In the Flames of the Purgatory 23

「近くに陸地があるとあの娘が言っていたが、ということは沿岸からの略奪帰りかな」

「そんなところだろうな」 船長は返却された単眼鏡を縮めてケースにしまいつつ、そう答えてきた。

 海賊というと輸送船や旅客船を襲って略奪を行う様に思われがちだが、実際にはそうではない――そういった略奪の仕方が無いわけではないだろうが、実際のところ海で海路を通る船を襲うのは非常に効率が悪い。

 街道を通る商隊を襲うなら通り道は限られているが、海上を航行する船の通り道はまるで限定されていないからだ。そのため、山賊の目標が内陸の村や街道を通る商隊である様に、海賊の目標は沿岸部の町や村であることが多い――船を襲うこともあるだろうが、そのほとんどが偶然に船を発見した場合やただ単に港町に停泊している船を襲撃した例だ。

 そのため、海賊は単に沿岸部の村の襲撃に特化している、船を移動手段に使う盗賊といった意味合いが強い――それとは別に拠点への移動に海路を用いるために追跡が難しく、軍隊による掃討の対象になりにくいという利点もあるにはあるが。

「逃げきれるか?」

「無理だな――今が風上に切り上がってる状態だから、これ以上切り上がれねえ。このまま進んだら、こっちが向こうを撒くより先に向こうの射程に入る。かといって変針して追い風に乗ったら、向こうのほうが速いから追いつかれる」

「そいつは困ったね」

「なんなら船を変えるか?」 船長の言葉に、アルカードはかぶりを振った。

「やめておこう――船を手に入れても、乗組員を皆殺しにしたら漂うことしか出来ん。それに第一、もう金を渡しちまったしな」

「そいつが賢明だ。食糧と水の調達にもう使っちまったから、返金しようにも返せねえしな」 船長がそう言って笑い、

「ときに客人、おまえさんの体調は?」

「悪くはない……が」

「そいつはよかった」 船長はそう返して、こちらが左手に持った漆黒の曲刀を手で示した。

「たぶんこれから戦闘になる――が、うちの船は白兵戦の戦力が足りなくてな」

「その戦闘に、俺も参加しろということかな」

「出来れば、な。この船が動かなくなったら、おまえさんだって困るだろう?」

 そう言われて、アルカードは苦笑した。

「いいだろう」

「快諾どうも」

「戦力は?」

「大砲のたぐいは残念ながら積んでない。白兵戦の訓練を受けた要員が十人――残りは操帆手に廻してるから、割ける人手はそんなもんだ」

床子弩バリスタ(定置式の巨大なおおゆみ)は?」

「無い。零細企業なんでな、そんなとこに廻す金が無い。残念だが襲われたときの防御は、」

「少し心許無い、か。と、旗が揚がってるな」 海賊船の索具の一本に沿って複数の旗が揚がっていくのを目にして、アルカードはそうつぶやいた。

 それが識別出来ないからだろう、船長は船尾楼から身を乗り出して目を細めながら、

「この距離で見えるのか?」 そう聞かれて、アルカードは肩をすくめた。

「旗が揚がってることだけはな。信号旗の読み方なんぞわからんから、内容は知らん」

「信号旗が揚がった」 アマリアの声が頭上から降ってくる。

「『停戦せよ、さもなくば』――『さもなくば攻撃する』」

「ありがちな内容だな。独創性の欠片も無い」

「ああ」 白けた口調のアルカードの言葉に、気の抜けた口調で船長が同意を返す。

「ちなみに、おまえさんの言う独創性のある脅し文句は?」

「すまん。適当に言っただけだ」 アルカードは首をすくめてそう返事をしてから、

「で、どうするね?」

「返信しろ。『失せやがれ』」

「そんな信号旗があるのか」

 アルカードのそのつぶやきに答えたのは、ガスパールと呼ばれた船乗りのひとりだった。

「意訳だよ」

「なるほど」 その言葉に肩をすくめて、アルカードは船尾楼を降りた。

船首まえに行ってる」

 階段に足をかけたとき、〇・三海里程度まで接近した海賊船が変針するのが見えた。それまで追い風に乗って走っていたのが帆を廻しながら面舵を大きくとって右転し、こちらに左舷を向けたのだ。

 接近するつもりなら変針する意味は無い。わざわざ変針して、舷側をこちらに向けたということはつまり――

「砲撃が来るぞ、全員備えろ!」 アルカードの大音声おんじょうに、船員たちが色めきたった。

「上手廻し用意、取舵一杯」 船長が声をあげるのが、船尾楼から聞こえてきた。操帆手たちが一気に動索を引いて帆を廻し、同時に舵手が舵をとって変針する。

 帆の開きが変わって傾きが変わり、それと同時にこちらに左舷を向けた海賊船の横腹で一瞬赤いものが光り、続いて白煙に覆われた。ドドォンという二発立て続けの轟音とともに、伝わってきた空気の振動がびりびりと体を震わせる。

 変針による回避行動は、ぎりぎりのところで間に合ったらしい――舳先を廻したこちらの右舷側ぎりぎりを、重い風斬り音とともに二発の砲弾が通り過ぎてゆく。

 艫のほうで、海面が爆ぜた――二発の砲弾が低い角度で海面に着弾したのだ。左舷後方で二本の水柱が立ち、撒き散らされた海水が細かな飛沫となって飛び散る。

 ひゅう、と口笛を吹いたとき、今度は右舷前方に見える海賊船が再び変針するのが見えた。先ほどの変針で大きく右に回頭し、風向きに対してほぼ直角の角度を取って走っていた海賊船が再び面舵を取って右に変針し、やや風上に切り上がる様にして再びこちらに舷側を見せる。

 檣の数は四本、後ろの二本の檣のうち前側の檣には前檣主檣同様の横帆が、一番後ろの檣には三角帆ラティーンセイルが張られている。

 船体形状は今彼が乗り込んでいるこの船に似ており――若干幅が広くずんぐりしている印象を受けるが――、中央凹甲板の一部が白煙に包まれている。

 大砲の発射直前に、ある程度ではあるが甲板の様子を見て取ることが出来た。大砲は中央凹甲板に左右の舷側各四門。中央凹甲板にある四門以外で、舷側に砲門は設けられていない。

 つまり、あの海賊船の艦載砲は左右それぞれ四門。

 おそらくすぐには撃ってこない――先の砲撃で風下側に白煙が立ち込め、目標を視認出来ないからだ。もう少し船体が進んで、まだ射撃していない大砲の射手がこちらを視認出来る様になれば――

「また来るぞ!」

「取舵一杯!」 アルカードの警告が聞こえていたかどうかはわからないが、船尾とものほうから船長が声をあげるのが聞こえてくる――先ほどの射撃で撃った大砲は二門だけだったからおそらく残る大砲を撃ったのだろう、轟音とともに再び舷側の大砲が火を噴いた。

 

   *

 

 巨大な悪魔像が振り下ろした狼の前肢が、地響きとともに地面に激突する。それを躱して、レイル・エルウッドは笑みを浮かべた。

「おあぁぁ――」 咆哮とともに――リーラが地面を蹴る。アモンが振り回した前肢を掻いくぐり、内懐に踏み込んで――

 彼女の振るった太刀の刃が、アモンの前肢を薙いだ。だが、その一撃は火花とともに巨大な悪魔の筐体の前肢に小さな傷跡をこしらえただけで、肢を切断するにも行動に支障が出るほどの大きな傷を与えるにも至らない。

 ごうっという重い風斬り音とともに、足元を薙ぎ払う様にして振るわれた巨像の尻尾が彼女の体を弾き飛ばした。

「シャルンホスト!」

 振り回された石で出来た尻尾が、瓦解したベルクフリートの残骸に激突して止まる――だが今度はその尻尾が逆方向に振り回されてレイル・エルウッドのほうに向かって襲いかかってきたために、彼女の身を案じるいとまも無い。

 アモンは眼前を薙ぎ払う様にして振り回した尻尾を今後は逆方向に振り回し、自分の背後にある花壇と立ち木を薙ぎ倒しながら今度は逆方向から自分の眼前を薙ぎ払った。ちょうど自分の周囲全周を薙ぎ払う形になる、が――

 彼の『楯』では防ぎきれない――否、違う。彼を狙うにしては間合いが浅すぎる。アモンがあと一メートル距離を詰めていれば、レイル・エルウッドが後退しても躱しきれなかったはずだ。

 だとすれば本当の狙いは――たまたまそちらから接近しかけていたベルルスコーニと、彼が受け止めていたリーラか。

 ベルルスコーニは吹き飛ばされてきたリーラの体を受け止めたときの重心が高すぎたのだろう、体勢を崩している――あの体勢からの満足な回避行動は出来まい。『楯』も意味を為さない――『楯』の本質はあくまでも攻撃の威力を散らして処理することで、真っ向から受け止めることではない。莫大な魔力を誇るアルカード本人ならいざ知らず、あれほどの大質量の直撃に耐えうる『楯』はベルルスコーニには作れまい。

 ならば――

「――騎士団長、横に跳べ!」 それまで後方にいたグリーンウッドが声をあげる――同時に届いたすさまじい魔力の凝集に背筋が凍った。グリーンウッドとアモンの直線上から離れながら、背後を肩越しに振り返る――

 ――なんだ、あれは……!?

 魔術の『式』を読み取る能力を持たないレイル・エルウッドには、グリーンウッドがどんな術式を組んでいるのか理解出来ない――だが、彼が構築した魔術式に流れ込んでいく大量の魔力は、レイル・エルウッドをして戦慄させるに十分なものだった。

 まるで発射直前の巨大な大砲を見ている様だった――次の瞬間には急激な大気密度の変化によってグリーンウッドの姿がゆがんで見え、撃ち出された大質量の衝撃波が石畳の舗装を削り取りながらベルルスコーニとリーラに肉薄していた尻尾に激突し、衝突寸前の尻尾を弾き返した。

「すまない、助かった」 その間に体勢を立て直したベルルスコーニが、リーラを伴ってこちらに戻ってくる。

「なに、かまわんさ」 グリーンウッドがそう返事をして、アモンの彫像を見上げて目を細める。

「五百年前ほど厄介な相手じゃないな」

「戦ったのか」 ベルルスコーニの質問に、グリーンウッドは視線を向けないままうなずいた。

「ああ、おまえたちの師匠とな――はじめて会ったときだ」

 その視線の先で、アモンの石像が尻尾で地面を撃ち据える様にして反動で跳躍する――アモンはそのまま二本の前肢を振り翳し、落下の勢いを利用して前肢を地面に叩きつけた。

 さっと飛び退って距離を置いた聖堂騎士たちの眼前で、前肢が地面に喰い込んで石畳を粉砕する。

「止まるな!」 グリーンウッドの警告の声。それに従ってさらに跳躍した次の瞬間、頭上からまっすぐに撃ち込まれてきた尻尾が魔力強化エンチャントが衝撃を処理する際の激光とともに地面に突き刺さった。

 まるで蠍の様に、背中越しに尻尾を眼前の地面に突き立てたのだ。別にあの尻尾の尖端は鋭く尖っているわけではない――だが全体が石で出来ており、かつそれにもかかわらず滑らかに動いて、筐体全体がきわめて強力な魔力強化エンチャントで補強されている。

 おそらく尻尾だけでも数トンはあるであろう先細りの石は貫通能力を持つほど尖っていなくとも、その質量と勢いだけで十分すぎる兇器になる――少なくとも人間と同じサイズの生き物であれば、直撃を喰らえば肉体がばらばらになるだろう。塊がまっすぐに落ちてくれば、ちょっと舗装された程度の石畳などひとたまりもあるまい。

 引き抜かれた尻尾の尖端と一緒に、石畳の下から巨大な岩塊が持ち上がる――どうやら土で覆いかぶされた下は岩の塊だったらしい。アモンが一度向こう側へ尻尾を動かす予備動作のあと尻尾を振り回し、すっぽ抜けた岩塊がこちらに向かって肉薄してきた。

  だが――

 飛来してきた岩塊が金色に輝く鎖に絡め取られて失速し、次の瞬間横から飛び込んだバーンズが大地を砕く雷神の鎚ミョルニルの一撃で岩塊を粉砕した。少し離れたところで岩塊を指差す様に右手を伸ばした姿勢のまま、その指先から黄金色の鎖を伸ばしたブラックモアがゆっくりと笑う。

Shaayaaaaaaaaaaaaシャァァィヤァァァァァァァァァァァッ!」 咆哮とともに――ライルが地面を蹴る。人間の咆哮を獣の咆哮に変え、彼は一気に獣化しながら体を支えるためにアモンの尻尾を駆け上ってその頭部にまで肉薄し、首を刎ねる様な軌道で横薙ぎに振るった千人長ロンギヌスの槍の一撃を叩き込んだ。

 筐体に取り憑いた霊体が筐体を補強するために這わせた魔力補強エンチャントが入力された衝撃を処理する際に発する激光とともに、アモンの背中を足場にしていたライルが小さく舌打ちをして跳躍する――直後、アモンが体に止まった蚊を叩く様な動きでライルが足場にしていたあたりに尻尾の先端を叩きつけた。

「ちっ――硬い野郎だ」 レイル・エルウッドの近くに着地したライルが、千人長ロンギヌスの槍を肩に担ぎ直しながら小さく毒づく。

「まあ仕方が無いよ。あれはガーゴイルと違って、魔力容量に制限が無いからね」

 ブラックモアのその言葉に、ライルがそうだな、と嫌そうな口調でうなずいた。

 ガーゴイルの様に恒常的な魔力供給源を持たない魔術兵器ディヴァイスは、充填された魔力でパワーソースと魔力補強エンチャントの両方を賄っている――このためなにもしなくても動力源になっている魔力を使い果たせば止まるし、魔力補強エンチャントによる衝撃処理を繰り返せばそれだけで消耗は早くなる。だから城門の裏側で待ち構えていた悪魔像型のガーゴイルは、魔力を補給するための魔法陣がすぐそばに配置されていたのだ。

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