろうキメラの骨格を一撃でバラバラにし、続く一撃で粉々に粉砕したのだ。

 最後のキメラの絶命を見届ける手間も惜しんで、アルカードは小さく鼻を鳴らした。

「ヌルい。このキメラの製作者がどんなキメラを理想形にしてたのか知らねえが、とりあえずこいつらは失敗もんだな」

「人間相手なら上等だろう――真祖相手の接近戦など、想定して造られてはいまいよ」 グリーンウッドが結界を解きながら、そう返答を口にする――先ほど室温を魔術で調整したために床に降りた霜はすでに蒸発しており、室温も温かさを感じる程度まで上がっている。

「変わった技だな」 アルカードが最後に見せた技のことを言っているのか、グリーンウッドがそんな感想を述べた。

「ああ、あれか。クダキとか言うらしい――何年か前に男か女かよくわからない、えらい美形の子供に教えてもらった」 そう答えて――ただしそれ以上の説明をする気は無いらしく、アルカードは周囲を見回した。壁に突き刺さったままになった鈎爪状の刃物――先ほどキメラ二体をために投擲したものだ――を壁から引き抜いて刃の状態を点検し、刃が駄目になっていると判断してか舌打ちをして投げ棄てる。

 投擲した六枚のうち二枚が使用に耐えうると判断してか、アルカードは二枚の鈎爪状の刃物を鞘に納めた。

 さらに床の上に鎖が絡まったまま転がっていた鈎爪状の刃物――先ほど壁に縫いつけられたキメラにものだ――に視線を向ける。こちらに関しては奪われた時点ですでに刃がぼろぼろになっていたので、彼はわざわざ拾い上げて点検しようとすらしなかった。彼はセアラに視線を戻し、

「で、ちんちくりん――このあとどこに行くんだ?」

 

   *

 

 しゅっ――と音を立てて、学園内の簡単な見取り図に四ヵ所めのレ点チェックを入れる。入れたところで、アルカードはげんなりと溜め息をついた。喉が渇いた。

 これで四ヶ所めだ。随分と手間がかかっている。

 全身をずたずたに切り刻まれた悪魔の群れを見やり、強酸性の体液で濡れていない白樺を選んでその幹にもたれかかりながら、アルカードは見取り図――先ほどの会見の際、学園長に頼んで職員室の壁に掲示されていた学内見取り図をコピーしてもらったものだ――と加圧ボールペンをウェストポーチにしまい込んだ。

 敷地内は大体調べてみたが、今のところ見つかった地脈の『点』は四ヶ所。

 そのうち悪魔が受肉マテリアライズ可能になるほどの規模まで成長していたものは、ここ一ヶ所。

 大悪魔が通り抜けられるほどの大きな『門』が出来る『点』ではないが、しばらくすればそれなりの上級悪魔が通過出来るほどの規模に成長するだろう。

 正確な規模を調べるには数日かけなければならないが、四ヶ所もあればそこそこ厄介な事態になるだろう――ある程度形になるまでは手出しも出来ない。

 しかし――周囲を見回して、アルカードは溜め息をついた。

 少し痕跡を残しすぎたか――

 半ば溶解した岩塊、へし折られたり溶け崩れた白樺、引き剥がされた地面、そこに散らばるばらばらになった悪魔どもの肉体の破片。誰かに目撃されようものなら、とんでもない事態になるのは目に見えている。

 先述したとおり、彼らは自分自身の力だけで受肉した肉体を維持出来ない――それを補うために、周囲に充満した精霊を利用する。精霊の密度が必要最低限度を下回ると、彼らは肉体を維持するために彼ら自身の魔力を消耗し、衰弱して消滅してしまう。人間の肉体が蓄積した脂肪を消費し尽くすと、今度は筋肉を喰い潰し始めるのと似た様なものだ。

 悪魔たちが死んだ場合は、魔力供給が途絶えた肉体はやはり実体を維持出来なくなって消滅してしまう――筋肉や外殻、内臓はもちろん、飛び散った血の一滴一滴に至るまでだ。これが上位悪魔であれば死体が残るのだが、下級悪魔の場合は死体の処理は必要無い。

 その点に関しては楽でいいが――それはともかく、悪魔どもが死んだから周囲に飛び散った体液等もいずれ実体を維持出来なくなって消滅するだろう。

 だがだからといって、破壊の痕跡が元に戻るわけでもない。つまり周囲と比べても遜色無い状態を取り戻すまでには、何十年もかかるということだ。

 さすがにこれほどの破壊だと顛末を報告しないわけにはいかないので、アルカードは携帯電話を取り出した――その場で電話をかけるのではなく、状態を教会と、場合によっては学園長に報告するために画像を保存しておく必要があったからだ。金銭的な賠償ならアルカードにも出来るが、苗から植樹などということになったらアルカードには責任が取れない。

 最大解像度に設定したカメラ機能で周囲を手当たり次第に撮影しながら、アルカードは考えをめぐらせた――今のところ形成された小規模の『門』が散逸する気配は無い。

 地脈の『点』から精霊を吸い上げて『門』を形成する魔術式が、まだ残っているからだ。

 魔術式はさながら井戸のポンプの様に『点』から魔力を汲み上げてさらにそれを一ヶ所にとどめ、『門』を形成するに十分な魔力密度になるまで維持するためのものだ――自然発生する『門』は地脈により近い地中に形成されることが多く、さらに火山帯などのより巨大なエネルギーが集中している場所であるほど大規模なものが発生する傾向がある。

 本来噴き出し口にすぎない『点』やそれに近い場所に、精霊が拡散することなく大量に集中した結果形成されるのが『門』であり、『門』そのものは単なる副産物でしかない。

 が、すでに小規模な『門』が形成され、蟻の様な下級悪魔とはいえ受肉が可能なほどの精霊が蓄積されているということは、この周辺にはすでに十分な精霊が集まっていることを意味する。

 とはいえ、精霊の量は多ければ多いほどいいが――『クトゥルク』はより大量の魔力を取り込むために、出来るだけ多くの精霊を汲み上げなければならない。

 彼らの魔力の補給の儀式は目覚めてから再度休眠に入るまでの間に、一度だけ――つまり最初の一度で目いっぱいの量を取り込んでおかないと、減ってきたから補充というわけにはいかないのだ。

 さっさと済ませてしまえばいいのに、最高の条件にこだわっていまだに手をつけていないのもそのためだ。顎に手を当てて黙考しながら、アルカードは歩き始めた。いつまでもここにとどまっていても仕方が無い。

 左手で保持した鞘に納められた霊体武装が、形骸をほつれさせて消滅してゆく。

 組み上げられた『式』を壊すことは出来ない――解析に手間がかかるということもあるが、それ以上に『門』が形成された今となっては、魔力の散逸を押しとどめている結界の術式を破壊するのには危険が伴う。

 悪魔たちは高密度の精霊の中でないと受肉も肉体の維持も出来ない程度の弱小悪魔ではあるものの、いったん受肉が終わってしまえばそこらじゅうを動き回れる様になる。

 自身の保有する魔力が本来『こちら側』での肉体と霊体の維持に十分な量ではないために、高密度の精霊、大気魔力が存在する区域から外に出ると、そのままではいずれ衰弱死してしまうのだが――魔力密度が低い場所であっても、完全に衰弱死する前にほかの生物を襲って魔力を補給出来れば肉体の維持で力を使い果たして死んでしまうことも無い。

 そしてこの結界を解除するのは、バケツの水をぶちまける様なものだ――密度こそ薄まるだろうが、結界を解除したことであふれ出した魔力が短期間ではあるものの、悪魔の群れの行動範囲を広げてしまう。

 おそらく結界を壊して精霊を散逸させれば、『門』は消滅するだろう。自然の状態で『門』が生成されるほどの魔力密度ではない。だが同時にぶちまけたバケツの水、つまり破壊された結界から漏れ出した大量の精霊は学園の宿舎や校舎まで届く可能性がある。

 無論バケツの水はいずれ勢いを失い、地面を薄く濡らすだけになってしまう。

 精霊も同じだ――壊れた結界から噴き出した精霊は、やがては薄まり周りとそう変わらない程度まで密度が低下してしまうだろう。そうなったら、下級悪魔たちが肉体を維持し続ける役には立たない。

 だが魔力密度が彼らの肉体を維持し続けるのに十分な濃度を保っている範囲内に限った話ではあるものの、彼らの行動範囲は劇的に広がるのだ。大気魔力の密度が薄まって肉体が崩壊する前に代わりの魔力補給手段を見つけることが出来れば、大気魔力の密度の濃淡にかかわらず行動出来る様になる。

 代わりの魔力補給手段――つまり人間を含めた捕食の対象となる生物だ。

 魔力の量は個体差があるものの、平均的には種族として体格の大きい生物ほど多い。つまり野犬や狐を襲うよりも、人間を襲って喰ったほうが効率よく魔力を補給出来る――そしてすばしこい野犬や狐よりも、鈍臭い人間のほうが捕まえやすい。身体が大きいぶん逃げる場所も少なく、知能が高いぶん異形を恐れやすい――つまり、容易く動きを止められる。人間は彼らにとって、最上の獲物なのだ。

 顕現した悪魔が先ほどこの場で虐殺した群れだけで全部ならいいが、もしアルカードが殺し損ねた、あるいは見落としている悪魔が一体でもいれば、彼らは結界を壊したが最後外に出て人里を襲うだろう。

 精霊が宿舎まで届かなくとも、周りには野犬や狐、兎がいる。彼らを捕まえて喰らいながら宿舎、あるいは体育館まで到達出来れば、あとはそこにいる生徒たちを捕まえて喰らい、彼らをいくらか狩ってから人里へと向かうだろう。

 そしていったん人里に放り出されれば、もはや悪魔には行動の枷は無い――獲物となる人間はそこらじゅうにおり、それが警察官であれ自衛隊であれ、人間たちの装備した武器で彼らを死に至らしめることはまず出来ないからだ。

 ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタが構築した結界の術式は、魔力の拡散を防ぐための堤防の役目と同時に内部と外部を隔絶する防壁の役目も果たしている。アルカードとは違う理由で、彼女もまた今悪魔どもにうろちょろされて自分の目論見を邪魔されるわけにはいかないのだ。

 結局のところ、今出来ることはこの惨状が見つからない様にすることくらいか――胸中でつぶやいて、アルカードは足を止めた。

 まるでオーロラの様に絶えず色相を変える、半透明の七色の壁が眼前をふさいでいる――ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタが構築した結界の境界線だ。

 おそらく霊的な視覚を持たない生身の人間には見えないだろうが――

 半径がかなり大きいからだろう、一瞥しただけではまっすぐに見えるほどの緩やかな曲面を描いた壁にひたりと掌を触れさせると、次の瞬間掌を中心に壁に穴が開き、それが蝋を薄く塗った金属の板を火に翳したときの様に同心円状に広がり始めた。人間が通り抜けられそうな大きさになったところで開いた穴をくぐって外に出ると、それまでの異臭に満ち溢れた厭な空気ではなく、穏やかで静謐な森の匂いが肺を満たす。

 どこかで狐が狩りをしているのかがさがさという茂みの動く音が聞こえ、鳥の鳴き声が鼓膜をくすぐった――緑の多い森の匂い。

 一度背後に向き直り、結界に開いた穴がゆっくりとふさがってゆくのを確認してから、アルカードは大きく深呼吸をした。

 肺の中の空気を全部押し出す様に息を深々と吐き出してから、続いて大きく息を吸い込む。穴が完全にふさがったのを確認すると、アルカードは踵を返した。

 結界の防壁から数歩離れたところで再び足を止め、足元に転がっていた石を拾い上げる。

 さて――まっとうな結界は久しぶりだが。

 独りごちながら、小さく呪文を口ずさむ。まるで熱した金属を水に浸けたときの様なじゅっという音とともに、石の表面に小さな魔術文字が現れた。

 術式が正常に起動したのを確認して、足元に石を放り棄てる――投げ棄てられた石は転がって手近の白樺の木の根に引っ掛かって止まったあと、まるでそれ自体が意思を持っているかの様に再び動き始めた。

 木の根を転げ登り、段差を転がり落ちて、結界の表面から数メートル程度の距離を保ったまま、結界の表面に沿ってなぞる様に転がり続けて視界から消えてゆく。

 あの石は円形に構築された結界の外側に、ひとまわり大きい円陣を描く――そしてその始点と終点がつながったとき、内部の光景を外側から見えない様にするのと同時に、円陣の内側に生物を寄せつけなくする結界を構築する。

 結界に触れた者に一種の恐怖感や不安感を植えつけて、ここから離れたほうがいいと思わせることで余人を遠ざける結界だ。思考が出来るほどの脳を持つ高等生物であれば、わけもない不安に駆られてここに立ち入ることを避けようとするだろう。

 さて――

 要石にしたあの石がここに戻ってくるまでには数分かかる。どのみちあれは放っておいても動作する――戻ってくるまで待つ意味も見いだせずに、アルカードは歩き出した。

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