In the Flames of the Purgatory 43

 

   †

 

 横蹴りを両腕でブロックしながら、金髪の吸血鬼が押し出されるままに間合いを離す――吸血鬼はいったん後退して端正な口元をゆがめ、再び床を蹴った。

 先ほどの攻撃で切られたこめかみから流れ出す血が右目に入り込み、視界が半分になっている――案の定、吸血鬼はグリーンウッドの繰り出したやや角度のついた真直の一撃を躱し、こちらの体の外側に踊り出た。

 踏み出した左足を軸に転身して、その勢いのままに手にした剣を振り回す――間合いが近すぎるから、おそらく斬撃はこない。おそらく柄頭で殴りつける様な攻撃がくるはずだ。

 予想通りの動きで繰り出された一撃が、そのままの姿勢を維持していれば一撃でこめかみを粉砕する軌道で頭上を薙ぎ払う――グリーンウッドは上体を沈めてその一撃を躱し、手にした皇龍砕塵雷を振るってその膝裏を刈りにいった――物体の分子結合を解くことで切断する皇龍砕塵雷は、ただ触れさえすれば吸血鬼の肉体であろうと切断することが出来る。

 だが次の瞬間には剣を保持した右手を蹴り砕かれ、グリーンウッドは小さく毒づいて後方に跳躍した――こちらの動きをきちんと読んでいたのだろう、軸足を右足に移して左足を後方に跳ね上げ、反撃動作に合わせてこちらの右手を踵で蹴り砕いたのだ。

 後退動作が終わるまでの牽制のために皇龍砕塵雷を左に持ち替え、吸血鬼に向かって投げつける――電力供給が途絶えた皇龍砕塵雷はすぐに振動数が下がってしまうが、柄の内部に通電機構のほかに魔力の指令に呼応して電圧と反重力フィールドを発生させる魔術装置ディヴァイスが組み込まれており、これを応急的な電源に利用して振動を維持することが出来る。

 投擲された皇龍砕塵雷を、吸血鬼は手にした霊体武装で払いのけた――軌道を逸らされた皇龍砕塵雷の鋒が背後の壁に突き刺さって振動を伝播させ、石造りの壁を粉々に粉砕する。吸血鬼が少しだけ口元を歪め、手にした霊体武装を体幹に引きつけながら床を蹴った。

Aaaaaalieeeeeeeeee――アァァァァァラァィィィィィィィィィィィ――ッ!」

 咆哮とともに繰り出された胸元を狙った刺突を上体を捻り込んで躱し、さらに後退――壁に背中が接触すると、機ありと見たか吸血鬼が手にした霊体武装を振りかぶった。

「――その首級くびもらったぞ!」

 吸血鬼の喊声に唇をゆがめ、グリーンウッドは左手の掌を背後の壁に叩きつけた――周囲の空間からにじみ出る様にして発生した金色の粒子が壁面に向かって流れ込み、次の瞬間周囲の大気から取り出した質量を材料に壁が瞬時に変形して、無数の棘状の突起を作り出す。

 尖端部分にダイヤモンド並みの硬度に硬化した炭素の鋒を備えた棘が、吸血鬼めがけて襲いかかる――それを目にして、吸血鬼は即座に後退を選択した。賢明な判断だ――まさか危険性を即座に理解出来たわけでもないだろうが。

「錬金術――か? 否、さっきの腕の復元と似た様なものか」

「『あれ』を人間の手で起こせる様にしようと考えたのが、錬金術の原点だ」 そう答えて、グリーンウッドは指が思う様に曲がらない右手で壁から突き出した突起のひとつに触れた――質量の一部を奪い取られて乾いた土塊の様に脆くなった棘が床に落下してぼろぼろに砕け、奪い取られた質量が金色の粒子と化して右手にまとわりつく。

「――まあ、出来ることなどせいぜい知れているがな」

 いったん素粒子レベルまで分解されて物質構造を組み換えられた質量が、そのまま砕けた右手を再構築した――短剣で斬りつけられたこめかみの傷も、すでに修復は終わっている。

 きちんと修復されていることを確認するために五指を曲げ伸ばししていると、吸血鬼が顔を顰めて口を開いた。

「……便利な能力だな」

「まあな」 適当に肩をすくめると、吸血鬼は口元を歪めて笑った。

「だが魔力構造ストラクチャを破壊されても、同じだけの能力を維持することは出来ねえ――だろ?」 多少地が出てきたのか、吸血鬼の口調が少しだけ変わる。

「まあ、な――そこまで出来ればの話だが」

「無理だとでも思ってるのか?」 わずかに足の位置をずらして、吸血鬼が再び身構える――かすかに唇をゆがめて、グリーンウッドはゆっくりと笑った。

「さあ、どうだろうな」

「おまえが魔術を作るより、俺が斬り込むほうが早いぞ――得物を失くしたこの状況じゃな」

?」 グリーンウッドがくぐもった笑い声をあげると、吸血鬼がその声に少しだけ眉をひそめた。

「見てのとおり、俺は自分の肉体の物質構造に基づいて損壊を復元する能力を持っている――これは自分の肉体構造を解析してその情報を基礎にして肉体の構造を再構築しているわけだが、あらかじめ対象物をスキャンして物質構造をサンプリングし保存しておけば、いつでも対象物を複製することが出来る。こんなふうにな」

 なにを言っているのか理解出来ていないらしい吸血鬼に向かって投げたその言葉とともに翳した右手の中に金色の粒子が集中し、次の瞬間には激光とともに皇龍砕塵雷が再び出現している――先ほど投擲した皇龍砕塵雷の末路を確認するために、吸血鬼が一瞬背後を振り返った。

 先ほどの皇龍砕塵雷は背後の壁に突き刺さり――突き刺さった刀身の周囲の壁が共鳴現象で粉砕されたために――、砂の山に埋もれる様にして床の上に転がっている。魔術装置ディヴァイスに対する魔力供給が止まったために電力供給も止まり、皇龍砕塵雷はすでに沈黙していた。

 皇龍砕塵雷の刀身の高周波振動は振動周波数が人間や吸血鬼の可聴範囲をはるかに超えているために振動音そのものは聞こえてこないが、鼓膜が震えているのははっきりと知覚出来る。それが無くなったからだろう、吸血鬼はすでに床に転がった最初の皇龍砕塵雷を脅威とは看做していない様だった。

 床の上に転がっていた皇龍砕塵雷が、こちらに視線を戻した吸血鬼の背後でふわりと浮き上がった――鋒を吸血鬼の背中に向け、猛烈な勢いで背後から殺到する。

 実際のところは、通電を行っていなかったために刀身部分は振動していない。通電していない皇龍砕塵雷は模造剣も同然の代物で、したがって命中しても痛くも痒くもなかっただろうが――風斬り音でそれに気づいたのか、吸血鬼は背後を振り返りざまに背後を薙ぎ払って飛来した皇龍砕塵雷を弾き飛ばした。

 ペーパーナイフも同然の皇龍砕塵雷が壁に激突し、乾いた音を立てて床に転がる――だが次の瞬間、皇龍砕塵雷は再びひとりでに浮き上がってグリーンウッドの手元まで飛んできた。

「正確に言うなら、すでに原型となった皇龍砕塵雷は存在しない。これも――」 眉をひそめる吸血鬼に少しだけ笑みを向けて、グリーンウッドは右手に構築した皇龍砕塵雷を掲げてみせた。次いで左手の手元に浮いている皇龍砕塵雷の柄を握り直し、

「――もちろんこれも、どちらも物質構造の変換によって構築した複製品だ。スキャンした物質構造に従って、いくらでも複製出来る。刀折れ矢尽きて、などという慣用句は俺には当て嵌まらん――この世界に必要なぶんの質量が存在してさえいれば、俺は必要なだけいくらでも武器を生産出来る」

 その言葉とともに――二振りの皇龍砕塵雷が振動を始め、耳障りな低周波音が耳を劈く様な高音に変化したあと、やがて可聴範囲の限界を超えて聞こえなくなった。

「――さあ、続きをやろうか。そろそろ小手調べの時間は終わりだろう」

 吸血鬼はその言葉につまらなそうな表情で鼻を鳴らすと、かたわらにあった机の天板に左手をかけた。まさか自分を無視して、どうせ彼にはろくに理解出来ないであろう資料を持ち逃げするつもりでもないだろうが――胸中でつぶやいたとき、吸血鬼が天板を跳ね上げる様にして机を横倒しにした。

 机の上に置かれていた研究資料はすでに本の様な装丁に綴じられたものもあるが、ほとんどは綴じられておらず、バラバラの状態のまま附箋だけをつけられて机の上に置かれて文鎮を載せられていた――机の上に置かれていた数百枚の研究資料が、バサバサと音を立てて床に散乱する。視界の中で目まぐるしく動く研究資料の用紙が、否応無く目線を引きつけた――小さく舌打ちを漏らして、グリーンウッドは虚空を舞う書類を意識から締め出した。

 視界の中で大きな動きを見せる物体は意識をそらし、注意力を散漫にさせる――戦闘訓練を受けていればなおのことだ。

 そしてそれと同時に、一端を跳ね上げられて宙に浮いた机が視界を遮っている。

 ? 

 

 がつっという打撃音とともに、完全に横倒しになった机がそのままこちらに肉薄してくる。机の天板の裏側を押し出す様にして、突き飛ばすか蹴り飛ばしたのだろう。

 ――

 手にした皇龍砕塵雷の発する静謐な轟音に混じって聞こえてきたひゅっという風斬り音に、小さくうめく――

 転身動作は間に合わなかった――いつの間に背後に廻り込んでいたのか、金髪の吸血鬼が手にした騎兵用の長剣を振るう。自然界にはあり得ない漆黒の外観を備えた、魔力で織られた身の丈ほどもある曲刀――皇龍砕塵雷で撃ち合うなど考えるだけ時間の無駄だ。

 鋒が壁に当たることなどものともせずに、石材の壁を切り裂きながら撃ち込まれてきた漆黒の曲刀が空を斬る――角度の浅い袈裟掛けの一撃を体を沈めて躱すと同時に、グリーンウッドは大きく横手に向かって踏み出している。

 同時に上体をひねり込んで、グリーンウッドは逆袈裟の軌道でがら空きになった吸血鬼の胴に左の皇龍砕塵雷を撃ち込んだ――霊体武装相手では力不足だが、吸血鬼が身につけているのは鋼鉄製の普通の甲冑だ。通常の甲冑ならば、皇龍砕塵雷は紙に鋏を入れるがごとくに引き裂ける。

 が――皇龍砕塵雷の刃が届いたときには、金髪の吸血鬼はすでにそこにはいない。

 得物を振るのに障害になる建物の構造物を斬り裂きながら剣を振るってなおまるで剣速が落ちない、極めて高い技量もさることながら――彼自身の動きはまるで颶風の様。グリーンウッドが攻撃動作に入ったときは確かにそこにいたはずなのに、斬撃は易々と躱されている。

 背後は先ほど押し出された机で死角になっている、が――

 小さな舌打ちを漏らして、もう一振りの皇龍砕塵雷を保持した右の手首を返す。

 そのまま上体を捩り込んで、グリーンウッドは軽い風斬り音とともに右手側を薙ぎ払った。文字通り風のごとき速度で側面に廻り込んでいた金髪の吸血鬼の首を、高速で振動する刃が刈り払い――

 否――手応えが無い。

 ――

 ――

 次の瞬間感じた首筋の焼けつく様な戦慄に、グリーンウッドは正面に向かって大きく一歩踏み出しながら上体を沈めて片膝を突き、床にひざまずく様な動きで身を躱した――次の瞬間こちらに表を向けた天板を轟音とともにぶち抜いて、物撃ちの半ばからいくらか湾曲した漆黒の曲刀の鋒が突き込まれてきた。

 その刺突はグリーンウッドがその場でひざまずいたために、目標をはずしている――だがその刺突は異常に正確だった。遮蔽物越しに正確に頭部を狙ってきたから、逆に単に頭の位置を下げるだけで回避することが出来たのだ。

 これほどまでの精度で攻撃を仕掛けられるということは、気配や音だけでこちらの様子を窺っているわけではない――おそらくグリーンウッドの姿が天板越しに見えているのだ。

 高位の吸血鬼の中には赤外線や熱源でものを見ることが出来るから、やろうと思えば遮蔽物の向こう側にある物体も判別することが出来る個体がいる。だがもしそうだとすれば、この男はそこらにいくらでもいる吸血鬼ではない。おそらくは――

 だが――もしそうだとしたら、なぜそんなモノがこんなところにいるのだ?

 グリーンウッドは小さく舌打ちを漏らし、全身をひねり込んで低い姿勢のままその場で転身した――その転身動作で、右手で保持した皇龍砕塵雷を机の天板越しに突き入れる。

 おそらくあの吸血鬼は、天板の向こうにいるこちらの姿シルエットをはっきりと視認している。グリーンウッドの予想通りであれば、あれは――

 ――

 グリーンウッドの多層視覚と超感覚センスは、机の天板の向こうで身を捩りながらこちらの刺突を躱した吸血鬼の姿をはっきりと捉えている。天板越しに突き出された霊体武装の鋒が、手首の返しで水平に向きを変えた――グリーンウッドもそれとほぼ同時に手首を返して皇龍砕塵雷の刃を水平に寝かせ、胴を薙ぐ軌道で水平に薙ぎ払う。

 同時に次の瞬間、吸血鬼の振るった霊体武装が机の天板を切断しながら首を刈る軌道で肉薄する――その鋒から逃れる様に跳躍しながら、グリーンウッドは皇龍砕塵雷を振り抜いた。

 吸血鬼も、似た様な挙動でこちらの攻撃を逃れていたらしい――二方向からの攻撃に巻き込まれてばらばらにされた天板の陰から覗く吸血鬼の口元に、笑みが浮かぶ。

 カチン、という撥條の弾ける音に続いて、轟音が鼓膜を圧倒する――発射ガスの膨張する破裂音とともに、天板を貫通し粉砕しながらなにかが飛び出してきた。

 直径一インチほどの煤で汚れた金属の塊――銃弾だ。

 かなり大口径の銃を外套の下に隠し持っていたらしく、天板越しに据銃して撃ち込んできたのだ。

 弾丸がまったく変形していないあたり、弾が鉛ではなく鉄で作られているのだろう――下腹部のあたりを狙って撃ち込まれた銃弾を左手の皇龍砕塵雷で切断した、その次の瞬間だった。

 ギャァァァァッ!

 いやぁぁぁぁぁぁッ!

 ウガァァァァアァァアァッ!

 複数の絶叫が、頭の中に直接響く――正確には霊声ダイレクト・ヴォイス、霊体の発する絶叫をグリーンウッドの霊体が直接聞いているのだ。その現象の理由がわからぬ者には、まるで頭の中にじかに声が響いている様に聞こえるだろう。

 次の瞬間空気の圧縮される轟音とともに床の上に舞い落ちた資料を再び巻き上げながら、津波の様な衝撃波が押し寄せてきた。

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