The Evil Castle 31
「さっき名乗ってただろ」 天を仰ぎつつそんなコメントを口にするエルウッドに視線を向けてから、アルカードは軽く首をかしげた。
「そうだっけ?」
「あいつの話聞いてたか?」
「聞いてたけど、途中からめんどくさくなってあんまり覚えてない」
そう返事をしてからこめかみを指で揉んでいるエルウッドに向かって言葉を続けようとしたとき、
「そうか……」 姿無き魔術師の声が怒りを帯びる。
「私の工房にいきなりやってきてキメラどもを鏖殺にしたうえに演算機を破壊して研究データを抹消し、あまつさえ工房を根こそぎ吹き飛ばしておいて、挙句の果てにはその相手の名前も覚えてもいないというわけかね?」
「うん」 アルカードは素直にうなずいて、
「ちょっとひどいんじゃないか?」 というエルウッドの言葉に適当に肩をすくめた。
「そんなこと言われても――南仏の城のキメラ工房には心当たりあるがな、グリゴラシュとつるんで研究データを提供してた奴が。けど、そもそも俺は最後まで工房の主とは会ってないんだぜ? 城の地下から真上に向けて中性子ビームを撃って済ませたからな――覚えてるわけがないじゃないか」
大体個人を仕留めることが目的ならともかく、工房丸ごと破壊するのが目的だというときに、その管理者の個人名など覚えたところで仕方が無い。そう続けようとして、アルカードはいったん言葉を切った。
「ていうか、おまえ本当に誰だよ。南仏の領主気取りのキメラ研究者なら、そこらのキメラよりずっと高性能のキメラを大量に作ってたぞ。俺と腕相撲して勝てるほどのパワーのやつを」
「誰のせいで――誰のせいで研究データが根こそぎ駄目になったと……」
怒りに震える様な抑えた口調で、姿無き魔術師がそんな言葉を口にする。
「俺のせいじゃないよな?」
「否、あんたしかいないだろ」 アルカードの言葉に、エルウッドが投げ遣りにそう返事を返してきた。
「いいだろう――貴様をせいぜい怯えさせてから決着をつけようと思っていたが、もうそろそろ終わりにしてやろう」
「ああ。行くぞライル」
「行く?」 聞き返してきたエルウッドに、アルカードは肩をすくめてみせた。
「言っただろう? あの端末じゃ、三十メートル以内にしか思念波を飛ばせないと」
アルカードはそう答えてから天井を振り仰いで、
「あの端末経由で魔術を使ってるってことは、端末から三十メートル以内のどこかに魔術師がいるんだよ――てめえのケツに火がつかないうちに逃げ出したかと思ってたが、意外にそうでもないらしい。多分奴はこのフロアかこの階の上下、どっちかにいる」
あっさりと言ったその言葉に、魔術師の気配が動揺する――その魔力の流れから方向を汲み取って、アルカードは続けた。
「上の階だな。たぶん十階、いっても十一階だ――それ以上は無い。あの出来の悪い端末で、フロアみっつぶんの天井の高さを越えて思念波を届かせられるとは思えん。このフロア、天井高いしな」
アルカードはそう言って、頭上に視線を向けた。
天井をぶち抜くか――否、さすがに構造物を破壊して強度面に影響の出るダメージは避けるべきだろう。それが彼ら自身の命取りになる可能性もある。
「行くぞ。非常階段だ」 エルウッドに声をかけ、アルカードは宴会場から廊下に出た。
「おっと」 そこで思い出して足を止め、先ほど足元に転がっていたものを拾っていた食事用のフォークをくるくると回転させる。ペン回しの様に二度回転させてから、アルカードはナイフを振り返りざまに宴会場の奥に向かって投げ放った。
空中に浮いている端末を、
「残りの宴会場はどうする?」 早足で歩きながらのエルウッドの質問に、アルカードはかぶりを振った。
「後回しだ。あれだけ派手に立ち回ったんだ、ほかの宴会場にキメラがいたら増援に来てるだろう。もうそんなに数は多くないはずだ――魔術師を捕まえて背後関係を吐かせてから、あらためてホテルの建物すべてを走査して個別に潰そう――どのみち、もうこれ以上キメラは増えんだろう。母体になる女が全滅してるだろうから」
そう返事をして、アルカードはエレベーター脇にある非常階段に歩み寄った。キメラはもちろん魔術師にも、エレベーターの使い方は理解出来ても仕組みは理解出来まい。おそらくエレベーターに乗っている間にワイヤーを切断する様な知恵は回らないだろうが、万が一ということもある。
エレベーターは無視して、アルカードは非常階段の鉄扉に手を伸ばした。
*
ふっ――鋭く呼気を吐き出しながら、アルカードは狼に似た風貌のキメラが収容された調製槽に向かって剣を振るった。硬質硝子の調製槽に切れ目が走り、その周囲にびしりと音を立てて細かな亀裂が生じる――内部に満たされた培養液が切れ目から流れ出し、覚醒することなく即死したキメラの体が崩壊してゆく。
さて――胸中でつぶやいて、アルカードは背後を振り返った。
流れ出した培養液で濡れた石造りの床が、脚を踏み替えたときにパシャリと音を立てる。
「こっちの部屋はこれで全部かな――次はあっちか」 そんな言葉を漏らして、アルカードは部屋の一角の扉に視線を向けた。
調製槽から出したキメラを移動させるためだろう、調製槽同士の間隔はかなり広く取られている――血の混じった培養液で水浸しになった通路を歩きながら、アルカードは
入ってきた扉とも鎧の調製槽室とも違う扉に視線を向け、そのまま扉を蹴破って足を踏み入れる――入った部屋もやはり調製槽室で、ただし先ほどのふた部屋を合わせたよりも調製槽の数が多い。
ヴーンという羽音に似た低いうなりが耳鳴りの様に聞こえてくるのに顔を顰めながら、背後の壁に視線を向ける――先ほどのふた部屋の調製槽に接続されていたファイバーケーブルが、壁に穿たれた穴を通って部屋の奥へと伸びている。
ということは――
胸中でつぶやいて、アルカードは部屋の中に歩を進めた。
調製槽の中には、先ほどの部屋と同様に大小様々な調製槽が設置され、その中で種々のキメラが浮いている。
全体的な雰囲気はやはり犀のそれに似ているものの、全身に角状の突起物を持つキメラ。高度視覚で透視すると、先ほどの部屋にいた個体同様全身の角状突起物の組織中に流体磁石を持っているのがわかった――おそらく流体磁石を利用して高周波電磁場を発生し、誘電加熱によって近距離の対象の極性分子に干渉して血液や体液を沸騰させることで殺傷するのだろう。霊体はともかく肉体的な損傷だけでいえば、アルカードでさえ殺されかねないほどの非常に強力な武器である――おそらく原理上自分の体温も一緒に上昇してしまうだろうから、連続使用は難しいだろうが(※)。
先ほどの部屋の調製槽の中にいたカブトムシの様な
全身をキチン質の装甲外殻で鎧ったキメラ。全身の装甲から黒い突起物が生えており、頭部からはなにかの射出管と思しき三本の頭角が生え、右手に黒々とした三枚の鈎爪を備えて、左腕に楯の様な形状のふくらみを持っている。楯状のふくらみの表面は緩やかな半球形で、黒水晶を磨いたものの様にきらきらと輝いていた。
まるでギリシャ神話に登場するミーノータウロスの様な、牛に似た頭部を持つキメラ。全体は獣毛に覆われており、両肩が大きく膨れ上がって、両肩のみを鎧うクチクラの装甲外殻に無数の瘤状突起物を備えている。
甲殻類のそれに似たごつごつしたキチン質の外殻で全身を鎧うキメラ。両腕には巨大な鈎爪を装備しており、額から巨大な頭角が生えている。後頭部の装甲がまるで頭冠の様に背中に向かって長く伸びていた。
完成寸前のキメラに加えて、まだ小さな胎児の様な姿のまま培養液の中で浮いている個体も存在している――まだ調製作業に入ったばかりなのだろう。
それらに加えて、まったく無意味にしか取れない肉の塊もあった。おそらく調製途中で失敗したのだろう、全身の半分が癌化して巨大な肉塊と化している。金属板に表示された調製データに視線を落とすと、『調製失敗/実験体/廃棄予定/型式名:AUZ-22335045K-L ガンダルコ』とあった。
フランス語圏であるにもかかわらず、装置の表示はすべて英語だった――キメラ研究が魔術の分野として確立したのが、英語圏が最初だかららしい。
部屋の中央に歩を進めてから、アルカードは床に設けられた両開きの落とし戸の様な穴の前で足を止めた。一辺が五ヤードもある正方形の落とし戸は、失敗したり暴走したキメラを実験体処理槽に落とすためのものだろう。
唇をゆがめて、アルカードは部屋の中央にある巨大な石碑の様な構造物に歩み寄った。まるで磨き上げられた黒大理石の様な石で造られたその構造物は表面に無数の溝が走っており、まるで迷路の様な複雑な溝を時折七色に変色する光が走っている。溝を下から上へと走り抜けた光は頂部から接続された無数のファイバーケーブルを通じて、調製槽に向かって送り出されていた。
これはこの施設全体の調製槽の制御を行う、一種の制御用の演算機だ。キメラ学において魔術が応用されているのは、実はこの演算機しか無い。
この演算機の内部に、調製データがすべて記録されている――記録媒体にデータを出力するための配線をつなぐための穴が設けられているのを見つけて、アルカードはタイプライターのそれに似たキーボードと手元の小さなディスプレイに視線を落とした。
ディスプレイの横の小さな机の上に、数十枚の紙が綴じ紐で綴じられたものが置かれている――数十枚、否百数十に及ぼうかという紙に神経質な細かい字でびっしりと書き込まれたその筆跡に、アルカードは見覚えがあった。
否、ヴィルトール・ドラゴスは、というべきか――そんなことを考えながら、パラパラとページを繰って内容を斜め読みする。
「グリゴラシュの仕様書か――」 そんなつぶやきを漏らして、アルカードは手にした冊子を机の上に放り棄てた。
いったん演算機から距離を取り、鞘に納めていた
耳障りな低周波のうなり音が止まり、調製槽の頂部に伸びていたファイバーケーブルを走っていた光信号が止まる。
各調製槽の前に設置されていた銅板のディスプレイに表示されていた文字列が一斉に消え、同時に調製槽の培養液の撹拌も止まった。
さて――胸中でつぶやいて、アルカードは手近な調製槽の中で浮いているキメラに視線を向けた。
演算機が止まったことで調製槽や生命維持装置の稼働も止まった。放っておいてもいずれ死んでしまうだろうが、九分九厘完成状態にあった場合、なんらかの要因で覚醒状態になる可能性も無くもない。
念のために始末しておくに越したことは無いだろう――そう判断して、アルカードは抜き身のままの
※……
電子レンジと同様の原理です。
なお、誘電加熱による殺傷兵器は太平洋戦争中に大日本帝国軍が開発を試みており、五メートル離れた場所のウサギを焼き殺した記録が残っているそうです。
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