In the Flames of the Purgatory 44

 

   †

 

「――さあ、続きをやろうか。そろそろ小手調べの時間は終わりだろう」

 グリーンウッドの発したその言葉に、アルカードは口元をゆがめて鼻を鳴らした。左手を伸ばして、手近にあった作業用の木製の机の天板の端を掴む。加工もぞんざいなかなり重い代物だったが、吸血鬼にとってはなにほどのこともない――手元に引き寄せながら一端を跳ね上げる様にして投げ上げると、机の上に置かれていた研究資料の山が崩れ、バサバサと音を立てて散乱した。

 資料は本の様に綴じられているものもあったが、ほとんどは附箋だけをつけられた状態でばらばらのまま重ねて置かれていた――天板の上に置いてあった資料が机の向こう側でばらばらと舞い散る様子が、天板を透視している黄色や赤、青で構成された派手な視界の中ではっきりと見えている。

 雨の中を移動してきたわりにはグリーンウッドの体は濡れて冷えた様子も無く暖色系の色で構成されており、彼の手にした皇龍砕塵雷は振動の摩擦熱か刀身部分だけが真っ赤になっていた。

 天板の向こうで姿は見えないが、グリーンウッドが小さく舌打ちを漏らすのが聞こえる――野戦の歩哨が雪や雨が降っているときに注意が散漫になるのと同じだ。視界の中で動く物体はたとえ注意すべき対象ではなくとも、否応無く視線を引きつけ注意力を散漫にさせる。アルカードは両者の視線を遮る天板の裏側に掌打を叩き込み、机をグリーンウッドに向かって弾き飛ばした。

 次の瞬間にはすでに、アルカードはグリーンウッドの背後へと廻り込んでいる――肩に担いだ塵灰滅の剣Asher Dustを袈裟掛けに振るうと、それに気づいてグリーンウッドが肩越しに振り返った。風斬り音で気づいたのか――あるいは壁の構造物を鋒で削り取る音で気づいたのか。どうでもいいが。

 転身動作が間に合わなかったからだろう、グリーンウッドが大きく横手に足を踏み出し、その動作で体全体を下げながら身を躱す――グリーンウッドは手にした剣でこちらの一撃を受け止めることを試みることさえしなかった。撃ち合いを避けて回避したということは、あの皇龍砕塵雷という異形の剣はたとえ魔力強化エンチャントを這わせたとしても塵灰滅の剣Asher Dustとまともに撃ち合えるほどの強度は無いのだろう。

 その動きで撃ち込まれた塵灰滅の剣Asher Dustの軌道から身を躱し、グリーンウッドが左手で保持した皇龍砕塵雷をがら空きになった胴に撃ち込んできている――だがその刃が引き裂いたのは、すでにアルカードがいなくなった空間だけ。

 小さな舌打ちを漏らして、グリーンウッドが右手首を返す。アルカードの動きをある程度目で追えているらしく、彼は右手で保持した皇龍砕塵雷で右手側を斬り払った――が、完全に追いきれてはいないらしい。アルカードは右手に廻り込んだわけではないのだ。

 元の位置――グリーンウッドの背後、机を挟んだ反対側で天板越しにグリーンウッドの頭に狙いを定め、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustの鋒を天板越しに突き込んだ――だがその動きを読んでいたのか、グリーンウッドは大きく一歩前に踏み出し、床にひざまずく様にしてその刺突を躱している。

 次の瞬間その場で転身したグリーンウッドが突き出してきた皇龍砕塵雷の鋒が、この世に斬れぬ物無しの謳い文句に偽り無い切れ味で以て天板を貫通する――横に一歩踏み出しながら体を捩ってこちらの胸元を狙ったその一撃を躱すと同時に手首を返し、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを水平に振り抜いた。

 同時にグリーンウッドもまた、皇龍砕塵雷を水平に強振している。

 皇龍砕塵雷の振動の影響か全体に亀裂が入り脆くなっていた天板が、両者の一撃でばらばらに砕け散った。その天板の破片の陰に隠す様にして、左腰に吊った銃を左手で引き抜く。銃把グリップの握りを逆にして抜き放った銃を空中でひっくり返す様に、アルカードは引き抜いた銃の銃把グリップを握り直した――彼の銃は普通の歯輪ホイール点火ロック式マスケットと違って火皿を持たないために多少雑に扱っても火皿の点火薬が偏ったりこぼれたりして射撃不能になることは無いが、構造上銃を寝かせたり逆さまにしていると射撃が出来ないからだ。

 銃の銃把グリップを胸元に引きつける様にして引鉄を引くのと同時に歯輪ホイール燧石フリントがこすれあう音とともにゼンマイが解き放たれ、次の瞬間銃口が火を噴いた――同時に火門タッチ・ホールを逆流して噴き出した発射煙が機関部のカバーの下から漏れ出し、硫黄化合物の異臭が鼻を突く。

 耳を聾する轟音とともに銃口が炎に包まれ、異物が入り込むのを防ぐために銃口にかぶせた油紙が瞬時に燃え上がった――射線上にあった机の天板の破片が、音を立てて砕け散る。

 もともと銃弾が効果を挙げることを期待していたわけではない――案の定、グリーンウッドは鉄の弾頭を皇龍砕塵雷で斬り飛ばした様だった。

 皇龍砕塵雷の斬撃の影響か、両断され軌道を変えられた銃弾が壁に着弾するよりも早く粉砕されて消滅する――アルカードはもはやそれには頓着せずに、塵灰滅の剣Asher Dustの柄を握り直した。

 もう十分に時間は稼げた。

 魔力を流し込まれた塵灰滅の剣Asher Dustの刀身が青白く輝き、バチバチと音を立てて蛇のごとき電光がその周囲を這い回る。

 物理的に存在するものならば、皇龍砕塵雷はなんでも切断出来るそうだが――ならばこれはどうだ?

 ギャァァァァッ!

 いやぁぁぁぁぁぁッ!

 ウガァァァァアァァアァッ!

 注ぎ込まれた魔力に呼応して、塵灰滅の剣Asher Dustがじかに頭の中に響く絶叫をあげた――刃の周囲に雷華を纏わりつかせながら蒼白い激光を放つ塵灰滅の剣Asher Dustの柄を握り直し、霊体武装を逆袈裟に振り上げる。同時に発生した衝撃波が床の上に散乱した書類を再び宙に巻き上げ、天板の破片を粉砕しながらグリーンウッドに殺到した。

 グリーンウッドは部屋の角を背にしているから、これを回避で避ける術は無い。

 実際、かなり広範囲をカバーする衝撃波を避ける術を見いだせぬまま、グリーンウッドは衝撃波に飲み込まれた。

 背後の壁が瓦解して建物が揺れ、天井の構造材の隙間からパラパラと埃が降ってくる。

 やったか……?

 胸中でつぶやきながら、衝撃波が石造りの壁を擂り潰して発生した土埃の向こうに隠れて姿の見えないグリーンウッドの生死を確認するために歩き出しかけたとき、なにか光の粒子の様なものが視界を横切って、アルカードは足を止めた。

 ひとつふたつではない――銀色に輝く無数の光の粒子が、アルカードの周囲を螺旋状に取り囲みながら煌めいている。

 これは――

 首筋がひりつく様な戦慄が意識を灼く――魔術については詳しくないが、これと似た様な魔術は見たことがある。これは『照準』だ。

 小さく舌打ちしながら、アルカードはあわててその光の螺旋の中から転がり出た。次の瞬間光の螺旋が取り囲んでいた空間がまるで軋む様な轟音をあげ、その一部に取り込まれていた机――の残骸――の脚が、まるで雑巾を絞り上げる様に捩り上げられてそのまま砕け散る。

 どんな魔術なのかは知らないが――照準越しの空間に一瞬ではあるが真横の光景が見えた。机の脚の破壊状態を見るに、光の屈折率が変わったのではなく照準の内側に取り込まれた空間そのものが螺旋状に捩り上げられたのだろう。空間が捩れて光が直進しなくなり、真横にあるものが瞬間的に映し出されたのだ。

「――ふむ。はずしたか」

 気楽な声をあげて、ようやく収まり始めた埃の中から汚れひとつ無い姿の魔術師が姿を見せた――それがいったいどの様な魔術なのかは知らないが、周囲に青白い電光が纏わりついている。皇龍砕塵雷は衝撃波に巻き込まれて砕けたのか、それともみずから棄てたのか、今は手にしていない。背中に払いのけたぞろりとした長衣の下で、腰に吊った中身の無い鞘がさびしげに揺れている。

「てめぇ、あれをまともに喰らって無傷かよ。そりゃあ反則だろう」

「まともに喰らって、というわけでもないがな――インヴィンシブル・シールドを構築する時間が無ければ危なかった」

 わけのわからない言葉――たぶん魔術の呼び名なのだろうが――を口にしながら、グリーンウッドが周囲の電光を消した。インヴィンシブル・シールド――無敵の楯インヴィンシブル・シールドか?

「対霊体破壊効果を附与していれば、術式が分解されるから防御魔術も役に立たなかっただろうな――まあ少なくとも、修復は必要になっただろう。技の改良のときは参考にするといい」

「そいつはどうも」 肩をすくめて、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを軽く握り直した。

「適切な忠告痛み入るぜ」

 そう答えたアルカードの前で、グリーンウッドが少しだけ口元を歪めて笑う――顔の前に翳した右手の指の間に、青白い電光が散った。

 りぃん、という鈴の音に似た音が幾重にも響く。鼓膜を介さずに直接頭の中に響く驚くほどに清浄で澄んだ音は、魔術師が魔術行使の前に精霊を集めて体内に取り込む際、集まってきた精霊が互いにぶつかり合う音だ――この音が清浄でかつ大きいほど高純度の魔力を大量に蓄積出来るということで、すなわち魔術師としての力量が高いことを意味する。

 まだ三十年と経っていないアルカードの吸血鬼人生ではあるが、グリーンウッドの『音』は彼が今まで出会ったどんな魔術師のそれよりも清浄に澄み渡り、また落雷のごとくに大きかった。

 そしてそれは、今までグリーンウッドが大気魔力を一切使わないまま、自身の魔力だけで魔術を行使していたことを示している――精霊魔術師は通常体内の魔力と精霊マナの反応によって魔術現象を引き起こすので、相当強力な魔術師であっても魔力の量はさほど多くない。

 やろうと思えば自分の魔力だけでも魔術は使えるらしいが、それをするには莫大な魔力容量キャパシティが必要になる――精霊魔術師にとって、自分の魔力は精霊マナを励起させるための呼び水にすぎないからだ。

 これだけ強力な魔術を自身の魔力だけで行使するというのは、並大抵のことではない――先ほどの『捩る』魔術といい衝撃波を防いだ魔術の防御といい、精霊マナを使わずに自身の魔力だけで行使しようとすれば、並みの魔術師千人ぶんの魔力容量でもまだ足りない。その事実は彼の純粋な魔術師としての魔力容量が『剣』級の吸血鬼と同等か、下手をすればそれ以上であることを示している。

 だが、彼の魔力はまだ尽きていない――そして体内にひそむ鬼神や魔神の魔力を魔術のための魔力源として転用する選択肢もあるはずだ。にもかかわらずここにきて魔力を集め始めたということは、体内の悪魔たちは温存しつつ本格的な魔術戦闘を始めるつもりだということを意味する。

 結構――ごきりと指を鳴らして、アルカードはゆっくりと笑った。

 グリーンウッドの周囲で、高密度の精霊マナが渦巻いている。グリーンウッドの魔力と周囲の大気中の精霊マナが呼応しあって生じる金色の炎の様なものが揺らめく中で時折電光が弾けるのは、集めた精霊同士がぶつかり合ったときの反応だ――特に精霊マナの密度が高くなっているときに衝突が起こると発生する反応で、すなわちグリーンウッドの周囲の精霊マナの密度が異常に高くなっていることを意味する。

「……お……」 ぎしりと拳を握りしめて、グリーンウッドが身構える。

「おおっ……」

 パリパリと音を立てて電光が散り、びしりと音を立ててかたわらの壁の石が砕け散る。

 同時に身に纏った重装甲冑の表面から、バチバチと音を立てて火花が散る――異状はそれだけにとどまらない。自分の体温が若干上昇した様な気がして、アルカードは危険を感じていったん後退した。

 なんだ、これは――

 身体が熱い。温度の高い風呂に長時間使ってのぼせたときの様に、全身の体温が上がっている。特に首から上が熱くなり、血が上っているのがわかった。

 同時にその回避動作の際の膝の負荷が妙に大きく感じられて、顔を顰める――まるで自分の体重が数倍にまで増えたかの様だ。だが次の瞬間には、今度は体が妙に軽くなったような気がする。

 まるで自分の体重が、でたらめに増えたり減ったりしているかの様に――

「――かぁぁっ!」

 次の瞬間グリーンウッドの周囲の光景がゆがんで見えた直後、強烈な衝撃波が押し寄せてきた。

 ろくに掃除もしていなかったからだろう、もうもうと埃が舞い上がり――ところどころでグリーンウッドの周囲の電光が埃に引火して小爆発が起こった。

 周囲に落雷の様な強烈な電光が弾け、衝撃波が周囲の構造物を瓦解させ粉々に擂り潰す。いったいどの様な現象が起こっているのかは知らないが、おそらくはあの衝撃波はこの現象の本質ではない。衝撃波が発生して擂り潰されるよりも早く、グリーンウッドの頭上にあった石材は瞬時に破壊されていた――いったん砕かれて自然落下し始めていた大量の石材を、直後に発生した衝撃波が完全に粉砕しながら吹き飛ばしたのだ。

「――ふおぉぉぉっ……!」 グリーンウッドが深く長い呼気を吐き出し――それまで荒れ狂っていた衝撃波と電光が、スコールがやむときの様な唐突さでぴたりと収まる。暴風を思わせる荒々しい魔力が収斂して、凪いだ湖面の様に静かに安定したものへと変わっていく。

 そのときには、室内の様子はすっかり様変わりしていた――向こう側に空間のある部屋の仕切りの壁が数枚吹き飛び、この階の天井も崩落している。頭上からなにも降ってこなかったのは、放出された衝撃波が落下してきた石材をことごとく擂り潰したからだ。

 だが、それはともかく――

 グリーンウッドが蓄積したすさまじい魔力量に、アルカードは思わず小さくうめいた。

 

 同時に――理解出来ない物理現象に、アルカードは眉をひそめた。衝撃波で部屋の片隅にまで吹き飛ばされていた、グリーンウッドに殺された魔術師の屍から湯気が立ち昇っているのだ――先ほどからアルカードの体温が上昇しているのも、やはり気のせいではない。

 まるで熱い風呂に長時間使ったときの様に、体が火照っている。

 まるで砂漠に放置された死体の様に皮膚ががさがさに乾燥し、果ては脂に火でもついたのかばちばちと音を立てて燃え上がっている――構造物を完全に消滅させるには至らなかったからだろう、亀裂だらけになった天井から細かな破片や粉塵がばらばらと降ってきた。

 グリーンウッドの周囲に揺らめく炎の様なものは、おそらく彼が集めた大量の精霊の中で、支配下に置いたものの体内に取り込み切れなかったぶんを周囲に纏め上げているために生じたものだ。その周囲で先ほどから始終電光が弾けているのも、彼の周囲だけ異様に魔力密度が高いためにそうなっているのだろう。

「待たせたな――続きをやろうか」 少しだけ口元をゆがめて――グリーンウッドがそう言ってくる。アルカードはそれを聞いて、これ見よがしにやる気の無い溜め息をついた。隅のほうに木っ端と石くれと砂が堆積しているだけになった周囲を示し、

「なにが『続きやろう』だよ――資料は片っ端から吹っ飛んじまったじゃねえか」 グリーンウッドはその言葉に、適当に肩をすくめてみせた。

「まあ仕方が無い――まあ、それで帰ってくれるのならそれに越したことは無いが」

「あいにくまだこの建物を調べきってないんでな、その選択肢は無しだ――ああ、それとおまえを締め上げればなにかわかるかもしれねえしな」

「あまり期待されても困るが」 再び適当に肩をすくめて、グリーンウッドは右掌をこちらに向けた。

「なにしろ俺も、この建物に入ってから二刻と経っておらんからな」

 突き出された掌の周囲の光景がいびつにゆがんで見え、次の瞬間掌の周囲でばちばちと音を立てて電光が弾ける。

 轟音とともに押し寄せてきた大質量の衝撃波が、とっさに横跳びに跳躍して身を躱したアルカードの外套の裾を引きちぎりながら背後の壁に衝突した――轟音とともに石造りの建造物が震撼し、建物の一角が吹き飛んで、冷たく湿った外気が流れ込んでくる。

 アルカードがひゅう、と軽く口笛を吹くと、グリーンウッドは少しだけ笑った。

「ではそろそろ、俺も本気で相手をしようか。実を言うと、この体になってから魔術師としての全力戦闘ははじめてなんだがな――まあ、少しは楽しめるといいんだがね」

 そう告げて、グリーンウッドは指をそろえて伸ばした左手を右肩に巻き込んで身構え、

「――行くぞ」 その言葉とともに、彼は床を蹴った。

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