In the Flames of the Purgatory 42

 

   *

 

 眼前にいる黒髪の男――グリーンウッドが、抜き放った複雑な形状の長剣を軽く振る。異様な形状のその刃を目にして、アルカードは少しだけ眉をひそめた。

 刃の形がおかしいのは別にいい――魔術師たちは彼らにしかなしえない魔術的な技術によって、人間の技術よりもはるかに優れた素材を精製することが出来る。

 だから、あの金属素材も含めて複数の素材を貼り合わせた様な長剣も、さして珍しいものではないのだろう――複数の金属素材、たとえば銅と鋼を貼り合わせてその状態から削り出したかの様な奇抜な外見の剣だ。

 そして奇妙なのは、その刃だった――確かに鋭角に削り出されてはいるのだが、だからと言って切断能力があるほど鋭い様には見えないのだ。

 ありていに言えば刃をつける前の、大雑把に形を整えただけの代物に見える。

 あんなものではいくらアルカードがまだ使いこなせていないとはいえ、霊体武装とまともに撃ち合えばひとたまりも無い――はずだ。それは魔術師であるグリーンウッドのほうがよくわかっているだろう。

 だというのに、彼はその剣でアルカードと撃ち合うつもりらしい――そもそも魔術師が人間よりもはるかに高い身体能力を持つ吸血鬼と正面切って戦おうと考える、そのこと自体が無謀であるにもかかわらずだ。

「愚かだな、魔術師」 塵灰滅の剣Asher Dustの柄に手を添えて、アルカードは口を開いた。

「そんなおもちゃで吸血鬼を相手にするつもりか?」

「試してみればいいだろう――同じことを言った吸血鬼は、おまえで三人目だ」 唇をゆがめてそう答え、グリーンウッドが少しだけ笑う。

 それと同時にヴヴヴという虫の羽音にも似た低周波音が鼓膜を震わせ、アルカードは眉をひそめた。耳元に蚊が飛んできたときの様な不快な低周波音は瞬く間に耳を劈く様な高音へと変わり、そのまま爆発音の様な轟音を発したあと聞き取れなくなった。

 だが聞き取れなくなっただけで、聞こえなくなったわけではない――音として聞き取ることは出来ないが、鼓膜が震えているのがはっきりとわかる。犬笛の音を人間の耳が聞き取れない様に、彼の耳が聞き取ることの出来る範囲を超えたのだろう。

 そして同時に、グリーンウッドの手にした長剣の刃の輪郭がぼんやりとぶれて見える――刀身自体が細かく振動しているかの様に。

「今までそれを言った吸血鬼ふたりは、死んだ――おまえが三人目になる、か?」

 その言葉とともに、グリーンウッドが床を蹴った――魔術で身体能力を補強しているのだろう、なるほど並みの噛まれ者ダンパイアであれば反応もかなわないほどの速さで肉薄し、手にした剣を振るって首を刈りにくる。

 その一撃を、アルカードは左腕を翳して受け止めようと――したものの、脳裏を焼く悪寒に阻まれて防御を止めた。

 そもそも相手が吸血鬼であろうが人間であろうが、刃のついていない剣では切断などかなうはずもない。だがこの魔術師は、そのガラクタで躊躇無く首を刈りにきた。

 普通の剣と同じ様に、甲冑の剛性をあてにして受け止めるのは危険だ。左腕の装甲で止めようと行動を起こしていたために、直接剣で受け止めるのは間に合わない――アルカードはいくらか深く踏み込んで、グリーンウッドが剣を振るった右手首を直接掴み止めた。そのまま右手で保持した長剣の鋒を、グリーンウッドの胸元を狙って突き込む。が――

 グリーンウッドは上体を開いて、その一撃を躱している――そのままグリーンウッドが踏み込んでいるのに気づいて、アルカードはとっさに後方に跳躍した。だがグリーンウッドの踏み込みのほうが早い――甲冑の上から、彼の左拳が脇腹に押しつけられている。

 次の瞬間、まるで砲弾が着弾した様な轟音とともに――そしてそれが踏み込みの音なのだと理解するよりも早く、破城槌を撃ち込まれたかの様な衝撃が内臓を突き抜けた。

「――っ!」

 小さなうめきを漏らしながら、後方に撥ね飛ばされる。追撃を仕掛けようと踏み込んで来ていたグリーンウッドの膝を踵で踏み抜き、その反動で後方へ跳躍――グリーンウッドも追撃をあきらめて後退していたために、後退しながら振り抜いた塵灰滅の剣Asher Dustの鋒は彼にかすりもしなかった。

 そのまま体勢を立て直しはしたものの――まるで脳を直接揺さぶられた様な感覚に、アルカードは小さくうめいた。どうも内臓に損傷が出たらしく、喉の奥から熱いものがせり上がってくるような嘔吐感とともに唇の端から血があふれ出す。なにをされたのかは知らないが、あの一瞬で甲冑越しにすさまじい衝撃を撃ち込まれたのだ。

 アルカードは左手を這わせて、甲冑のグリーンウッドが触れていたあたりを指先でなぞった――装甲はまったく変形していない。

 なにをされたのかは、わからないが――

 アルカードは顎を伝う血を手甲の甲で拭い、口の中に溜まった血を床に吐き棄てながら、

「なるほど、自信もあながち口先だけじゃないということか――だが二度目は無い」 その言葉に、グリーンウッドが自分の左手を見下ろした――彼の左拳は粉々に砕け、ずたずたに裂けた皮膚と筋肉を突き破って砕けた骨が飛び出している。

 先ほど拳を押し当てられた瞬間に刺突を繰り出した右手を引き戻して、拳に右肘を撃ち込んだのだ――咄嗟のことで十分な威力は出せなかったが、手甲の肘部分は山型に形を整えて刃をつけられた骨砕きボーンクラッシャーになっている。

 骨砕きボーンクラッシャーを使ったアルカードの肘撃ち猿臂の直撃は、一撃で岩塊を砕くほどの破壊力がある――もはやあの手で同じ真似は出来ないだろう。

「俺も内臓をひとつふたつやられたかな――だが吸血鬼にとって、霊体に損傷を負わなければ頭と胸、背骨以外の損傷なんぞ、どうというほどのものでもない。完治するのに数分もかからん――だがおまえはどうだ、人間の魔術師?」

 人間の魔術師――その言葉を聞いた瞬間、グリーンウッドが少しだけ唇を歪めた。

「人間の、か――なるほど、人間の魔術師にとっては確かに問題だな」 そう返事をして、グリーンウッドが手近な壁に左手を伸ばす。干からびた蜘蛛の死体の様に折れて出鱈目に曲がった指先が壁に触れた瞬間、壁面に拳が収まる程度の陥没が生じた。

 否、その表現は正しくないか――まるで玉杓子で土を掬ったかの様に壁面が半球状に刳り抜かれ、代わりに生じた金色の粒子が渦を巻いてグリーンウッドの左手にまとわりついていく。その粒子が激光を放った次の瞬間、彼の左手は何事も無かったかの様に復元していた。

「……なるほど、確かに『人間の』魔術師ではないらしい」 試す様に左手を握ったり開いたりしているグリーンウッドを見遣って、アルカードはそう返事を返した――今のは周囲の物質を取り込んで構造を組み換えることで自身の肉体を構築する、高位神霊や上級悪魔の受肉の仕方に近い。

 先ほど左手を復元したとき、この男の肉体から漏れる魔力は瞬間的にいくつにも分裂した。まるで複数の霊体が、眼前に立っているあの男の肉体を共有しているかの様に――

 グリーンウッドの左手が復元する瞬間、この男本来の魔力に加えて体内にひそむ異なる霊体の魔力が瞬間的に励起したのだ――おそらく彼本来の魔力制御能力ではなしえない、物質構造の組み換えによる肉体の復元を制御するためだろう。

 瞬間的に識別出来たのはふたつみっつだが、少なくとも七、八いたのは間違い無い。つまりこの男の肉体には少なくとも七、八――否、おそらくは数十にものぼる数の鬼神や魔神がひそんでいる。

 グリーンウッドの肉体から放射される莫大な量の魔力、あれがこの男本来のものか悪魔を取り込んだ結果かは知らないが、これに加えて上級悪魔数十体ぶんの魔力を秘めているなら――

 つまりあの男は――外見はともかく――文字通り人間ではない。かといって吸血鬼でもなく、気配から察するにもともとは人間だ。

「人間が悪魔を取り込んだのか……?」

「さて、どうだろうな。悪魔を俺が取り込んだのか、悪魔が俺を取り込んだのか――いずれにせよ、お陰でこういう器用な芸も出来る」

「なるほど」 アルカードはうなずいて、今度は一切油断無く塵灰滅の剣Asher Dustを構え直した。

 人間に悪魔が取り憑くこと自体は、往々にしてある――だがそれはあくまでみずから周囲の物質を取り込んで構造を変換することで肉体を構築する、上級悪魔なら普通に出来る受肉の手段を持たないからだ。

 物質の形相変換能力を持つほどの強大な悪魔がわざわざ人間に取り憑いたということは、そうせざるを得ないほどに消耗させられたか、あるいはみずからが認めた相手に力を与えるためにほかならない。あるいは、弱体化した悪魔をそのまま使い魔として取り込んだのか――

 軽く手首を返す様な仕草とともに、グリーンウッドが手にした剣の柄を軽く握り直す――グリーンウッドがその鋒を壁に突き立てると、鋒はまるでナイフの尖端を手桶の水に刺し入れるかの様に滑らかに壁に喰い込んだ。

 次の瞬間、鋒が喰い込んだ周辺の壁面がガタガタと振動し始め、一拍を置いて轟音とともに粉々に砕け散る――魔術をなんらかの形で応用して、刃が触れたものを削り取って切断しているのかとも思ったが、どうやら違うらしい。

 しっ――歯の間から息を吐き出しながら、グリーンウッドが滑る様な動きで前に出た。鋼の表面を伝い落ちる水の様に淀み無く躊躇い無く――恐ろしく滑らかな動きで剣を振るう。

 緩やかな曲線を描いて繰り出されたその斬撃を、アルカードは一歩後ずさって間合いを離しながら塵灰滅の剣Asher Dustで迎え撃った――グリーンウッドの手にした剣と塵灰滅の剣Asher Dustの刃が接触した瞬間、金属で硝子を引っ掻いたときの様な耳障りな音が鼓膜を圧倒する。

 たがいの剣の物撃ちが接触した瞬間、耳を劈く様な甲高い音が周囲に響き渡ったのだ――小さく舌打ちを漏らし、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを振り抜いてグリーンウッドの体を吹き飛ばした。グリーンウッドは綺麗に威力を受け流し、数歩ほど後方で危なげなく着地している――引き剥がそうとするアルカードの膂力に抵抗せずに、みずから後方に跳躍して吹き飛ばされたのだ。

 そのときには、グリーンウッドの手にした異形の長剣が発していた甲高い音はすでに収まっている――否、塵灰滅の剣Asher Dustとの噛み合いがはずれてから瞬きひとつぶんの間も空けず、彼の長剣の発する高音は聞こえなくなっていた。だが聞こえなくなったわけではない――アルカードの耳でも聞き取れる音域まで低下した高音が、刃同士の接触がはずれた瞬間に再び彼には聞き取れない音域まで跳ね上がったのだ。

「……ずいぶんとまた、変わった得物だな」

「……皇龍砕塵雷おうりゅうさいじんらいのことか」 アルカードの言葉に、グリーンウッドは手にした剣を軽くひと振りし――その刃がかすめただけで手近にあった机の角がまるで鏡の様に滑らかな断面を見せて切断され、切れ端が床に落下して湿った音を立てた。

「刃の外周が高周波数で振動している。物理的に切断するのではなく接触した物体の分子結合を解くことで切断するから、これで切断出来ない物体は理論上存在しない。霊体武装だったのは僥倖だったし、おまえが初撃を腕で受けなかったのは素晴らしい判断だったよ」

 グリーンウッドの言っていることは半分も理解出来なかったが、要するに理屈の上ではなんでも斬れる剣ということらしい。

「……悪いが、説明する気があるなら俺にもわかる様に説明してくれるか」

「物理的に存在する固体なら、理屈の上ではなんでも斬れる――別に原理がわからないことを恥じる必要は無い。今のところこの原理を知って武装として応用しているのは、上級悪魔の知識を取り込んだ俺だけのはずだ」

「なるほど」 律義に説明し直すグリーンウッドにうなずいて、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを構え直した。

 同様に高速で振動する剣の柄を握り直し、グリーンウッドが前に出る。両者はいったん離れた間合いをじりじりと詰めて、五歩まで距離を詰めたところで同時に床を蹴った。

 ぎぃんと音を立てて塵灰滅の剣Asher Dustと皇龍砕塵雷の物撃ちが衝突し――そのたびに耳障りな振動音が鼓膜を震わせる。

 なるほど、口先だけでもないらしい――胸中でだけそうつぶやきながら、アルカードは驚くほどに高いグリーンウッドの剣の技量に舌を巻いていた。

 最初はちょっと運動神経のいい魔術師が調子に乗って剣も遣っているだけかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい――なにしろまがりなりにもアルカードの動きについてきているのだ。

 白兵戦技術そのものはアルカードに及ぶほどに高くはないが、魔術による補強がされているのか身体能力が極めて高い――まあ先ほど見せた肉体の復元などを見るに、肉体も人間のものと同一ではないらしい。

 おそらく外見こそ人間のそれだが、体内の構造は人間とはまったく異なるものに変化しているのだろう――今目の前にいるのは自分と同じく、人間の姿をしているがまったく異なる生き物だ。

 少しだけ唇をゆがめて――アルカードは床を蹴った。いったん体を右に振って――そのフェイントに引っ掛かって刺突を繰り出したグリーンウッドの剣先を剣尖で払いのける様にして右腕の外側に向かって踏み出し、そのままこめかみめがけて左拳の鈎突きを繰り出す。

 上体をいくらかそらす様にして、グリーンウッドがその一撃を躱した――だが左手が自分の体で死角になった隙に握り込んでいた短剣には気づいておらず、紙一重で見切った回避では格闘戦用の短剣の鋒までは躱しきれなかった。

 右目の上あたりが裂けて、派手に血が噴き出す――グリーンウッドは舌打ちしながら一歩後退し、こちらの胸元を左手で突き飛ばした。左手を引き戻すついでに突き飛ばしてきた左腕に斬りつけようと思ったが、それよりも早く繰り出された追撃の横蹴りを両腕でブロックしなければならなかったために断念せざるを得なかった――数歩離れて間合いを作り直し、そのまま再び床を蹴る。

 こめかみから流れ出した血が右目に入り込んだために、グリーンウッドの視界は右側が死角になっている――迎撃に繰り出してきた真直の一撃を外側に踏み出した左足を軸に転身して躱し、アルカードはそのまま回転の勢いを殺さずにグリーンウッドのこめかみめがけて手にした塵灰滅の剣Asher Dustの柄頭を突き込んだ。

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