In the Flames of the Purgatory 45

 

   *

 

 小道まで戻ったところでポーチの中の携帯電話が鳴り、アルカードは足を止めた。

 ポーチを探って携帯電話を取り出し、通話ボタンを押す。発信者がだれであるかを確認する必要は無い――着信音で大雑把にグループ分けしてあるが、この着信音を設定してある人物はひとりしかいないので、誰であるかはすぐにわかる。

「よう」

「俺だ」

「知ってるよ」 セイルディア・グリーンウッドの言葉にそう答えて、アルカードは少しだけ笑った。

「で、首尾は?」

「聞くほどのことか――もちろん首尾よく片がついたよ」

「近隣から攫われてた女は?」

「残念だが、すでにキメラの繁殖実験に使われたあとだった」 最悪の知らせを、グリーンウッドはさらりと口にした。

「敵の数は?」

「拠点防衛用のキメラが掃いて棄てるほど。人間はディストールしかいなかった――奴の口ぶりからすると、残りのメンバーはもともと奴に仲間扱いはされていなかった様だ。全員吸収して取り込んだ様なことを言っていた」

「あー、あのクソ坊主のやりそうなこった」

「子供の体に魂を移植していることを、知っていたのか?」 グリーンウッドの質問に、アルカードは電話のこちら側で首を振った。

「つるっぱげだったんだよ」 俺が溶かしたあいつの元の体――そう続けると、グリーンウッドの声に苦笑の気配が混じった。

「なるほど」

「拠点はどうした?」 アルカードの質問に、

擬似闇黒洞イミテーション・ブラックホールで消滅させた――今回攫われていたのとは別に魔術装置の部品に使われている人間がいたが、どのみちもう助からなかったからな」

 グリーンウッドがそう返事をしてくる。無論アルカードも現場を見てはいないが、アンソニー・ベルルスコーニの寄越した報告の内容からおおよその状況の見当はついている。

「らしいね。アンソニーがメールでそんな報告を寄越してきたよ――どうやら魔術装置の演算処理を補助する装置に、生体部品として組み込まれてたらしいな」 ベルルスコーニのメールの内容から情景を想像するに、円形の部屋の内壁に人間の首がずらりと並び、中央に魔術装置が据えつけられていたらしい――魔術装置の安価な部品として、演算補助装置の記録媒体に組み込んでいたのだろう。

 魔術装置はコンピュータに似た挙動をして魔術式を維持するための演算処理を行っており、このために中枢演算処理装置メインプロセッサとその補助を行うメモリ、記録媒体の役目に相当する部品が必要になる。

 これはコンピュータとほぼ同じ考え方だ――算数をする子供に喩えてわかりやすくいってしまえば、中枢演算処理装置メインプロセッサは計算をする子供、メモリは計算用紙だ。実際のコンピュータがそうである様に、計算用紙――メモリの容量はシステムが認識出来る限りにおいて大きければ大きいほどいい。

 魔術装置ではない自作なり市販なりの普通のコンピュータ――たとえば32bit環境のWindowsの場合は、システム全体のメモリーチップ容量の合計が四ギガバイトになってしまう。基板上のメモリ容量やグラフィックボードのメモリ容量も数に含まれるので、コンピュータの大雑把なスペックを示すコンピュータのプロパティ画面等でメインメモリの容量が三ギガバイトを切ることもある(※)。

 これはシステムが演算の際に扱えるデータ量の問題で――32bit環境ではすべてのメモリの合計値として四ギガバイト以上のメモリ容量を認識出来ないのだ。

 32bitのbit数はコンピュータの演算の最小単位になる二進数における2の32乗を表し、その乗じた値は4294967296になる。この数字の最小単位である1をメモリアドレスといい、メモリアドレスひとつで一バイトのデータを処理する――このため、32bitOSで扱えるデータ量そのものの限界値が4294967296バイト、つまり約四ギガバイトということになり、そこから基板やサウンド、グラフィック処理等のメモリ容量を差し引いたものが実際にシステムに割り振れるメモリ容量ということになるのだ。

 このため物理カーネルメモリをそれ以上いくら追加しても意味が無い――しかし魔術装置の場合は演算領域がどれだけ膨れ上がっても問題無く認識出来るので、あればあるだけ有効利用することが出来る(※2)。

 普通のコンピュータがそうである様に、魔術装置も大雑把には中枢演算処理装置メインプロセッサと演算領域としての物理カーネルメモリ、データを記録しておくための記録媒体からなっている。

 違うのは、魔術装置の場合は生きた人間を材料に使うことがあることだった――魔術装置の物理カーネルメモリの容量が足りなかったり、あるいは最初からメモリを省略した場合に、魔術装置に生きた人間の脳をつないでその代役を果たさせるのだ。主な用途は物理カーネルメモリの不足を補ってシステム全体の負荷を軽減したり領域拡張を行うことで、資産や技術の十分でない魔術師はそのために生きた人間を使うことが多いのだ。

 グリーンウッドに言わせると、魔術によって製作する部品でメモリに相当する部品を用意することは出来る――出来るのだが、人間を使うのに比べて作製に非常に手間がかかり、かつ素材の調達と記録容量の確保が難しいらしい。

 いったん完成してしまえば性能的には人間の脳を使うのに比べて非常に高性能なのだが、コストパフォーマンスだけで言えば人間を使うほうがはるかに高いのだ――補充の人間はいくらでも攫ってくれば済むし、いったん組み込んだ人間の体調管理は装置が自動で行ってくれる。

 人間の脳は少なくとも百年以上の記憶が可能だし――そうでなければ百歳を超える老人は子供の頃のことを覚えてすらいない、あるいは新しい記憶が脳に蓄積されないことになってしまう――、人間は適切な水分や栄養の補給と体調管理さえ行い、演算処理を高速で行うための脳内のシナプスの数を増やし維持するなどの調整を行えば非常に優秀な演算領域になるのだ。

 実際に使われることが無いから実感することが少ないだけで、人間の脳ほど優れた演算と記録の能力を持つ機械装置は現時点では存在しない。

 天才と凡人の差は、脳のシナプスの数にあるとされている――シナプスは言ってみれば脳神経の接続回路で、シナプスの数が多ければ多いほど脳の演算能力は向上する。人間の場合、シナプスの数は六歳くらいまでに決定するそうだが、ある程度の増殖も見られるとされている。

 魔術装置の中で人間を記録媒体代わりに使う様に設計されたものは、脳に加える電気刺激を調整してシナプスの増殖を促したり、サイレント・シナプス、つまり存在はするが機能していないシナプスを強制的に稼働させたりして、脳の能力を引き上げる機能を備えている。

 いわば人工的に天才を作り出す装置なのだが――魔術装置はその人工的な天才を自身と接続し、コンピュータに例えるならその脳を物理カーネルメモリ代わりの演算領域、あるいは記録媒体にデータを書き込む際の一時ファイルキャッシュ置き場として使用するのだ。前者は別として、後者は最近のWindowsに実装されたUSBフラッシュメモリをキャッシュ置き場として使用する機能に近い(※3)。

「それで、そいつらは?」

 記録媒体代わりにされていた人間のことを聞いたのだが、グリーンウッドは質問の意図を正確に汲み取った様だった。

「生命維持を行っていた魔術装置を破壊したからな。拠点になった城を消滅させるころには、すでに死んでいただろう」 それを聞いて、アルカードはかぶりを振った。聞くまでもなかったことだ。

 魔術装置に組み込まれた人間を救う方法は無い――いったん組み込まれた時点で、分離されるか装置が破壊されれば死ぬ。

 使い道がなんであろうと関係無く、魔術装置に組み込まれた時点で人間としての脳の機能は破壊され、人間としての自我も記憶もすべて失われる。

 自力での生命維持に不可欠な脳情報、特に呼吸や睡眠、食事、運動といった情報を書き換えて、切り離された際に生命維持のために生物がごく自然に行っている呼吸や食物摂取、睡眠といった生命活動が出来なくなるのだ。

 無論それによって空いた領域はほかの記憶領域同様データ処理に回されるわけだが、これをされると人間、というか生物は生命維持に必要なあらゆる活動をみずから行うことが出来なくなる。呼吸をすることも無く、そのために酸素が不足しても息苦しいと感じることも無く、ゆえに自発的に呼吸することを思いつくことすら出来ず、空腹になってもそれを感じることも無く、当然食事をとるという発想に思い至ることは無い。眠くなっても眠るという行動をとることもなく、心臓も自力で動かしているわけではないから装置から切り離された瞬間に心臓が停止してそのまま死んでしまう。

 いったん書き換えられてしまったものを元に戻すすべは無いから、あとはそのまま死ぬ以外にない。

 同情したところで仕方無いので、アルカードはさして気に留めなかった――いったん魔術装置の部品にされた人間を、元に戻すすべは無い――本から毟り取ったページを元に戻す方法が無いのと同じだ。脳の機能そのものが変化してしまっているため、魔術装置からはずしたところで自我の回復どころか自発的な生命活動すら行わないまま死んでしまうからだ。

 元に戻すすべは無いが、死ぬときに苦痛を感じることも無い――正確には苦痛を認識出来ないのだが――、それがせめてもの救いになるのかどうかと言われれば、アルカードとしては首をかしげざるを得なかったが。

「そう言えば聞いたぜ――あのくそガキ、アモンをけしかけてきたんだって?」

 その言葉に、グリーンウッドが電話口の向こう側で鼻を鳴らすのが聞こえてきた。

「ああ、石像を筐体にして召喚していた様だ。『点』の規模そのものは、おまえとはじめて出会ったあの遺跡の地下に存在していたものよりもはるかに小規模だった――本体を顕現させることすら出来ていなかったからな。五百年前の損耗ダメージがどの程度回復しているのかは、俺にもわからないが」

「不幸な悪魔さんだな――五百年前に俺とおまえに袋叩きにされてようやく力を取り戻したかと思ったら、五百年後にもまた蹴り戻されたわけだ」

「まったくだ――おまえの弟子たちの手前、ほどほどに手を抜かなければならなかったから、えらく手間がかかったがね」 その返答に、アルカードは電話のこっち側で適当に肩をすくめた。

「仕方がねえだろ――おまえの飼ってる使い魔どものことがあいつらに知られたら、それこそとんでもねえ厄介事が噴出するからな」

「それを否定はせん」 セイルディア・グリーンウッドはさして関心無さそうな口調でそう答えると、

「そっちは今なにをしている?」

「『クトゥルク』を一体追ってるよ――ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタだ。名前を聞いたことは?」

「噂程度には。なかなか悪趣味な魔術師らしい――戦闘能力だけなら今の弱体化したおまえでもどうとでもなるだろうが、だが気をつけろ。とにかく下衆な手管の好きな女だ――なにを仕掛けてくるかわからんからな」

「覚えておくよ」 アルカードはそう答えて、適当に周囲を見回した――この小道に沿ってここに来たわけではないが、適当に歩いていけばいずれ校舎の近くに出るだろう。

「それで、そっちの案件の進捗は? おまえに暇があれば、近々手を借りたいんだが」

「まだ標的も捕捉出来てねえからな――そもそも昨日ここに来たばかりだぜ? しばらくはかかりそうだ」

 ふむ、とグリーンウッドが考え込む様な声を漏らす。電話の向こうで腕組みでもしているのかもしれない。

「おまえの用事ってのは?」

「どうというほどのことでもない――内容はたいしたものでもない、ただの遺跡の発掘だ。ただ、俺のほかにも腕のいい術式破壊クラッキング技能者がもうひとりほしいんでな。急ぎの用事というわけでもない――手が空いたら連絡をくれ」

「ああ、わかった」 アルカードはそう返事をして、そこでいったん足を止めた。曲がりくねった小道の両脇の林が切れて視界が開け、まだ昨夜の雨の乾ききっていないテニスコートの向こうに校舎から渡り廊下でつながった体育館と武道場が見えている。

「ところでディアよ――おまえは今どこに?」

「今か――オリエント急行だ。イスタンブールに向かっている」 さっきからこととん、こととんという音が聞こえてくるのは、どうやら鉄道の音らしい。

「……おまえなら、自力で飛んでいったほうが早くないか?」

「旅は楽しむものさ、吸血鬼ヴィルトール――おまえならわかるだろう」 どことなく楽しげな口調で、グリーンウッドはそう答えてきた――実際に楽しんでいるのだろう。数百年前に一時期行動を共にしている間にわかったが、彼はそういう男だ――だからアルカードと気が合ったのだろうが。

「……列車は嫌いだって言ってなかったか」

「駅で列車を待つのが嫌いなだけだ――乗っているぶんにはなんの問題も無い」

 そう言えば、彼がなにかで不平を口にするときは、いつもなにかしら待っているときだ――船の到着であれ汽車の到着であれ、たいていの場合彼は待つのが嫌いらしい。ただせっかちなだけかもしれないが。

 まあ、アルカードも似た様な考え方なので人のことは言えない。彼に関してはもともとの来歴が軍人なので、待つことそのものを苦に思ったことは無い――優秀な兵士の条件はよっつ、強い兵士、待つべきときと行動すべきときの区別がつく兵士、どこに行っても迷わない兵士、任務の内容を正確に把握してすべきこととするべからざることを正しく判断出来る兵士だ。

 ヴィルトール・ドラゴスは最終的には下級将校だったが、その前は一兵卒だった――父親と親しくしていた古参兵士から優秀な兵士の条件は教わっていたし、それはいつも従順に守っていたと思っている。だから待つこと自体を苦痛に思ったことは無い――だが、待っている間にやることが無いのは退屈だ。

「――まあそれはともかく、別に俺の用事は急がない。ただの遺跡の発掘だからな――のんびりやってくれ」 グリーンウッドの言葉に、アルカードは足元に視線を落とした。少し高い位置に昇り始めた太陽に照らされて少し短くなった影がぐにゃりと変形し、明らかに彼のものとは異なる形状に変わっていく。

「のんびりしたいのは山々だが、長引かせれば長引かせるほど、東京の事務仕事が溜まっていくんでね」

 足元に落とした視線の先で、変形した影がまるで巨大な狼の様な体をなしていく――やがて地面に伸びた影が体積を獲得したかの様に盛り上がり、漆黒の巨大な獣が影の中から這い出してきた。

 姿を見せたのはまるで闇がそのまま凝り固まったかの様な漆黒の獣毛に全身を覆われた、いかにも人間あたりを獲物に狙いそうな嫌な大きさの獣だった――尻尾が半分無くなっており、魔力が安定していないために瞳が金色に輝いている。

 ギラギラと光る金色の瞳で周囲をぎろりと睥睨し、軽自動車くらいの大きさの巨大な狼がアルカードに視線を止める――アルカードの姿を認めると、巨大な狼は低い顫動音を鳴らしながらアルカードに向かってこうべを垂れた。

「さっきの『点』を監視しろ。必要があったら俺を呼び出せ――人間が来ても、彼らが襲われる危険が無い限り手を出すな。余計な騒ぎは避けたい。頼んだぞ、クールトー」 そう告げると狼は一度鼻面をアルカードの肩にこすりつける様な仕草をしてから、再び影の内部に溶け込む様にして消えた。彼の足元から離れた狼の巨大な影が、そのまま草叢の中へと消えていく。

「『点』探しか」 電話越しにその命令の内容を聞いていたからだろう、グリーンウッドがそう言ってくる。『クトゥルク』の名前を聞いただけで、おおよその事情は理解出来ているのだ――アルカードが『クトゥルク』相手にやることなど、ひとつしかない。

「ああ――今の段階ではまだ警戒は必要無いだろうが、一応な」

「そうか――必要になるのはまだ先だろうが、手を打っておくに越したことは無いからな。『点』がひとつだけとは限らん――警戒の必要が無くとも、油断はしないことだ」

「その忠告はありがたく受けておく」 その言葉に、グリーンウッドが少しだけ笑った。

「そろそろ切る。おまえのほうに時間が出来たら、連絡をくれ」

「ああ、じゃあな」 それで会話を終わらせると、アルカードは携帯電話をポーチにしまい込んだ。

 しかし――毎度のことだが、彼は一体どうやって電話やメールをしているのだろう。

 セイルディア・グリーンウッドがパソコンや携帯電話に凝り始めたという話は聞いたことが無いし、公衆電話で国際電話をかけるのは無理があるだろう――そもそもオリエンタルエクスプレスの車内に公衆電話などあるのだろうか。

 首をかしげつつ、アルカードは校舎に視線を戻した。

 運動場に面した校舎の出入り口の横に、校旗と国旗が並んで掲げられている――風が無いのでだらんと垂れ下がった日の丸から視線をはずし、アルカードは歩き始めた。


※……

 WindowsXPを使ってたころの作者のPCの場合は、二・七ギガバイトでした。


※2……

 64bit環境の場合メモリアドレスの数は2の64乗で1844674407370955161、Windows 8.1で実際に積めるメモリの最大値は百二十八ギガバイトだそうです。実際にはマザーボードの対応の問題がありますし、現在のところ最大で八枚なので一枚当たり十六ギガバイトのメモリになります。

 作者のPCの場合ですが――八ギガ四枚で三十二ギガです。CPUクーラーと干渉するため、八枚刺しは出来ません。四枚刺しで百二十八ギガを実現するために一枚三十二ギガという産廃が発売される可能性もありますが、もし出たとしたらとんでもない値段になるでしょう。

 CORSAIRというアメリカのメーカーの製品で調べてみたら、Vengeance LPXという製品の一枚当たり十六ギガの四枚セットがAmazonで十七万円でした。

 64bitの場合は――現在の技術ではメモリ容量はほぼ無制限なのですが、実際に許容されるメモリアドレス数をクリア出来るメモリが発売されることはおそらく無いでしょう。


※3……

 Vistaから実装されたReady Boost機能のことです。

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