The Evil Castle 35
だが、地の利はこちらにある。
あれを仕留めるには
胸中でつぶやいて、アルカードは
あえて収束をせずに解き放った
問題はそのあとの、衝撃波と爆炎の処理だが――爆風のほとんどは押し流されて向こう側に噴き出すだろうが、それではあの娘たちも巻き添えにしてしまう。
とはいえ――
すぐ死ぬかあとで死ぬかの違いだが――胸中でつぶやいて、アルカードは左手をまっすぐに突き出した。
周囲に展開した術式が魔力を流し込まれて、ぽうっと虹色に輝く。
同時に指先からいくつか放たれた黒い粒の様なものが渦巻きの様な軌跡を描きながら収束して、まるで光も吸い込むかの様な黒々とした塊を形成する――否、それは別に物質として存在しているわけではない。
これは空間の一点に形作られた空間のひずみ――天空のはるか彼方に存在する一度その枷に囚われれば光すらも逃れ得ぬ次元の牢獄、やがてはそれとなる地獄の萌芽だ。
轟音とともに押し寄せてきた炎と爆風はこちらまで届くこと無く、虚空に穿たれた黒い穴へと吸い寄せられてゆく。まるで風呂桶に貯められたお湯が排水口から抜けていく様に、炎と衝撃波は猛烈な勢いで虚空に出現した『ひずみ』へと吸い込まれ始めた。
同時に反対側に位置するアルカードのほうからも、虚空に現れた『空間のひずみ』へと強烈な風が吹いていく――『空間のひずみ』が発生する重力に引き寄せられて、質量の軽いものから飲み込まれ始めたのだ。
最初は微風の様だった空気の流れは瞬きをするよりも早く激しい暴風となり、それに煽られて埃が舞い上がる――こちら側へと押し寄せるだけでなく向こう側に噴き出すはずだった爆風もまた、重力の枷に捕まえられて飲み込まれつつあった。
発生直後でまだこの天体の発生する重力を大きく上回るほどの重力は無く、まだ重量物を引き寄せて飲み込むことは出来ない――が、それも時間の問題だ。あと数分、下手をすれば十数秒。
重力に引き寄せられ始めたか、それとも風に煽られたのか、アルカードの金髪がふわりと浮き上がる。なにかに背中を押される様な『ひずみ』へと引き寄せられる感覚も、徐々に強くなってきていた。
天井もきしみをあげている――嵌め込まれた石材が、重力に引き寄せられて抜け落ちようとしているのだ。
ファイヤースパウンで教え込まれた、グリーンウッド家の精霊魔術の一種だ。
グレードはIV――すなわちセイルディア・グリーンウッド本人しか知らないはずの門外不出の秘中の秘。
実に千七百二十種類、総数五千二百もの魔術式の
攻撃手段として用いることも出来るが、この様に衝撃波を処理するのに使ったり、そうやって飲み込ませた熱量や質量をほかの魔術――たとえば
が――
炎と衝撃波のほとんどが飲み込まれたところで、アルカードは術式への魔力供給を断ち切った――
『
ゆえに
天井の石材が崩落する前に術式を停止させられたことに安堵の吐息を漏らしながら――アルカードは飛び出してきたキメラの攻撃を迎え撃った。
殺到してきたキメラが、轟咆とともにキチン質の
なんという膂力――単純な
突き込まれてきた右の鈎爪を躱して体勢を沈めると同時、耳障りな掘削音に続く轟音とともに背後の壁が文字通り粉々に破砕された――突き刺された高周波数で振動する鈎爪の振動が伝播して分子結合が崩壊し、文字通り分子一粒一粒の単位まで分解されてしまったのだ。
そのまま壁を引っ掻く様にして鈎爪を振り回し、キメラが身を躱したアルカードに向かって右腕を振り下ろす。
――まずい!
アルカードは舌打ちして左手を翳し、その一撃を受け止めた――まるで薄い板の様に凝集された魔力の『楯』がその一撃を受け止め、斜めに受け流して軌道を変える。軌道をそらされた鈎爪が耳障りな掘削音とともに石造りの壁を引き裂いて、五条の裂け目を走らせた。
小さく舌打ちを漏らして、右手の掌をキメラの腹に押しつける。同時に重力の方向を捩じ曲げられたキメラの体が吹き飛ばされ、部屋の一角の壁に向かって落ちていき――轟音とともに背中から壁に激突した。
ばくりと音を立てて右肩を鎧うクチクラの外殻が展開し、内部からレーザー発振器が顔を出す――ダイヤモンドの様にギラギラと輝く発振器が可視光線外の激光を放ち、照射されたレーザー・ビームが咄嗟に身を躱したアルカードの外套の裾を燃え上がらせながら背後にあった調製槽の残骸を瞬時に昇華させた。
防水用に油を擦り込んだ外套は、いったん火がついてしまうとよく燃える――アルカードは小さく毒づいて外套留めを引き抜き、メラメラと燃え上がる外套を振り払ってキメラへと殺到した。
キメラの膨張したクチクラの外殻の向こう側に、陽炎が立ち昇っているのが見えた――おそらくレーザー発振器官に発生した熱を外部に放出し、発振器官の冷却を行っているのだ。ということは、キメラのレーザー発振器は冷却にかなり時間がかかる――あれだけの出力ならば無理も無いが、つまり連射が効かないということだ。
先ほどは
それが必要に応じて
そして同時に、放熱が終わるまでは次の装備を構築出来る状態にはならない。次の発射をするにせよいったん溶かして別の装備に作り替えるにせよ、排熱が終わるまではそのままだ。
ならばあの肩の装甲が閉じるより早く、腕ごと肩を斬り落とす――キメラに刃が届くまであと数歩というところまで接近したとき、ドドドドドという膨張エンジンの駆動音とともにキメラの右胸のスリットから白いガスの様なものが噴き出した。
周囲の温度が急激に下がり始めたのに気づいて、レーザー発振器の破壊をあきらめて後退する――冷媒がなにかはわからないが、あれは極低温の冷凍ガスだ。そしてそれは――
右肩の甲殻の内部に収まっているレーザー発振器が、再びギラギラと輝き始める――再び発射準備を始めたのだ。周囲の温度が下がったことで熱交換器の効率が上がり、あっという間に発振器の冷却が終了したらしい。
舌打ちを漏らして腰に吊っていた大口径の銃を引き抜き、据銃――轟音とともに撃ち込まれた一インチを超える大口径の銃弾がキメラの右肩に命中し、着弾の衝撃でよろめいた瞬間に発射されたレーザーが背後の壁に突き刺さって石材を瞬時に昇華させた。
体勢を崩したキメラがこちらの接近に対処するためだろう、再び極低温冷凍器を稼働させる――右胸のスリットから噴き出した靄の様な冷凍ガスが、キメラの足元にわだかまり始めた。
まあ――別にいいけどな、そっちでも。
胸中でつぶやいた次の瞬間アルカードが投げつけた
妙に人間じみた悲鳴をあげながら、キメラが再び左肩の装甲を展開させる。再びあらわになった
だが――
いったん装備や能力を見極めてしまえば、あのキメラはもはや脅威ではない。膂力では劣っていても速さではこちらが上だし――確かにひとつひとつの武器は脅威だが、特性が理解出来れば凌ぎ方はいくらでもあるものだ。
たとえば――
「
防御の対象は
発射された
結界内で何十回も反射を繰り返して増幅された爆発の轟音に掻き消されて、キメラの悲鳴は聞こえない。
魔力供給を断ち切られて消滅してゆく結界の中から飛び出してきたキメラが、キチン質で形成された巨大な鈎爪を振るう。
鼓膜を震わせていた静謐な轟音は、今はもう聞こえない――
殴りつけるのではなく人間の胴を鷲掴みに出来るほどの巨大な右手で掴まれて壁に叩きつけられ、アルカードは小さく毒づいた。
毒づきながら――
それでもこちらを逃がさないためだろう、左手の掌でアルカードの体を壁に押しつける様にしながら、キメラが口を大きく開いて噛みついてくる。
キメラが口を開くと同時に口の中からもうひとつの、無数の細かい牙が密生した顎が飛び出してきた。海棲のウナギの仲間――ウツボ類の魚の様に、口の中に咽頭顎と呼ばれる第二の顎を持っているらしい。
ただしウツボの咽頭顎が食べた物を食道の奥へ引きずり込むためのもので顎の動きに連動して動くのに対して、こちらは顎の動きに関係無く自由に動かせる様だったが。
だがその咽頭顎がアルカードの首を牙にかけるより早く、下顎から頭のてっぺんまで貫通した
縫い止められたままの口から水音の混じった絶叫をあげて、キメラがよろめきながら後ずさる。アルカードはキメラの左腕を鎧うキチン質の装甲の遊びの部分に突き刺さったままになっていた
「悪いな」 そう告げて――アルカードは床がちょうど落とし戸の様になったあたりにキメラが尻餅をつくのを見て唇をゆがめた。キメラの額のあたりを狙って蹴りを叩き込み、頭が仰け反ったところで
「てめえの冥土の土産に持たせてやるつもりはねえんだ。これでも結構貴重な品なんだよ――悪魔の外殻や骨格は、入手が難しいからな」 そう告げて、アルカードは左手を振り下ろした――同時に発生した
処理槽に満たされた薬液の中に落ちるざばんという音とともに、今までで最大級のキメラの絶叫が聞こえてくる――あらゆる生体組織を分解する薬液がキメラの体組織を瞬く間に冒し、細胞レベルから分解しているのだ。
アルカードは落とし戸の縁から実験体処理槽の中で溺れた子供の様にもがくキメラを見下ろして、
「今ひとつ締まらねえ落ちだが――ま、おまえと戯れるのが目的じゃねえもんでな。さよならだ」 そう告げて適当に手を振ると、アルカードは踵を返した。
これでおそらくキメラの成体は全滅――おそらくキメラの作成者であるステなんとかは城のどこかにいるのだろうが、もうどうでもいい。とりあえずしなくてはならないことは――
繁殖実験観察室に取って返すと、先ほどキメラのキメラの繁殖実験のために凌辱されていた娘たちが床の上に崩れ落ちていた――もはや動くこともままならないらしくある者は冷たい床の上にうずくまり、ある者は倒れ込んで、しかし皆一様に全身をがたがたと震わせている。
寒さのせいではあるまい――どうせこの部屋に放り込まれる女たちは実験者にとっては使い棄ての実験体でしかない。
彼女たちがなんのためにここに放り込まれるかといえば、その目的はキメラに襲わせて子を孕ませることだ。この部屋はキメラに襲われた女たちが、その子を妊娠し出産に至るかどうかを確認するためのものだ――キメラの子を妊娠した女はまず助からないので、実験材料としては彼女たちは使い棄てになる。
だからだろう、この実験室は彼女たちの快適性など一切考慮しておらず、暖房器具のたぐいは一切設置されていない。真冬の冷たい石の壁と床は確かに冷えるし、彼女たちが身に着けていた衣服はろくでなしの兵隊どものおもちゃにされたときか、あるいはキメラの生贄にされたときか、いずれにせよとうに襤褸布になり果てて保温の機能を失っている――しかし彼女たちの震え方は、そういったたぐいのものではなかった。
理解出来ているのだろう――あの
凌辱を受けていた娘たちはいずれも飢えた老女の様に痩せ細り、その中で腹だけが異様に大きく膨らんでいた――先ほどまでのキメラの凌辱によって妊娠したキメラの
繁殖機能が正常に働いていれば、キメラが生殖行動をとった際に相手を妊娠させ損ねることは無い。キメラが女性の体内に送り込むのは自己コピーの胚、受精卵の様なもので、女性の月経や排卵に左右されないからだ。また男女の交配の様に、生殖行為と排卵時期のずれや子種の寿命などで失敗したりすることも無い。
つまりこの娘たちは全員、あのキメラの凌辱を受けた時点で確実に妊娠している――着床した胚が胎盤を形成、そこからホルモンバランスに影響を及ぼして母体を妊娠状態にし、胎盤を通して栄養とエネルギーをあるだけ全部奪い取っているのだ。
キメラに子種を植えつけられると、母体になった人間は胎盤を通して胎児の生育に必要なエネルギーと栄養素を根こそぎ奪われる――もちろんそれだけでは到底足りないので、キメラの赤ん坊はたいてい未熟児に近い状態で生まれてくる。そのため周囲に食べ物が無かったり母体の栄養状態によっては出産前に死に至ったり、あるいは出産直後に死んでしまうのだが、胎内のキメラの胎児は母体の脂肪だけでなく筋肉までもエネルギーに変えてしまうため、臨月に至った母親はまるで生きたミイラの様な有様になる。
ろくすっぽ体内にエネルギーが残っていないのだろう、動くこともままならないらしい娘たちのひとりが、まるで電撃に撃たれた様に弓なりに背中をそらした。
「……っひぃっ!」
ガサガサに乾いた唇から、短い悲鳴がほとばしる。
「いや、いや、やめて……」
その場にいない者への懇願は、次の瞬間踏み潰された蛙の様な悲鳴とともに唐突に途切れた。短い鈎爪で娘のそこだけが大きな腹を突き破り、赤子とそう変わらないサイズの――しかし間違い無く先ほど殺したキメラと同型種のキメラの赤子が顔を出す。
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