Dance with Midians 18

 

   *

 

 暗闇の中でおのずから輝く、真紅の瞳がこちらを捉える――ゲオルゲと同じだ。

 手になにか、短い棒状のものを持っているのが見えた。おそらく短い馬用の鞭かなにかだろう――だがそれでさえも、十分な速度と適切な角度を以て振るえば木板くらいは斬り裂ける。

 だがどうでもいい――目の前にいる相手の動きは、明らかに素人のそれだ。ゲオルゲと同じだ。動きは俊敏で力も異常に強いが、それだけだ。

 敵が迎撃のために鞭を振るおうとしたその刹那、ヴィルトールの振るった長剣がその左肩を一撃で叩き割った。鎖骨をへし折り肩甲骨をぶち割り、肋骨を三本ばかり叩き斬って――同時に肺も引き裂いたために、ほとばしる悲鳴に水音が混じる。

 今の感触でわかった――彼らは甲冑を身につけていない。

 背後で濃密な殺気を漂わせた誰かが、床を蹴るのが気配でわかる――ヴィルトールは長剣で左肩を割った体勢のまま喉笛を引き裂くために格闘戦用の短剣心臓破りを引き抜こうと柄に手をかけていた手を離し、追撃をあきらめて敵の体を蹴り剥がした。

Uryyyyyyyyyyyyyyyyyウリィィィィィィィィィィィィィィッ!」 おそらく敵は先ほどすれ違ったひとりだろうが、金切り声をあげて背後から襲いかかってきている。ほかのふたりが接近していないことだけ確認して、ヴィルトールはそちらに向き直った。

 なにか長い得物を両手で肩越しに振りかぶっている――ということは、先ほどすれ違った敵ではないらしい。あるいはそこらに草刈り鎌以外になにか武器を隠していて、それに持ち替えたのか。

 そのときには、すでに間合いの内側に入った敵が両手で振りかぶった得物を縦に振り下ろしてきている。

 速い――!

 重いうなり音とともに振り下ろされてきたその相手の得物――壁に吊るされた角燈の弱々しい光に照らし出されて、木の移植などの大掛かりな作業のときに使う大型の園芸用円匙ロパタだと知れたが――を横に体を投げ出して躱し、ヴィルトールは左手で保持した長剣を振るって床を撫でる様にして低い軌道で薙ぎ払った。

 その一撃で背後から飛びかかってきていた敵が前足にしていた右足を足首から切断され、踏み込みにしくじってそのまま転倒する。手放して投げ出された円匙ロパタが床の上でガランガランとけたたましい音を立て、片足を切断された敵の口から悲鳴がほとばしった。

 この声――

 聞き覚えのある声に、ヴィルトールは顔を顰めた。

 同時に離れたところでも、こちらにも聞き覚えのある叫び声があがる。振り下ろされた円匙ロパタを躱しざま、右手で抜き放った投擲用の短剣を円匙ロパタを手にした敵の後方から接近しつつあった別な敵に向かって投げつけたのだ。

 ちょうど片目を潰す格好になったのか、顔を手で押さえて悶絶する敵の指の隙間から肺潰しの細い柄が覗いている。足元に草刈り用の鎌が転がっているところをみると、さっきすれ違いざまに背中に短剣鎧徹を突き刺してやったのはこちららしい。

 横倒しに床の上に倒れ込み、そのまま床の上で半回転――その勢いを利用して、跳ね回る様にして身を起こす。ちょうど彼が倒れ込んだ位置に向かって振り下ろされた円匙ロパタの刃先が絨毯を突き破り、その下の石の床と衝突して火花を散らして周りが一瞬だけ昼間の屋外の様に明るくなった。

 先ほど腕を切断した敵が足首を薙いだ敵が落とした円匙ロパタを拾い上げ、円匙ロパタの持ち主の吶喊を躱して床に体を投げ出したヴィルトールに向かって振り下ろしてきたのだ――投擲用の短剣肺潰しを投げたり円匙ロパタの持ち主の足首を薙いだりしていたため、ヴィルトールは倒れ込んだ瞬間即座に行動を起こすことが出来なかった。あと少し回避動作が遅れていれば、真直に振り下ろされた円匙ロパタの刃先を喰らっていただろう。

 がぁぁぁっ!

 咆哮とともに、片目に肺潰しが突き刺さったままの敵が掴みかかってくる――片目が潰れているからだろう、間合いを見誤ったその掴みは若干遠間に過ぎたが、代わりに平手打ちの打擲の様な動きで撃ち込まれてきたその一撃を受け止めきれずにヴィルトールは手にした長剣を弾き飛ばされた。

 ――チッ!

 無理に堪えようとはしない――ゲオルゲと同じ状態になっているのなら、腕力での拮抗など考えるだけ時間の無駄だ。無理に堪えれば一時的にでも手が痺れて握力を奪われ、その後の対処さえ出来なくなる。

 だから、今のは剣を奪われたというよりみずから棄てたのに近かった――弾かれた剣が派手にすっ飛んだのは、弾き飛ばされたときにはすでに手放していたからだ。敵にそれが理解出来ていたかどうかは、わからないが――

 理解は及んでいなかったのだろう。壁にぶつかって落下した剣が床の上で跳ね回るけたたましい音よりもさらに大きな金切り声をあげて、片目を潰された敵は今度は左手で掴みかかろうと――

 するより早く、やはり平手打ちの様な軌道で撃ち込まれてきた腕を上体を沈めて躱し、ヴィルトールは左腕の下をくぐる様にして腕の外に出た。そのまま左手で手首を捕り、相手の腕を外側へと伸ばしながら右腕を撒きつける様にして敵の左腕を脇にかかえ込んで――

 なにをされているかはわからなくても、なにをしようとしているのかはわかったのだろう。肘関節を挫かれる前に、敵がその腕を強引に曲げる様にして拘束を振りほどき――

 肘の下側から脇下をくぐらせる様にして、腕を背中側に折りたたむ。見せ技の六-八-十二を力ずくで振りほどく勢いを利用して、そのまま本命の六-八-七-六に入ったのだ。

 縄のちぎれる様なバヅンという音とともに肘の靭帯が切れ、次の瞬間肘関節を破壊された敵の口から悲鳴がほとばしった。

 そのまま背中を突き飛ばす様にして敵の体を引き剥がし、そのまま右足を軸に回転して背後に向き直る――敵のほうが身体能力で上回っている以上、隙を見せたら一瞬で捕まる。動きを止めてはならない――先ほど腕を斬り下ろしたひとりの陰から、もうひとり、背の高い人影が飛び出してきている。先ほどまでの四人とは別に、もうひとり――それを見定めて、ヴィルトールは床を蹴った。

Uuuuu――ryyyyyyyyyyyyウゥゥゥゥゥ――リィィィィィィィィィッ!」 金切り声をあげて飛びかかってくる人影の振り翳した右手で、角燈の明かりを照り返して得物がぎらりと輝く。

 刃物――否、あれは園丁用の鏝か……!?

 そう判断すると同時、飛びかかってきた人影が逆手で握った移植鏝を短剣の様に逆手で突き下ろしてきた。間合いが悪い、そう判断して後方に跳躍する。

 いったん間合いを離してから、ヴィルトールは再び前に出た。離れる気なのか近づく気なのかがわからなかったからだろう、一瞬だけ困惑した表情を浮かべていた見覚えのある若い男が手にした移植鏝を再び振り翳す。

 ――

 胸中でつぶやいて、ヴィルトールは前に出た――振り下ろされてきた移植鏝を、手首の内側に手甲の出縁フランジを叩きつける様にして迎え撃つ。

 普段であればヴィルトールが好むのは、腕の外側から叩きつけて骨格や筋肉に損傷を与えると同時にその腕を押しのけて腕の外側に出ることだ。そうすることで逆の腕による反撃を封殺する。だが――

 手首を返して左手で右手首を捕る。そのまま左廻りに転身して、ヴィルトールは敵の内懐に飛び込んだ。左手一本で敵の右腕を掌を上向かせて肩に担ぎ、同時に右手で引き抜いた刺殺用の短剣を、背中越しに敵の体に突き立てる――どこかはわからない。おそらく太腿の付け根のあたりだ。

 ぐ――腕を捕られた敵が、足を刺されて激痛に苦鳴を漏らす。手元まで突き刺さった鎧徹の柄から手を離し、短剣全体を傷口に押し込む様にして柄頭に掌を叩きつけてから、ヴィルトールは右肘を担いだ敵の右肘の下に捩じ込んだ。

 関節の内側が下を向いていれば、別に問題無い。だが肘関節の外側を下に向け、腕が一本の棒になる様な担ぎ方をしているときに、肩に担ぐよりもずっと強力に梃子の支点の役割を果たす肘を捩じ込まれれば――

 彼らの反応速度であれば、その気になれば防ぐことは出来たのかもしれない。だが足に刺された鎧徹で注意がそれたこと、そもそも彼らが素人でヴィルトールがなにをしようとしているのかとっさに理解出来なかったこともあっただろう。

 靭帯が切れ関節のはずれる音とともに、敵の肘関節が壊れた――激痛で手放した移植鏝が床の上に落下して、けたたましい音を立てる。次の瞬間にはあらぬ方向に曲がった腕をそのまま担ぎ、ヴィルトールは移植鏝を手にした敵の体を背負って投げ飛ばした。

 と言っても、普通の組み討ちの訓練の様な綺麗な投げ方でもない――途中で肘関節が破壊されることで力が逃げてしまう以上、派手に投げ飛ばす様な投げ方にはならない。ヴィルトールは肘が破壊されたときに体勢を崩した敵と縺れ合う様にして床の上に倒れ込み、そのまま敵の体の上で回転してその勢いで立ち上がると、前方にいた隻腕の敵に向かって殺到した。

 先ほど鹵獲した円匙ロパタを片手で保持したまま、片腕を切断された敵が身構える。ヴィルトールの接近に合わせて肩に担ぐ様に円匙ロパタを振りかぶった次の瞬間、彼は円匙ロパタを取り落として動きを止めた。

 残った片手で右目を押さえて、なにやら絶叫をあげている――右目を正確に狙って、含み針よろしく唾液を吹きつけたのだ。

 次の瞬間には、ヴィルトールは彼の間合いの内側に到達している――顔を押さえて上体を仰け反らせている彼の残った手を手首を掴んで顔から引き剥がし、同時に逆の手で彼の顔面を鷲掴みに――

 左目に指を捩じ込まれて、彼の悲鳴はさらに一音階跳ね上がった――そのまま後頭部から石造りの壁に叩きつける。

 頭蓋が砕ける感触とともに手足を痙攣させて動きを止めた敵の体を放り棄て、そのまま横跳びに跳躍――するよりも早く、肘の靭帯を引きちぎってやった敵が右腕を掴んでいる。

 しまった――

 焦燥が意識を焼くよりも早く、視界が揺れた――次の瞬間全身に骨格がばらばらになりそうな衝撃が走り、息が詰まる。掴まれた腕一本で振り回され、壁に向かって放り出されたと気づいたのは一瞬あとのことだった。

 挫いてやった片腕が使えないからか、それとも訓練を受けていないからその発想が無かったのか、いずれにせよ敵の攻撃の流れが腕の破壊に向かなかったのは幸いだった――腕を捕まえずに投げ棄てられたので、拘束も解けている。

 九-九-四――投げ技との複合で肘関節を破壊してやった敵が、獣じみたうなり声をあげながらこちらに向かって殺到してくる。壁の角燈の光を反射して、土がついたままの移植鏝がぎらりと輝く。否、それよりも問題は――

 先ほど投げた際に挫いたはずの右腕で、移植鏝を保持していることだった――投げの入りは完璧だった。関節の破壊をしくじったということはあり得ない。なによりもあんなにはっきりと靭帯の切れる音が聞こえ、関節がはずれる感触が伝わってきたのだ。

 馬鹿な――!?

 突き込まれてきた移植鏝を、とっさに身をよじって躱す――訓練を受けた相手の刺突であったなら、躱せなかっただろう。素人特有の無駄に大きな予備動作のお蔭で、攻撃が読みやすく回避動作を早めに起こせるからなんとか躱せたのだ。

 腕の側方に踏み出したヴィルトールに向かって、敵が再び移植鏝を振るう。逆袈裟に近い軌道で振り抜かれた移植鏝の刃先が、胴甲冑の装甲板に接触して火花を散らした。

 危なかった――壁を背にした状況から抜け出せなかったら、今の最接近でられていた。

 背筋が粟立つのを感じながら、ヴィルトールはさらに一歩距離を取った――移植鏝を手にした敵が、そのまま追撃をかけるためにふたたび床を蹴る。

 が、その突進はすぐに止まった。

 最初に腕を切断してやった敵と同様、目に唾を吹きつけられたからだ――まっすぐこちらに突っ込んできたから、狙いを定めるのは簡単だった。

「ぐ……!」

 うめき声を漏らす敵の内懐に、ヴィルトールは再び踏み込んで――頭を仰け反らせて剥き出しになった喉笛に、右拳を撃ち込む。同時に、腰部の背中側に取りつけていた鞘から抜き放った丁字型の柄を備えた短剣の刃が打撃動作とともに喉笛を突き破った。

 鏃状の刃が喉笛を引き裂き、鋒が背骨に当たって右側にそれる――短剣の刃はそのまま左側の頸動脈を引き裂き、首の側面へと抜けた。

 今度の攻撃は致命傷になったのだろう――急激な血圧低下で眼前の見知った園丁の若者の全身が弛緩し、力を失った手の中からこぼれ落ちた移植鏝が床の上で跳ね回る。

 今度ははっきりと見て取れた――ゲオルゲと同じだ。彼らは外敵などではない――養父に召し抱えられてこの屋敷に住み込みで仕えていた使用人のひとりだ。

 ったか……?

 今の時点でのは、ふたりだけ――今咽喉のどを突いた園丁と、先ほど肩を叩き割ったひとり。

 

 そして瀕死の状態から復活して襲いかかってきたゲオルゲのことを思い起こせば、果たしているかどうか。

 ――焦燥に意識を焼かれながら胸中でつぶやいたとき、

「この――!」 残る三人のうちの誰かが発した罵声とともに、先ほどヴィルトールが弾き飛ばされた長剣を拾い上げた敵のひとりが襲いかかってきた。

 身体能力で大幅に上回っている以上、もし彼らが奪われた得物を正しく扱えるのならば脅威の度合いは飛躍的に跳ね上がる。が――

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