In the Flames of the Purgatory 28

 

   †

 

 ごう、と耳元で風が鳴る――眼前に迫った海賊船の砲甲板を兼ねた中央凹甲板の舷側の向こう側で、こちらの姿を目にした砲手たちが大騒ぎしているのが見える。耳元で鳴る風斬り音のせいで、アルカードの聴力を以てしても彼らがなにを叫んでいるのかは聞き取れなかったし、唇を読んで話している内容を理解出来たわけではない。

 だが、その後の反応を見ていればなにを叫んでいるのかは一目瞭然だった――次の瞬間、舷側から突き出された大砲のひとつがぱっと白煙に包まれる。

 アルカードが跳躍してくるのによほど驚いていたのかろくに照準も定めないまま発射された砲弾を蹴って、アルカードは再度跳躍した。今度は水平ではなく、若干角度をつけて――足場にされた砲弾が反動で軌道を変えられ、舷側のすぐそばの海面に突き刺さって大きな水柱を立てる。

 飛び散った飛沫とともに、主艢の一番下の横帆の真下あたりに着地する――まさか獲物だと思っていた民間船からいきなり重装甲冑を着込んだ人間が跳び移ってくるとは思っていなかったのだろう、海賊たちは柱にへばりつく様にして着地した人影がそのまま甲板上に降り立つまで、ぽかんと口を開けたままその様子を見守っていた。

 操帆用の動索を保持していた赤銅色に日焼けした男たちが、突然の闖入者を茫然とした表情で見つめている――アルカードは右手で保持した塵灰滅の剣Asher Dustを一度くるりと旋廻させて、そのまま肩に担ぎ直した。

「え?……」

「――なにしてる野郎ども、さっさとそいつをブチ殺せ!」 船尾楼から濁声が降ってくる。振り仰ぐと船尾楼と後甲板をつなぐ階段上に立った、ひとりだけ妙に身なりのいい――立派な格好という意味ではなく、バランスもなにも考えずにとりあえず高価なものを身につけた感のある、強いて言うなら直立歩行する太りすぎの熊が貴族の衣装を身につけている様な感じだが――男が、こちらを指差している。

 男の背負った太陽の光に目を細め、アルカードは鼻を鳴らした――この態度からするにこいつが親分なのだろうが、上着と下衣で素材も色味もちぐはぐ、身につけた装飾品はまったく似合っておらず、髭を剃っていないためにやたらむさ苦しい。

 おそらくファッションのなんたるかをまったく理解していない山猿――否この場合は海猿か――が自分の威勢を示すために略奪品の中からとにかく高そうなものを選んで身につけているのだろうが、それがまさしく貴族の格好をさせられた見世物小屋の猿の様な滑稽な印象を与えている。まあ、着飾った貴族も大半は滑稽なものだが。

 これまた金銀や宝石で装飾された貴族の儀礼用の長剣を帯びているが、無駄な装飾は剣を重くするので実用には向かない――装飾されているのは柄や護拳などの手元の部分なのでさほど気にはならないだろうが、重くなればなるほど慣性がついて扱い辛くなるし、たとえ重くなったのが手元だけでも重くなればなっただけ地味に疲れる。ついでに言うと手元だけ重くなると遠心力と慣性からくる破壊力の増加自体はさほど大きくないので、文字通り重量増加の利点が無い。おそらく本人が剣を振るって戦ったことは、久しく無いのだろうが――

 結果として、アルカードの目には貴族の格好をした見世物小屋の猿が突っ立っている様にしか見えなかった。

「おやおや、大道芸の猿が逃げ出して海賊やってるとは驚きだ」 スペイン語を使う男たちには、故国の言葉で漏らしたアルカードのつぶやきは理解出来なかった様だった――まあ、別に連中と楽しく語り合うつもりなど無いので、彼らがワラキア公国の言葉を理解出来ようが出来まいが、そんなことは心底どうでもいい。アルカードは唇をゆがめ、塵灰滅の剣Asher Dustの柄を握る手に軽く力を込めた。

 ――ぎゃぁぁぁッ!

 ――ひィィィッ!

 ――あぁぁぁぁっ!

 魔力を注ぎ込まれて起動した塵灰滅の剣Asher Dustが、身の毛の彌立つ様な絶叫をあげた。曲刀の鋒が蒼白い激光を放ち、同時に刃の周囲で細かな稲妻がバチバチと音を立てながら蛇の様にのたうち回る。

「な、なんだこの声!?」

 頭の中に直接響く叫び声に、海賊たちが泡を喰って周囲を見回す――アルカードはそれを眺めながらすっと目を細め、

「いくら敵とはいえ、生身の人間相手にこんなものを遣うのは気が進まんが――まあ、手っ取り早いんでな」 別に返事を期待していたわけではないが――そんな言葉を口にしてから、アルカードは魔力を注ぎ込んだ曲刀を船体後部を薙ぎ払う様にして水平に振り抜いた。

 次の瞬間解き放たれた衝撃波が甲板上を撫でる様に走り抜け、中檣と後檣を根元から叩き折って船尾楼を吹き飛ばす。まるで癇癪を起こした人間がまとめて払い落とした食卓の上の食器の様に攻撃範囲にいた海賊たちが衝撃波に押し流されて海へと転落し、根元からへし折られた檣がゆっくりと倒れ始めた。檣の先端部分をたがいにつなぐ様に張りめぐらされた支索に無事に残った前檣の先端部を引っ張られて、海賊船の船体がぐらりと傾く。

「おっと」 装甲の隙間に仕込んだ鞘から小さな短剣を抜き放ち、頭上に向かって投擲――くるくる回転しながら飛んでいった短剣が主檣と中檣の間の支索を切断して、支えるものの無くなった二本の檣が海中に転落した。帆桁や帆を操作するための索や登檣のための縄梯子がぶちぶちと音を立ててちぎれ、あるいは金具や滑車が弾け飛んで、壊れた索具の破片がバラバラと甲板の上に降ってくる。

「さて――」

 アルカードは稼働を止めた塵灰滅の剣Asher Dustを軽く振ってから肩に担ぎ直し、そのまま周囲を睥睨した。船尾楼が吹き飛んだのでそこにいた海賊たちの親分も一緒に吹き飛んでいる。

 船内に何人いるかはわからないが、アルカードの乗った商船を追跡するために操帆作業の人手が必要だっただろうから船内に居残っている人数はそう多くはないはずだ。九割がたは操帆作業に駆り出されていたとみていいだろう――残る一割のうち八分くらいは砲手、船内に居残っているのは数人といったところか。

 大砲のそばについている者たちが、いったいなにが起こったのかもわからずに硬直している――状況についてこられていないのだろう。

 大砲は四門、手前の二門と奥の二門の後ろにそれぞれ蓋をはずしたままになった樽がひとつずつ、それにそのさらに後ろに篝火が焚かれている。

 大砲は四つの車輪がついた木製の架台の上に置かれており、機構によって多少の仰角の調整が行える前装式のものだ。砲口を舷側から突き出した大砲は砲門に当たるぎりぎりまで、目いっぱい仰角を高く取っていた。

 一応やろうと思えば、動かしてこちらに砲口を向けることも出来る――それをしなくても、この距離なら商船に命中する危険がある。檣が二本無くなったので、そのぶん傾きは小さくなっているはずだ。傾きが小さくなれば、それだけで大砲の射角は取りやすくなる。

 先に潰しておくべきだろう――胸中でつぶやいて、アルカードは目を細めた。

「特に恨みがあるわけじゃないんだが――道中の邪魔なんでな。残念だが死んでもらいたい」

 そう告げて――アルカードは床を蹴った。

 まず最初に、一番手前にいた右舷側の砲手へと襲いかかる――火薬の樽が置いてあるので出来ればあまり接近したくはないが、まあ仕方が無い。

 砲手というのは一門の大砲に装填手や槊杖ラムロッドを使って砲弾を奥まで押し込む要員、大砲の装填と射撃準備を整えるために大砲を前後に動かして位置決めを行う人員に照準と射撃を行う射撃手など、一門の大砲に対して役割分担をして数人ついていることが多く、人員が潤沢であれば五、六人ついていることもある――これが陸戦であれば大砲をいちいち前後動させる必要は無いが、艦載砲の場合は砲門から突き出した砲口をいったん砲甲板内に完全に引っ込めて再装填を行うために必要なのだ。代わりに陸戦の場合、反動で後退した大砲の架台を再度元の位置へ戻す作業が必要になるのだが。

 この海賊船の場合、砲手は一門につき三人。

 照準と火薬の点火を行う射手がひとり、架台を前後に動かす作業をふたりで行い、そのふたりがそれぞれ弾薬の装填とそれを砲身の奥まで槊杖ラムロッドで押し込む作業を兼務しているらしい――迅速な再装填を行うなら、必要最低限の人員数だと言えるだろう。

 舷側の内側に置いてあった取っ手つきの竹の編み籠バスケットを掴んで持ち上げ、一番手前の大砲のそばについていた砲手のひとりの頭に横殴りに叩きつける。

 中身はまるで市場の林檎の様に盛られた黒光りする鉄の玉――砲弾だ。弾頭ひとつひとつの重さはおそらく二ポンドちょっとくらいだろうか。さほど大口径のものではない――口径もせいぜい三インチ程度だろう(※)。

 竹の編み籠バスケットが砕け散り、納められていた砲弾十数個が甲板上に散乱する――重量物で頭を殴り倒された砲手のひとりが甲板に倒れ込み、それを受け止めようとした射手が縺れ合う様にして尻餅をついた。

「なっ――」 海賊たちの驚愕の声を無視して――

 シィッ――歯の間から息を吐き出しながら、アルカードは横倒しに倒れ込んだ射手の右膝を足で踏み砕いた。

「ぎゃぁっ――」 ばきりと音を立てて膝を粉砕され、足元の海賊の口から短い悲鳴があがる――次の瞬間には大砲の向こう側にいた装填手が、塵灰滅の剣Asher Dustの一撃で首を刎ね飛ばされた。

 船尾側から二番目の砲の装填手のひとりも、その一撃でまとめて首を刎ねられている。鏡の様に滑らかな断面からびゅっびゅっと血を噴き出させ、首無し死体二体がその場で崩れ落ちた――手前の死体が取り落とした槊杖ラムロッドが、甲板の上で跳ね回る。

 そのまま右足で一番手前にあった大砲の架台に踵蹴りを呉れ――ドスンという重い音とともに、彼の体重よりも重い鋳鉄製の大砲がひっくり返った。

 これですぐには狙いはつけられない。あとは残る大砲を同様に処理するだけ――それで少なくとも、あの商船が砲撃を受けることは無くなる。

 手前の大砲の装填手が持っていたものらしい槊杖ラムロッドが、甲板の上に転がっている――それを爪先ですくい上げて空中で掴み止め、アルカードは船上白兵戦用の舶刀カトラスを抜きかけていた射手を殴り倒した。

 殴られた射手が大砲の上に覆いかぶさる様にして倒れ込み――槊杖ラムロッドの先端が折れて、ブラシ部分が舷側を越えて海に落ちていく。

 よし――もうこれでいい。あとはこれで――

 胸中でつぶやいて、アルカードは一番手前と二番目の大砲の後ろに置いてあった腰ほどの高さの樽を半ばから折れた槊杖ラムロッドで殴りつけた――樽の側面が割れ砕け、中から真っ黒な粉がさぁっとこぼれ出てくる。

 黒色火薬ブラックパウダーだ。粒の大きさが不ぞろいで、あまり質のいいものではない――が、これからやろうとしていることに不都合は無い。

 そもそも、あまり時間をかけているわけにもいかないのだ――排除しなければならない敵兵力は砲手だけではない。だから手っ取り早く、これでいく。

 胸中でつぶやいて、アルカードは後方へと飛び退った――槊杖ラムロッドを投げ棄てて、ベルトにつけた小型の雑嚢ポーチから取り出した紐状の武器を投擲する。横薙ぎの動きで振るった左手から振り出された先端に鉛の錘をつけられた紐が、砲手たちの背後にあった篝火の首にくるくると巻きついた。

 大砲は火門タッチ・ホールと呼ばれる小さな穴から高温に熱した着火棒を突っ込むことで、装填された火薬に着火する――いわゆる機械式撃発装置のたぐいは、アルカードが知る限り開発すらされていない。

 着火棒は先端に加熱した石炭の破片を指輪の宝石の様にはさみこんだり、あるいは赤熱した鉄の棒を用いたりと様々だが、共通の欠点として冷めると使えなくなる。篝火はこれらを火に突っ込んで熱したままの状態にしたり、冷めてきた火種を再び加熱するために用いるもので、今も数本のL字型の金属の棒――装薬の撃発の瞬間に火門タッチ・ホールからも圧力のかかった火炎が噴き出すので、それがじかに手にかからない様にするためのものだ――が引っ掛けられ、その先端が炎に突っ込まれて赤熱している(※2)。

 アルカードは後退すると同時に紐を強く引きつけて、篝火を手前に向かって引き倒した。

 少量であれば、黒色火薬ブラックパウダーは普通に火がついてもたいした火力にはならない。性質が火薬より爆薬に近いのでかなり激しく燃焼するが、それだけだ。だが、樽一杯ぶんほどもあれば――

 甲板に撒き散らされた黒色火薬ブラックパウダーに篝火の上で燃える薪が散乱し、瞬時に炎が燃え移って爆発する。

 爆音にまぎれて、悲鳴は聞こえなかった――どのみち海賊の最期の言葉など聞いても仕方が無い。間近での爆発、それも黒色火薬ブラックパウダーの樽はひとつだけではない。向こう側の二門の間にも、同様に蓋を開けたままの樽が置いてある。ろくに破片こそ無いが、それでも至近距離では爆風だけでも十分な危険を伴う。

 実際甲板に散乱した黒色火薬ブラックパウダー、その炸裂に巻き込まれて引火したもうひとつの火薬の樽の爆発によって、右舷側の大砲四門は完全にその機能を失っていた――頑丈な鋳造の砲身こそ無事だったものの架台ごとひっくり返って車輪が砕け、砲手たちはみな爆発に巻き込まれて全身火傷、あるいは四肢なりなんなり体のどこかしらを欠損してその場で転げ回っている。

「さて――」 これで右舷側の大砲四門は潰した。商船が攻撃される恐れは無い――あとはこいつらを皆殺しにして食糧や略奪品を全部奪取して金目のものも全部奪って、船体を燃やして沈めて死体を魚の餌にすればお仕事終了だ。

 どっちが海賊かわからない様なことを考えながら、アルカードはすっと目を細めた。否、そもそもこれは仕事ではないのだけれど。


※……

 この時代の大砲の大きさは一般的に弾頭重量で表され、口径が何十ミリ、あるいは何センチという言い方はしませんでした。

 単位は常用ポンド(一ポンド=四百五十三グラム)で、艦砲の場合は最大のもので六十八ポンドのものでした。

 これをロイヤル・カノンと呼び、四十二ポンド砲をホール・カノン、三十二ポンド砲の場合はデミ・カノンと呼称します。二十四ポンドのものもあった様ですが、カノン砲というよりカルバリン砲に分類されることが多かった様です。

 カルバリン砲は十八ポンドもしくは九ポンドの砲弾を使用する小口径の前装式大砲で、代わりに長大な砲身を備えカノン砲よりも長距離の射撃が可能でした。

 海賊船に搭載されているものはかなり小口径のもので、カルバリン砲の砲身を切り詰めて小型化したファルコネット砲に近いものです。


※2……

 世界最古の銃はハンドキャノンと呼ばれるもので、トリガー機構などのいわゆる機械式撃発装置や銃把グリップ銃床ストックは備えておらず、銃身とその後端部から延びる棒、その先端に取りつけられた板からなっていました。

 ハンドキャノンの装填方式は後世のほとんどの銃器と同様前装マズル・ロード式で、射撃方法は射手が棒の後端を引きつける様にして自分の腹に押しつけ、銃身側面に設けられた火門タッチ・ホールと呼ばれる点火穴から着火棒を差し込んで装薬に点火するという極めて原始的なものでした。

 当然照準装置など備えておらず、大量に数をそろえて一斉射撃を行うことを目的にした兵器です。

 着火棒は先端に熱した石炭をはさみこんだものや加熱した金属製の棒など様々でしたが、共通する欠点が『ひとりでは扱いにくい』『狙って撃てない』ことです。

 火縄マッチ点火ロック式をはじめとする機械式撃発装置は撃発操作をひとりで行える様にすること、両手を使ってクロスボウの様に銃を持つことでより正確な射撃、というか照準動作を可能にすることを目的に開発されたのです。機械式撃発装置が開発されたことではじめて、銃に『狙って撃つ』という概念が生まれたと言っても過言ではありません。

 しかし大砲の場合はどうせひとりで扱うなど不可能なので、単独での不便というのはあまり重要視されず、むしろ着火棒を手で突っ込むという確実性が重要視されてかタッチ・ホール式が十九世紀まで生き残っていた様です。

 いろんな写真を見てみましたが、拉縄りゅうじょうなどの原始的なものも含めて機械式撃発装置の操作装置と思われるものが装着された大砲はありませんでした。

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