In the Flames of the Purgatory 34

 

   *

 

 ぴちゃり――手にした漆黒の曲刀の輪郭を伝い落ちた血の滴が、甲板の上に落下して砕け散る。海賊たちの最後のひとりが、足元で断末魔の痙攣を繰り返している――アルカードはその屍を左手で持ち上げて、そのまま舷側から海に投げ棄てた。

「さて――」 そのころには商船の大三角帆ラティーンセイルと支索の補助帆もはずし終わっている――あの様子では、回収しに来てもらえるのはもう少し先になりそうだ。

 彼らと手旗信号かなにかで連絡が取れればいいのだが、あいにくワラキア式の手旗信号では彼らには解読出来ないだろう。

「さて――左舷の大砲はどうしたものか」

 そんなことを独り語ちながら、砲門を兼ねた舷側へと歩み寄る――先ほどまでの戦闘でとばっちりを喰っていなかった大砲はいまだ健在だが、船ごと沈めるのがいいだろうか。

 どのみちこの船をここに残していくわけにはいかない――どこぞのろくでなしに大砲を回収されて、またどこかで民衆が害を受けるかもしれない。

 海上ではまだ、海に転落したものの死にはしなかった海賊たちがぎゃあぎゃあと叫び声をあげている――舷側越しにそれを見遣って、アルカードは溜め息をついた。船体に攀じ登れはしないだろうが、彼らが生きている以上は商船の連中に小舟で接近させるわけにもいかない。

 とりあえず帆の交換が終わるまでの間に残敵掃討と船の内部探索、それに船体の破壊の手順も整えておこう。

 胸中でつぶやいて手近な場所に手にした漆黒の曲刀を突き立て、アルカードは左舷側の大砲のそばに残った黒色火薬ブラックパウダーの樽二個の縁に手をかけて持ち上げた。黒色火薬ブラックパウダー自体は鹵獲品として奪取することも出来るが、さすがにこれ以上荷物が増えても邪魔になる。

 大砲もだが、黒色火薬ブラックパウダーは確実に処分しておく必要がある――黒色火薬ブラックパウダーはたとえば池の様な大量の水の中に投棄しない限り、多少雨に濡れた程度なら乾燥させて再利用出来る。主成分である硝石は水溶性であるため大量の水の中に投棄すれば使い物にならなくなるが、多少濡れた程度なら問題にならないのだ。無頼漢の手に渡れば、用途は数多い――黒色火薬ブラックパウダーの使い方を考えろと言われれば、アルカードだって効果的な使い方のひとつふたつはすぐに思いつく。

 たとえば円筒状の金属の缶を作ってその内側に金属片や細切れにした太めの針鉄を詰め、中心に黒色火薬ブラックパウダーを詰めて、導火線代わりに火縄マッチを差し込んでおく。火薬を詰めた側の口をなにかでふさいで導火線に火をつけ、敵に向かって投擲すれば、あっというまに即席の擲弾の出来上がりだ。

 たとえば弁当箱の様な形状の鋳物を作り、その箱の底に黒色火薬ブラックパウダーを敷く。黒色火薬ブラックパウダーの上にぎっしりと金属片や細切れの針鉄を詰めて金属板で蓋をして、傾けても漏れない様にぴっちりと封をする。蓋はなるべく強固に接合し、しかし強度を抑えて割れやすくなる様溝を入れておくといいだろう。あらかじめ箱の底に穴を開けておいてそこに導火線を刺しておけば、黒色火薬ブラックパウダーの上に敷き詰められた破片はあらかじめ強度的に脆い部分を持たせた蓋を粉砕しながら箱が開いている方向に向けて飛散する――破片の飛散する方向に指向性を持たせた、一種の対人用の爆発物だ。人が点火する必要があるために仕掛け罠としての使い方は出来ないが、木の幹などに括りつけて行軍中の軍隊など、集団を狙えば――

 導火線マッチなどの仕掛けを隠すのが面倒ではあるが、複数こしらえて地中に埋めるのもいいだろう――地中に爆発物を埋設すると、爆風は必ず上に向かって噴出する。なんとなれば、爆風が箱を下に向かって押しつけ地面を固めるより、箱を隠すために上からかぶせられた土を吹き飛ばすほうがはるかに簡単だからだ。

「……ふむ」

 海に投げ棄てるのでもいいが、ここはやはり船体を爆破するのに利用するのがいいだろう。

「やっぱり持って帰ろうかな、これ」 そんなことをつぶやきながら、アルカードは後部ハッチの脇に樽を置いて第一甲板に降りた。

 船内には照明のたぐいは無い――アルカードが調達したあの商船は船の竜骨線に沿って前後に通路が貫き、その周りに船室が配置されているが、この船は船の舷側に沿って通路が配置され、その間に船室が配置される設計になっている。通路の舷側がわに等間隔に配置された窓のお陰で、通路の採光に問題は無いからだろう。

 それに――

「やっぱり普段は使わないんだな」 手近な扉を開けて船室を覗き込み、アルカードはそう独り語ちた。船室は埃が積もり、何年も誰も入っていない様に見える――海賊稼業など日帰りが基本だろうから、船室を使ったりはしないのだ。

 さて――

 確認すべきはまず火薬等の倉庫、倉庫、船長室。

 爆発物はあればあるほどいいし、食糧は奪っておいて損にはならない――あの商船の者たちにとってもだ。細かな換金可能なものは船長室にあるだろう――あの海猿がほしがるだろうから。

 あとは略奪先から攫ってきた女子供だが、今回はそれは無さそうだった――どこからも声が聞こえない。もしこの船に沿岸部の村から拉致されてきた女子供がいたら、正直言ってそれは彼にはどうしようもないが。

 胸中でつぶやいて、アルカードはその場で何度か足を踏み鳴らした――別に子供の様に駄々をこねているわけではない。何度か床を蹴っている間に、床板が破れて下の階層に通じる穴が開いた。

 その穴をくぐって第二甲板に降りると、ちょうど足の下に樽があった――避けようにも避け様が無いまま、蓋を踵で叩き割って足を突っ込む格好になる。

 塩漬けの魚とかだったらどうしようかと思ったが、幸いにもそうではなかった――黒い砂の様な細かな粉末。大砲用の黒色火薬ブラックパウダーの備蓄だろう。

 ちょうど船首楼の真下あたりのはずだが、どうやらここが火薬庫らしい。壁――舷側の湾曲具合を見るに、どうやら第三甲板は無さそうだった。喫水の浅い船なので、第二甲板までしかないのだろう。

 細い角材を組み合わせて作ったフレームの中に、アルカードが踏み割ったものも含めていくつかの樽が収められている――蓋を開けてみると、すべて黒色火薬ブラックパウダーだというのがわかった。

 黒色火薬ブラックパウダーは衝撃が加わると自然に爆発することがあるので、樽が倒れない様にしてあるのだろう。倒れた拍子に中身が散乱すると片づけが大変だという理由もあるだろうが。

 周りを見回してみても、銃は無かった。甲板の海賊たちが持っていたものは個人個人でどこかから分捕った、いわば戦利品の私物なのだろうか。

 とりあえず、この黒色火薬ブラックパウダーをどこかに撒くか――

 胸中でつぶやいて、アルカードはまず一緒に置いてあった薄汚れた分厚い布――折りたたまれた予備の帆だ――を小脇に抱え、樽を一本枠からひっこ抜いて歩き出した。扉を蹴破って通路に出る。

 通路は暗い。舷側に窓が無いからだ――温度分布でものを見る、高度視覚と名づけた能力があるので別に苦労は無いが。

 さて――問題は黒色火薬これをどう使うかだ。

 黒色火薬ブラックパウダーはそのへんに撒いて火を点けても、たいした火力にはならない――かなり激しく燃焼するので、たとえば木造船であれば間違い無く黒焦げに出来るだろうが。

 量は十分だが、問題はそれを撒く場所だ。船底に撒いたのでは沈む前に燃え尽きてしまうだろう。ここはやはり第一甲板が適当か――浸水してきてもすぐに火が消えず、上から投げ込んだ炎で発火させやすい。第二甲板では火が十分に回りきらないうちに、舷側の内側から浸水して失火する恐れがある――無論沈没させるには十分だろうが。

 発火させるだけなら、アルカードがのでもいいが――

 しばらく第二甲板をうろついていると、第一甲板に昇る階段が見つかった。それを昇って周りを見回すと、すぐ後ろに中央凹甲板に出るハッチに通じる階段がある。

 アルカードは予備の帆と樽をその場に置いて再び火薬庫にとって返すと、さらに二往復して合計五本の樽を第一甲板に運び出した。

 樽はこれでいいとして――具体的にどうするかはあとで考えよう――、とりあえずは海図の航行記録がほしい。

「とりあえず、なにか本拠地を特定出来るものがあればいいんだが」 そんなことをつぶやきながら、艫のほうへと歩き出す――船長室は船尾側にあることが多い。

 本拠地を特定出来る海図かなにかがあれば、もう一度陸に戻ったときにどこかの国の海軍に通報することが出来る――そうすれば、あとは海軍が本拠地を潰しに行ってくれるだろう。目的地の島の近くだったら、アルカードが自分で潰しに行ってもいい。

 艫の方向を目指して通路を進むと、やがてほかの船室に比べて立派な扉があった。これが船長室だろうと判断して、扉を蹴り破る――お世辞にも上等なものとは言えないが机が置かれ、その上に海図が広げられている。

 机の上には革袋と、部屋の壁際に略奪品らしい芋の袋と木箱が置かれている。略奪品は頭領の所有物であるという、あの海猿の意思表示だろうか。

 海図を検めると――現在位置は彼には知る由も無いが――船の航跡を表す線がある島から始まり、一度大陸沿岸部に向かってから再び同じ島に戻っているのがわかった。

 商船の船長に聞かされた航路予定の通りであれば、この海域は比較的陸地に近い――アマリアも陸地まで数海里だと言っていた。風向きと風の強さにもよるが、十分一日で陸地に行って帰ってこられる距離だ。

 海図を折りたたんで雑嚢に入れ、革袋を手に取る。

 革袋の中身は硬貨だった。銅貨がほとんどに銀貨が一枚二枚、略奪先の村の住民たちが必死で貯めたなけなしの小銭だ。現金収入などほとんど無いだろうから、なにかあったときに備えて貯めていたものだろう。

「しかし――」

 略奪した食糧も、あまり潤沢とはいえない様だ――魚の干物に芋袋。こんなのでも、沿岸部の村々にとっては大事な糧食だったのだろう。

 ――

 出来れば奪われた村に返してやりたいが、今の状況ではそれもままならない――下手をすれば、が乏しかったことの八つ当たりで全滅させられているかもしれない。

 少なくとも、この船に乗り組んでいた海賊による被害はもう出ることは無い――話のネタで聞いたが、この海域には鮫が出る。鮫を呼び寄せるために、わざわざすでに斬り殺した血のしたたる新鮮な死体を海に投げ込んだのだ――生きたまま海中に転落した者たちの声はいまだ聞こえるが、じきに鮫に喰い殺されて終わる。それで良しとするほかあるまい。

 問題は海賊が船を複数持っていた場合だが、その可能性は低いとアルカードは見ていた。船を複数保有しているなら、軍船等に遭遇した場合に備えて集団で行動するだろう。

 芋袋と干物の入った箱をかかえて、歩き出す――さすがに頭領とはいえ航海中に酒を飲む気は起きないらしく、船長室内に酒は無い。というより、純粋に海図室として使っているのかもしれない。

 中央凹甲板に出て芋袋と干物の箱を下ろし、商船のほうに視線を向ける――帆の交換作業は順調に進んでいるらしく、すでに主檣と交渉の大三角帆ラティーンセイルの交換は終わっている。今は索具を接続する作業の最中の様だった。それを確認してから、再び第一甲板にとって返す。

 階段のそばに置いておいた樽のひとつを持ち上げ、床に万遍無く黒色火薬ブラックパウダーを撒きながら通路を歩いてゆく――樽の中身が空になったところでもう一度階段のところまで戻り、新たな樽を持ってきて再び床に撒き始める。船内をぐるっと一周する通路の床すべてが黒色火薬ブラックパウダーで埋め尽くされたところで、アルカードはハッチの階段に覆いかぶせる様に埃っぽい帆を広げ、その上に甲板上に置いてあった樽の中身を半分ほどぶちまけた。その残りに加えてあと一本黒色火薬ブラックパウダーの樽が残っていたので、それは甲板上に撒いておく。

 これで甲板上に松明の一本も投げ込めば、炎上した黒色火薬ブラックパウダーが甲板を焼き払い、その炎が帆を伝って第一甲板に燃え移る。喫水線上の構造物は綺麗に燃え落ちるだろう。

 さて、向こうの様子は――見遣ると商船はすでにすべての破れた帆の交換を終えたらしく、いったん舳先を風下に落とす形で回頭してこちらに向かって切り上がってきている。船首でアマリアが手を振っているのが見えた。

 

   †

 

 どうやらあの金髪の男は、海賊相手の戦闘に勝利したらしい――商船が近づいてくるのを待っているのか、舷側の手すりに腰掛けてこちらに視線を向けている。

 海賊船と並ぶ様に停船させようかとも思ったが、それより早く金髪の男は海賊船の舷側を蹴って、速力を落とした商船の船首楼甲板まで飛び移ってきた。小脇に抱えた木箱と袋を手近な乗組員に押しつけて、船長に視線を向ける。

「働きとしては満足してもらえたかね」

「このまま地中海まで、護衛として一緒に来てもらいたいね」 船長がそう返事を返し、海賊船に視線を向けた。

「あの船はどうする?」

「焼き払う。松明があったら一本くれ。その前に、あれの大砲がほしいならこっちに移すが」

「否、やめとく」 そう返事をしながら、船長はアマリアに向かってうなずきかけた。アマリアが松明を持って戻ってくると、金髪の青年はそれを受け取って火をつけながら、

「そうか」 と返事をして、彼は松明を海賊船の甲板に投げ込んだ――とたんに甲板上で派手に煙が上がり始める。

「油でも撒いたのか?」

「大砲用の黒色火薬ブラックパウダーがあったからそれを撒いてきた。じきに喫水線上はすべて燃え落ちるだろう」 船長の質問にそう返事をして、

「もういいぞ――とばっちりを喰う前に、あの船から離れよう」

「適帆合わせ、速力あし上げるぞ! 行き足がついたら上手廻し用意」 船長が指示を飛ばし、操帆についていた乗組員たちがあわただしく動き出す。アマリアも操帆に加わるためにその場を離れたが、最後に金髪の男が船長に話しかけるのが聞こえてきた。

「それと、あんたにちょっと見てほしいものがある。海図のところに来てくれ」

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