In the Flames of the Purgatory 5

 

   *

 

 北海道千歳市には、JR千歳線と呼ばれるJRの路線が走っている。新千歳空港から千歳、恵庭、北広島を経て札幌までを接続する路線だ。

 千歳の駅舎は南西側のタクシー乗り場と郵便局、ペウレという商業複合施設が集中している。布地屋や衣料品、ユニクロの様な低価格衣料品店、キャンドゥといったか、百円ショップに小さなゲームセンター、蕎麦屋にバーミヤンとかいう中華料理ファミレスのチェーンも入っていたか。

 駅舎側とペウレの裏側に分散してバス停があり、ペウレの建物はバスを待つ人にとっては貴重な待合所になっている。

 駅近くの道路をしばらく北上した祝梅には第七師団――自衛隊唯一の機甲師団――が駐屯する東千歳駐屯地が、東には航空自衛隊の千歳基地がある。

 結構距離があるので駐屯地で営内居住している隊員たちはバスを使って市街地に出てくることが多いのだが――たまにバスがすぐに来ないからといって駐屯地から市街地まで歩く変人もいる(作者のことです)――、東千歳駐屯地に戻る場合はペウレの建物下のバス停から乗り込むので、週末になると駐屯地に帰ろうとする隊員たちが集まっているのが常だった。ちなみに冬場になるとエスカレーター室にいても結構寒い。

 全面硝子張りなのだが二重硝子になっていないので保温性ゼロのうえに、扉の数が多く開口部が大きいために空気の入れ替わりが激しいからだ――まあそれでも風が無いというだけで、冬場の対候性は全然違うのだが。

 駅の南西側を走る幹線道路・道道二百五十八号線をまたいで、レンタルビデオショップと書店、中古ゲームショップが複合したゲオの前まで接続しており、多少廻り道にはなるものの、横断歩道を利用せずに直接駅に入ることが出来る。冬になると雪が堆積して固まり、滑りやすく非常に危険なため、冬場の通勤者にはありがたい設備だ。

 そのゲオの駐車場で――隣接したローソンとゲオの店舗を見比べながら、鳥柴としば薫は途方に暮れて溜め息をついた。

 折から風が吹き抜けて、優しく頬を撫でてゆく――愛車の日産ノートを見下ろして、彼女は再び溜め息をついた。

 足元に寝かせたスペアタイヤとホイールレンチを見遣って、三度目の溜め息をつく。フロントタイヤの一方が、完全にパンクしていた――妙にハンドルを取られる感じがすると思ってとりあえず駐車場に入ってみたら、左フロントタイヤがぺしゃんこになっていたのだ。

 と、空いていた隣の駐車スペースに銀色のフィットが入ってこようとしているのに気づいて、薫はあわててタイヤをどけようと手を伸ばした――すでにフィットの運転手もタイヤに気づいていたのだろう、フィットはそのまま後退せずに一度前進してからノートの隣の空きスペースをはさんだ離れた位置で停止した。

 運転手は金髪の外国人の青年だった――十代後半から二十代の前半までいくつでも通りそうな、若々しい外見の割に妙に落ち着いた雰囲気の男だ。

 たぶんレンタカーなのだろう、リアウィンドウにホンダレンタリースのステッカーが貼ってある。ナンバープレートの平仮名も、レンタカーであることを示す『わ』だった。外国人がレンタカー――どこかの外国から来た観光客だろうか。

 買い物が目的ではないのか、インパネにしつらえられたカーナビゲーションのタッチパネルをしきりにいじっている。

 やがて満足したのかエンジンを切ると、彼はドアを半開きにして顔を出した――薫の足元を見下ろして状況を理解したのだろう、人懐こそうな笑みを浮かべる。恩に着せて粘着しようと考えている様な、そういったたぐいの笑い方ではない。彼は猫の様な柔らかく隙の無い動きで体を外に出すと、ドアを閉めた。

 キーを羽織ったジャケットのポケットに突っ込んで――ポケットの中でキーレスエントリーを操作したのか、カチャリと音を立ててフィットのドアがロックされる――、金髪の青年が流暢な日本語で声をかけてくる。まったく癖の無い聴きやすい標準語で、背後から話しかけられたら外国人の操る日本語だとは思わなかっただろう。

「手伝いましょうか?」

 そう言って、彼はノートのフロントタイヤに視線を向けた――薫は胸の前で両手の指先を触れ合わせて、

「ありがとうございます、わたしにはどうも巧く出来なくて困っていたんです――こちらからどなたかにお願いするのも気が引けますし」

 そう答えて、薫はフロントタイヤに指先で触れた。

「ジャッキアップしてこのねじを緩めようとしたんですけど、タイヤが空回りしてしまって」 という言葉に金髪の青年がきょとんとした表情で薫の顔を凝視してから、

「ジャッキアップする前に緩めておかないと、空回りしてはずせないですよ――誰かブレーキを踏んでくれる相手がいれば別ですけど」 流暢な日本語でそう返事をしながら、金髪の青年はホイールレンチを取り上げてフロントタイヤの前にかがみこんだ。ホイールナットに工具をかけて回すと、ホイールも一緒に回ってしまう。

「先に緩めておくものなんですか?」 それに単純に驚いて、薫は尋ね返した――教習所で実習をするわけでなし、ホイールの交換など自分でやったことの無い薫は手順などすっかり忘れていたのだ。金髪の青年は苦笑交じりに、

「ええ――ブレーキを踏んだ状態でなら出来なくもないんですが、まあやめときましょう。レンチを回したときのショックで、ジャッキがはずれても困るし」

 そう言って、彼はジャッキを覗き込んだ――そこでなにか嫌なものを見つけたのか、顔を顰める。

「あの、なにか?」

「ジャッキをかけるところが多分間違ってます」

 そう答えて、彼は手早くパンタグラフ状のジャッキを縮めて車体を降ろした。再び車体の下を覗き込んで何事か確認してから、

「とりあえず外板が傷ついたり変形したりはしてない様ですから、このまま続けましょうか。重量をかけてそれなりに抵抗をかけておかないと、空回りするんですよ」

 そう言って、彼はそのまま作業を続けるのではなく道具一式を持って後輪側へと移動した。そのままリヤタイヤのホイールナットを手早く緩め、スペアタイヤへと付け替える。

 そこで薫の物問いたげな視線に気づいたのだろう、金髪の青年はこちらを振り返って、

「スペアタイヤは後輪につけるのがいいんですよ――フロントタイヤにテンパーをつけると左右のタイヤの外周が変わってきますからね。操作感が変わってハンドルを取られることがあるんです」 彼はそう説明してから再び手元に視線を戻し、手早くジャッキを下げ始めた。そうして確保した無傷のタイヤを運んで前輪側に移動し、パンクしたタイヤをはずしにかかる――彼は慣れた手つきで車輌をジャッキアップし、ホイールナットを緩めてパンクしたタイヤと無傷のタイヤを取り換えた。片手でタイヤのへりをおさえたまま、ホイールレンチで軽く締めつける。

 四ヶ所のホイールナットを4の数字の線をたどる様な順番で締めつけて、再度軽くすべてのナットにレンチをかけて締めつけを確認してから、彼はレンチを足元に置いた。車体を降ろしてジャッキをはずし、再度同じ手順をなぞる様にしてホイールナットを締めつける。

「終わりました」 彼は後輪も同じ様にしてから、はずしたホイールを起こした。地面の上でアルミホイールを転がす様にしてトレッド面を全周確認し、

「これ、突き刺さったんですね」 と言いながら、彼はトレッド面に突き刺さったままになっている断面が六角形状になったL型の工具を指先で示した。

「パンク修理、出来ますかしら」 という薫の言葉に、彼は釘に視線を落として、

「道具が無いので、この場での修理は無理ですね。トレッド面のセンターに近いから、いったんホイールからタイヤをはずして内側からふさぐほうが確実でしょう――そのほうが長持ちしますし」 金髪の青年はそう返事をして、片手でタイヤを保持したまま立ち上がった。

「まあ、突き刺さったままのほうがいいでしょう――そのほうが修理箇所がわかりやすい。どこかのカー用品店か――タイヤの専門店のほうが確実ですけど、持っていけば修理はしてくれると思います」

 そう返事をして、金髪の青年は立てたままのタイヤを車体後方へと転がし始めた。

「ありがとうございます。あ、服が汚れてしまいますから片づけはわたしが――」 ホイールを受け取ろうと手を伸ばしかけた薫を遮って、

「いいんです――貴女こそ、もう服が汚れちゃってますよ」

 いったんタイヤを地面の上に寝かせて、コンビニへと歩いていく。

「あの――」

「ちょっと待って」 背中越しにそう返事をして、彼はコンビニに足を踏み入れ――なにを購入したのか、五分ほどでポリ袋を手に戻ってきた。ポリ袋自体はフィットの運転席のドアの下の地面に置いて、新聞紙を取り出す――今朝の北海道新聞が二部、彼はノートのバックハッチを開けるとジャッキとホイールレンチを元のスペースに戻し、新聞を広げてフロアに敷きつめてからその上にタイヤを置いてバックハッチを再び閉めた。テンパータイヤに比べて標準のタイヤはかなり大きいので、どうやっても収納スペースには収まらない――それにどうせすぐにタイヤ交換なりパンク修理なりをするのだろうからいちいち収納の小綺麗さにこだわる意味も無い、そういった判断だろう。

「じゃ、俺はこれで。しばらく走ったら、もう一度増し締めしといてくださいね」 たぶん大丈夫だと思いますけど――金髪の青年はそう言って踵を返し、自分のフィットに向かって歩き出した。

「あの、なにかお礼を――」

 薫がそう言いかけたのに、青年が振り返らずに適当に手を振る。

「お気になさらず」 本当に言葉通りなのか、金髪の青年はフィットのフロントホイールのそばに置いてあったポリ袋を取り上げた。缶飲料がまだ入っているのか、ずしりと重そうだ。彼はポリ袋の中から取り出した缶入りの紅茶を、薫の手に押しつけた。

「なにか買い物をしとかないと、店の駐車場を使う道理が無いですからね。車のタイヤ交換で店の駐車場を使うなんて、普通は怒られますし――これで一応面目が立ちます」

 店内からちょっと怖い顔をしてこちらを見ている店員に視線を向けて、金髪の青年はそうささやいてきた。

「じゃ、俺は今度こそこれで」

 そう言って、金髪の青年はフィットに乗り込んでエンジンをかけ、さっさと駐車場から出ていってしまった。

 

   †

 

 ノートと女性を置き去りに、アルカードはフィットを発車させた――旧作DVDレンタル一枚95円の幟が、強い風にばたばたと揺れている。

 それを無視して、アルカードは歩道の出口に車を寄せた――すぐ左手の交差点が赤信号だからだろう、車が詰まっていてどうにも出にくい――駅正面の丁字路なのでいたしかたないが。歩道を歩く通行人の邪魔にならない程度の位置で車を止め、シフトレバーをPレンジに入れてから、アルカードは携帯電話を開いた。

 新着メールが届いていたのでロックを解除してメーラーを起動させ、受信フォルダを確認する――新着メールは神田からのものだった。

 メールの内容に敬語が使われていない――神田にしては珍しいと思いながら末尾を見ると、ヴァチカン大使の名前が記されていた。内容は簡潔に『あとでお金を返すから、夕張メロンの手配をよろしく』――ご丁寧に顔文字まで入っている。

 なにか知らなかった一面を見てしまった気がする――世界最大の宗教団体が日本に派遣している全権大使が、こんなんでいいのだろうか。

 まあいいかと思いつつ、アルカードは携帯をしまい込んだ。

 そもそもここに立ち寄った目的である缶コーヒーの封を切ろうとしたときになって、信号が変わって車が動き出す。

 溜め息をついてコーヒー缶を助手席に放り出し、アルカードは右手に視線を向けた。荷台部分にカンバス地の幌を張ったオリーヴドラヴ、というよりはグレーに近い塗装の中型のトラックが数台、並んで止まっている。

 自衛隊車輌、31/2トンとか3トン半と呼ばれる大型トラックだ。黒く塗装されたバンパーに、7特-2と塗料で字が書かれていた――第7特科連隊第二中隊。

 一番先頭に止まっていたトラックの運転手が先に行く様にと手ぶりで示した――通行人がいないことだけ確認してから片手を挙げて謝意を示し、アクセルを踏み込んで列の隙間に頭を突っ込む。

 アクセルの遊びが少し多い――アジャスターが深すぎる。

 これではフルスロットルでの加速が必要になったときに、レスポンスの問題が出るかもしれない――落ち着いたらちょっといじろう。

 胸中でつぶやきつつあらためてハザードを焚いて、交差点を左折する。

 千歳の駅と接続した、ペウレという複合施設らしい――北海道など、知り合いの自動車整備工場の経営者の妻の実家があることくらいしか知らないが。

 先ほどのゲオのそばに接続している連絡通路の下を抜けると、左手は塾やパチンコ屋、小さな交差点の向こう側は左手にイオンのグループのポスフール、右手の大きな建物はどうやらどこかのパーキングらしい。

 その向こうにはパチンコ屋とガソリンスタンド、さらにその向こうにはケンタッキーの店舗が見えた。

 このまましばらく進んで、ホンダの中古車販売店のあるあたりで右折するはずだ。先ほどゲオの駐車場で確認した地図を思い返しながら、アルカードは青信号を確認してアクセルを踏み込んだ。

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