The Evil Castle 36

 キメラは周囲を見回してこちらの姿を認めると、口蓋の奥に咽頭顎を覗かせてキィと一声鳴いた。攻撃をしようとしたのか右肩のレーザー発振器を展開し――次の瞬間アルカードが振るった三爪刀トライエッジの一撃で頭蓋を半分削り取られて絶命し、分解酵素の働きで消滅してゆく。

 そのときには、ほかの娘たちも臨月を迎えていた――実際に受胎に至ったのがいつごろなのかは知る由も無いが、ほんの数時間の間に植えつけられた卵に全身の栄養と熱量を残らず奪い尽くされた娘たちが、悲痛な悲鳴とともに腹を喰い破られて次々と絶息する。

「……許せ」 顔を出したキメラの赤ん坊を残らず始末して、アルカードは踵を返した。

 これ以上探索を続ける意味は無い――ほかにも攫われた娘たちがいたとしてもすでに死んでいるだろうし、おそらくここが最深部だ。

 ここから城ごと吹き飛ばしてしまえば、それで目的は達成されるだろう。少なくとも研究データはすべて灰燼に帰した――グリゴラシュにどれだけの研究成果が渡ったかは知る由も無いが、彼の手元に残るのはそれだけだ。

 さて――

 アルカードは踵を返してもう一度調整実験室へと戻り、実験体処理槽の蓋の無くなった落とし戸の上に躊躇無く足を踏み出した。

 重力の軛に囚われた体が、そのまま実験体処理槽の中に――落ちること無く、落下制御フォーリング・コントロールの魔術に吊り下げられてゆっくりと降下してゆく。

 処理槽に満たされた液体の中に転落したキメラの体は、ものの数秒で跡形も無く分解されて消滅している――アルカードの体はその液面から数インチ上のところで、ピタリと静止した。

 頭上にぽっかりと穿たれた落とし戸の開口部から、暗闇へと弱々しい光が差し込んできている。

「……」

 手放した塵灰滅の剣Asher Dustが、処理層の液面に落ちるよりも早く形骸をほつれさせて消滅する。それを見届けもせずに、アルカードは両手を大きく水平に広げた。

 展開した精霊魔術の術式が肉眼では視認出来ない虹色に輝く文字列となって両腕にまとわりつき、指先に絡みついてゆく。

 オーロラの様にたゆたいながら膨張と収縮を繰り返していた虹色の文字列が、術式が完成すると同時に肉眼でも視認出来る閃光を放った。そのエネルギー量を誇示するかの様に、ぱちぱちと音を立てて周囲に細かい稲妻が走る。

 頭上に翳した両手を組み合わせ、徐々に指先を開いてゆくと同時に指の隙間から純白の激光があふれ出した。

 審判の閃光ジャッジメント・レイ

 構築された術式は術者の腕の周囲の空間を重力制御と高周波電磁場によって隔離し、擬似的な粒子加速器をふたつ形成する。

 これらの加速器はそれぞれ原子核と中性子を加速し、それらを発射直前に混合することで電気的に中性な粒子ビームとして投射する――出力はキメラのレーザーなどとは比較にならず、この攻撃に対して分解・消失を免れるものは地上に存在しない。

 指の隙間から太陽を握りしめたかの様に強烈な激光が漏れ、完全に指を開くと同時に青白い閃光が強烈な電磁パルスを撒き散らしながら視界を塗り潰した。

 同時に放出される強烈な熱や放射線から身を守るために形成された防御結界越しに、凄まじい衝撃と轟音が伝わってくる――そしてほんの数秒で、周囲の景色は一変していた。

 アルカードがいるのは、直径数マイルの巨大なクレーターの中央だった――射線上にあったあらゆる構造物は瞬時に昇華し、実験体処理槽も跡形も無く消滅している。城も城門前の開豁地も無くなり、ぼこぼこと音を立てて沸騰しオレンジ色に光る熔岩が巨大なクレーターの底に向かって流れ落ちていた。

 遠く離れたどこかで雷が落ちたのか、落雷の轟音が聞こえてくる――今度はそう離れていない場所に雷が落ち、周囲が蒼褪めた閃光によって一瞬だけ昼間の様に明るく照らし出された。一瞬の間を置いて、ガラガラという雷鳴が耳朶を打つ。

 にわかに空模様が荒れ出して、これから訪れる嵐の先触れであるかの様に風が強くなり始めている。

 上空に撃ち込まれたビームによる影響だ――風は見る間に強くなり、すぐに強烈な暴風と猛烈な吹雪が吹き荒れ始めた。経験上、この嵐は数時間は続く――収まるのを待っても消耗が激しくなるだけだ。

 先述のとおり『帷子』は単体で風や暑さ寒さを凌げても、雨や雪を凌ぐのには力不足だ。外套を無くしてしまったので、代わりに暴風と吹雪を凌げる場所が必要になる。

 ここへ来る途中の小屋まで戻るか、それともそこらでシェルターのたぐいを用意するか。いずれにせよ、遮蔽物のまったく無い開豁地でシェルターを設置するのは不合理でしかない。

 早めに移動して、雪嵐を遣り過ごすのに十分な場所シェルターを確保したほうがいい――アルカードはそう判断して浮遊したままクレーターの縁まで移動し、地面が融けていない場所で浮遊フローティングの術式への魔力供給を断ち切った。

 地面に両足の足裏から着地して、クレーターへと視線を向ける――クレーターの底にはオレンジ色に輝きながら熱波を放射する熔岩が溜まっており、強烈な対流による陽炎でゆがんで見えた。

 落ち着いて眺めていれば、それもそれである種の絶景だったのかもしれないが――眺める気も起きずに、アルカードは踵を返した。

 嵐はすぐに強くなる。どこか安全な場所に移動して、嵐が収まるまでの間風雪を凌ぎ暖を取れる場所を用意すべきだろう。

 すでに雪は暴風に乗って、降るというよりも打ちつけると表現すべき勢いで押し寄せてきている。

 あまり時間が無い――もう一度荒れている夜空に視線を向けてから、アルカードは歩き始めた。


   *

 

 可聴範囲外の静かな轟音とともに振り下ろされた鈎爪が、アルカードが翳した塵灰滅の剣Asher Dustの物撃ちと衝突する――接触した瞬間に振動周波数が可聴範囲まで低下したために発生した、耳を劈く様な高音が鼓膜を震わせた。

 高周波数で振動する鈎爪か――胸中でつぶやいて、エルウッドは床を蹴った。アルカードがタイラントと拮抗している間に本体を潰すつもりだったのだが、

「――ぅるせぇッ!」

 声をあげて、アルカードがタイラントの鈎爪を力任せに払いのけた――だが次の瞬間にはタイラントが繰り出した蹴りをまともに喰らって撥ね飛ばされ、背中から扉に激突して戸板を吹き飛ばしながら廊下に転がり出ていく。

 だが同時に、タイラントもまた絶叫とともにその場に転倒した。蹴り足の脛のあたりに、ギザギザになった鋸状の刃を持つ鎌の様な形状の刃物が深々と突き刺さっている。蹴り足を回避する選択肢を放棄する代わりに、強烈なカウンターを仕掛けたのだろう。

「アルカード!?」 声をかけるが、それ以上師の身を案じる暇も無い――尻餅を突く様にひっくり返った体勢のまま、タイラントがバイオブラスターのものと同じ放熱爪を振り回す。強烈な遠赤外線を撒き散らしながら風斬り音とともに肉薄した放熱爪を横跳びに跳躍して躱し、エルウッドは回避と同時に左手で構築した投擲用の短剣を投げ放った。

 タイラントの左目を狙ったその攻撃を、しかしキメラが頭を傾けて躱す――同時に伸長した鈎爪の尖端が壁際にあった絵画に触れ、油絵が瞬時に燃え上がった。

 白鯨モビーディックをモチーフにしたものらしい巨大な鯨の油絵が燃え上がり、絵の具が無慙に溶け落ちてゆく。

 だがそれでいい――わずかでも隙が作れればそれで十分だ。

 接近して千人長ロンギヌスの槍で攻撃を加えようとしたものの、タイラントの両脇から勢いよく噴き出した冷気に阻まれて断念せざるを得なかった。

 俺の魔術だと、これは――小さく舌打ちしたとき、視界の端でなにかが動いた。ステイル・エン・ラッサーレ(だったか?)の攻撃――ではない。

 スイートに備えつけの冷蔵庫から取り出したものらしい、サントリーのミネラルウォーターだ。客が持ち込んだものか、それともホテルのものかは知らないが、二リットル入りの南アルプスの天然水。それが放物線を描いて、エルウッドとタイラントの間、キメラの眼前に投げ込まれてきたのだ。次の瞬間乾いた銃声とともにミネラルウォーターのペットボトルが破裂して、周囲に水の飛沫を撒き散らす。

壁よ――阻めGiran ―― ira!」 儀典魔術を詠唱するアルカードの声が聞こえてくる――同時に窓硝子を針で引っ掻く様な耳障りな音を立てて、エルウッドの周囲に椀を引っくり返した様な半透明の防御壁が形成された。

 タイラントの冷凍ガスの能力がフリーザ様と同じものであれば、冷気と同時に生じた二酸化窒素は水に溶けて硝酸に変わる。ならば、味方の安全が確保された状況で冷凍ガスを放出しているタイラントの周囲に水を撒き散らせば――

 冷凍ガスの二酸化窒素が溶け込むことによって生じた硝酸の飛沫を浴びて、タイラントが体の正面から煙をあげながらすさまじい絶叫を発した――こちら側にも飛び散った飛沫が、自動車のウィンドシールドに附着した水滴の様に防御結界の表面を滑り落ちていく。

 ギャルルルァァァァッ!

 咆哮をあげて、タイラントが左腕の一本を突き出す。その腕の下膊、容積で言えば大人の頭の倍ほどもある巨大な膨らみが収縮して、グルーとは比べ物にならないほどの量のシアノアクリレートを吐き出そうと――するより早く、タイラントの体は耳を聾する轟音とともに横薙ぎに吹き飛ばされていた。

 アルカードが壁越しに放った世界斬World Endの衝撃波だ――収束をあえて甘くした津波の様な衝撃波が両者を隔てる壁を擂り潰しながら、タイラントの体をもろに巻き込んで横殴りに吹き飛ばす。

 数枚の壁を紙の様に薙ぎ倒し、タイラントが埃の向こうに消える――瓦解した壁の向こうから姿を見せたアルカードが鼻を鳴らし、

Wooaaaraaaaaaaaaaaaaオォォォォアァァラァァァァァァァァァァァァッ!」 咆哮とともに――アルカードがタイラントに向かって跳躍した。素早く身を起こしたキメラが迎撃のために繰り出した鈎爪をかいくぐり、体勢を崩したタイラントの胴体に取りつく。

 両脇の鮫の鰓に似た吸気用のスリットのひとつの中にMP5サブマシンガンの銃口を捩じ込んで、アルカードがMP5サブマシンガンの銃身下部にフォアグリップ代わりに装着されていたグレネード・ランチャーのトリガーを引いた――射撃と同時に弾頭が爆発し、アルカードの体が爆風に撥ね飛ばされて人形の様に宙を舞う。だが彼は猫の様に空中で体をひねり込んで、体重を感じさせない軽やかな動きで綺麗に足から床に着地した。

 チッ――金髪の吸血鬼が、小さな舌打ちを漏らして溜め息をつく。

 レシーヴァーの大部分が吹き飛んだMP5を見下ろして、彼はサブマシンガンを足元に投げ棄てた。

 銃身を鰓裂内部に捩じ込んだ状態で撃発したために発射直後に爆発が起こり、そのガス圧がグレネード・ランチャーやサブマシンガンの銃身から内部に入り込んで、内側からレシーヴァーを吹き飛ばしたのだろう。

ったか?」

「さあな」 塵灰滅の剣Asher Dustを再構築しながら、アルカードが投げ遣りな返事を返す。

「十三年以上愛用してたMP5をパーにしてくれたんだ。それなりの戦果を挙げてなかったら、業腹この上無いがな」

 そう言って、アルカードは床の上に倒れ込んだタイラントを睨み据えた。

 グルルルルルル……

 獣のうなりにも似た声をあげながら、タイラントがゆっくりと身を起こす。

 さらに不機嫌そうに眉をひそめ、アルカードが忌々しげに舌打ちを漏らした。

「まあ、この程度でバラされちゃくれねえか。三倍体だけあってさすがにタフだな」

「そう言えばそんなこと言ってたな、あの魔術師」 アルカードの言葉に、エルウッドはあからさまに嫌な顔をした――ヴァチカンにいたときにアルカードが通信販売で取り寄せていた科学雑誌を暇潰しに読んでいることが多かったエルウッドは、三倍体という言葉に心当たりがある。

 三倍体、正確に言うと倍数体というのだが、たとえば人間の場合ゲノム――生存に必要な最小限の一組の染色体――は両親からそれぞれ一セット、計二セットを受け継いでいる。

 計二セットのゲノムをもつ生物を生物学的には二倍体と呼び、これがごく普通の人間だ――三倍体というのはさらにもう一セット、計三セットのゲノムを持つ個体を指す。

 魚などではすでに三倍体を人工的に作り出して、それを養殖する研究も進められていたはずだ――三倍体の魚は成長が速く、また味もいいという。また、倍数体には異質倍数体と同質倍数体の二種類が存在するのだが、同質倍数体は細胞、各器官、体格が大きくなる傾向があり、実際に同質三倍体の鮭や鱒は二倍体の同型種に比べて体が大きい。

 人間の人工的な三倍体の個体も倫理的にはともかく技術的には可能で、実際に三倍体の赤ん坊が出産された例も存在する。

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