In the Flames of the Purgatory 46

 

   *

 

 グリーンウッドが逆袈裟の軌道で手刀を繰り出した次の瞬間、轟音と地響きが先ほどの衝撃波に続いて再び建物を揺るがした――咄嗟のところで回避したアルカードのすぐかたわらを通過していったなにかがグリーンウッドの振るった手刀の描く軌道に沿って、壁から天井にかけて深々と裂け目を走らせている。

 次の瞬間、その攻撃で一部を切断された壁が音を立てて崩落した――扉の無い入口は、枠まですべて煉瓦状に切り出された石で構成されている。見たところたがいに重量をかけあうことで自重を支えていたらしい枠が、一部が切断されて抜け落ちたことで一気に崩壊したのだろう――迫石せりいしを抜かれたアーチがそこから崩れ落ちるのと同じだ。崩れ落ちた壁の向こうで攻撃の軌道に入っていたらしい天井が崩落し、外界に通じる風穴が開いているのが見えた。

 この建物を――まるごと斬った?

 グリーンウッドは動きを見せていない――追撃の手段などいくらでもあるのだろうが、こちらの出方を見定める気でいるのだろう。

 建物の構造物に穿たれた風穴から、湿った風が吹き込んでくる――アルカードの肩越しにそれを目にしたグリーンウッドが、小さく舌打ちを漏らすのが聞こえた。

 その反応からすると、グリーンウッドはアルカードがをすでに理解しているのだろう――ロイヤルクラシックであるアルカードは空気中の水分を触媒にして、霧に姿を変えることが出来る。乾燥した状態でも霧に姿を変えること自体は可能だが、その場合は空気中の水分の代わりに体内の水分を消費するため消耗を伴うし変身にも時間がかかり、さらに数分と持続しない。さらに言えば、変身解除後も脱水症状に似た体調不良に陥る――逆に空気中の水分の含有量が高ければ高いほど、アルカードは短時間で霧に姿を変えることが出来る。すなわち、緊急回避の手段が増える。

 外壁をぶち抜いた衝撃波の射線上に自動人形オートマタの格納設備でもあったのか、壁に穿たれた大穴の中から屍蝋に似た姿の自動人形オートマタが無数に歩み出てきた。

 ふむ、と鼻を鳴らす――自動人形オートマタはどういう命令を与えられているのか、あるいは単に暴走状態にあるのか、次々とこちらの背後に接近してきている。

 いずれにせよ、自動人形オートマタとグリーンウッドの挟み撃ちというのはあまり歓迎出来た状況ではない――自動人形オートマタの動きは遅く緩慢だが、戦闘用の自動人形オートマタは標的を見定めると一気に敏捷になる。とはいえそれでもさほどの脅威というわけではないが、それでも動きが止まったところにグリーンウッドの攻撃を受ければ一撃一撃が容易に致命傷になりうる。

 唇をゆがめて笑い――アルカードは腰回りの雑嚢から取り出した鋼球を背後に向かって肩越しに放り投げた。

 計十三個の鋼球ベアリングを背後に適当に放り投げ――手元に残った最後の鋼球を指弾として指で弾き飛ばす。

 鋼球同士が空中で衝突するバチュンバチュンという金属音が、背後で立て続けに聞こえてくる――指弾として弾き飛ばした鋼球ベアリングが別の鋼球にぶつかって軌道を変えながら、ほかの鋼球を次々と弾き飛ばしているのだ。

 そして指弾に弾き飛ばされた鋼球に頭部を撃ち抜かれて、背後から接近していた自動人形オートマタ十三体が次々と床に倒れ伏した――以前出会った魔術師に言わせると、自動人形オートマタは術者の命令を正確に遂行させるために素材になった人間の脳を流用している。そのため、頭部は確実な弱点になるのだ。

 カァンという鋭い音とともにグリーンウッドが右手を顔の前に翳し、壁に跳ね返って飛来した指弾を掴み止めた。

「ふむ」 そんな声を漏らして、グリーンウッドが掴み止めた鋼球ベアリングを足元に投げ棄てる――そのまま真っすぐにこちらに向かって右手を突き出されたグリーンウッドの右手、鈎爪の様に曲げた指の間に青白い電光が散り、次の瞬間凄まじい轟音とともに蛇の様にのたくる電光が視界を染め上げた。

「――!」

 舌打ちとともに、アルカードは手にした霊体武装を水平に薙ぎ払った――ブカレシュティで死んでいった人々の苦痛と恐怖が凝り固まって生まれた霊体武装がそのすべてが聞き覚えのある声で身の毛も彌立つ絶叫を発し、同時に放出された魔力が剣風と絡まりあって衝撃波を形成する。

 急激な気圧変化で埃を巻き上げながら、衝撃波がグリーンウッドに殺到した――だが次の瞬間、解き放たれた衝撃波は微風すら残さずに消滅している。

 ――か!

 胸中で小さく舌打ちする――おそらく衝撃波を形成する魔術構成がグリーンウッドの侵入クラックを受け、瞬時に魔力構造ストラクチャを分解されたのだ。

 魔術の『式』も霊体だから、魔術の扱いに熟練しているということは霊体の扱いに熟練しているということでもある。ごく稚拙な霊的構造しか持たない衝撃波は、十分に熟達した魔術師にとっては容易く解体出来る程度のものでしかないのだろう――ことに、一度見せた直後とあっては。

 だが別にどうでもいい――アルカードとて、こんなもので彼を仕留められるとは端から思っていない。目晦ましになればそれでいい。

 グリーンウッドは先ほどの天板越しの遣り取りから察するに、アルカードの高度視覚と同様に障害物の向こう側を透視する能力を持っている――だが巻き上げられた砂塵や大鋸屑おがくずの様に擂り潰された木っ端で視界をふさがれてのち、視覚を切り替えるのには一瞬の時間差があるはずだ。

 一瞬それ――

 紫電が視界の端を灼くと同時に耳を聾する雷鳴が轟き、同時に電撃の直撃を受けた壁が瞬時に昇華して爆発が起こった――強烈な爆風が埃を吹き散らし、電撃が直撃した跡は今なお熔岩のごとくオレンジ色に煮え滾り沸騰している。電撃魔術というのは、こんなふうに直撃した対象を昇華させる様な影響を与えるものなのか?

 電撃魔術そのものは、珍しくもない――ごく短時間の電撃でも十分に相手の動きを止められるうえ、全身を鈑金甲冑で鎧い金属製の武器を持った相手に行使するにはもっとも効果的であると言っても過言ではない。

 魔術師にとっての最大の利点は、周囲の物を黒焦げにする火炎魔術や周りのものを片端から氷漬け、それを溶かす際に水浸しにしてしまう氷の魔術と違って二次被害が少ないという点だ――直撃さえしなければ、貴重な研究資料のたぐいや工房が被害を受ける可能性が低い。

 それは生体が電撃を受けた際の被害が全身の麻痺や心臓の拍動が不安定になることによって起こる心不全が中心になるためで――こんなふうに直撃した対象を瞬時に沸騰させる様な効果を呈する電撃魔術というのは、アルカードもはじめて目にするものだった。

 ――

 躱しているぶんにはなんの問題も無い。

 先ほどの衝撃波で巻き上げた砂塵の陰に隠れる様にして、アルカードは再びグリーンウッドの背後に廻り込んでいる。一応その動きを目で追えてはいるのかグリーンウッドが振り返りかけていた、が――

 ――

 グリーンウッドの反応速度はアルカードとそう変わらないが、実際の運動能力そのものは彼にいくらか劣るらしく、アルカードが首を刈り取ろうとして振るった漆黒の曲刀に対応出来ていない――動きを目で追えてはいるものの、それに体が対応出来ていないのだ。ゆえに――

 ――った!

 必殺を確信して唇をゆがめた、異状はその瞬間に起こった。

 一瞬ではあったが、アルカードの剣の振りが鈍った――無論アルカードが自分で剣速を落としたわけではない。すでに鋒は最高速度に達しており、そのまま振り抜けば塵灰滅の剣Asher Dustの刃はグリーンウッドの首を椿のごとく落としていただろう。

 だがなにをされたのか、アルカードの振るった漆黒の曲刀はその瞬間、まるで水の中で剣を振るっているかのごとくに速度を減じたのだ。

 なっ……!?

 疑問をいだいている暇は無かった。一瞬だけ無理矢理急制動をかけられた剣速は再び元に戻りはしたものの、それによって出来た隙は致命的なものだった。グリーンウッドはすでに斬撃の軌道上から逃れ、こちらの腕の外に逃れている――間近ですれ違う様な位置関係のために、肘撃ちや手甲の出縁フランジによる殴打で対応することも出来ない。

 次の瞬間、アルカードの体は衝撃音とともに派手に吹き飛ばされていた――空中で受け身をとって、なんとか壁に足から着地する。

 なにをされたのかはわからないが――先ほど拳を押しつけられた近接攻撃とはまた異なるものの様だ。

 脇腹を手でまさぐって、アルカードは小さく舌打ちを漏らした。全身を鎧う甲冑は以前大枚をはたいて魔術師から手に入れたもので、素材そのものはただの鋼だがアルカードの魔力を吸い上げて自動で魔力強化エンチャントを行う仮想制御装置エミュレーターとしての機能を附加され強力な耐魔製法を施した甲冑だ――だが魔力強化エンチャントの術式を一時的にでも分解解除されたのか、あるいは魔力強化エンチャントを上回るほどの衝撃を加えられたのか、着込んだ甲冑の装甲が変形して脇腹を圧迫しているのがわかる。

 おそらくは後者だろう――先ほどの攻撃を加えられた瞬間、外套の下から直視していれば一時的にでも視界を潰すほどの激光が漏れた。甲冑に施された魔力強化エンチャントが、外部から加えられた衝撃を光に変換して処理する際の閃光だ。

 おそらく術式を外部から解体されたわけではなく、外部から加えられた衝撃の処理しきれなかったぶんが甲冑を変形させたのだ――つまりあの極めて近い間合いから小さな動きで撃ち込んできた打撃に、大口径の前装マズル・ロード式のカノン砲から零距離で発射された砲弾の直撃にすら耐えうる魔力強化エンチャントを突破して甲冑の装甲を変形させうるほどの破壊力があったということだ。

 魔術による強化か、それとも悪魔を取り込んだことによる肉体の変化か、あるいはその両方か。

 分析の結論を出すよりも早く、グリーンウッドが床を蹴る――どこから取り出したものか鋼材を削り出して柄の部分に紐を巻きつけただけの簡素な外装の格闘戦用の短剣を手に、彼は一気にこちらの内懐に入り込んできた。

 間合いが近すぎる――後方に跳躍しながら、アルカードはグリーンウッドの攻撃を二、三合受け流した。次いで繰り出された顔を狙った刺突をグリーンウッドの腕を押しのける様にして躱し、そのまま短剣を保持した右腕の外側に踏み出す。

 そのまま手首を返しこめかみを狙って柄頭を撃ち込んできたのを、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustの柄を握ったままの右手を翳し、手の甲を撃ちつける様にして受け止めた。

 手甲の魔力強化エンチャントを恃んだわけではない――白兵戦に熟練した魔術師の使う魔力強化エンチャントは、そこらの魔力戦技能者の使う魔力強化エンチャントよりもはるかに強力なものになる。おそらくグリーンウッドはこの甲冑に魔力強化エンチャントの機能を附加した魔術師よりも腕のいい術者なので、甲冑の魔力強化エンチャントを恃んで勝負をする気にはなれなかったのだ。なので――

 魔力を凝集させて構築した力場と魔力強化エンチャントを這わせた短剣の柄頭が衝突し、紫色の電光と激光が網膜を焼く。

 次の瞬間、グリーンウッドの保持した鋼鉄製の短剣がそれまででもっとも強烈な閃光とともに粉々に砕け散った。同時にグリーンウッドの気配に、かすかな動揺が混じる。

 『矛』――ここ数十年で魔力の操り方に慣れてきてから身につけた技術で、相手の攻撃に対する反撃のための技だ。相手の攻撃を受け止めて防御すると同時に、その衝撃力を吸う場合に増幅して相手に叩き返す――今のはグリーンウッドの撃ち込んできた打撃の衝撃力が反転されて彼の短剣に送り込まれ、這わされた魔力強化エンチャントを突破して鋼材を粉々に粉砕したのだ。

 同時に左拳を固め、グリーンウッドの右脇腹に押し当てている――グリーンウッドが接近戦において卓抜した技量を兼ね備えた魔術師であることは認めよう、だが近接距離での打撃戦技術においてはアルカードにも手札はある。ましてや、アルカードの様に甲冑で全身を鎧っていないグリーンウッドの場合は――

 だが技に入るよりも早く外套の胸元を掴まれ強く引きつけられて、アルカードは一歩踏鞴を踏んだ――右脇の下から伸びたグリーンウッドの左手が、アルカードの羽織った外套を掴んでいる。そのまま彼は側方に踏み出して、右肘の肘撃ちを繰り出してきた。

 胸元を掴まれているので躱せない――小さく毒づいて、アルカードは正確に眼窩を狙って繰り出されてきた一撃を額で受け止めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る