In the Flames of the Purgatory 7

 

   †

 

「でもまあ、結果的に助かることはあるかもしれませんね」

 そう続けると、鳥柴鏡花はひそめていた眉を少しだけ開いた。

「それで、貴方はこれからどうなさるおつもりですか?」

「当面は調査ですね――いくつか用意していただきたいものがありまして」

 鳥柴がその言葉に席を立ち、紫檀のデスクの上に置いてあったメモ帳とボールペンを手に戻ってきた。uniの加圧ボールペン。

「どうぞ」

「ここ最近――三ヶ月を基準に外部から入り込んで勤務している者がいたら、リストアップをお願いします。新任の教諭や用務員、その他の職員を」

「あとで用意いたします。生徒のものは?」

「お願いします」

 メモを取ったところで、鳥柴が再び顔を上げる。

「ほかには?」

「この三ヶ月間の、職員の出欠勤記録を」 その返事に鳥柴がこちらに視線を向ける。

「それ以前のものは?」

「不要です。奴が日本に来たのは二月の出来事なので、それ以前のものは」 それで納得したのか、彼女はメモ帳に手早く何事か書きつけた――速記のたぐいなのだろうが、蚯蚓ののたくりにしか見えなくてはっきり言って読み難い。まあ自分が読めればいいのだろうが。

「なにを調べるおつもりなのですか?」

「前者は『クトゥルク』の渡航時期以降に学園にやってきた新入職員の把握。後者は主に、連続して欠勤している職員の把握ですね」

 首をかしげる鳥柴に、

「『クトゥルク』は太陽の光を浴びても問題ありません。しかし下僕サーヴァントと呼ばれる『クトゥルク』配下の個体は、吸血鬼に噛まれて吸血鬼化した個体とほぼ同じ特徴を持っているんです――太陽の光を浴びると塵になる。学校の様な開口部の多い建物で、吸血鬼化する以前と同様に振る舞うのは無理です――彼らは薄いカーテンや磨り硝子を通した減衰された光を浴びただけでも、無傷ではいられません。長期間欠勤していなければ、その人物はほぼ除外出来る――勤務時間が日没後だけだったり建物内にこもりっぱなしの勤務環境だったりする場合は、個別に確認する必要がありますが」

 半分も理解出来ていない様子ではあったが、鳥柴はとりあえずうなずいた。

「大使館からの指示では貴方を外国人講師として行動させる様にとのことなのですが、よければ高等部の英語の教師の補佐を務めていただけませんか? 実際に講師を務めたほうが、紛れ込みやすいでしょうし」

「それで結構です」 うなずいて、アルカードはグラスの中身を飲み干した。

「それと、もうひとつお聞きしてもよろしいかしら。どうして、我が学園なのですか?」

「それは俺にはなんとも――推測以上のことは言えません」 アルカードはかぶりを振って、鳥柴の質問への回答を拒絶した。

「推測でも結構ですわ」 鳥柴がそう返事をしてきたので、紅茶に口をつけてから続ける。

「多くの人間が集団生活を営む場所という意味で、ここはちょうどよかったんでしょうね――人数が多く、しかも若い。否、別に学校の様な場所であればどこでもいいので、ここを選んだのは単なる偶然でしょうが」 と、そう言っておく――実際にはここを敵が選んだのには、きちんとした理由がある。それを彼女が納得するかどうかはまた別だが。

 吸血鬼が狩り場を探そうとする場合、都会の繁華街など、人の多い場所を狩り場に定めることが多い。逆に住宅街で民家を襲い、一家皆殺しにするなどという事態は避ける傾向にある。

 一家惨殺などという事態になったらすぐに露見してしまうが、繁華街で数人がいなくなっても誰も気づかない――いなくなったのが大人なら、連れがいてもそう本腰を入れて探したりはしないだろう。何日も家に帰らなくても単身者なら露見する恐れはまず無いし、家族持ちだったとしても捜索願が出されるのは数日後だ。

 そう説明すると、鳥柴は不可解そうに眉根を寄せて、

「――おっしゃるとおりなら、ここは吸血鬼の狩り場としては下の下なのではありません?」

「そうでしょうね」 首肯してから、アルカードは空になったグラスを押しのけた。

「先ほども申し上げましたが、俺には推測以上のことは言えません。『クトゥルク』は数が少ない――俺もまともに相手をするのはこの個体がはじめてですので、手持ちの情報がさほど無いんです。理由として強そうなものを挙げるなら――生贄を集めたまま置いておけますから」

 生贄は延命の儀式の際、一ヶ所に集める必要がある――昏睡状態になるのは魔術式を植えつけているためだが、それ自体は前段階でしかない。

 全寮制の学校であれば、大型の休みでもない限り生徒たちが長期間学校から離れることは無いので、儀式の際に集めやすいのだろう。

 そんなことを説明すると、鳥柴は納得したのか同意する様にうなずいた。

「わかりました。先ほども申し上げた通り、総本山からは貴方の行動に最大限の便宜を図る様にと指示されております――宿泊される寮のほうは用意してありますので、そちらを拠点になさってください」

「助かります」 アルカードはそう答えて、再び頭を下げた。

 鳥柴が立ち上がり、デスクの上に置いてあった封筒を持って戻ってくる。

「中にカードと寮の部屋の鍵が入っています。カードは出退勤管理のほか食堂をご利用になるときに必要になりますので、失くさない様になさってください」

 封筒の中に入っていた磁気カードを矯めつ眇めつしているこちらに、彼女は続けてきた。

「それと、鍵は二本あります。一方は寮の入り口、もう一方はお部屋の鍵です――赤いほうが寮の鍵になります。合鍵はありますけれど、失くすと高価なのでお気をつけください」

 マルティロック製のキーを見下ろして、アルカードはうなずいた。それは知っている――アパートでも同じものを使っているからだ。

「気をつけます」

「では――」

 鳥柴が立ち上がり、デスクの上の電話機を操作した。

「澤村さん? 薫はもう戻っているかしら――そう。ちょっと呼んでくれる?」

 澤村というのは先ほど自分を案内した秘書の女性だろうか。ややあって扉の外で人の歩く気配がして、学園長室の扉がノックされた。一拍置いて、聞き覚えのある女性の声が聞こえてくる。

「叔母様? 薫ですけれど――」

「ああ、薫? 入ってきて」

「はい」 扉を開けて、若い女性が姿を見せた――白いスーツに身を包んだ、おそらく天然の栗色の髪を腰のあたりまで伸ばした二十代半ばの女性だ。汚れたから着替えたのだろう、先ほど会ったときとは違う服を着ている。

「失礼します――あら?」

 アルカードに目を留めて、彼女は驚いた様に目を見開いた。

「ああ、またお会いしましたね」 アルカードはそう言って、口元を緩めた――入ってきたのは、千歳駅前のゲオの駐車場で会ったあの女性だった。

「あら、もうお知り合いですかしら」 眼鏡の位置を直しながらそう尋ねてくる鳥柴に、アルカードはうなずいた。

「ええ、街でお目にかかりました」

「そうなんですの? それなら話が早いですわね。薫、紹介するわね。月曜日から貴女の補佐を担当してもらうことになる講師の先生よ――アルカード・ドラゴス先生。ドラゴス先生、こちらはわたくしの姪の鳥柴薫、先生に手を貸していただくことになる英語の教師です」

「そうなんですか、それは心強いです。よろしくお願いします――それと、先ほどはありがとうございました」

「いいえ、あのくらいならどうということもありませんから」 再び深々と頭を下げる薫に、アルカードはなんでもないことだという様に手を振った。

「薫、先生を教師用の寮にご案内してくれないかしら」

 鳥柴の言葉に、薫は微笑んでうなずいた。

「はい、喜んで」 その返答に、アルカードは席を立った。

「ではこれで失礼します、学園長」

「ええ、なにか問題があったらいつでも声をかけてください」 という鳥柴の返答にうなずいて、アルカードは薫に続いて学園長執務室を辞した。

 

   † 

 

「ところで――」 事務棟の廊下を並んで歩きながら、薫は口を開いた。かたわらを歩く金髪の青年に視線を向けて、

「ドラゴス先生は、どちらの国からいらしたんですか?」

 彼はどうにもその呼び方が馴染まないのか、ちょっと眉根を寄せつつも一瞬考えてから、

「ワラキ――失礼、ルーマニアです」

 もう長い間帰っていませんが、とドラゴスはそう付け加えてきた。

「ブカレストです――ここに来る前という意味なら、東京に」

「そうなんですか――あ、ちょっとお待ちください」

 そう言って、薫は足を止めた。彼女は壁に掛けられた学園敷地の俯瞰図に歩み寄り、

「今わたしたちがいるのがここです――こちらが小等部、ここが中等部、ここが高等部。わたしは高等部の英語教師を務めていますから、先生が主に行動していただくのは高等部の校舎になりますね」

 次々に俯瞰図を指差して説明しながら、薫はドラゴスのほうを横目で窺った――ドラゴスは事務棟を中心にして六角形の頂点位置に配された各設備を視線で追ってから、六角形の北側の頂点を指で指し示し、

「ここはなんですか?」

「大聖堂です――毎週月曜日に、朝礼と礼拝を兼ねて全学年の生徒がここに集まります。もちろん、東京カテドラルと同じ意味での大聖堂ではなくて、ほかの校舎に附属する聖堂に比べれば大きいというだけの話ですけれど」

「ここは?」

「体育館です。こちらは講堂、ここが聖堂、これは小図書館。ここは温水プールです。こちらの六角形の建物は食堂ですね。寮はそれぞれの校舎に併設されていて、基本的には渡り廊下や地下通路ですべての建物を行き来出来ます。それぞれに関して行き来するのに、外に出る必要はありません」

「小図書館があるのなら、大図書館も?」

「大学部にあるものを、そう呼びます――学術その他の専門誌を探す場合は、大図書館へ行く子が多いですね。大学とは一応敷地が区画されてますけれど、大図書館は唯一学園側から直接出入り出来る施設です」

「……ふむ……」

 なにを考えたのか、ドラゴスが少し眉根を寄せる。なにを考えているかはわからなかったのでそのまま先を続けることにして、彼女は俯瞰図の上で指先を滑らせた。校舎の裏側に位置する場所で、校舎と学生寮の両方に渡り廊下でつながっている。

「ここが高等部の教師用の寮です。当学園の場合、教師が部活動の指導に当たることは基本的にありません。監督の先生を別に雇用してますので――そういった監督先生は自宅通勤か寮住まいかにかかわらずに、全員教師寮にお部屋を持っていらっしゃいます。練習が遅くなったりしたときに泊まり込むためですね」

 ドラゴスがポケットから取り出した鍵を見下ろす。204とマジックで書き込んであるのがわかった――逆に言えばそれしか書いていない。

「女子寮と男子寮の区別は無いんですか? 寮の建物はひとつしか無い様ですが」

「五階建ての建物で、二、三階が男子寮、四、五階が女子寮です。教師寮も同じですね」

 なるほど、とうなずいて、アルカードは鍵をポケットに戻した。

「これから先生を教師寮のほうにご案内します――お荷物のほうはまだお車ですよね? このまま一度駐車場に行きましょう」

「いえ、先生にあまり手間をかけさせるわけにもいきませんから。あとから取りに行きます」

 荷物の量は知れていますから――そう告げてから、アルカードは事務棟の玄関に向かって歩き出した。

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