The Evil Castle 32

 

   *

 

 いくつか廊下の曲がり角を曲がって、そのままふたつかみっつ進んだ和室の前で、ふたりは足を止めた。

 並びの部屋はいずれも和室で、鶴の間、亀の間、梅の間と、虎だの鰐だのに比べれば幾分まともなプレートがついている――その下に数字で部屋の号数が刻印されているから、正しくは●●●号室という呼び名が正しくて●の間というのは通称であるらしい。

 襖の奥から魔力の気配は感じられないが――

 鼻面でその扉を示すエルウッドにうなずき返し、アルカードは軽く片手を振った。

 エルウッドが小さくうなずいて、千人長ロンギヌスの槍を床に突き立てた――入口の間隔から推定される部屋の広さから考えて、技術で補い様が無いほどに千人長ロンギヌスの槍は邪魔になる。キメラは縦横無尽にそこらじゅうにへばりつくから、必然的に刺突よりも斬撃に頼る戦い方が主体になる――そうなると、味方を巻き込むのが目に見えている。

 獣化した際に聖書を失くしたのだろう、エルウッドがぞんざいに差し出してきた手に、アルカードはポケットから取り出したあらかじめ破り取られた聖書のページを載せた。こういう事態に備えて、アルカードが事前に預かっていたものだ。

 それを使ってやや短めの護剣聖典を構築し、エルウッドが小さくうなずく――アルカードはそれを確認して、襖を蹴破って部屋の中に踏み込んだ。

 もともとは別の誰かの宿泊室だったらしく、強制的に心臓を止められた壮年の男女の遺体が部屋の隅に転がっている――荷物は明らかに複数人ぶんあり、そのうちのひとつは明らかに若い女性の趣味だった。

 ハンズフリーイヤフォンのついた可愛らしくデコレーションされた携帯電話が、部屋の隅に寄せられた鞄の上に転がっている――女性の遺体だけが見当たらないなら、彼女が何に利用されたのかは考えるまでもあるまい。

「空か」 小さく鼻を鳴らし、アルカードは部屋の奥の小さな和卓の上に置かれた物体に目を留めた。

 おそらくは赤銅で作られた背の高い三角錐のフレームで、上部の頂点から糸の様に細い鎖を使って小さな宝石で作られた分銅がぶら下げられている。フレームの周囲には直径三十センチほどの小さな魔法陣が彫刻刀の様なもので刻みつけられていた。

「これは――」 分銅の材質がキメラの頭蓋に埋め込まれていた使い魔の端末に酷似していることに気づいたのだろう、エルウッドがアルカードに視線を向ける。

 アルカードは小さくうなずいて、

「端末に対して魔術の指令を送り込むための触媒だ――ラジコンとそのコントローラーだよ。奴はここから化け物どもに指示を出していたんだろう――この魔法陣は触媒を介して、通信対象となる端末の周囲で魔術の『式』を展開するためのものだ。おそらくさっきの宴会場での発声のために使っていたんだろうな」

 そう答えて、アルカードはフレームの周囲に描かれた魔法陣を観察した。

「やはり三流だな――キメラ作りが専門の研究者上がりなんだろう。魔法陣の作り方がひどく雑だ。ちゃんとした専門の魔術師なら、駆け出しに毛の生えた様な若輩でももう少しましなものを描く」

 そう言って、アルカードは手に取ったフレームをエルウッドに向かって放り投げた。

「どうだ、ライル――匂いで追えんか」

「警察犬と俺を同じ分類にしてるだろう」 人間の姿のままだったら半眼だったのだろうが、エルウッドはそんな返事をしてフレームに鼻面を近づけた。そのまましばらくフレームの匂いを嗅いでいたエルウッドが、フレームを投げ返して頭上を視線で示す。

「上だ」

「また追いかけっこか」

 溜め息をついて、アルカードは投げ返されてきたフレームをそのまま蛾にでもそうする様に掌で叩き落とし、畳の上に落下したフレームを頑強な脚甲の踵で踏み潰した。針金細工のフレームが呆気無く潰れ、砕けた鉱石が細かな破片を撒き散らす。

「仕方が無い、行くか」 そこでふと思い出して、アルカードは腰元を探った――さっきからずっとSAT側が妙に静かなので、気になってはいたのだ。

 案の定無線機から延びる送受信機のコードが切れているのに気づいて、アルカードは無線機から送受信機のプラグを引き抜いてゴミ箱に放り込んだ。

 部屋の隅に置かれた鞄の上に放り出されていた携帯電話のハンズフリーイヤフォンを引き抜いて、代わりに無線機に接続する――彼の軍用無線機のイヤフォンは普通のミニジャックの規格で、携帯電話用のモノラルのハンズフリーイヤフォンをそのまま使うことが出来る。携帯電話用のハンズフリーイヤフォンはFOMA専用の様な端子が特殊なものを除いて充電器の接続端子にアダプターを介して接続するものが多く、一応の使い回しが出来る。

 こちらからの呼びかけや自分たちの呼び掛けに対する反応がまったく無いからだろう、展開した各通信所ステーション前線指揮所ゼロ・ブラヴォー本部指揮所ゼロ・アルファの間で慌ただしげな遣り取りが続いている――内容を傍受する限り、SATを突入させることも検討している様だった。

「シルヴァー・ワンよりゼロ・アルファおよびゼロ・ブラヴォー――シルヴァー・ワンよりゼロ・アルファおよびゼロ・ブラヴォー。聞こえていれば返事を請う」

「ゼロ・アルファ――ご無事でしたか」 そう返事を寄越す神田の声に安堵がにじんでいる。

「ゼロ・ブラヴォー。報告してくれ」

「シルヴァー・ワンだ――大規模な接敵コンタクトがあった。すまない、送受信機のケーブルが切れて聞こえていなかったんだ。シルヴァーはワン、ツーともに健在。現時点での生存者はいない」

「ゼロ・アルファ了解――」 伊東は絶句し、それ以上の言葉を絞り出すのが難しい様だった――小さく息を吐いて、アルカードは続けた。

「シルヴァー・ワン。エクスレイの居場所は掴んだ――これから潰しに行く。交信終わり」

 それで通信を撃ち切って、アルカードは和室を出た――遅れて出てきたエルウッドが、床に突き刺したままになっていた槍を引き抜く。

「どっちだ?」

「そっちだ――エレベーターだな」 まだ動いているエレベーターを指し示して、エルウッドがそう答える。

「最上階か」

「たかだか七階ぶん上がるのにエレベーターとは、体力の無い奴だ」

「現代文化に慣れてるのか慣れてないのか、よくわからない奴だな……」 ぼやきながら、アルカードは階数表示が最上階で止まったのを確認してエレベーターの自動扉を無理矢理押し開けた。

「ライル、これ押さえといてくれ」

 アルカードはエルウッドにそう声をかけてから、『魔術教導書スペルブック』を取り出して軽く胸の前に翳した。ひとりでに表紙が開いてページが繰られ、やがて中ほどのページに書かれた解読不能の文字列が一瞬だけ虹色に輝く。

「飛ぶぞ」

 エルウッドの腕を掴んで、アルカードはエレベーター坑に身を躍らせた――次の瞬間、落下の際の浮遊感が消失し、体全体が『浮遊フローティング』のふわりとした力場に包み込まれて浮き上がる。

「どうだ?」 わざわざエレベーター坑内に入ったのは、エルウッドに臭源の確認をさせるためだった――エレベーターを上に移動させ、自分は階段伝いに全然違う場所に移動している可能性もあるからだ。

「間違い無い――上だ」

 エルウッドの言葉にうなずいて、アルカードは魔術を制御して浮力を働かせ、エレベーター坑の最上部まで浮上した――ふたつあるエレベーターの一方は最上階で止まったままになっているが、もう一方は二階にあるので扉にじかに触ることが出来る。踏ん張りが利かないのでやりにくそうではあったが、エルウッドはもう一方の扉を片手で無理矢理こじ開けた。

「解くぞ」

 廊下の上に移動したところで魔術の効果を解除して、ふたりは床の上に降り立った――エルウッドが先導して走り出す。

「ところで、実際のところあいつは何者だ?」

「南仏で襲撃したキメラ工房の主だ――奴の言う通りならな。十七世紀前半の話だ。ファイヤースパウンからの情報提供で、グリゴラシュの支援を受けてるキメラ研究者を潰しに行ったんだが――俺はあの案件で、結局最後まで奴に一度も会ってない」

 地下工房から真上に向けて、審判の閃光ジャッジメント・レイをぶっ放してやったからな――そう続けたところで、アルカードは目的地に到着したので言葉を切った。

 魔術師が逃げ込んだのは、最上級スイートの様だった――現場に到着するまでの間に状況を把握する足しになるかと思って見ていたホテルの公式ホームページの説明によると、五百平方メートルもの広さがあるらしい。まあ建築面積が一万九千平方メートルを超えるという話だから、驚くには値しないだろう――そんなに広いと逆に落ち着かない気もするが。

 そう思うのは、俺が小市民だからかねえ――ローマで与えられた邸宅も一部屋が広すぎて落ち着かず、出来るだけ小さな物件を要望し、さらにわざわざ部屋を半分に区切る様にリフォームしたアルカードとしては、そんな感想しか浮かばない。正直ちょっと本棚に漫画本を取りに行くのにも、いちいち歩かないといけない様な生活は厭だ。それでなくても広い家など、手入れが面倒臭いのに。

 でもまあ、ホテルなら別に手入れは自分でする必要は無いわな――そんな感想を最後に思考を切り替え、扉を派手に蹴破って、エルウッドに続いて室内へと踏み込む。扉の正面の窓際に立っていた黒いローブの人影に向けてサブマシンガンを据銃し、アルカードは唇をゆがめて声をかけた。

「よう――やっと会えたな、三流魔術師」

「ふむ。よくたどりついたな、褒めてやろう」

 背を向けたままでそう答え、余裕たっぷりの仕草で魔術師が振り返る。

「ぬかせよ、ド三流が」 鼻を鳴らして、アルカードはMP5サブマシンガンのトリガーに指をかけた。

「そろそろ飽きたぜ、問答も面倒だからいっちょ死んどけ」

 そう告げて、アルカードはMP5のトリガーを引いた。セレクターはフルオートのまま、三発だけきっちり区切って指を離す。

 だが、その攻撃は魔術師には届かなかった。なにに当たったのかはわからないが、目に見えないなにかに阻まれて魔術師まで届かない――フードの下で、魔術師の口元がにたりと笑みにゆがむのが見えた。

 魔術師の姿が幻像かとも思ったが、それなら背後の窓硝子が割れないのはおかしい。魔術による防壁でもない――目にはなにも見えないがそれだけで、彼らを隔てるなにかが両者の間に存在しているのだ。

「まったく、相変わらず性急なことだ」

 そうぼやきながら、魔術師が時代錯誤なローブの――甲冑を着ているアルカードも人のことは言えないが――フードを払いのける。

 それで顔の半分が焼け爛れた壮年の男の顔が露わになる――その貌を目にして、アルカードは眉をひそめた。

「貴様――」

「久しぶりだな――と言いたいが、君と面と向かって話をするのははじめてだな。少しは思い出してくれたかね? 私は南仏で工房を構えていたキメラの研究者だ。君がいきなり乗り込んできて、キメラを鏖殺にしてくれたがね」

「じゃあ、こいつが?」 エルウッドが投げてきた問いに、小さくうなずく――つまりはそういうことなのだろう。

「そうらしいな。まあ死体を確認したわけじゃないから、生きてても不思議なわけじゃないが――それにしてもずいぶんと生き汚ぇじゃねえか、ええド三流? 魔術師なんぞよりゾンビのほうが向いてるんじゃねえのか」

 その言葉に、魔術師がふふんと笑った。

「まあね、私もあの様な研究をしていたから、自分の体にもそれなりに手を加えてはいるよ。残念ながら、私はあの程度では死なない――寿命も殺されない限り、計算上は千年近く持つはずだ。無論のこと、君の様に全身が粉々にされても生き返れるほど理不尽な生き物でもないがね」

「なるほど。それで? その不死身の三流魔術師が、今更なんの真似だ? カビ臭い洞窟の奥で、虫けらの研究でもしてるのがお似合いだろう――四百年以上かけてこの出来だったら、もうキメラ研究者も廃業するのを勧めるよ」

「『クトゥルク』ベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタ――当然君は知っているだろう、ワラキアの田舎侍。彼女に君のことを教えてもらったのだよ――正確には彼女の配下サーヴァントのひとりだが。私の偉大な研究を台無しにしてくれた野蛮な武将が、今は日本にいるのだとね。せっかくだから、かつて私の偉大な研究を邪魔してくれた愚かな吸血鬼に自分の所業の愚かしさを教えてやろうと思ってね――ああ、君たちふたりの死体は私がきちんと有効利用してあげるから心配するな」

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