In the Flames of the Purgatory 47

 次の瞬間には十二-三-七が技に入っている――ごく小さな動きで撃ち込まれたその拳は、相手の前進・後退、いずれにも対応出来る。

 正確には相手がそれに対してどの様な動きをするかで効果が変わるだけで、別にアルカードが対応を変えるわけではないのだが――

 押し当てられた拳に対して相手がそのまま前に出れば、撃ち込まれた拳は応力で肋骨を損傷させることになる――相手がとっさに後退を選択すれば、上半身を突き飛ばす形になって転倒させることになる。

 前者であれば激痛で動きの止まった相手に対して、後者であれば転倒した相手に対して、それぞれ追撃を加えることが出来る――基本的に小技のつらなりであるドラゴス家の武術における、ある種奥儀とも言える技だ。

 が――

「ぐっ――」

 みしりと音を立てて骨がきしみ、グリーンウッドが小さなうめきを漏らす。アルカードのたいが崩れすぎていたこととグリーンウッドの体重移動がさほど大きくなかったことで、期待したほどの効果は挙げられなかったらしい。決まれば確実に相手を追い込める半面、相手の体重移動が小さいと効果が薄いのがこの技術の欠点だと言える。

 グリーンウッドが上体ごと腕を振り回し、こちらの体を引き剥がす。

 逆らわずに間合いを離し、アルカードは数歩ぶん距離をとった――どのみち密着に意味は無い。

 グリーンウッドが上体を捩じる様にしてこちらに向き直り、拳を握った左手を突き出す――四指を親指で弾く様にしながらぱっと手を広げると同時、まるで金属板を引っ掻いたときの様な耳障りな轟音とともにその左手の周囲の光景が陽炎の様に揺らめいた。

 進行軌道の空気を擂り潰しながら、複数のなにかが飛んでくる――小さく舌打ちを漏らし、アルカードは手にした塵灰滅の剣Asher Dustを水平に薙ぎ払った。

 正確に位置を判断したわけではない――が、少なくとも一発は斬り払った感触があった。おそらく大きさは親指の先ほどか――林檎の様な固い果物を庖丁で切る様な手応えとともに、次の瞬間剣先の附近で爆発が起こり、轟音とともに衝撃波が押し寄せてきた。

 ――なっ!?

 吹き荒れる爆風に、アルカードは小さくうめいた。熱も光も無い、ただ爆風だけの爆発。

 たいした被害も無いが位置が高かったために顔に向かって衝撃波が押し寄せ、一瞬ではあるが息が詰まり目が開けていられなくなった。

 幸いだったのは、アルカードの聴覚が蝙蝠の様に音でものをことが出来るほどに優れていたことか――おかげで背後の様子がある程度正確に判断出来た。

 剣の腹に弾き飛ばされたのかあるいは爆風の影響か、軌道をそらされた残りの攻撃があるものは壁に喰い込んで内側から爆発を起こし、あるものは壁際に倒れ込んでいた自動人形オートマタのどてっ腹に小口径の大砲が直撃した様な大穴を穿ったあとそのまま自動人形オートマタの体を腰を境に上下に引きちぎっている。

 先ほどと同じだ――熱も光も伴わない、爆風と衝撃だけの爆発。

 

 俺がものも含めて一、二、三、四――胸中でつぶやいて、アルカードは前髪の毛先が目に入ったことに顔を顰めながら床を蹴った。

 グリーンウッドが新たに構築した格闘専用の短剣の柄を握り直して床を蹴る――極端に間合いの広い塵灰滅の剣Asher Dustに対しては、近接専用の短剣のほうが有利だと判断したのだろう。いったん内懐まで飛び込まれれば、身の丈ほどもある塵灰滅の剣Asher Dustは一気に不利になる。魔力強化エンチャントの施された短剣と霊体武装が衝突し、性質の異なる魔力が干渉しあって紫色の火花を撒き散らした。

 硬いな――胸中でつぶやいて、アルカードは小さく舌打ちを漏らした。

 霊体をただ傷つけるだけではなくそこから霊体を浸蝕していく効果のある塵灰滅の剣Asher Dustに接触すれば、たいていの魔術の構成式や魔力強化エンチャントは瞬時に破壊されてしまう――にもかかわらずそれに二度も三度も接触してまだ魔力強化エンチャントを解体されることなく維持していられるというのは、魔力強化エンチャントの技術と魔力容量が桁違いだということだ。

 先ほどの様に『矛』で粉砕すれば別だが、もうすでに一度見せているのだ。彼は二度と同じ手にはかからないだろう。もし同じ手にかかるとしたら、それはそのままこちらを致命的な状況に陥れるための布石だ。

 埒が開かんな――撃ち合いが八合に届いたところで、アルカードはいったん後方に跳躍して間合いを離した。上体を捩り込んで、手にした漆黒の曲刀を左脇に巻き込む。

 ギャァァァッ!

 魔力を送り込まれた塵灰滅の剣Asher Dustが、凄絶な絶叫をあげる――アルカードは再び踏み込みながら、鋒がぎりぎりのところでグリーンウッドに届かない間合いから塵灰滅の剣Asher Dustを水平に振り抜いた。

 漆黒の曲刀を共振するアルカードの手元を押し上げる様にして水平の一撃の軌道をそらし、腕の下を掻い潜る様にしてグリーンウッドがこちらの内懐に踏み込んでくる――先ほどの撃ち合いの最中に位置が入れ替わり、アルカードは背後から接近してきていた自動人形オートマタどもとちょうど正対する格好になっている。

 目標をそらされたまま解き放たれた衝撃波が床の上に転がっていた自動人形オートマタの残骸を津波の様に押し流しながら粉々に擂り潰し、手足の破片を撒き散らした。

 ――零距離からでも凌ぎやがるのか!

 グリーンウッドは転身しながら、こちらの体側に寄り添う様にして踏み込んできている。右手はこちらの手首を捕らえ、左手は――

 アルカードは右足をバックステップする様にして体を右に転身しながら、装甲の隙間から股関節を狙って短剣を突き込もうとしていたグリーンウッドの左手首を掴み止め、力任せに押しのけた。

 同時にグリーンウッドの拘束を振りほどいた右手を振り回して、塵灰滅の剣Asher Dustの柄頭で彼のこめかみを撃ち据える。生身の人間ならば脳震盪どころか脳挫傷を起こして致命傷になっているはずだが、どうもそうもいかないらしい。こめかみに手加減無しの打撃を撃ち込まれたグリーンウッドが小さなうめき声を洩らすのが聞こえたが、それだけだ。

 だが体勢は崩したはずだ――アルカードは右脇の隙間をカバーする簡易装甲と一体になった鞘から格闘戦用の短剣を左手で引き抜き、そのままグリーンウッドの脇腹へと突き込んだ。

 グリーンウッドは甲冑を身に帯びていないから、どこを狙っても問題無い――水平に寝かせた心臓破りの鋒を肋骨の隙間から刺し込めば、どこから刺しても肺を貫いて心臓を傷つける。

 だが刃が届くよりも早く胸元を突き飛ばされて、アルカードは一歩後退した――こちらが拘束を振りほどいたために自由になった右肘でこちらの胸元を突き飛ばし、グリーンウッドが左から右に持ち替えた短剣を逆手に握ったまま突き出してくる。

 躱せない――冷静に判断して、アルカードはその鋒が届くよりも早くグリーンウッドの脇腹に横蹴りを叩き込んだ。

 反動で間合いを離して鋒から逃れ、アルカードは体勢を崩したグリーンウッドに向かって再度床を蹴る。

 湿った空気が耳元で音を立て、逆巻いた空気に煽られて前髪が揺れた――それを無視して、手にした心臓破りを投げ放つ。

 ――

 そして、回避しないほうが望ましい――回避されたらされたで、どうとでもなるが。

 グリーンウッドは予想通りに回避行動をとること無く、手にした短剣を振るってこちらの投げつけた心臓破りを弾き飛ばした。弾かれた短剣が壁に穿たれた風穴の向こうから新たに進み出てきていた自動人形オートマタの一体の頭部にすこんと音を立てて突き刺さり、自動人形オートマタが膝を折ること無く風に煽られた立て看板みたいにバタンと床に倒れ込む。

 だが――次の瞬間グリーンウッドが小さく舌打ちを漏らし、顔面の前に空いた左手を翳して飛来したものを掴み止めた。アルカードが短剣に続いて顔をめがけて弾き飛ばした、先ほどのものよりも一回り大きい指弾ベアリングだ。短剣に比べて小さいし、軌道の差から目立たなかったはずだ。短剣に注意を集中していたにもかかわらず対応出来たことには、瞠目せざるを得ない。

 馬程度の大きさの生き物なら、これを数発撃ち込めば殺すことも出来る――矢玉に劣らぬ速度で飛来する指弾を受け止めたのはたいしたものだ、そう感心せざるを得なかった。

 人間の目は、まっすぐに飛んでくるものに気づきにくい――どうしてかはわからないが、そういうものらしい。

 人間の目には見えない光を光源にものを見る能力を獲得したアルカードでも、どうやら眼球が光を受けて物を見る仕組みそのものはあまり変わらないらしく、それは変わらない――おそらく人間の肉体が基本になっているグリーンウッドも、似た様なものだろう。

 短剣を防いだ直後に、その陰に隠れる様にして目をまっすぐに狙った指弾に反応するのは難しいだろうと踏んでいたのだが――驚くべきことに反応は出来たらしい。あるいはアルカードが目だけではなく耳でものを見ている様に、彼も肉眼だけに頼っているわけではないのかもしれない。

 まあ、だからどうだということでもない――投擲された短剣を手にした短剣で弾き飛ばし、左手で指弾を掴み止めたために、防御が崩れ顔の前に手を翳して視界がふさがっている。

 れる――そのまま踏み込んで、翳した左腕ごと首を刈る軌道で剣を振るう。

 った――勝利を確信して胸中でそうつぶやいたとき、アルカードは予想外の方向からの打擲によって横殴りに弾き飛ばされた。

 ――なんだと!?

 床の上に転がって受け身を取り、体勢を立て直して立ち上がる――周囲には攻撃態勢に入っている自動人形オートマタはいなかったはずだ。攻撃を仕掛けるときに、周りに気を配らないほど愚かではない。グリーンウッドの両腕はふさがり、左手が邪魔になって視界はふさがれていた。

 だとすれば――

 周囲に視線を走らせたあと、再び魔術師に視線を戻したところで、アルカードは眉をひそめた――こちらに向き直ったグリーンウッドの外套の左肩を突き破って、三個の肘関節と六本の指を持つ巨大な左腕が生えている。

 人間のそれよりも指関節のひとつ多い、赤ん坊の体くらいなら掴み上げられそうな巨大な手の指先には長剣ほどの大きさの長大な鈎爪を備え、肩口からは蝙蝠の様な皮膜状の翼を金属で模した様な巨大な翼を広げている――無数の刃状の突起が生えた金属質の装甲に覆われたその腕を右手で軽く撫でる様な仕草をしてから、グリーンウッドはこちらに視線を戻して少しだけ笑った。

「見ての通りだ――は普段俺の中にいて、必要に応じて自分たちの意思で好きに動くことが出来る。こうやって、俺の死角から仕掛けられた攻撃を止めることもな」 という言葉から察するに、あれはグリーンウッドが取り込んだ鬼神や魔神のうちの一体の腕なのだろう――とっさの反応で塵灰滅の剣Asher Dustを防御のために翳していなければ、アルカードはあの刃物を括りつけたかの様な鈎爪でばらばらに引き裂かれていたはずだ。

「……便利なこった」

 唇をゆがめてそんな感想を漏らし、アルカードは適当に肩をすくめた。視線の先で、再び腕がグリーンウッドの体内に沈み込んでゆく。外套の裂け目から除く肌には傷ひとつ無く、引き裂かれた外套とその内側の衣装も金色の粒子を撒き散らしながら瞬時に復元された。

 グリーンウッドが、手にした短剣を軽く翳して首をかしげる。塵灰滅の剣Asher Dustと撃ち合って、さすがにいくつか刃毀れが出来ていた――今まで切断されていないのはたいしたものだが、やはり素材の強度で劣るためか、まったく無傷というわけにもいかないらしい。

 だが、それもグリーンウッドが短剣を一振りしただけで何事も無かったかの様に修復されていた。

 砥ぎたての鋭さを取り戻した短剣の刃に指先を滑らせて、グリーンウッドが口を開く。

「――さて、続けよう」

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