In the Flames of the Purgatory 48

 

   *

 

「――十五分間休憩にしましょうか」 稽古着姿の鳥柴薫が、教えている薙刀部の部員たちにそう声をかける――剣道場の三分の一を占めている薙刀部が休憩に入ったので、剣道部の顧問を務める林原も休憩することにしたらしく、対峙していた女子部員に手で合図して構えを解かせてから部員たちに声をかけた。

「うちも休憩しようか」

 その言葉に、日向恭介はそれまで対峙していた紅林くればやし虎斗たけととうなずき合って構えを解いた――道場の端に歩いていって籠手をはずし、たがいに相手の防具の紐を解く。こちらの面の紐を解きながら、虎斗が何気無く口を開いた。

「なあ、恭介。すっかり忘れてたけど、おまえ昨日さ、食堂で知らない金髪の人と話してなかった?」

 面をはずしたところで、恭介はその言葉に背後を振り返った。こちらに背中を向けた虎斗の面の紐を緩めながら、

「ああ、待ち合わせのときだろ。臨時で来た講師の先生だってさ、確かアルカード・ドラゴスって名乗ってた」

「どう思った?」 面をはずしながら、虎斗がそう質問を続けてくる――言っている内容は理解出来たので、恭介は小さくうなずいた。

「たぶん凄い人だと思うけどな――握手したときの胼胝だけで、剣道だって見抜いてたし」

「あ、やっぱり?」 歩き方がなんとなくそんな感じがしたんだよな、と虎斗がうなずいて腕組みする。

「たぶんあの人も剣道、というか剣術だと思うけどな」 そんな会話をしながらふたりは立ち上がって、道場の隅に用意した電解質飲料のほうへと歩いていった――剣道部は残念ながらマネージャーがいないので(というよりも学校の方針で、特に事情が無い限りマネージャーは置かないのだ)、飲料の用意といった雑務は一年生部員の中からじゃんけんで負けた部員が行う決まりになっている。ちなみに今日は恭介だった。

 先輩部員が飲むのを待ってから樹脂のコップを取り上げ、中に注いだ電解質飲料に口をつける。

 恭介はそこでふと視線を転じ、すぐそばにあるグラウンド側に面した出入り口から当のアルカード・ドラゴスが覗き込んでいるのに気がついた。

 その姿を見咎めた林原が、足早にそちらに歩み寄っていく――扉は開け放されているし、誰が外から見ていても珍しくもないのだが、黒いレザージャケットにジーンズというラフな格好の外国人の青年はいかにも珍しい。

「父兄の方――には見えないですね。なにかご用事ですか?」

「ああ、いえ、僕は――」 たどたどしい英語で話しかけた林原に自分の身分を説明しようとしたのだろう、苦笑しながらアルカードが日本語で答えるより早く、

「英語の臨時講師の方ですよ」 助け船を出したのは薫だった。

「ああ、この方がそうなんですか」

「あら、もうご存知でした?」

「今朝出勤してきたときに学園長とちょっと立ち話をしまして、講師の先生が来られる話はそのときにうかがいました――が、ずいぶんお若いですね」

「よく言われます」 なにに対してなのか少し苦々しげに笑ってから、アルカードはあらためて頭を下げた。

「アルカード・ドラゴスです。長くても一ヶ月ほどだと思いますが、よろしくお願いします」

「こちらこそ――ところでどうしてここに?」

「いえ、学園内を少し見て回っていたら、竹刀で撃ち合う音が聞こえてきたから覗いてみただけなんですが――すみません、練習の邪魔になる様なら退散します」 そう言って一礼し、踵を返しかけたアルカードの背中に、林原があわてて声をかける。

「ああいえいえ、そういうわけではないんですが。よかったらちゃんと上がって見ていってください」

 その言葉に、アルカードがいったん館内を覗き込んで、

「それじゃ入口のほうからお邪魔します」

 一分後、アルカードは武道場の入り口に廻り込み、きちんと靴を脱いでそろえてから道場の入り口で一礼して入ってきた。

「こういうところに入ったことが?」 妙に場慣れした行動に疑問を持ったらしい薫の言葉にアルカードはうなずいて、

「近所にある柔術の道場によく通ってました」

「ああ、それで……」

 納得してうなずく薫の視線の先で、金髪の青年は物珍しげに周囲を見回している――そのうちにこちらの姿を見つけたらしい。食堂で会った自分を覚えていたのだろう、アルカードは恭介に向かってこちらに気づいた金髪の青年が、いかにも親しげに手を振ってみせた。

 彼はそのままこちらに歩いてくると、

「やっぱり剣道部だったんだ」 親しげに話しかけてくるアルカードに、恭介はうなずいた。

「はい」

 アルカードは隣に立っていた虎斗に視線を向けると、防具の直垂に刺繍された名前を見て、

「……ベニバヤシ君?」

「クレバヤシです。紅林くればやし

 初対面の相手とのいつもの会話なのだろう、別に気を悪くした様子も無く本人が訂正する。

「ああそうなのか、それは失礼。てことは、あれが君の名前か」 壁に張り出された公式戦のメンバー表に視線を向けて、アルカードはそんなことを口にした。

「ええと――」

 そこでまた読み方に詰まったらしい。困った様に口元をゆがめるアルカードに、虎斗が口を開いた。

「タケトです。クレバヤシタケト」

 本人にそう助け船を出されて、アルカードはぽりぽりと頬を掻いた。

「タケト君か。すごいかっこいい字面だけど、珍しい名前だよな――すごいな、一年生で公式戦確定か」 虎斗の名前以外はきちんと内容を理解しているのか、彼はそんなことを言ってきた――どうやら日常的な漢字の読み書きは、ほぼ完全にこなせるらしい。

「読みにくい名前だと思います――今までも訂正人生でしたからね。でも一応、漢和辞典にも人名で載ってる名前なんですよ。名前負けしない様に大変なんですけどね」 それを聞いて、金髪の青年は面白そうに笑った。

「アルカード・ドラゴスです。よろしく」

「よろしくお願いします」

「ところで――」 アルカードは虎斗と握手をしながら、肩越しに背後にいる薙刀部の面々に視線を向けた。ちらちらとこちらを見ながら練習再開の準備をしている女の子たちを視線で示し、

「あのグレイブみたいなのを持ってる子たちはなんのクラブなの?」

「グレイブ?」

「あのポールアーム。日本じゃ長柄武器っていうんだっけ――槍じゃないよね」

「ああ――あれは薙刀です」 恭介が答えると、アルカードは興味深そうな表情でそちらに視線を戻し、

「そうなの? へえ、あれがそうなのか――薙刀って女の子だけの競技なんだと思ってたよ」 男子生徒が混じっているからだろう、そんなことを言ってくる。

「一応男子もありますよ。うちの学校だとあんまり人気無いですけど」 虎斗の返答にへえ、そうなんだと返事をしたところで、林原がアルカードに声をかけた。

「先生、よろしいですか」

「はい」

 アルカードが呼ばれるままに彼のかたわらに進み出るのを待って、林原が武道場にいる生徒たちに向かって口を開く。

「アルカード・ドラゴス先生だ。鳥柴先生の臨時の補佐で来ていらっしゃる。到着されたのは昨日だから、明日にでもちゃんと紹介があると思うが」

 アルカードが丁重に一礼したところで、薙刀部の部員たちは練習に戻った。それを横目に見ながら、アルカードはその様子が面白いのか、フォームをチェックしている部員たちの動きを興味深そうに眺めている。

「薙刀に興味がおありですか?」 かたわらに歩いていった薫が、そう話しかける――壁際にかけてあった練習用の薙刀を手にとって矯めつ眇めつしていたアルカードは、薙刀を壁に立てかけながら、

「まあ、剣術は多少かじってますので」 そう答えて、金髪の青年は再び周囲に視線をめぐらせた。

「あら、剣術の心得が御有りですか? なんだか歩き方が素人じゃないなーとは思ってましたけど」 あまり語り合える相手が身近にいないからだろう、妙にうれしそうな笑顔を見せて、薫はそんな言葉を口にした――普段薙刀部の指導を務めている妹の代わりに代理顧問に就いている薫だが、どうも学生時代の友人の間に武道を嗜む彼女の話につきあってくれる者がいないらしい。

「ええ、素人に毛の生えた様なお遊びですけどね」

「もしよかったら、わたしの稽古におつきあいいただけません?」

 その言葉に、アルカードが少し意外な顔をした。

「僕がですか?」

「ええ」

「林原先生は?」 水を向けられた林原が、それを耳ざとく聞きつけてかぶりを振る――つい三週間前に木刀対薙刀の異種武術戦で完膚無きまでに抑え込まれ、プライドをズタズタにされたトラウマをまだ引きずっているらしい。

「僕は薙刀の心得は無いんですが」

「剣術が得手なら木刀でも結構ですよ――わたしは薙刀を遣いますから」 誘い方次第で乗ってきてくれると判断したのだろう、満面の笑みでたたみかける薫――よほど退屈しているらしい。

 学内に武道の技量で彼女に勝てる者はいないので、刺激に飢えているのだろう――アルカードが口を開きかけたとき、

「あらあらまあまあ、今度はドラゴス先生を誘ってるの?」 あきれた口調でそう言いながら顔を出したのは、鳥柴鏡花だった――品のいいグレーのスーツに身を包んだ彼女は武道場の入口のところで腕を組み、

「あまり技術をひけらかすのは感心出来ませんよ、鳥柴先生」

「それはそうかもしれませんけど、学園長――たまには身の入った稽古をしないと腕が鈍ります」 意外なほど物騒な科白を口にする薫を、かたわらのアルカードが微妙に引き攣った表情で見遣っている――まあ気持ちはわからないでもない。どちらかといえばぽーっとしたイメージのある薫がこんな科白を口走ったら、とりあえず驚くだろう。

「そうはいっても、相手を引き受けてくださるかどうかは先生次第ですからね……」 そう言って、鏡花は姪から臨時講師に視線をめぐらせた。

「いかがでしょう、ドラゴス先生。姪は少々自分の技量に自信を持ちすぎておりますので、もしよろしかったら鼻っ柱を折ってやってくださいません?」

「俺が、ですか――」 あまり気乗りのしなさそうな表情で、アルカードは周囲に視線をめぐらせた――林原はさっさと生徒たちに指示して場所を空けさせている。別に敵討ちを期待しているわけではなく、事態を面白がっているのとふたりの試合を参考にさせるつもりなのだろう――彼自身も幾許かの参考にするつもりなのかもしれない。もっとも、それで彼の交際申し込みを賭けた決闘が成功するかどうかは別問題だが。

 なんだかんだ言っても遺伝子が同じなのだろう、妙に楽しそうな薫と鏡花、それにすでに観戦モードに入っている生徒たちを順繰りに見比べてから、アルカードは小さく息を吐いた。

「わかりました。ご期待に添えるかどうかはわかりませんが、お相手しましょう」 歓声をあげる薫に苦笑を向けてから、アルカードは恭介のいるあたりまで歩いてきた。

「妙な雲行きになりましたね」 虎斗の言葉にまた苦笑して、アルカードはうなずいた。

「まあいいんじゃない、楽しそうだし。ところで、林原先生は鳥柴先生となにかあったの?」

「交際を賭けて決闘してずたぼろにやられました」 身も蓋も無い虎斗の回答に、アルカードは再度苦笑してから、

「『わたしより強い人じゃなくちゃ厭』ってやつ? なるほど、俺と戦わせて手の内を探る作戦か」

「本人はぼろぼろだと思ってますけど、薫先生も結構辛勝だったと思うんですけどね」 恭介の言葉にアルカードは小さくうなずいて、

「まあ、技量の巧拙よりも再戦の際の勝利の芽を汲み取れるかのほうが重要だからね――じゃあまあ、林原先生が次の勝ち目を掴める様に頑張ってみようか」 金髪の青年はそんなことを言いながら、着ていたレザージャケットを脱いだ――cw-xのアンダーウェアの上からアンダーアーマーの半袖のTシャツを重ね着している。体にフィットしたアンダーウェアを内側から押し上げる筋肉のしなやかな動きは、ボディビルではなく激しい運動の中で鍛えられたものだ。

「アンダーアーマーが好きなんですか?」

「うん、気に入ってる」 女子部員のひとりが更衣室から持ってきたものらしいハンガーにジャケットを引っかけ、ウエストポートもはずして引っかけながら、アルカードがそう答えてくる。

「南千歳のレラっていうモールに、アウトレットショップがありますよ」 それを聞いて、アルカードは靴下を脱ぎながら恭介に視線を向けた。

「今度行ってみる――ところで木刀かなにか無い? 出来れば一番長いやつ」

「三尺くらいのが、確かあったはずですけど」

 虎斗がそんなことを言いながら備品置き場へと歩いていき、やがて全長一メートルほどの赤樫の木刀を持って戻ってきた。何代か前の主将(鹿児島出身)が持ち込んで置いていった私物で、薩摩示現流の稽古に使うかなり太いものだ。

「どうですか?」

「ちょっと短いかな――でもバランスはなかなかいいな。ありがとう、これでいい」 手に馴染ませるためだろう、少し離れてから木刀を何度か振りながら、アルカードはそんなことを答えてきた。

 薫のほうも準備は出来ているらしく、防具を着けて薙刀を手に進み出たところだった――彼女は防具もなにも身につけていないアルカードを見遣って、

「ドラゴス先生、防具をなにか着けられたほうがいいんじゃないですか?」

「否、結構です――剣道の防具なんか持ってませんし。体に合わない防具をつけても、動きが鈍るだけですから」 軽く肩甲骨を寄せる様な動きをしながら返したその言葉が気になったのか、薫はいったん道場の端に戻り、防具を全部はずして稽古着と袴だけの恰好で戻ってきた。

「別に鳥柴先生まで防具をはずす必要は無いと思いますが」 アルカードの言葉に、薫はかぶりを振って、

「いいえ、ちゃんと同じ条件で戦わないと面白くないんです」

 意外に過激なことを言う女性ひとだなあ――そんな感じの表情で、アルカードが天を仰ぐ。彼は助けを求めているのだろう、鏡花に視線を向けたが、彼女は肩をすくめただけだった。

 やがてあきらめたのか、アルカードは林原に視線を向ける。

「じゃあ先生、号令をお願いします――ところで、ルールはどんなふうに?」

 アルカードの言葉に、道場に上がった鏡花が口を開く。

「ドラゴス先生は剣道のルールをご存知無いでしょうし、ご自由に。鳥柴先生も、やりたい様にやって結構――ただしお互い、出来るだけ相手に怪我をさせない様に。特に薫、貴女は自分で防具を脱いだんですから、怪我をしても自己責任ですよ」

 いいのかよおい、アバウトすぎだろう――そんな感じの表情で、アルカードが片手で顔を覆う。

 やがてそれもあきらめたのか、彼は林原がふたりの間に進み出た時点で真面目な表情に戻った。

「ルールは今聞いた通りです。まあなんというか――おたがい気をつけて。では――」

 林原が言葉を切った時点で、それをどう解釈したのか、アルカードが一礼して左手で持っていた木刀を鞘から抜く様な動作を見せる。

 彼は木刀を右手で保持して鋒を下げたまま右足を引き、薫に対して体を横に向けた――蹲踞も気を満たす所作も無い。剣道や薙刀道のルールを本当に知らないか、あるいはどうでもいいのだろう。それを見て薫もそういった動作は省略することにしたらしく、手にした薙刀を上段に構えた。

 それまでとはなにもかもが違う――あのともすれば与し易しとすら感じるほどの開けっ広げな空気が無くなって、静かな緊張が張り詰めた面差しにはまったく隙が無い。

 すごい自信だ――胸中でつぶやいて、恭介は小さく息を飲んだ。ああやって鋒を下げるのは動きを読みにくくするという利点こそあるものの、その半面体の前面に剣を翳していないため防御にも攻撃にも時間がかかり隙が大きい。初弾が遅れると後手に回りがちになり、一転不利になる――初動の速い上段の構えを相手にするには、相当な実力差が無いと無理だ。

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