In the Flames of the Purgatory 9

 

   *

 

「――事情説明はこんなところかな、なにか質問は?」 アンソニー・ベルルスコーニの言葉に、ライル・エルウッドはかぶりを振った。

「無いな。まさか『アルマゲスト』の連中がこんなところに隠れひそんでいようとは思わなかったが」

 まあな、と肩をすくめて、ベルルスコーニが鬱蒼とした森を見回す。野生の狼でも尻込みしそうなほどにあからさまな邪気の漂う獣道を平然と進みながら、彼は溜め息をついた。

 ろくに手入れされていないために下草はほとんど枯れかけており、そのおかげで歩きやすいと言えば歩きやすい。代わりに堆積した落ち葉がほとんどペースト状になるまで腐っており、歩くこと自体は苦にならないが、足を踏み出すたびにぐちゃぐちゃと音がして気分がいいとは言い難い。

 『アルマゲスト』――

 原典は数学全書Mathematike Syntaxis、のちに大全書He Megale Syntaxisとも呼ばれる、ローマ時代にエジプト・アレクサンドリアの数学者プトレマイオスによって著された数学と天文学の専門書である。

 ギリシャ語からアラビア語に翻訳された際にal-kitabu-l-mijisti(英訳"The Great Book")という書名になり、これがさらにラテン語に翻訳されてAlmagestというラテン語名に変わった。

 この『アルマゲスト』を魔術における星の運航の概念に応用し、天体配置を触媒に用いることによって魔力を増幅して天候操作も可能にするほどの巨大な魔術を研究する魔術師のコミュニティーが存在する。

 アルカードに言わせるとアルマゲストの研究は理想こそ大風呂敷を広げているもののそもそもの前提が間違っているので、その研究内容も『自分の襟首を自分で掴んで持ち上げて空を飛ぼうとする様な』ものらしい。それはそれで実にわかる様なわからない様な、絶妙な表現ではある。

 本来の『アルマゲスト』に記載されていた天文学の概念は天動説に基づくもので、とうの昔に覆されて久しい――ここらへんがアルカードいわく、『前提が間違っている』ということになるのだが。

 このコミュニティーもまた『アルマゲスト』と呼ぶのだ。

「三百七十年前に、アルカードが主だった魔術師は殺したと聞いてたがな」

 その言葉に、リッチー・ブラックモアが適当に肩をすくめてみせた――『アルマゲスト』の主だった魔術師は、三百七十六年前にアルカード・ドラゴスともうひとりの魔術師によって皆殺しにされている。

 当時『アルマゲスト』は近隣の人間を攫い、生贄に捧げて構成員の延命のために利用していた。

 それ自体は『アルマゲスト』設立以来頻繁に行われてきたことであり、もっと言ってしまえば『アルマゲスト』そのものが、儀式によって転生した吸血鬼である『クトゥルク』の巣窟だったのだ。

 アルカードが彼らを潰しにかかったのは、別に義憤に駆られてのことではない――強大な魔物であるアルカードの肉体を狙って彼らが魔獣をけしかけたために、アルカードが逆襲のために当時ともに行動していたある強大な魔術師とともに『アルマゲスト』本部を襲撃したのである。

 別に吸血鬼に限ったことではないのだが、受肉した悪魔や天使といった高位神霊、高位の吸血鬼などの強力な魔物の肉体は強大な魔力の塊だ――その屍や肉体の一部だけでも、強力な魔術の触媒や魔術における秘薬となる。特にロイヤルクラシックの血は、弱毒化の過程を経てエリクサーと呼ばれる秘薬の主材料になる。彼らがアルカードがロイヤルクラシックであることを知ったうえで狙ったのか、それはわからないが――

 いずれにせよ、彼らのとっての誤算は相手が悪すぎたことだろう――彼らがアルカードがロイヤルクラシックであることを知ったうえで襲撃したのかは今となっては知る由も無いが、知っていようがいまいが相手が悪すぎた。

 『アルマゲスト』が自分たちが相手にしようとしているのがどんなものかを理解したうえで攻撃を仕掛けたのかは、わからない――だが相手はカーミラの擁する数百もの噛まれ者ダンパイアの群れを単独で虐殺し、同じロイヤルクラシックであるカーミラ本人を瞬殺した本物の化け物だ。

 今でこそ弱体化しているものの、当時のアルカードはロイヤルクラシックの中でも群を抜いて強力な個体の一体だった――なにしろ戦闘能力だけで言えば、当時のアルカードは同じ真祖であるヴラド・ドラキュラ公爵とその『剣』であり下手なロイヤルクラシックよりも高い戦闘能力を誇るグリゴラシュ・ドラゴスを同時に相手にして互角に戦える、類を見ないほど強力な個体だったのだ。

 そして当時行動をともにしていた魔術師もまた、『アルマゲスト』全員を軽く凌ぐほどのすさまじい戦闘能力を持つ男だった――スコットランドの魔道氏族ファイヤースパウンの中興の祖ともされる精霊魔術師。

 一五〇〇年代初頭にポルトガルで出会ったアルカードに精霊魔術と儀典魔術、竜言語魔術ドラゴンロアーを指導し、のちに精霊魔術を操る能力を失ったアルカードに『魔術教導書スペルブック』を作り与えた男でもある。

 中途半端な戦力しか持たなかった『アルマゲスト』は化け物ふたりの襲撃で呆気無く壊滅に追い込まれ、そのとき『アルマゲスト』の本拠にいた吸血鬼化した魔術師たちは軒並み皆殺しにされてしまった。

 そのときに連れの魔術師が開発中だった大魔術の実験台にされて『アルマゲスト』の本拠地は周辺の土地ごと根こそぎ消滅させられてしまい、その結果『アルマゲスト』は歴史の表舞台から消えた――はずだったのだが百年ほど前、やはり『アルマゲスト』を称する魔術師コミュニティーが存在していることが判明したのだ。

 別に、それがアルカードとグリーンウッドが滅ぼした『アルマゲスト』と同一の組織であるという保証は無い――が、聖堂騎士団は欧州に存在するすべての魔術師コミュニティーを監視下に置いている。

 所在地近辺で不穏な動きがあれば、近隣の司祭を通じて総本山に通報されるのだ――ここ数週間ほど主に若い女性を中心に近隣の人里や観光地から行方不明者が多く出ているという通報が複数あり、聖堂騎士団は人を通じて『アルマゲスト』にコンタクトを取った。

 魔術師の一分野であるキメラ学において、若い女性というのは人体実験の使い道があるからだ――兵器化されたキメラを現地で繁殖させるための生贄。

 聖堂騎士団は『アルマゲスト』がカトリック教圏の民間人の拉致誘拐事件にかかわっていないことを確認するための査察を申し入れたが、『アルマゲスト』はこれを拒否――結果、聖堂騎士団は彼らが事件にかかわっているものと看做して、いわば強制捜査に乗り出したのだ。

 溜め息をついて、エルウッドは先頭を歩く三人の男たちを見遣った。

 そのうちのふたりは見慣れた男たちだ――聖堂騎士団長レイル・エルウッドと副長ブレンダン・バーンズ。

 そしてもうひとりは、黒い革製のコートに身を包んだ長身の男だった。

 黒髪に黒瞳、身長は百八十センチ程度。コートの下も、やはり黒衣に身を包んでいる。現代風のトレンチコートはかなり薄手のもので、彼を呼び寄せたアルカードのそれの様に仕込みはしていないらしい。

 魔道を究めんと志す者の間でも、その名前と姿かたちを知るものは滅多にいない。だがその存在だけをおぼろげに知り畏怖する者たちは、畏敬をこめて『彼』とだけ読んでいる。

 エルウッドも会ったのはこれが最初だが、彼こそがアルカードに『魔術教導書スペルブック』をもたらした張本人であり、技能さえあれば魔力そのものはさほど必要としない術式破壊クラッキング技能を中心に教え込み、文字通りの魔術師殺しに仕立て上げた男でもある。

 さらに言えば心臓破りハートペネトレイターなどの悪魔の外殻を加工して作り出した装備品類の提供も、彼と彼の魔術師コミュニティーが行っていると聞いている。つまり物資補給や情報提供など、ヴァチカンと同様にアルカードのバックアップを行っているのだ――アルカードの仲立ちでヴァチカンも彼らとのつながりが出来、今ではそれなりの協力関係にある。

 アルカードと違って吸血鬼でもなんでもないはずなのだが、アルカードの話を真に受けるならばすでに千年近く生きているはずだ。

 『彼』がここにいるのは、アルカードが呼び出したからだった――アルカードが知る『アルマゲスト』は、もともとキメラ学が中心の魔術師たちではない。戦闘に転用可能な魔術を修めた者たちなので、対魔術戦の専門家が必要だとアルカードが判断したのだ――彼の弟子たちは技量の巧拙はともかく術式破壊クラッキング技能を修めているが、彼がみずから作戦に参加出来ない以上それでは不十分だということだろう。

 そう判断したアルカードが、たまたまバイエルンで酒と薫製を楽しんでいた『彼』に電子メールで連絡を取ったのだ――技術の進歩というのは素晴らしい。

 と、『彼』が片手を挙げる――それに合わせて、続いていた者たちは足を止めた。

「どうした?」 バーンズの言葉に、『彼』が手近な立木の右に指を這わせる。

 彫刻刀の様なもので小さな文字が彫りつけられている――アラビア数字の4を、九十度左に回転させた様な文字だ。

「なんだ、それは?」

 レイルの言葉に、『彼』は適当に肩をすくめた。

「魔術の触媒だ。これも含めていくつか、『アルマゲスト』の拠点を囲む様にして配置されているはずだ――これらの触媒を線で結んだ多角形の内側に、『アルマゲスト』の本拠がある」

 そう言って、『彼』はわずかに目を細めた。

「この触媒を結んだ線に触れた人間の精神に簡単な誘導をかけて、この内側に興味を失くさせる魔術の様だな。同時に周囲の光の屈折率を変えて幻影を見せ、内側にあるものを外部から見えない様にする。要は光学迷彩の一種だ。揉め事を起こさずに、この周囲から人間を遠ざけたかったらしい」

 そう言って、『彼』は触媒となっている文字の線にそって指を滑らせた。触媒の文字が一瞬だけぽう、と輝き、そして消える。

 同時に眼前の光景が歪み、森の光景が消失して、突然視界が開けた。

 視界の奥には切り立った断崖、そしてその崖を背にして中世の特徴を色濃く残した古城が聳え立っている。

「やれやれ、こそこそと隠れ住んでるのかと思ったら――」 山間の古城を見上げて、エルウッドは目を細めた。

「まさか優雅にお城暮らしとはね」

 どこの貴族の城かは知らないが、およそ歴史学と兵法を学んだ上で考えるなら、理想的な造りの城だと言えるだろう。実際に中世の時代を生きて戦争ばかりやっていたアルカード・ドラゴスがこの場にいれば、もっと詳しい話を聞けるのだろうが。

 城の背中側は崖に面しているが、残る三面は防備のためなのか二重の空濠が掘られている。

 内濠は幅七メートル、外濠は幅十五メートル程度。

 外濠は接近経路を制限するためだろうか細い橋がかかっており、内濠には跳ね橋がかけられていて今は上がったままになっている。

 白みがかった光の膜が、二重の空濠の外側から城を覆っているのがわかった――外堀の外周からの距離は六十メートルほどか、城全体を球形に覆っている。おそらく、先ほどの結界をすり抜けてきた者から城を守るための防御用の結界だ。

「解けるか?」 結界の縁に立ったところで、レイルがかたわらで足を止めた『彼』に問い掛ける。レイルの言葉に、『彼』はかぶりを振った。

「無理だ。この結界は術者が構築したものじゃなく、設置された『核』によって維持されている。『核』を破壊しない限り結界は解けない。結界に過負荷をかけて『核』となっている装置を破壊することも出来るが、まあどの程度の負荷まで耐えられるかわからないから現実的とは言えん。が――」

 気楽に肩をすくめて、『彼』はひたりと結界の表面に手を触れた。次の瞬間蝋を塗った鉄板を蝋燭の火で炙ったときの様に、『彼』が触れたところを中心に結界がほころびていく。片方の眉を上げて、『彼』は気楽に続けてきた。

「結界の完全解除は無理でも、一部に干渉して穴を開ける程度ならな」

 それが人ひとり通れるサイズになったところで、『彼』が空いた手で通れと合図する。

 『彼』は最後に自分が結界の穴を通り抜けてから、結界の表面に触れていた手を離した――その瞬間、直径二メートルほどの結界のほころびが瞬時に修復される。

「こうしてみると立派な城だよな」 ブラックモアの言葉に、エルウッドは肩をすくめた。

「城の建材が新しい」 そう言ってきたのは、古城めぐりが趣味のリーラ・シャルンホストだった。彼女は腰から吊った太刀拵の日本刀の柄頭に指先を這わせながら、

「現代の素材と技術で古城を再現したみたい。ほとんど根底部分から造り直してあるわね」

「補修しただけじゃ?」 リッチー・ブラックモアの言葉に、リーラはかぶりを振った。

「見て、城塁のほとんど基礎部分がそれほど汚れてない。城塁の石を一部取り換えただけだったら、下のほうはもっと汚れてるはずよ。それにこの空濠――」

 言いながら、リーラが足元の空濠を指で指し示した。濠の深さはおそらく六メートル程度、底には長さ一メートルほどの金属製のスパイクが無数に撃ち込まれている。

 その乱杭に全身を貫かれて、二十代前半の旅行者風の格好をした男が死んでいた――全身数ヶ所をスパイクの先端に貫かれている。

 特徴からすると東洋人らしい――彼が死んでいるのはちょうど外濠の真ん中あたりだ。人間の跳躍力では落下しながらとはいえ七メートル以上も跳ぶのは不可能だろうから、おそらく城の城塁から突き落とされたのだろう。結界の内部に入り込んでいるということは、抗魔体質持ちの人間が結界を素通りして中に入り、発見されて殺されたのだろうか。

 死体はすでに、完全に乾燥し一部白骨化している――腐敗があまり進行していないのは、寒い時期に死んだからだろう。寒く乾燥した時期にミイラ化して、それがそのまま残っているのだ。

 空濠の底に埋められたスパイクは、全体に卸鉄の様な無数の返りがつけられている様だった――単純に突き刺さるのではなく返りの突起によって傷を押し拡げ、さらに先端で引っ掻くことで傷口の組織を破壊して出血量を増やす作りになっている。さらに返りの引っ掛かりによって、傷口からスパイクを抜き取ることも困難にする。

 あれが刺さったら出血よりも先に、痛みのショックで即死してしまうに違い無い。とはいえスパイク自体がかなり密生しているので、転落すれば複数の臓器や頭部を同時に損傷して即座に死にいたるだろうが。

 どうやらスパイクは現代的なステンレス素材で作られているらしく、風雨に晒されているにもかかわらず表面がわずかに錆びついているだけだった。

「つまり、これは古城風の新築というわけだ」

 レイル・エルウッドがそう返事をして、ベルクフリートを見上げた。

 城門の跳ね橋は跳ね上げられたままになっている――まあ、跳ね上げるためにあるのだから当たり前だが。

「入れてくれるつもりは無いみたいね」 リーラの言葉に、バーンズがゆっくりと笑う。

「どうだかな」 その言葉に、エルウッドは頭上を振り仰いだ。

 正門の上の城塁にわざわざ絞首台の様な櫓が組まれ、そこに幾人かの死体が吊るされている――足首を縛られて逆さ吊りにされた死体の数は、月を背負って逆光になっているため判然としない。もともと獣人種族ライカンスロープであるエルウッドは鼻が利く代わりに若干近視気味で、それを判別することは出来なかった。

「……?」

 リーラが眉をひそめて小さな声をあげる。

「死体の下になにかがあるわ」

「大きな金属製の皿を支えた八体の悪魔像だ」

 逆光がまともに目に入っているはずだが気に留めた様子も無く、『彼』がそう答えてくる。

「死体の数は全部で十人ぶん。首を捌かれているな。死体の首から出た血が悪魔像の支えた皿に溜まっていく様になっているらしい」

 その言葉に、エルウッドは目を眇めた――なるほど、先ほどよりも目が慣れたこともあるのだろうが、そう言われてみれば、確かにそう見えないこともない。

 悪魔像の支えている巨大な皿のシルエットが若干揺らいだ――溜まった血が縁からあふれ出したのだろう。皿の表面を伝い落ちた血が、悪魔像を濡らしていく。

 やがて、蹲る様な体勢でいくつも設置されていた悪魔像が、ぎこちない動作で動き始めた。

「ガーゴイルか……」

「歓迎の用意は出来ているらしいな」 レイルがそう言って、適当に肩をすくめる。

「なにしろ人数ぶんだ」

 同時に悪魔像が動き出して皿を放り出したのだろう、皿が城塁の上に落下してけたたましい音を立てた。

 KYAAAAAAAAキャァァァァァァァァァァッ

 城塁の上から飛び降りたガーゴイルが翼を広げ、咆哮をあげて襲いかかってきた。

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