In the Flames of the Purgatory 33

 

   *

 

「それにしても意外だな――アルマゲストの様ながちがちの魔術師集団が、現代文明を取り入れるとは」

 玄関ホールの中央にまとめる様にして設置された数台のパソコンに視線を向けて、ベルルスコーニはそんな感想を漏らした。

 手近なデスク前で足を止め、デスクの上に設置されたデスクトップパソコンの液晶モニタに視線を落とす――無味乾燥な事務用のデスクの下に設置されたアメリカ製のタワーパソコンの接続ケーブルは、ざっと見る限り、魔術装置とは別のケーブルで調製槽に接続されているらしい。

 ベルルスコーニはデスクトップ上のウインドウで目まぐるしく変動するグラフにざっと目を通し、

「調製槽の培養液の温度や成分―それにpH値を管理するためのものだな。確かにこういった保守管理は、現代文明を組み合わせたほうがやりやすい」

「培養液は死海から運んできた水みたいね」 デスクの上に放置されたクリップボードに留められていた書類に記された一文を目にして、リーラがそうつぶやいた。その言葉にブラックモアがうなずいて、

「キメラの調製なんかには死海の水をベースにするのが最適だって、先生が前に言ってたな。ミネラルが大量に濃縮されてるから、栄養分が豊富なんだそうだ」

「師匠が講義でそんな話をしてたことがあった? 全然記憶に無いんだけど」

 師の講義でそんな話を聞いた記憶が無いのだろう――ベルルスコーニも覚えていない――、リーラがそう尋ねる。ブラックモアがかぶりを振って、

「否、講義で聞いたわけじゃない。魔術戦の訓練を受けたあとでたまたま訓練施設の休憩所で一緒になって講義の内容について質問をして、そのときに話題に出た」

 それで納得したのか、リーラがそう、と小さくうなずく。それで興味を失って、ベルルスコーニは周囲を見回した――別のパソコンのディスプレイではビープ音がやかましく鳴り、デスクトップ上で警告表示が瞬いている。

 おそらくおそらく先ほどの鎧との戦闘の際に調製槽が破壊されたことによる、調製槽の異状を示す非常事態警告だ。誰も見る者がいなかったら意味が無いと思うのだが。

 そんなことを胸中でだけつぶやいて唇をゆがめ、ベルルスコーニは適当にかぶりを振った。

 そう、ぴーぴーとやかましいビープ音よりもそれを聞く人間が誰もいないことが問題だった――深夜なのだから別に人間がいないことそのものは驚くに値しないが、研究施設なのだから非常事態に対処するために当直くらいはいそうなものだ。

 専用の居住施設の様なものはほかに見当たらなかったからこの建物内にあるのだろうし、外であれだけ大騒ぎしているのだから全員が全員眠りこけているとも考えにくい。

 あの鎧が攻撃を仕掛けてきたのだから警備システムは機能しているのだろうが、その割には鎧がほかに現れないのもおかしな話ではある。もっと大量の鎧が施設内に残っているなら、全戦力をまとめて投入すべきだ――大量の鎧が現れたあそこに鎧をいるだけ全部投入して戦力を遣いきっていたなら、ここに一体だけ残っていたのもおかしい。

 ベルルスコーニは背後を振り返って、先ほどの肉塊に視線を向けた。

「どうしたの?」 リーラの質問に、ベルルスコーニは彼女に視線を向けた。

「あの鎧、どうして一体しか出てこなかったんだろうと思ってな」

 それは確かに、とリーラが腕組みする。

「ただ単にあいつだけ、最初から配置が違ってたとか?」

「鎧の出番など、実験体が逃げ出したときくらいだろう」 ベルルスコーニはそう告げて、液晶モニタの一点、右から左に流れていくグラフを指で示した。指先が液晶に触れ、一瞬画面がぐにゃりと歪む。

「フィオレンティーナを搬送したローマの病院で、これと似た波形を出している機械を見たことがある。これは脳波計のデータを表示しているんだ――興味半分でドクターに話を聞いたことがあるんだが、この波形はレム睡眠のものによく似ている。彼の波形は計測装置が壊れたからわからないが、少なくともほかの実験体の脳波は睡眠のものに近い――おそらく薬物かなにかで、強制的に眠らされているんだろう」 

 102815――先ほどリーラに鎧の襲来を知らせ、身代わりになって鎧に殺された、あの肉塊の番号だ。

「102815――追加調製実験に使用のため投薬を中止。どうやら彼はなにかの実験台にするために、投薬を中止して覚醒させられていたらしいな」

「つまり、彼以外は眠りっぱなしだから、実力行使する必要のある事態は発生しにくい、ってことだな」 ブラックモアの言葉に、ベルルスコーニはうなずいた。

「そういうことだ。あの状況下で鎧を一体だけここに残しておく意味は無い。なら、ほかになにか用があってここにいて、こちらの侵入を知って仕掛けてきた、ということになるが――」

 そこでブラックモアが片手を翳したので、ベルルスコーニは言葉を切った。

「その、ほかの用事っていうのは――」 ブラックモアの頭上で、耳障りな咆哮があがる――彼は頭上から飛び降りてきた人間と鳥を合成した様な奇妙な風貌の奇怪な獣に視線を向けて、軽く小指を動かした。次の瞬間、獣の体が全身に絡みついた鋼線によってずたずたに引き裂かれ、全部で十七にまで分割されて床の上に血と内臓と肉片をぶちまける。

「――たとえば、こういうののことか?」

 首だけになってもまだ生命の兆候を示している鳥のそれに似た嘴を持つ頭を見下ろして、ベルルスコーニはうなずいた。

「ああ」

「そうらしいわね」

 リーラが太刀を引き抜きながら、ホールの両翼の階段に鋭い視線を向けた。

 その視線を追うと、ホールの両脇から二階に昇る階段を上がったところに数体の黒い影がわだかまっているのが見えた。

 非常燈めいた暗い照明しか無いが、いずれも四足歩行の巨大な獣の様に見受けられた――ひょう、とブラックモアが口笛を吹く。

「番犬ならぬ番鳥かな」

「どうかしら。あの鎧はこいつらと戦わせる実験のために用意されてたのかも」 リーラがそう答えを返しながら、油断無く獣の群れをめつける。

 吹き抜けになった階段の上から飛び降りてきた巨大な獣が、地響きとともに着地してこちらを睨みつけた――頭頂部から背中と肩、腕、脚の一部にかけてヤマアラシを思わせる無数の針毛が生えたイノシシの様な生き物で、二足歩行も可能なのか今は直立している。後肢だけで立っている今は二百五十センチ近い体高があり、全身が猪の様な短い毛並みに覆われていた。

 ごるるるる、とうなり声をあげていたその獣が、おもむろに床を蹴った――往年のカール・ルイスを思わせる素晴らしい短距離ダッシュで加速したかと思うと、全身の剛毛を逆立て体を丸めて回転しながら突っ込んでくる。とっさに横跳びに跳躍したベルルスコーニとリーラの眼前を通り過ぎて、その獣の回転攻撃がブラックモアを直撃した。

「リッチー!?」 仲間の安否を気遣って、リーラが声をあげる――まるで車体からはずれたタイヤの様に回転しながら突進した獣の巨体がそのままデスクを吹き飛ばし、ブラックモアの背後の壁際に配置されていたいくつかの調製槽を直撃した。

 分厚い複合強化硝子で作られた調製槽が粉砕され、内部に浮いていた実験体が床の上に転げ落ちる。

「リッチー!」 姿の見当たらない仲間の姿を探して、リーラが再び声をあげる――その声にはいよ、という気楽な返答が横合いから聞こえてきた。

 獣がごるるるる、とうなりながら、背後を振り返る――その視線の先で、壁際に吹き飛ばされたデスクの天板に腰かけたブラックモアがぱちぱちと適当に拍手をしていた。どうやら天井かどこかの構造材に鋼線を巻きつけ、それを手繰り寄せることで攻撃から逃れていたらしい。

 ブラックモアの気の無い拍手に触発されたわけでもないだろうが、吹き抜けになった二階から次々と巨大な影が跳び降りてくる。

 直立歩行する巨大な犀の様な風貌の獣、もう一体は蟷螂に似た姿で巨大な鎌を両腕に備え、別の一体は全身をキチン質の外殻で覆い、両腕に巨木でも両断出来そうなほどの巨大なハサミを備えた見上げるほどに巨大な蟹の様な姿。別な一体はいかにも俊敏そうな、ちょうど狼に似た風貌、別の一体は巨大な甲虫に似た姿、それについで飛び降りてきた一体はどことなく土竜を思わせる。

 いずれも直立二足歩行をしているところをみると、人間、もしくはなんらかの霊長類をベースの一部に加えて造られたものらしい――ずいぶんとまあ、悪趣味な化け物ばかり造ったものだ。

 唇をゆがめたとき、視界の端で猪に似た獣が肩から生えた針毛に手を伸ばすのが見えた――案外簡単に抜けるのか、獣が肩から生えた針毛を数本引き抜いて、ダーツの様にブラックモアに向かって投げつける。よほどの硬度があるのか、長さ一メートル程度の針毛が身を躱したブラックモアの背後の壁にカツンと音を立てて突き刺さった。

 飛来した針毛をひらりと躱してホールの中央に降り立ったブラックモアが獣に向き直り、にやりと笑って軽く手を打ち鳴らす。

「いいコだ」 攻撃をしくじったことに苛立っているのか、獣がのそりと立ち上がってブラックモアに向き直る――獣は咆哮をあげて、再びブラックモアに向かって床を蹴った。

 ブラックモアが法衣のポケットに手を差し入れて、取り出した聖書のページを軽く振る――次の瞬間、激光とともに聖書のページが長剣へと変化する。

 ブラックモアがそれを両手で保持して右脇に巻き込む様にして構え、再び回転しながら突っ込んできた獣を迎え撃った――自分の体の軸をややずらしながら振るった、力押しで迎え撃つのではなく相手の攻撃の軌道をそらす一撃だ。

 剣の刃に触れた針毛がまるでオルゴールの櫛の歯の様に物撃ちの上で滑って音を立て、次いで弾き飛ばされた獣の巨体がブラックモアの脇を通り過ぎてちょうど背後にいた甲虫の様な生物を直撃した。

 手にした長剣を杖の様に床に突いて独楽の様にくるくると廻して弄びながら、ブラックモアがゆっくりと笑う。

 と――ブラックモアが、弾かれた様に後方に跳び退った。同時に彼が今まで立っていたあたりを、ぬらぬらと輝く軟体動物の触手が叩く。

 触手の攻撃を躱すと同時にブラックモアが繰り出した鋼線に全身を絡め取られた、まるで人間と烏賊を融合させた様な奇怪な獣を目にして、リーラがあからさまに嫌そうな顔をして小さくうめく。烏賊の様な獣は驚くべきことに人間のそれに似た四肢を備えており、それとは別に無数の吸盤がついた十本の触手を持っていた。

「リングフライの材料――にはならなさそうだな」

 全身を鋼線に絡め取られてもがくグロテスクな生物を眺めながらそんなぼやきを漏らして、長剣を肩に担いだブラックモアが再び笑う。

「先生なら創作料理を作ってくれるかな」

「ふたつ返事で断るのが目に浮かぶが」 ベルルスコーニの返答に、ブラックモアが適当に肩をすくめた。

「だいたいリッチー、おまえあんなものを食べたいのか?」

「否いらない」

 なんとか鋼線を振りほどこうと暴れるイカの触手、否イカの全身が、やがて青みがかった光を放ち始めた――おそらく烏賊や蛍が持っている発光物質、ルシフェリンだろう。

 ルシフェリンはイミダゾピラジノンを基本骨格とする、ルシフェラーゼによって酸化されて発光する発光素という物質の総称だ――蛍や烏賊のほかに放散虫、有櫛動物、刺胞動物、橈脚類、毛顎動物、一部の魚、海老などにみられ、蛍や烏賊、深海魚や微生物の生体発光現象バイオルミネッセンスの源でもある。

 生体発光現象バイオルミネッセンスを起こす生物で有名なところでは、ホタルやイカが光るのもルシフェリンによる生体発光現象バイオルミネッセンスだ――ホタルイカの触手は外部からの刺激に反応して短時間発光することで知られている。おそらくあのイカ男は運動や外部刺激に反応して、体内にルシフェリンが蓄積するのだろう。

 暴れるイカ男――女かもしれないが――の表皮に鋼線が喰い込んで、ぷつりという音とともに青い液体がにじみ出る。それがあのイカ男の血液なのだろう――調製時に使用した遺伝子サンプルの中に烏賊のものが含まれていたからだろうか。

 烏賊の血は酸素供給のための呼吸色素を鉄を基本にしたヘモグロビンではなく銅を主体にしたヘモシアニンで賄っており、このために血は青色を呈するのだ。

 ただ、血液中の呼吸色素がヘモグロビンではなくヘモシアニンであるのなら、あのイカの運動能力そのものはさほど高くはあるまい。ヘモシアニンを血液中に持つ生物としては烏賊や蛸といった無脊椎動物が多いが、これらの軟体動物は高速で長距離を泳ぐことが出来ないことが知られている。

 銅を主体に造られたヘモシアニンはヘモグロビンに比べて酸素の運搬能力が低いためで、さらに海水中の水素イオン濃度の影響を受けやすく、海水の水素イオン指数の値が酸性に近づくと酸素供給能力が低下する。

 要するにダッシュが出来ないのだが、だからだろう、烏賊は墨を囮に使い、その隙に海水を取り込んで高圧で噴射することで高速移動して外敵から逃れ、蛸は墨を目くらましに使ってその隙に海底にある物に擬態することで外敵を遣り過ごす様に進化したのだ。

 それはつまりあのイカが俊敏性で劣り、持久力に欠けるということでもあるのだが――

 そこでようやく鋼線をブチブチと音を立てて引きちぎり、青い血液を撒き散らしながらイカ男が跳躍する――イカは周囲の構造材に触手を巻きつかせて体を支え、そのままさらに別の触手を伸ばして壁にへばりついた。

 烏賊は自在に体色を変化させることで周囲の環境に溶け込む、変色細胞と呼ばれる組織を持っている。その特性はイカにも受け継がれているのだろう、イカの姿は薄暗い天井近くの壁に溶ける様にして消えて失せた。

 ルシフェリンの発光はすでに消えている――本物の烏賊の場合もそうだが、ルシフェリンによる生体発光現象バイオルミネッセンスは連続しない。

 ルシフェリンはミトコンドリアが生成するエネルギー物質――ATPと結びついて中間体となり、それがさらにルシフェラーゼと呼ばれる酵素と反応することでオキシルシフェリンに変化する。

 高エネルギー物質であるオキシルシフェリンは、不安定な励起状態から安定した基底状態に戻る際にエネルギーを放出し――ホタルなどの生物はそのエネルギーを光に変換することで発光するのだ。

 つまり発光するためには基底状態に戻ったルシフェリンを再び励起させることが必要で、そのために生体発光現象バイオルミネッセンスはたいてい不連続なものになる。

 蛍の光が瞬くのはこのためで、あのイカも体内の酸化したルシフェリンを還元させている最中なのだろう――それが意図的なものなのか、それともそういう生態であるのかは別として。

 おそらく、あのイカを製作した魔術師はルシフェリンで発光することなど考えていなかっただろう――あんなふうにちょっと刺激を受けるたびにピカピカ光る様では、戦闘用のクリーチャーとしては役に立たない。戦闘には当然夜間戦も含まれるからだ。

 それでも処分されること無くこうして投入されているということは、魔術師が生体発光現象バイオルミネッセンスを抑え、おそらくは呼吸色素もヘモグロビンに置き換えて実戦に投入することをあきらめていないということで、であれば戦闘能力はそれなりに高いのだろうが。

 小さく舌打ちを漏らして、ベルルスコーニは周囲を見回した。あとの敵はカブトムシにヤマアラシにオオカミ、カマキリ、カニにサイにモグラ。

 加えて死角からのイカの攻撃も警戒しなければならないということだ。攻撃の瞬間にイカが発光していれば目立つのですぐに気づくだろうが、もしルシフェリンを酸化させている最中で発光していなかった場合、苦戦を強いられることになるだろう。

「さて、と――」 ブラックモアが薄く笑い、それまでくるくると回転させて遊んでいた長剣を肩に担ぎ直す。

「そろそろ始めるか?」

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