In the Flames of the Purgatory 27

 

   †

 

「速度自体は、悪くない――風が変わらなけりゃの話だが」 その返答に、金髪の乗客が岩山から視線をはずして背後を振り返った。

「どうした?」 その問いに、乗客は返事をしなかった――こちらの針路がずれたのか向こうが針路を変えたのか、海賊船はこちらの船のほぼ真後ろにつけている。彼我の距離は二ケーブル(約三百七十メートル。一ケーブルは〇・一海里)ほどか――船体の凌波性で劣るために、大幅に上回る帆の面積の広さを活かしきれていないらしい。船体が同じだったら、すでに距離は一ケーブルを切っていただろう。

 だがそれでも、徐々に距離を詰められつつあった――それは結構、そうでなければわざと適帆をはずして船足を落としている甲斐が無い。

 当たり前のことだが――こちらが変針を始めるときには、海賊船もすでに岩山を回避出来ない状況になってもらっていなければならない。向こうがこちらの変針に気づいて岩山を躱し、先回りをされたら困るのだ。

 前方の岩山まではあと〇・五ケーブル。岩山の脇を通り過ぎ、海賊船が岩山の横に差しかかったら変針する。おそらく海賊船はすぐにその場で変針するだろう――その結果岩山の周りを廻り込む様な航跡を描いて岩山の陰に入り、風が遮られて行き足が止まる。そのころには彼の商船は岩山から十分離れており、風を遮られることは無い。また回頭も楽だ――今は右舷後方から風を入れている。風に対して左斜め下に進んでいるのを、左斜め上に進む様に変針するのだ。帆の開きを逆にする必要は無い。今は大きく傾けている帆桁を風向きに合わせて引き込むだけでいい。

「船長、島と海賊船並びました」 副長がそう報告してくる。

「面舵一杯! 帆桁引き込め、回頭始め!」

「面舵一杯!」

 舵手が復唱しながら舵輪を廻し、操帆手たちが動索を引き入れて帆桁が廻り、船体の角度が変わり始める――それまでの針路に対して四十五度ほどの角度まで回頭したところで、背後からあの金髪の乗客の声が聞こえてきた。

「いかん――」 その言葉の意味を問い質すために振り返るよりも早く――

 ドォンという砲声とともに、後檣の大三角帆ラティーンセイルに音を立てて穴が開いた。後方からなにかを撃ち込まれたのだ。

 海賊船の砲撃か? 否、仮に舷側をこっちに向けて艦砲射撃をしても、風上にある海賊船の砲撃であんな高い位置に着弾するわけが――

 振り返ると、海賊船の前檣の見張り台の周りが黒色火薬ブラックパウダーの白煙に包まれていた。まるであの場所に砲があるかの様に――

「前檣の見張り台、旋廻砲だ!」 金髪の乗客が声をあげる――旋廻砲とはその場で水平方向に回転可能な構造を持つ小口径の砲の一種で、兵士がひとりふたりでも扱える代物だ。小口径のため威力も射程もさほどではないが、代わりに扱いやすく反動が小さいため定置式に出来るという利点がある。また上下左右に可動するため、射角の自由度がかなり高い(※)。

 どうやらあの海賊船は、その旋廻砲を前檣の見張り台上に備えているらしい――見張りを降ろしてしまっていたために、誰も気づかなかったのだ。

「しくじった――」 金髪の乗客が小さく毒づく。それは船長も同じだった。

 彼が毒づいたのは、見張り台に登っていたアマリアを降ろしたことに対してだろう――船長は作戦を読まれていた。

 あの海賊船の艦載砲は舷側にのみ置かれている。ブルワーク上に旋廻砲が置かれていたら、彼らはそれも警戒していただろう。だが目立つ位置に旋廻砲が無かったために、誰も旋廻砲の存在を警戒していなかった。

 クソ――海賊船が後ろについたのは、回頭を始めたら主檣と前檣の大三角帆ラティーンセイルも射界に入る様にするためか!

 舷側の大砲は横にしか撃てず、舷側をこちらに向ければ船体が傾いてほとんど仰角が取れない。だが檣の見張り台の上という高い位置に設置された、しかも旋廻砲ならまるで問題にならない。

 再びドオンという砲声が聞こえてきて、今度は主檣の大三角帆ラティーンセイルの上部に張った大型の補助帆が裂けた。檣に直接損傷を受けていないのは幸いというべきか。

 だが――

 船の行き足は目に見えて落ちている。帆というのは丈夫に出来ているが、裂け目が出来てしまえば破れるのは早い。後檣の大三角帆ラティーンセイルはすでに穴の開いた箇所から裂け目が大きく広がり、破れた帆がばたばたと音を立てている。

 そして破れた帆というのは推力が得られないだけではない。抵抗となって逆に速力を落とすことになる。

 みたび旋廻砲が火を噴く音が聞こえ、今度は主檣の大三角帆ラティーンセイルに穴が開いた。檣にも索具にも人員にも被害が出ていないのは僥倖というべきだが、それも時間の問題だ。

 今は船の動きを止めるのを優先しているだけだ――そのために一番大きく狙いやすい標的として帆を狙っているだけで、こちらの乗員を殺さない様気を配っているわけではない。

 ちっ――小さな舌打ちとともに手にした真っ黒な長剣を甲板に突き刺し、金髪の乗客がそれまで腰に吊っていた袋状のケースの中からサーベルを抜き放つ様な動きで巨大な銃を引き抜いた。全長は普通の火縄マッチ点火ロック式の小銃とさほど変わらないが銃身の太さは腕ほどもあり、火縄マッチは備えていない――おそらくあの旋廻砲とそう変わらない口径の銃弾を発射する様に出来ているのだろう。金属で出来た握りの先端は丸い錘状になっていた――最接近されたときに格闘戦に使う錘鎚メイスだ。

 彼はその銃を腕を伸ばして真っすぐ構え、海賊船の見張り台に向かって据銃した。据銃する直前に左手で銃の機関部を触っていたが、それだけでもう発射準備は整っているらしい。彼はそのままほとんど時間をかけずに照準を定め、引き鉄を引いた。

 銃声とともに、金髪の青年が手にした巨大な銃が火を噴いた。ほぼ同時に向こうも一発撃ったのだろう、白煙の中から砲声が聞こえると同時に再び主檣の大三角帆ラティーンセイルに穴が開いた。

 ちっ――舌打ちを漏らして、金髪の青年が手にした銃を振り回す。その動きで銃口から振り出される様にして、黒焦げになった革の輪の様なものが甲板上に叩きつけられた。銃身内部に残ったサボットを排出する動きだ。

「やったか?」

「否」 金髪の乗客が、船長の問いにそう返事を返してくる。

 彼は銃口から直径一インチもある銃弾と火薬をサボットで固めた弾薬カートリッジを押し込みながら、

「破壊音が聞こえなかった。旋廻砲を狙ったつもりだが、はずした様だ――まあ、こっちも向こうも動いてるわけだから仕方無いがな。だが――」

 槊杖ラムロッドを使って弾薬カートリッジを銃身の奥まで片手間に押し込みつつ、金髪の青年が言葉を切って視線を転じる。

 途中で言葉を切った彼の視線を追って、船長は前檣の見張り台に視線を向けた。強風で白煙が吹き散らされ、徐々に向こうの様子が窺える様になってきている(※2)。

 前檣の見張り台の上から、男がひとりぶら下がっていた――おそらく見張り台で旋廻砲を操作していた射手だろう。じたばた暴れているから死んではいない様だが、たぶん近くを客人の砲弾がかすめたことに驚いて見張り台から転落したのだ――当たったとしても直撃は免れたらしい。命綱のお陰で助かった様だが、あのままの体勢が長時間続けばいずれ内臓が圧迫されて死ぬことになる。

「見張り台の上にほかに人はいない様だが、な――」 手にした銃の本体側面から伸びたレバーの様なものを動かしながら、金髪の乗客がそんな言葉を口にして彼らの商船の檣を見上げる。言いたいことはよくわかった――後檣の大三角帆ラティーンセイルはすでにまっぷたつに裂け、主檣の大三角帆ラティーンセイルと補助帆もどんどん裂け目が広がっている。もはや航走によって海賊船の追走を逃れることは出来ない。

 こちらの行き足が落ちたところで、海賊船が取舵を取って左に変針している――右舷をこちらに見せ、砲門から突き出した大砲の砲口をこちらに向けていた。

 かなり高い位置にあるものも含めて帆をすべて張っているのでかなり船体が傾いているはずだが、すでに彼我の距離は一ケーブルを切っている。大砲の仰角を船の傾きによって相殺され水平に近い角度でしか発射出来なくとも、十分こちらを射程に収めている。

 信号旗が揚がり始めたので、船長は望遠鏡を取り出して接眼レンズを覗き込んだ。

「なんと言ってきてる」

「すべての帆を絞って停船しろ――乗員は海に飛び込め」 金髪の乗客の問いにそう返事をすると、

「見逃してくれるつもりかね。ありがたいことだ」 金髪の青年はその答えに唇をゆがめて笑い、

「おとといきやがれって信号旗は無いのか?」

えなあ」 船長の返事に、乗客は危機感の感じられない様子で肩をすくめた。彼は頭上の大三角帆ラティーンセイルを見上げて、

「命令通りに停船しろ。どうせ今のままじゃまともに走れないだろう――索具や船体には問題無さそうだし、帆だけ交換すれば走れるんだろう?」

「海賊船はどうする」

 船長の問いに、彼は再装填の終わった銃を鞘に戻してから船尾楼の甲板に突き刺していた真っ黒な曲刀を引き抜いた。全長は彼の身長と同じくらい、おそらくは騎兵用の長剣だろう。

 護拳や鐔などに類する手元を保護する部品は無く、どんな材質で出来ているのか刀身と柄は一体になっている。目を象った様な装飾が施されており、まるで鋼材自体が光を吸収しているかの様にその刃にはいささかの照りも無い。

 彼はその長大な曲刀を軽く振り抜いて肩に担ぎ、船尾楼の手すりに歩み寄った。

「俺が始末する。こっちは任せたぞ」 そう言って、金髪の青年は船尾楼の手すりに足をかけた。

「なんだって?」

 船長の問いかけを無視して、乗客が船長の言葉が終わるよりも早く手すりを蹴って敵船の方向へと跳躍する――蹴り足に踏みつけられて、木製の手すりがばきりと音を立てて割れた。

 常識で考えれば〇・一海里も離れた敵船にまで跳び移るなど不可能だ。だが、彼はおよそ人間とは思えない跳躍を見せていた――まるで水平に投げた石の様に、すさまじい勢いで海賊船に向かって跳んでゆく。

 轟音とともに、海賊船の砲門のひとつが火を噴いた――いつまでも帆をたたんだり退船する様子のないこちらの様子に痺れを切らして脅しのつもりで撃ったのか、あるいは船尾楼から跳躍した彼を床子弩バリスタ投石機カタパルトの発射物だとでも思ったのかもしれない。

 だがその砲撃は、結果として彼に次の踏み台を与えただけで終わった。

 次の瞬間落下の始まっていた金髪の乗客が、まるで足場も無いのに再び跳躍し、同時に二隻の船の中間で唐突に水柱が立ったのだ。

 海賊船の撃った砲弾を蹴って男が再び跳躍したのだと、足場にされて軌道を変えられた砲弾が海面に突き刺さって水柱を立てたのだと、船長が気づいたのは数瞬あとのことだった。

 再び大砲が火を噴く――次の瞬間、今度は海賊船の舷側のすぐそばの海面で水柱が立った。男が間近で撃発された砲弾を蹴ったか、あるいはなんらかの方法で軌道を変えたのだろう。

 船長がそれを理解したときには、金髪の男はすでに海賊船の甲板に踊り込んでいる――信じられないことだが、彼は〇・一海里もの距離を二度の跳躍で跳び越えたのだ。

 一瞬の混乱から立ち直るよりも早く、いったいなにをしたのか海賊船の中檣と後檣が根元からへし折られて吹き飛んだ――二本の檣が縺れ合う様にして左舷側に向かってゆっくりと倒れてゆき、檣の先端同士をつなぐ支索に引っ張られた船体が大きく傾き、後甲板と船尾楼にいた海賊たちがまるで癇癪を起こした子供が放り棄てたおもちゃの様に吹き飛ばされて、そのまま海へと転落していく。

 あわてて望遠鏡を取り出して海賊船の甲板の様子を窺うと、主艢の下あたりに立った金髪の男が周囲を睥睨しているところだった。


※……

 旋廻砲スイベルガンは主に軍艦が備える小型の補助艦砲の一種で、弾丸重量半ポンド(約二百二十~二百三十グラム程度)の弾丸を発射する小口径砲を指します。

 ほとんどは前装マズル・ロード式、つまり砲口マズルから弾頭と火薬を装填ロードするタイプの砲で、台に定置してひとりで扱います。

 砲身本体を左右からはさみ込むタイプのスイベルによって支持されており、これによって仰角と俯角を自由に設定出来ます。またスイベル自体は台に差し込まれる形で定置されていますが、スイベルの軸が自在に回転するので、結果として上下左右にある程度自由に動きます。そのため射線上の障害物、および射手の動きを妨げる障害物が無ければかなり自由度の高い射撃が可能でした。

 対艦戦闘にも用いられたそうですが、口径が小さく弾頭が軽いぶん威力も射程もさほどではないため、接舷して斬り込む前に敵の戦力を減じる目的でブドウ弾などを撃ち込む、一種の面制圧火器としての使い方もされていた様です。

 ブドウ弾は索具類の切断や人員殺傷を目的に考案された砲弾で、袋の中に小さな粒玉ペレットを詰め込んだものを砲で発射します。すると粒玉ペレットが拡散して索具や人員を攻撃するというものです。口径が三十二ポンドのデミカノン砲の場合、三ポンド(約千三百~千四百グラム程度)の粒玉ペレットを九個詰め込んだものを発射します。

 しかし旋廻砲は弾頭重量が二百三十グラム程度なので、もっと細かな粒玉ペレットを大量に詰め込んだ、現代のショットガンに近い使い方をしていたのではないかと思われます。作者だったらパチンコ玉くらいのベアリングをしこたま詰め込みますね。

 なお旋廻砲はマスト上に設置して敵艦の甲板上を直接狙い撃つ狙撃用としても使用された例があり、作中ではそれに倣っています。


※2……

 当時主流であった黒色火薬ブラックパウダーはその名前から煙も黒煙であると誤解されがちですが、煙は白煙を発生します。黒色火薬ブラックパウダーの名称は単に木炭の色である黒色に由来するもので、煙が黒いからではありません。

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