In the Flames of the Purgatory 6
2
私立白星学園は千歳市のほか北海道に五ヶ所の姉妹校を持つ、ミッション系の学校だ。
小中高等部は全寮制を取っており、生徒のほか一部の教師も生徒の監督を兼ねて寮で暮らしている――彼女もそのひとりだった。
とりあえず街中で動けなくなる危機を脱した愛車の日産ノートを駐車場に止めて、車から降りる。
ゲオの駐車場で流暢な日本語を話す外国人の青年に薦められたとおり、豊里のほうにあるカー用品店にタイヤを持ち込んだ帰りだ――あの若者は出来て当然という様な口ぶりだったが、カー用品店ではその技術が無いのかタイヤの内側から穴をふさぐ修理法は断られてしまった。かといって外部から穴をふさぐには穴が大きすぎるらしく、店員の薦めでタイヤを交換することになった。
後輪の一本だけが真新しくなったタイヤを見下ろして小さく息を吐き、彼女は助手席に置いていたハンドバッグを手に歩き出した。駐車場から校舎までは少し離れているので結構歩くことになるが、彼女は気にしていなかった――足腰を維持するには、まあ悪くない運動だ。
車が多いのは寮住まいの教師や、日曜に出勤している部活の指導員のものだ――白星学園は基本的に部活の監督や顧問といった指導員を教師とは別に雇用しており、教師が顧問や監督を兼ねている例はほとんど無い。薫は数少ない例外だが、学科は持っているが担任を受け持っていないから出来ることだ。
と――
駐車場に並ぶ車の中に中に見覚えのある車を見つけて、鳥柴薫は足を止めた。
銀色の真新しいホンダ・フィット。
別にフィット自体はさほど珍しくもない――自宅から車で通勤している教師の中にも、フィットに乗っている人はいる――のだがナンバープレートの平仮名がレンタカーであることを示す『わ』で、リアウィンドウの硝子に見覚えのあるホンダレンタリースのステッカーが貼ってある。後部座席にナイロン製の黒いバックパックと、大型のトラベルバッグが無造作に放り込まれている――バックパックに鷹をモチーフにしたものらしいラベルがついているのが見えた。
ゲオで会ったあの外国人の青年の乗っていたフィットのナンバーは平仮名以外ちゃんと見ていなかったので覚えていないのだが、もしかしたらこれなのかもしれない――運転席側のフロントホイールについた小さな擦り傷に見覚えがある。でも、どうしてここにあるのだろう?
首をかしげながら、鳥柴薫は校舎に向かって歩き出した。
‡
「ところで――」
パンフレットに視線を落としながら、アルカードが口を開く。
「聖堂騎士団は、どうしてこの学校に俺を送り込むほどの確信を持ったんだ?」
その質問に、神田は小さくうなずいた。その疑問はもっともだ――学校にアルカードを潜入させるならば、彼はしばらくそちらにかかりきりにならなければならない。彼は優雅な仕草でコーヒーに口をつけながら、
「ここ数週間の間に十一人、女生徒が昏睡を起こして倒れています」
「どういう状況で?」 金髪の吸血鬼がパンフレットから顔を上げてそう尋ねてきたので、神田は首を振った。
「細かい状況までは――全員が一週間程度入院したあと、復学しています」
「血を吸われたわけじゃないんだな?」
「はい」
「その女生徒たちに病歴は?」
「大きな病気はありません。スポーツをしている女生徒数人に、骨折の履歴があるくらいで」
即座にそう答えると、アルカードはうなずいた。
「医者の診断は?」
「原因は不明。脳波は極めて安定した、非レム睡眠に近い状態だったとのことです。なにをやっても目を覚まさず、目を覚ましたあとは至極健康で、その日のうちに手続きを終えて復学したそうです」
「なるほどね……」
アルカードはうなずいて、すっかり冷めたコーヒーに口をつけた。魔術の知識のある者であれば、神田が言わんとするところはすぐに理解出来る――ましてそれがファイヤースパウンの長セイルディア・グリーンウッドに師事し、魔術の理論的知識に関しては地上に並ぶ者の無いロイヤルクラシック、アルカード・ドラゴスであるのならばなおのこと。
「調べてみる価値はあるかもな」
‡
鳥柴鏡花は小さく息を吐いて、東京のローマ法王庁大使館から届いた封筒の中身を紫檀のデスクに置いた。
亡くなった夫の趣味でそろえた執務室の調度品は、もうすでに彼の匂いをとどめてはいない――彼の好きだった煙草の匂いに気づかなくなったのはいつだっただろう。
そんなことを考えながら、デスクの上の書類を指先で弾き飛ばす。
ヴァチカンの全権大使の署名が入った要請書――実際のところはまあ、命令書に近い。
貴校で発生している複数の生徒の昏睡に関して、この人物を外国人の臨時講師として迎え入れ、その行動に最大限の便宜を図ること――簡潔に書かれたその要請書と一緒に、ワープロで打たれて印刷された履歴書が入っている。
アルカード・ドラゴス、二十四歳。出身はルーマニアのブカレスト、国籍はイタリア。
履歴書には詳細は書かれていない。おそらくは書類上だけのものなのだろう――ローマ法王庁大使館が、それも全権大使直筆の署名入りの書状で単なる外国人講師の雇用の口利きなどするわけがない。
そもそも、なぜこの人物を送り込んできたのだろう――昨日届いたFAXによれば、この人物は今日到着するとある。
もともと事務処理で出勤しなければならなかったので、尽きることの無い書類仕事をこなしつつ学園長事務室で待っているわけだが――
ドアがノックされ、鏡花は顔を上げた。
「学園長、お客様がお見えです」 秘書を務める若い女性の声が、扉の向こうから聞こえてくる。
それを聞いて、鏡花は書類と封筒を大雑把にまとめてデスクの隅に置いた。どうやら本人が到着したらしい。
「お通しして」
「はい」 間も無く扉が開き、秘書が客人を学園長室に招じ入れた。
「どうぞ」
「失礼します」 そう声をかけて入ってきたのは、背の高い外国人の若者だった。
身長は百八十センチにやや足りない程度か、獅子の鬣を思わせるやや癖のある金髪を背中に届くまで伸ばして、うなじのあたりで束ねている。整った面差しはまずは美男子と言って差し支えないだろうが、まるで猫科の獣の様な雰囲気を纏い、その中で血の様な紅い瞳だけが異彩を放っている。
一部にナイロンを使ったオートバイ用のレザージャケットを羽織り、首から磔刑像の十字架を下げている。運動部の男子生徒が着ているものと同じ『アンダーアーマー』ブランドの化学繊維のTシャツの下にタートルネックのアンダーウェアを重ね着している――イチロー愛用ブランドの『cw-x』。分厚いジーンズを穿いて腰元にウェストポーチをつけ、頑丈なブーツを履いているのがわかった。
「貴女が学園長でよろしいですね? 突然申し訳ありません」 金髪の青年は流暢な日本語でそう告げてから、礼儀正しく頭を下げた。
「身上書は届いていると思いますが、アルカード・ドラゴスと申します。迷惑をかけて申し訳無く思いますが、しばらくの間よろしくお願いいたします」
「これはご丁寧に――当学園の学園長を務めております、鳥柴鏡花と申します。どうぞ、おかけになってください」
壁際のソファーを勧めてから、鏡花は秘書に視線を向けた。
「飲み物を用意してくれる? ドラゴスさんは冷たい紅茶でよろしくて?」
「それで結構です――あ、砂糖もミルクも無しでお願いします」 アルカードがうなずくと、鏡花は彼の向かいに腰を下ろした。
扉が閉まるのを確認してから、
「貴方が今日お見えになることは、大使館からの連絡で承っておりました――大使館からは、貴方の行動に最大限の便宜を図る様にと言われております。ですが、わたくしが存じ上げているのはその程度でして――出来れば、もう少し詳しいことを教えていただけませんかしら」 一信者でしかない自分が、なぜそんなことを命令されなければならないのか――そんな皮肉も込めた質問に、アルカード・ドラゴスは少しだけ眉をひそめた。
「その前にお伺いしたいのですが、学園長。こちらの学校で十一人の女生徒が突然倒れたということですが、それについて詳しい状況を教えていただけませんでしょうか? 俺はヴァチカンの要望でこちらに来ましたが、さほど詳細な話は聞かされていないんです」
「お待ちください」 鏡花は彼の返答に小さくうなずいて、席を立ち、紫檀のデスクに歩み寄った。
「ご存知かもしれませんけど、当校は小学校から中学、高校までを一貫して行っております」
話しながらデスクの上のプリントアウトされたコピー用紙を一束取り上げて、テーブル越しにアルカードに差し出す。鏡花は彼が受け取るのを待ってソファーに座り直しながら、
「最初に倒れたのは中等部の一年生、特に年代や出身地等に共通点はありません。一番小さい子は小等部の二年生、上は高等部の二年生」
クリップで束ねられた顔写真つきの身上書に次々と目を通しながら、アルカードはうなずいた。
「大学と幼稚園は?」 学園と敷地を接する系列の施設を話題に出されて、鏡花は小さくうなずき返した。
「どちらにも今のところ、倒れた子はおりません」 その返答に、アルカードは書類を束ねてテーブルの上に置いた。
「もう全員復学はしているんですね?」
「ええ、全員。持病等は無いと聞いております――むしろ運動部の生徒だったり、どちらかというと健康で優秀な子ばかりですわね」
「ちなみに時期は?」
「一番最後に倒れた子が、四日前――二日後に目を覚まし、三日後、つまり昨日の授業から復学しました」
ふむ、と声を漏らしてアルカードが顎に手をやって眉をひそめたとき、控え目にドアがノックされた。
「失礼します」
先ほどの秘書とは違う年配の事務員が、グラスに注がれたお茶を持って入ってくる。
彼女がテーブルに二脚のグラスを並べる間、アルカードはなにか言おうとしたまま黙っていた――彼女が出ていって扉を閉めたところで、とりあえず聞くことが無くなったのかあるいは聞けることが無くなったのか、書類をテーブルに置いて口を開く。
「どの程度まで貴女の質問に答えていいかは、俺にはわかりかねます――簡潔に申し上げるなら、俺は俺の敵を探してここに来ました」
物騒な単語に、鏡花は眉をひそめた。
「敵?」
「吸血鬼」 アルカードが短く告げる。
吸血鬼――耳慣れない単語に、眉間の皺が深くなるのを自覚する。
「吸血鬼、ですって?」
「ええ、人間の血を吸って仲間を増やして心臓に杭を打たれたり太陽の光を浴びると灰になって、狼に化けたり霧に化けたり蝙蝠に姿を変えたりするあれです――ただし、後半はほとんどの吸血鬼には出来ませんが」
「そんなものが実在するとでも――」 苦笑いを浮かべて、鏡花はそう返した――この青年が自分をからかっていると思ったのだ。初対面の相手をからかう様な男を送り込むヴァチカンの不誠実さにも疑念をいだいたが、
「実在しないと、そうお思いですか?」 わずかに目を細めて、アルカードがそう言ってくる――まるで獲物を前にして歓喜する虎の様な笑み。その紅い瞳がわずかに光っている様に見えて、鏡花は息を呑んだ。
めくれ上がった唇の隙間から、異様に長く尖った犬歯が覗いている。
「貴方は――」
「ええ、俺も吸血鬼です――この学校にいると考えられている吸血鬼を殺すために、ここに来ました」 そう答えて、アルカードがグラスを取り上げた。ストローを差して口をつける。
その返答に、鏡花はかぶりを振った。吸血鬼が彼の言う通りのものであるのなら、そもそも目の前にいるこの青年が灰になっていない時点で彼の言い分は眉唾ものだ。
考えていることが顔に出ていたのか、金髪の自称吸血鬼は適当に肩をすくめ、
「まあ、手っ取り早いのは血を吸って見せることだと思いますが――さすがにそんな趣味はありませんので」
アルカードがテーブルの上に戻した、自分のグラスに視線を落とす――それを目で追ったとき、明らかに不自然な動きでグラスに浮いた氷が動いた。まるで透明なマドラーでかき混ぜられたかの様に、ひとりでに紅茶の液面が渦を巻く。
その異様な動きはすぐに、空調の風によるものだなどというごまかしでは説明出来ないものになった――渦を巻いて遠心力で擂鉢状に変化していた液面が、その渦の中心の部分を引っ張り上げる様にして山形に盛り上がったのだ。以前渦旋運動を続けたままの紅茶が、今度はまるで竜巻に巻き上げられたかの様にグラスの縁よりも高くまで噴き上がる。
グラスの縁から三十センチくらいの高さまで伸びた紅茶の液体の竜巻が不意にぴたりと動きを止め、そのまままっすぐにグラスの中へと戻っていった。
何事も無かったかの様に紅茶の液体がグラスの中に戻ったあと、液面の少し上の空間に氷がひとつ浮いている。表面を伝い落ちる紅茶の液体をしたたらせながら、宙に浮いていた氷が、アルカードがわずかに視線を細めた瞬間ぺきりと音を立てて砕け散った。細かな砕片が液面に飛び散り、細かな波紋を散らす。
「つまらない念動力ですが、吸血鬼の能力のひとつです――貴女に俺の言ってることを信じてもらうための、材料になりますか?」
かすかな笑みを含んだその問いかけに、鏡花は小さくうなずいた――彼が今見せたのが、人智の及ばない超常の能力なのは事実だ。本当に吸血鬼か否かはこの際置いておいて、少なくともただの人間ではない――だからヴァチカンは彼を送り出したのだろう。そのことだけは納得せざるを得なかった。
「我が校に吸血鬼がいる、と? 総本山はそう考えているのですか?」
「ええ」 あっさりとうなずいて、アルカードは再び紅茶に口をつけた。
「その根拠は?」 その問いに、アルカードがグラスをコースターの上に戻す。
「普通の吸血鬼は、おそらく貴女がた一般人が吸血鬼と聞いて想像する通りのものです。人間の血をすすり魔物に造り替え、圧倒的な身体能力を持ち、太陽の光を浴びると塵になる」
窓から射し込んでくる光を意に介した様子もなく、アルカードはそんなことを言ってきた。鏡花の表情でなにを考えているかに気づいたのだろう、彼は適当に肩をすくめ、
「俺は特別です。俺はロイヤルクラシック――普通の吸血鬼とは違いますのでね」 また聞き慣れぬ単語を口にして、アルカードが長い脚を組んだ。
「俺が追っている吸血鬼は、『クトゥルク』と呼ばれる種の吸血鬼です。厳密には吸血鬼ではないんですが――まあ、一般人から見てろくでもないものなのは吸血鬼と同じですね」 最後の一言に若干の皮肉を込めて、アルカードはそう続けてきた。
「『クトゥルク』というのは普通の吸血鬼の様に血を吸われてなるわけではなく、人間が一定の儀式を経て他者の生命を断ち、その生贄の生命力を吸収することで生まれ変わった吸血鬼です――たいていの場合『クトゥルク』は魔術師でして、貴校の女生徒が昏睡した状態は魔術による洗脳に近いんです」
魔術の実演は俺には出来ませんがね、と付け加えて、アルカードは再び紅茶に口をつけた。
「その『クトゥルク』がこの学園に入り込んだ――『彼女』の目的はおそらく、延命と自己強化でしょうね」
「延命――死にかけてでもいるのですか?」 眉をひそめてそう尋ね返すと、アルカードは適当に肩をすくめてたせた。
「似た様なものです。『クトゥルク』は普通の吸血鬼と違って、太陽の光を浴びても死にません。さっきも申し上げたとおり、もう少し正確に言うならそもそも『クトゥルク』は吸血鬼ではないのですが」 彼はそう言ってから、言葉を選ぶ様に少し考え込んだ。
「ロイヤルクラシックは、貴女がた人間が想像するのと同じ意味での不老不死です。老化も加齢もせず、殺されない限り死なない――たとえば、俺はいくつに見えますか?」 突然の質問に、鏡花は目をしばたたかせた――この若者の年齢?
あらためて観察すると、この自称吸血鬼が第一印象よりもずっと若いことがわかった――二十歳、否、十五、六でも通用しそうな若者だ。
「十六――いっても十八くらいでしょうか? 外国の方ですし、自信はありませんけれど」
「惜しい、俺の肉体の年齢はだいたい十七です――少なくとも見た目はね」 アルカードはそう返事をして、
「俺は一四六〇年の生まれです。十七歳の半ばで人間から吸血鬼に変化して――それ以来ずっとこのままです。誰かに殺されることが無ければ、千年たってもこのままでしょうね」
「一四六〇年――」
「たぶんね――当時の暦は今みたいに正確ではなかったですから。ただ、当時の歴史的事実が起きた時期と年齢を重ねると、そうなるんですよ――俺は当時、ワラキア公ヴラド・ドラキュラの指揮下でオスマン帝国との間の戦役に参加していました。現代に残ってる記録によればヴラド・ツェペシュが死んだのが一四七七年、そのとき俺は一七歳でしたから、まあ一七六〇年の生まれなんでしょう」
記録が正確ならね――彼はそう付け加えてから脱線させた話の軌道を修正することにしたらしく、
「では『クトゥルク』その他の吸血鬼の場合はどうなのか。『クトゥルク』は延命の手段を取らなければいずれ死んでしまう。逆に言えば延命手段を取り続けている間は彼らは老化も加齢もせず、不老不死でいられます。ですが他者から搾取しなければ生きていけない様な不老不死は、その実不死でも不老でもありません。ほかの吸血鬼に血を吸われて変化した吸血鬼であれば、延命手段は他者の血を吸うこと――『クトゥルク』の場合は魔術の儀式によって生まれ変わったために、その延命にも儀式が必要になります。吸血鬼は自己強化と延命を吸血で一度に行うが、『クトゥルク』の場合は転生した際の儀式をもう一度行わなければならない。『クトゥルク』の目的は、十分な数の生贄の確保でしょう」
そこまで一気にしゃべって、アルカードは紅茶のグラスを手に取った。ストレートの紅茶で喉を潤す吸血鬼に、
「貴方のおっしゃったことがすべて事実だとして――」 混乱した頭を整理しようと努めながら、鏡花は疑問を口にした。
「もしそうなら、貴方の敵はもうその儀式を終えてしまっているのでは?」
「いいえ。奴はまだ儀式の準備中のはずです」
「どうしておわかりになるのですか?」
「倒れた子たちが、まだ生きていますから」 平然と口にされたその返答に、鏡花は息を飲んだ。それはつまり、儀式とやらが実施されれば倒れた生徒たちは命を落とすということだ――少なくとも何人か、おそらくは全員が。
「『クトゥルク』が生贄を必要とするのは
恐ろしいことを言ってから、アルカードは再度紅茶に口をつけた。それで紅茶を飲みきってしまってから、
「昏睡者はまだ十一人しか出ていない。まだ生贄にふさわしい魔力の持ち主を見繕いきれていないんでしょう。『クトゥルク』の儀式は月齢に合わせて、月の魔力がもっとも強くなる満月の夜に行わなければならない――満月の夜、精霊はもっとも多く地表に噴き出します。今月の満月は十四日――すでにもう過ぎている。今月が駄目だったなら、来月の満月、十二日に間に合わせようとするはずです」
「それはつまり、それまでは安全だということですか?」
「自暴自棄になって暴れたりしなければ。向こうは俺の顔を知りません――ただ、こちらも向こうの顔を正確には知りません。大雑把な特徴はわかりますが、それだけです」
「つまり、学内で行動して探す必要があるということですね?」
念を押す様に尋ねると、アルカードはうなずいた。
「そうです」
「それでは、貴方は当校の生徒を助けるためにいらしたのですか?」
「いいえ」 鏡花の問いに、アルカードはあっさりと首を振った。
眉をひそめる鏡花に、かすかに目を細めて続けてくる。
「俺はあなたの生徒の生死には興味はありません――少なくともこの『狩り』のうえでは」 まったく感情のこもらない口調でそう続けてから、彼はふと思いついたかの様に語を継いだ。
「でもまあ、結果的に助かることはあるかもしれませんね」
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