Dance with Midians 17


 

   4

 

 ライル・エルウッドから電話がかかってきたのは神田が帰ってから数十分後、夕食の食器を洗おうかとキッチンに足を踏み入れたときだった。

 キッチンカウンターの上に置いてあった携帯電話を取り上げ、通話ボタンを押し込む。

「もしもし」 アルカードの部屋には、普通に使える固定電話が無い――ヴァチカンの総本山や大使館と連絡を取り合うのに使う秘話回線の電話はあるが、それだけだ。それ以外は軍用の小型無線機か、携帯電話を使うことが多い――携帯電話は盗聴が怖いので、あまり込み入った話は出来ないのだが。

「アルカードか? ライルだが」

「おう、久しぶりだな。もう日本に戻ってきたのか?」

「ああ、さっきようやくな――フィンランドは寒いのなんのって」

「そりゃまあそうだろ――かなり緯度が高いからな」

「オーロラを生で見てアイリスとアルマは喜んでたから、まあいいんだが」

 ライル・エルウッドは既婚者で、現在は日本に単身赴任する形で暮らしている――といってもそう離れていないところにある教会に身を寄せているので、食べるに困っている様子ではない。代わりに教会のシスターに顎でこき使われている様だが。

 本当は香港にも彼と同行すれば、『クトゥルク』を逃がすことなど無かっただろう――ただ情報が入ってきたのがエルウッドが家族と北欧に旅行に出かけたあとだったので、ひとりで行かざるを得なかったのだ。

 ヴァチカンも当時は欧州でごたごたが発生していたらしく、彼の弟子たちが半分出払い、残りは総本山の防御待機についていたためにヴァチカンからの増派も出来なかった――このへんには少々対外的な事情も絡んでくるのだが、アルカードの増援に彼の弟子以外の一般騎士を派遣することはまず無い。

 エルウッドもそうなのだが、公的には所属を否定されているヴィルトール教師の増援に聖堂騎士を派遣することは出来ない。

 『対外』というのは単なる外部の魔殺したちの組織だけでなく、ヴァチカン教皇庁の上層部も指している。枢機卿など上層部の人間の中には、吸血鬼アルカードと教師ヴィルトールが同一人物であることを知らない者も多い。

 ヴィルトール教師は公式には所在不明扱いなので、教会は吸血鬼アルカードとして彼の居場所を把握している。

 そのため建前だけではあるが、ライル・エルウッドはアルカードの動向を監視し、場合によっては討伐するために日本にいるのだ。したがって日本に増援を派遣するとなると、建前上『ライル・エルウッドを支援するための』ものになる。そのエルウッドが物見遊山に出かけて日本にいないのに増援を出すとなると、上層部に突っ込まれたときに説明出来ないからだ。

 吸血鬼狩りというのは災害有事の様に即応性が要求されるものではないので、いつでも連絡がつきさえすれば海外に出かけていても別に問題無い。したがって、代役と称して彼の同窓生から別の聖堂騎士を送り込む名目が用意出来ないのだ。

 位階の低い一般騎士であれば用意出来るのだろうが、アルカードの増派に来るのは彼が直接教えた――つまり素性を知っているために――彼と接触しても問題無い一部の上級騎士だけで、それ以外の一般騎士が派遣されることはあまり無い。見る者の目から見ればアルカードが吸血鬼であることは一目瞭然なので、事情を知らない者が接触したが最後厄介事が土石流のごとく噴出するからだ。

 一般騎士が送り込まれてくることもたまにあるが、アルカードの弟子と同行しており、事前に事情も知らされ、将来的に幹部候補生に選抜されるであろう優秀な騎士だけだ。そういった騎士が派遣されてくるときは、単なる一時的な増援というよりもヴィルトール・ドラゴス教師に対する新たな生徒の紹介の面もある――実際そうやって引き合わされ、そのまま幹部候補生として彼の教室に組み込まれた者も多い。

 だがヴィルトール教室の生徒が接受国である日本国内にいない、あるいは付き添ってこられない状況で、単独で派遣されることは無い――ライル・エルウッドの支援名目でのヴァチカンからの増派、あるいはたまに出される吸血鬼アルカードの討伐命令など、ただの建前でしかないからだ。

 電気通信網が発達する前は、上層部にせっつかれた聖堂騎士団が彼の弟子たちを吸血鬼アルカードの討伐のために派遣してきたのだが――実際にやっていることなど稽古のつけ直しや情報交換、それに物見遊山で、ほとんど慰安旅行に近いものだったりする。そうしてしばらく交流してからアルカードを交戦したものの取り逃がした、あるいは戦闘に敗北して命からがら逃げ延び、しばらく現地で入院していたなど、適当な理由をつけて総本山に戻るのが通例になっていた。

 今ではそれも必要なくなったのだが、往時を知るすでに退職した彼の弟子たちの中には『師匠の金でさんざん物見遊山』な派遣任務を懐かしんでいる者もいる――否、その金の出所は聖堂騎士団だから別にいいのだけれど。

 そんなわけで、聖堂騎士団としてはエルウッド旅行を切り上げさせて日本に帰国させたり、あるいは総本山の防御を手薄にしてまで代役の増援を派遣する名目を用意出来ずに、アルカードを単独で香港に遣らざるを得なかったのだ――なにしろ吸血鬼アルカードは動きを見せていないし、日本にいないはずのヴィルトール教師を支援する名目で人を出すわけにもいかない。

 久しぶりに会う父親と旅行を楽しんでいる娘の休暇を取り上げるのも気の毒だったので、エルウッドを呼び出すのは避けたのだが、今となってはそれが悔やまれる――腹立たしい話ではあるが、一般人の犠牲者を出してしまったのは彼の不覚と言うほかない。ごろつきどもが何人死のうが気に病むつもりは無いが、戦力がふたりになっていれば、少なくともあの廃ビルで彼が処置した女性くらいは助かっていたかもしれない。

「それで、帰国してすぐにうちの司祭から聞いたんだが、教会の『網』が『クトゥルク』のものらしい痕跡を見つけたらしい。聞いたか?」

 ライル・エルウッドはほかの弟子たちと違って、アルカードとは彼が生まれたときからのつきあいだ――アルカードはエルウッドのおむつだって替えたことがあるし、まだよちよち歩きだったころに公園に連れていったこともある。

 そんな間柄なので、単なる祖父の昔馴染みから弟子と師匠に関係が変わっても、あまり話し方は変わらなかった。

 レイル・エルウッドはあまりいい顔をしないが、アルカード自身はあまり気にしたことが無い。さすがに周りの目があるので訓練中は言葉使いを改めさせていたが、周りに自分の弟子しかいない環境だとエルウッドは途端に地を剥き出しにする。

「ああ、さっき神田セバが来てたんでな。彼から聞いた――これから調べに行こうと思ってたところだ。おまえもつきあうか?」

「ああ、詳しい場所も聞いてるから、こっちからあんたを迎えに行くよ。時間はそうだな、三十分後でどうだ?」

「いいぜ、合流R Vの手順はいつもの様に」 そう言って、苦笑する――自分がつい、合流をRVと口にしたのに気づいたからだ。人間だったころ軍人だったためか、兵士の言葉がひどく耳に馴染む。

 さて――合流する前に戦闘装備ロードアウトを整えておかなくてはならないだろう。アルカードは胸中でつぶやいて、とりあえず水仕事は放置して武装を用意するためにロッカーのある寝室へと歩き出した。

 

   *

 

 屋敷の中は妙に静まり返っていた。甲冑の装甲が、歩くたびにかしゃんかしゃんと音を立てる。

 屋敷の中は暗かったが採光用の窓が開け放たれていることと、要所要所で壁から吊るされた角燈のお蔭でなんとか視界は確保出来ている。

 まだ寝静まる様な時間ではないはずだが――そんなことを考えながら、アルカードは周囲に漂っている悪臭に顔を顰めた。腐乱死体の臭いにも似ているが――

 胸中でつぶやいて、ヴィルトールは足を止めた。

 二、三――全部で四人。前方、屋敷の外周に沿った曲がり角の奥にふたり、それにいつ廻り込まれたのか背後にもふたり。

 気配はまったく隠せていない――同時に明確にこちらに向けられた、濃密な殺気も。素人が息をひそめて隠れているだけだ。

「そこにいるのは誰だ? 屋敷の者か? 俺は主家のヴィルトールだ」

 一応呼びかける――正直なところ、あの正気を失ったゲオルゲの様子を見ていると、もはや屋敷の使用人が正常にこちらを認識出来るかどうかは疑わしかったが――だからと言ってやらないわけにもいかない。

 正常であるかは疑わしいが、正常である可能性だって棄てきれないのだ。この呼びかけに対する反応で、向こうが正気であるかどうかはだいたい推し量れるだろう。

「屋敷の者であるのなら、姿を見せろ。ここでなにがあったのか説明してくれ」

 相手が屋敷の人間でまともな理性を残しているなら、この呼びかけで出てくるはずだ。少なくとも彼がゲオルゲの様に正気を失っていないことは、冷静な口調で伝わるだろう。もしも使用人が屋敷への侵入者や正気を失った同僚を警戒しているだけなら、戦わずに済むし情報も得られる。

 だが返事は無く、殺気がより強くなっただけだった――向こう側にいるのが敵だったなら、それは自分の位置を明確に知らせてしまっただけの愚行だ。だから、あとは完全に敵だと判断して行動しなければならない。

 武装しているかどうかはさすがにわからない――だが、さっき正門前で斬り斃した屋敷の使用人と似た様な変化を遂げているならば、たとえ相手がなんであれ徒手であっても到底油断出来たものではない。

 問題は初動でどれだけの手傷を負わせられるか、だ――最初の一手二手をしくじると、あとが厄介なことになる。少なくともふたりは動きを封じて戦わなければ、相手が正門前で斃した使用人――ゲオルゲと同じものであれば、こちらが負ける。

 まったく――いったいどうなってやがる?

 胸中でつぶやいて、左手で装甲の隙間に仕込んだ投擲用の短剣数本を引き抜く。

「出て――こいッ!」

 声をあげて――短剣を投げ放つ。隠れている相手がいるのとはまったく別の方向だが、それでいい――どのみち、ここから奥にいる相手に当てるのは角度的に無理だ。

 投げ放った短剣が火花を撒き散らしながら壁に当たって跳ね返り、曲がり角の奥で短い悲鳴があがった――命中したのか、それともしていないのか。どちらでもいい――こちらに対する反応を遅らせることさえ出来れば、それで十分だ。

 短剣の投擲に間をはさまず、床を蹴る――手にした長剣の柄を握り締め、ヴィルトールは一気に曲がり角まで間合いを詰めた。

 曲がり角から姿を見せかけていた人影に詰め寄り、剣を振るう――角の輪郭をなぞる様に縦に振り下ろした一撃とともに、曲がり角の向こうで悲鳴があがった。

 角から見えていた腕が、その一撃で切断される――斬り落とされた肘から先を床に落下するより早く掴み止め、ヴィルトールはそれを振り向き様に背後に向かって投げつけた。

「ッ!?」 背後から迫りつつあった気配が動揺とともに動きを止める――それを感じながら、ヴィルトールは床を蹴った。

 背後から肉薄しつつあったふたつの気配のひとつに向かって、一気に殺到する――少し離れた角燈しか光源が無かったのでろくに顔も見えないが、おそらく迎撃のためになにか刃物を振るったのだろう。

 橙に染まった草刈り用の小さな鎌が、うなりとともに虚空を引き裂く。それを無視して、ヴィルトールはそのかたわらを駆け抜けた。

 駆け抜け様に、左手で装甲の隙間から抜き放った刺殺用の短剣をその背中に突き立てる――疾走の腕の振りで突き立てただけなので浅いし狙いも適当だが、それでいい。重要なのは一度にふたり以上に襲いかかられないことで、逆に言えば動きさえ止まればあとはどうでもいいのだ。

Wooaaaraaaaaaaaaaaaaオォォォアァァラァァァァァァァァァァァァッ!」 咆哮とともに――背後から襲いかかってきていたふたつの気配のうち、いまだ離れたところにいるひとつに襲いかかる。

 おそらく先に手前にいるほうと交戦するものと判断していたのだろう、迎撃態勢の整っていたかった敵があわてて身構えた。

 

   *

 

 乗り慣れたゲレンデヴァーゲンをいつもの様にコンビニエンスストアの駐車場に止め、ライル・エルウッドはシートベルトをはずしてドアを開けた。

 信号のある丁字路、彼の師の自宅に程近い硲西交差点南西側のコンビニエンスストアだ。

 キーを抜き取って車外に出、軽く肩甲骨を寄せる様に肘を背中側に動かしてから、肘で押す様にしてドアを閉める――リモコンでドアをロックしてから、エルウッドは店舗へと歩き出した。彼が車内にいなくても、多少窓が開いていれば問題無い――通気性が保たれていれば、あの吸血鬼に侵入出来ない場所は無い。

 軽く首を回しながら煌々と明かりの燈ったコンビニのドアを押し開けて、店内に足を踏み入れる。

「いらっしゃいませ、こんばんは――」 店員の明るい声。どこかで店員が積極的に声をかけるのは、不審人物が入店したときだと聞いたことがある。

 つまり俺不審人物か――胸中でげんなりしながら自分の格好を見下ろして、まあ仕方無いかと納得もする。

 聖堂騎士は異端審問官兼悪魔祓い師、一言で言ってしまえば教会の武装集団なので、吸血鬼狩りのために専用に用立てられた修道服を身につけている。魔力を織り込んだ布で仕立てられた法衣で、引き裂き強度も耐衝撃性も普通の布とは比べ物にならない。

 繊維に織り込まれた術式のおかげで、この法衣はそれ一枚で通常の銃弾を停弾させられるほどの強度と衝撃吸収性を持っている――下手な重装甲冑よりもよほど安心出来る。要は戦闘服の様なものだ。

 とりあえず、キリスト教の神父様の恰好でコンビニに入る人はそういないだろう。そう考えると、陰鬱な気分にはなるが不審者扱いも納得するしかない。厭だが。

 エルウッドはしばらく考え込んでから、飲料の棚からBOSSブラックの缶コーヒーと自分用にポッカの缶のポタージュスープを取った。レジの前に置いてあるおでんに目を奪われそうになりながら、それはスルーしてレジで支払いを済ませる――いつものことだが、アルカードはすでに車内にいるだろう。

「ありがとうございました――」 店員の声を背中に聞きながら、エルウッドは店を出てゲレンデヴァーゲンのところに戻った。

 ドアロックを解除して、ドアを開ける。エルウッドは運転席に体を滑り込ませると、手にしたブラックコーヒーの缶を助手席に差し出した。

「気が利くな」 勝手に車内に入り込んで助手席に腰を落ち着けていた金髪の吸血鬼が、エルウッドが差し出した缶コーヒーを受け取って目を細める。

 アルカードは、おおむねいつも通りの格好だった――鎖帷子とスペクトラ・シールドを仕込んだ防御用の黒コートに、魔術による補強が施された甲冑。例によって自動拳銃二挺とサブマシンガン、それにショットガンも持っているのだろう。

 アルカードはプルタブを開けて缶コーヒーに口をつけながら、

「それで、詳しい場所は?」

「もうカーナビに入れてある」 キーシリンダーにキーを差し込み、エンジンを始動させながらそう返事をすると、アルカードは手を伸ばしてカーナビのタッチパネルに触れた。目的地を表示させて最拡大してから、

「……なにも書いてないな――市街地図を買ったほうがいいんじゃないか?」

「意見はもっともだと思うが、あいにく市街地図を買っててもなにも無い。その目的地は、廃業したボウリング場だ――その近くで、『網』が不審な行動をとる外国人の女を目撃したらしい」

「具体的には?」

「廃墟になってるボウリング場に堂々と立ち入る、土地に定住してない外国人の女だ――廃墟自体は近隣で粋がってるヤンキーの根城になってるが、そのごろつきどもも一緒だったそうだ」

 その返事に、アルカードが厭そうに眉根を寄せる。魔術によって転生した吸血鬼である『クトゥルク』が御霊みたま喰いの儀と呼ばれる儀式によって対象の魂を取り込むことで作り出した下位個体――下僕サーヴァントは通常の吸血鬼に比べてかなりしぶとく、かつ吸血対象を吸血鬼に変化させる確率が高く、さらに血を吸われた人間が吸血鬼に変化して蘇生するまでのタイムラグが通常の吸血鬼に比べて格段に短い。

 つまり、下位個体ダンパイアを殖やす能力の高さという点においてだけはロイヤルクラシックに引けを取らないものがあるのだ。

 教会の諜報網は、主にその土地に定住したカトリック信者によって構成されている。無論誰でも彼でもというわけではないし、明確にターゲットを示されてそいつを探しているというわけでもないが、普段とは違うこと、見かけない人間、新聞に載らない様な小さな事件などといったものを報告してくるのだ。

 無論そういったものが玉石混淆を通り越してほとんど役に立たないことが多いのだが、そうでないものもたまにある。いずれにせよ、その情報がぎょくか石かを判断するのは『網』でもなければ取りまとめ役の情報部員でもない。訓練も受けていない一般人の彼らにそれ以上のことは期待出来ないし、危険を冒させるわけにもいかない。危険を伴う可能性のある現場に踏み込むのは、本職の聖堂騎士の仕事だ。

 そうか、とうなずいて、アルカードは肩をすくめた。教会の諜報のシステムはそんな感じなので、情報量は多いが精度は低い。十の調査をこなして一の当たりを引けばいいほうで、だからこそ接受国側の警察組織や情報機関との連携が重要になってくる。

 ただ内容が観光地でもない土地で目撃された見慣れない外国人の女ということで、情報としてはかなり可能性の高いものだといえる。チンピラのたぐいにわざと捕まるのも、手っ取り早く手下を探すのにはちょうどいい――特に吸血鬼が女である場合、そういったチンピラは猥褻目的で女の身柄をどこか人気の無い場所へ運んでいくことが多い。ありていに言ってしまえば強姦もしくは輪姦だ――そういった根城はチンピラにとっても落ち着いてゆっくりと女をおもちゃに出来る場所だが、吸血鬼にとってもちょうどいい拠点だといえる。

 無論『クトゥルク』がそこを根城にするとも思えないが――彼女はアルカードに追われていることを知っているし、だから罠は張っていくだろう。香港でもそうしただろうだが、暴れさせてアルカードの目をそちらに引きつけるための囮だ。

 アルカードの目がそちらに向いている隙に自分はどこかに逃げるか、あるいは再び国外に脱出して追跡を振り切ろうとするか――いずれにせよ下僕サーヴァントどもが棺を引きずって逃げ廻らなければならなかった蘇生前と違って、選択肢の幅は格段に広がっている。『クトゥルク』は通常の吸血鬼と違って直射日光下でも活動が可能なので、活動時間を制限されることも無い。

 さらに『クトゥルク』の身体能力は直属の下位個体である下僕サーヴァントはもちろんそこらの雑魚吸血鬼にも劣るものの、それでも体力面でも並みの人間をはるかに上回る――飛行機なり船なりに合法的に乗り込まなくても、何らかの手段で接近して忍び込むことさえ出来れば密航する手段はいくらでもある。

「ところで、スウェーデンの土産物が後部座席に置いてある。あとで持って帰ってくれ」

「お、ありがとよ」 肩越しに後部座席を覗いて、吸血鬼が小さく笑う。子供のころから知っているこの吸血鬼は人間の感情をそのままとどめているためか、吸血鬼であることに違和感を覚えるほどにひどく人間臭い――普通の吸血鬼は一度人を傷つけることで他者を殺傷することに抵抗が無くなるのだが、この男は人間の血を吸ったことが無いせいか、普通の人間の持つ道徳観や倫理観をそのまま持っている。

「……見慣れない荷物があるな?」

 後部座席に漢字でなにやら書かれた紙袋が置いてあるのを見て、エルウッドはそう尋ねた。

「それは香港こっちの土産物だ。アルマとアイリスには別に送っといた――日本に持って帰ってくるぶんを発送する暇が無くて、全部持って帰ってくるのが大変だったが」

「それはお疲れさん――さて、そろそろ出発するか」 飲み終えたスープの缶を、エルウッドは窓から腕を出して適当に放り投げた――がこん、と音を立てて、投げ棄てた缶がセブンイレブンのドアの横にあったゴミ箱の廃棄口をくぐる。

「そうだな」 アルカードはうなずいて、空になったコーヒー缶を同じ様に放り投げた――こちらも狙い違わずゴミ箱の中に落ちてゆく。

「早いところ片をつけて帰るとしよう」

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