Genocider from the Dark 29

 止めに入るいとまも無かった。

 撃発セレクターはフルオートのまま、きっちり二発で射撃が止まる。濃密な無煙火薬コルダイトの硝煙の臭いに混じって、粉砕された頭蓋骨の内側から飛び散った脳漿の放つ強烈な臭いが鼻を突いた。

 アルカードがそのまま銃口を動かして、反対側の壁際に倒れていた亡骸のうち数体の頭部に次々と銃弾を撃ち込む。着弾の衝撃で頭皮が細かく裂けて頭蓋が砕け、頭部が膨張して眼球が眼窩から飛び出した。

 おそらく普通の軍用ボール弾ではなくフランビジリティーの一種なのだろう、彼が撃ち込んだ銃弾の破壊力は飛虎隊フェイフートァイ出身者のホァンの目から見てもにわかには信じがたいものだった。

「……なぜ撃ったのですか?」

 亡骸を傷つけたことに対する非難を込めてわずかに口調を固くしたホァンの言葉に、アルカードはかぶりを振った。

「彼女らの遺体は、おそらく蘇生します」 遺体から視線をそらさないまま、アルカードは手短にそう答えてきた。

「吸血鬼になる可能性のある遺体は、噛んだ吸血鬼が死んでも噛み跡が消えません。噛まれ者ダンパイアにも喰屍鬼グール――吸血鬼になる適性を持たない、ゾンビの様なものですが――にもならないただの遺体も、噛み跡は消えません。そのまま変化が続けば喰屍鬼グールとして蘇生する遺体の場合は、加害者が死ぬと噛み痕が消えてに戻ります」 アルカードはそう言ってから銃口で足元の遺体を示し、

「吸血鬼に変化する遺体と吸血鬼にも喰屍鬼グールにも変化しないは、先ほど言った様に吸血加害者が死んでも噛み痕が消えない。外観では区別がつかないんですよ――そして吸血加害者が死んだあと遺体を放置することで噛み跡が残っている被害者の遺体が実際に蘇生するかどうか確認する、その経過観察以外の方法で彼らの遺体がかどうかを確認する方法は無いんです。彼女らの遺体が蘇生するものと看做したとして――安全確保のためには確実に蘇生しないと確信出来るまでの期間、俺がそばについていなければならない。ですが、そういうわけにもいきませんので」

 アルカードはMP5の弾倉を抜き取り、新しいものと交換しながら、

「あなたの部下ふたりは、首筋から吸血痕が消えていました。吸血鬼に血を吸われたあと、失血死せずに生存した例はさほど多くないですが――被害者が生きたまま上位個体が殺害されたのち、被害者が吸血鬼化した事例は確認されていません。彼らふたりはおそらくです」

 その言葉に、ホァンはホールの扉に視線を向けた――吸血鬼に噛まれたが、死を免れたリーロンのふたり。

「吸血鬼に血を吸われた人間が死亡する前に吸血を行った吸血鬼が死ぬと、被害者は適性の有無にかかわらず変化しない――あるいは吸血鬼化の進行が止まって元の人間に戻る。蘇生した被害者が他人の血を吸う前に加害者が死んだ場合も、やはり人間に戻る――しかし吸血鬼になる適性を持った遺体が蘇生する前に上位個体が死ぬと、死体はそのまま朽ちずに蘇生します。この状態を主持たずヴァンパイヤントというんですが、上位個体の精神支配を受けつけず、完全な自由意志と知能に基づいて勝手気儘に動ける様になる。普通の噛まれた吸血鬼の場合は被害者から吸い上げた力をさらに上の吸血鬼に奪われているんですが、主持たずヴァンパイヤントはそれが無い――奪ったら奪ったぶんだけ、まるまる自分の力に出来る」

 その言葉にマルチ商法やネズミ講の構図を頭に思い描きながら、ホァンは言葉の続きを待った。要するに主持たずヴァンパイヤントというのは、本来搾取の対象でしかない者がみずから元締めに収まる様なものなのだろう。

「ここにいた吸血鬼は、全員撃破しました。あなたの部下の話では、ここにいる吸血鬼は殺したぶんで全員だ。つまりここにいる連中に血を吸われて殺された彼女らの遺体が蘇生するとしたら、全員主持たずヴァンパイヤントになるのです」 アルカードははずしたMP5の弾倉を装備ロードベアリングベストのパネルに取りつけられたマガジンポーチに戻しながら、

「最大の問題として、ここには俺が追っている吸血鬼がみずから吸血鬼に変えた個体がいました。能力自体には特筆すべきものはありませんが、ほかの吸血鬼が吸血をした場合に比べて被害者の変化の速度がかなり早い特徴があるんですが――それ以上に、吸血被害者が吸血鬼に変わる確率がきわめて高いのです」

 アルカードはそう続けてから再び遺体を銃口で示し、

「彼らが蘇生するものと仮定して――遺体が無傷のまま遺体が病院に収容されてしまったら、蘇生して動き出したときに対抗出来る戦力が近くにおりませんので。病院の死体置場モルグに安置された遺体が誰の目も届かない状況で動き出したら、どんな事態になるかは考えるまでもないでしょう。入院患者、看護師、当直勤務中の医者――ならいくらでもいる。蘇生した時間帯が夜間であれば、建物の窓から差し込む日光による行動の制限も無い。吸血鬼や喰屍鬼グール適性のある遺体は直射日光に暴露されている間は蘇生しませんが、死体置場はたいてい室内にある。つまり蘇生直後に直射日光を浴びる危険は無い――死んだふりをしておいて、いつでも動き出せる」

 そう言いながら、アルカードが視線を転じる――彼の視線を追うと、銃声に驚いたのか斗龍ツォウロン美玲メイリンが扉を開けて顔を出したところだった。

 それが良くなかったのだろう、積み上げられた死体の山とアルカードの足元の頭部が砕けた遺体を目にして、美玲メイリンが小さなうめき声を漏らしながら口元を押さえた。アルカードは美玲メイリンから遺体に視線を戻して、

「警察病院の地下の死体置き場で蘇り、夜間に動き出して病院関係者を襲ったとしたら――常勤職員や入院患者を喰い散らかして、相当な力をつけてから外に出て行くでしょうね。最悪対抗戦力がいない間に好き勝手に人間を喰い散らかし、対抗戦力が現場に到着するころには強大な力を身につけて、噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールの一大軍団を形成している可能性もある。実際にその事例が、三十年ほど前にありました」

 アルカードはそう言って、壁際でうずくまっている美玲メイリンから視線をはずした。

「確実に蘇生を阻止する方法はひとつだけ――彼らは蘇生前に生身の人間が受けたら致命傷になる様な、大きな損傷を受けると蘇生しなくなります。具体的には脳、脊椎、肺、心臓のいずれかもしくは全部を破壊することです。これで彼女らは、たとえ吸血鬼になる適性を持っていたとしてももう復活はしない」

 黙祷を捧げる様に一瞬だけ目を伏せてから、アルカードは壁際から離れた。

 つまり被害者が新たな吸血鬼として復活する可能性を完全に潰すには、遺体をある程度破壊しなければならないということか。

 かぶりを振って、ホァンは周囲を見回した。窓側以外の壁には、信じがたいことに一直線の切れ目が入っている。

 ……

 扉は上下の蝶番の間で上下に分断されたために、扉の板が切断されてスイングドアみたいになっている。これがこの金髪の吸血鬼の仕業だとするなら、目の前にいるこの見た目十代後半は本当に人間離れした戦闘能力を持っていることになる。

 甲冑や武装はともかく、見た目だけで判断するなら、彼は本当にただの若者なのだが――

 胸中でつぶやいて、ホァンは彼らの冥福を祈る言葉を唱えている斗龍ツォウロンに視線を向けた――足元の覚束無い美玲メイリンの肩を片手で抱いたまま聖句を口にする若者の邪魔にならない様に、一歩下がって場所を空ける。

 美玲メイリンは口元に手を当てて、特にいくつかの女性の亡骸を目にしてその惨状に言葉を失っている様だった。

 足元のふらついた美玲メイリンの腕を掴んで彼女の体を支えながら――斗龍ツォウロンはそれでも平静を保って吸血鬼に声をかけた。

「ヴィルトール教師、ご無事で?」

「健在だ」 アルカードはうなずいて、MP5の撃発セレクターを『安全』位置に戻して懐にしまい込んだ――それまでのセレクターの位置ポジションはフルオート、先ほどまではタイミングを測って二発で発射を正確に止めていたのだ。

 横で見ている限り、この男の射撃は極めて正確だった。おそらく彼はなんらかの対テロリスト・チームで、現代火器の取り扱いについて訓練を受けている。無論飛虎隊フェイフートァイではないだろうが、イギリスのSASRやドイツのGSG-9といった部隊だ。否――MP5Fを使っているあたり、フランスのGIGNだろうか。

 アルカードは現場の後始末を担当するチームが踏み込んでくるのを見ながら、ホァンに視線を向けた。

「行きましょう。ここに残った死体の中には、もう蘇生する可能性のあるものは無い」

 そう言って、アルカードが部屋の扉に向かって歩き出す。無言のまま、ホァンは彼を追って歩き出した。

 この吸血鬼のした遺体損壊を責めるのは簡単だが、責めたところで意味が無い。彼は別に、助かる見込みのある生存者にとどめを刺したわけではないのだ――彼がしたのは、二次被害を防ぐための予防処置でしかない。

 それに今は、伝えなければならないことがある。

「ところで、待っている間に葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナルの運営会社に伝手のある同僚に頼んで調べてもらったのですが――」

 ホァンの言葉を最後まで待たずに、アルカードが突然足を止めた。

 振り返りながらすぐ後ろにいた美玲メイリンの肩を掴み――彼女の体をかたわらの斗龍ツォウロンの腕の中へと放り込む。同時に空いた右手で太腿の装甲の隙間から抜き放ったナイフを引き抜き、アルカードは美玲メイリンの体を排除することでクリアになった射線上にナイフを投擲した――のだろう、たぶん。

 扉の正面の壁の前、ちょうど逆十字の血の跡の上に数本のナイフによって串刺しにされ、背後の壁に釘づけにされている男の姿を目にすると、そう判断するしかない。

 心臓と右肺、首を短剣の鋒に貫かれて水音の混じった悲鳴をあげている吸血鬼に向かって、アルカードが地面を蹴った。

 ホァンの目には残像すら残らなかった――次の瞬間には、吸血鬼の胸部にアルカードの手にしたショットガンの銃口が突き刺さっている。

「――驚いたぞ、あの状態から修復したか」 かすかに笑みの混じった声で、金髪の吸血鬼がそんな言葉を口にする。

「危なかったぞ――気づくのがあと一分遅かったら、ここに残った警察職員に犠牲者が出ていたところだ」

 アルカードが左手に保持した投擲用のナイフ――否、か――の鋒からおそらく吸血鬼のものだろう、赤い血がしたたり落ちて床の上で弾ける。彼が手首をひねってナイフの傷口に捩じ込んだショットガンの銃口を捩ると、吸血鬼の喉からさらに激しい悲鳴が漏れた。

 クリップポイントタイプのふくよかな形状のブレードは刃渡り三十センチ強、素材そのものが黒い鋼材を削り出して形を整え刃をつけた簡素だが大ぶりなブレードを備えている。

 刃そのものは槍の穂先の様な両刃で、柳の葉に似た左右対称の形状だ。比較的大ぶりなブレード形状に対して、グリップは日本古来のニンジャ道具――クナイの様に細い。ただ先端は丸くなかった。

 どう見ても握り易い形状には見えないから、純粋に投擲用として設計された短剣なのだろう――傷口ウーンデッド・チャンネルをなるべく大きなものにするために、身幅はかなり広い。抜き差しの際にブレードにかかる負荷ストレスを抑えるためか、セレーションは備えていない――セレーションがあったほうが衣服の繊維などの異物を傷口から体内に捩じ込めるし出血量も多いのだが、それをしないのはすんなり抜き刺しが出来る様にするためだろう。長大な刀身に比してグリップが短く細いのは、収納スペースの関係上可能な限りコンパクトにするためなのだろうが――それにブレード全体が体内に入り込んだとき、グリップを掴んで抜き取ることが出来ない様にするためか。

 驚いて振り返っている警察職員にはかまわずに、アルカードが続ける。

「さてと、せっかくだ。あの女がどこに行ったか、心当たりは?」

 激痛のために答える余裕も無いのだろう、吸血鬼はぼろぼろ涙を流しながら助命を乞うているのか何事か叫んでいる。もっともアルカードにはまったく感銘を与えていないらしく、彼はさして気に留めないまま、溜め息をついたのかその肩が小さく揺れた。

「ああ、そう。オーケイ、じゃあもういいぜ」

 次の瞬間、耳を弄する轟音が部屋の中に響き渡った――アルカードが吸血鬼の胸郭内部に突き刺したままのショットガンを発砲したのだ。

「――そろそろ死んでも」

 次の瞬間、吸血鬼の体が衣服だけを残して塵と化して消滅した――金髪の吸血鬼が壁に突き刺さった短剣を引き抜き、ショットガンの銃口を下ろす。

あばよ、我が友Adios, amigo

 シンプルな作りの細身のナイフを三本まとめて左手で持ち、アルカードはショットガンを肩に担ぐ様にしてこちらに向かって歩いてきた。

 十二番ゲージの水平二連ショットガンだが、ありふれた中折れ式ではない――CQB用のショットガンを見慣れた者なら、荒唐無稽さに眼を剥く様な代物だ。

 明らかにポンプ式給弾を排除したセミ・オートマティックのショットガンなのだが、それが横にふたつくっついている様にしか見えないのである。

 二本の銃身が水平に固定されているのだが、その上部に明らかにポンプ・アクション式ショットガンの筒型弾倉チューブマガジンに相当すると思しい二本の円筒が固定されている。エンド・キャップでその先端は塞がれており、レシーヴァーの上下にはそれぞれ開口部が存在し、レシーヴァーの側面にはいくつかレバーが取りつけられていた。

 ホァンの位置からだと、銃腔の内部がいくらか見えた――銃身は左側の銃身はライフリングが切られ、右側の銃身だけスムースボアになっている。おそらく左側の銃身はスラッグ弾専用で、精密狙撃も行える様になっているのだろう。

 レシーヴァー下部の開口部から硝煙が立ち昇っていたことから察するに、上部の開口部から装弾して下部の開口部から排莢する仕組みになっているらしい。

 ハードアナダイズド処理が施されたレシーヴァーはおそらくアルミ製だろうが、強度面を考慮すると相当な重量にならざるを得ないはずだ――それを軽々と片手で扱っているあたり、あの細身で相当な膂力を持っていることになる。

「ところで、ホァン警部」 アルカードがこちらに視線を向けてくる。

「さっき、なにをおっしゃろうとしてらしたんですか?」

 先ほどアルカードが話の途中で吸血鬼を攻撃したために、ホァンが中断した科白のことを言っているらしい――ホァンはうなずいて、

「同僚の弟が中遠國際貨櫃碼頭有限公司COSCOパシフィック・リミテッドに勤めておりまして、彼を通じて問い合わせてもらいました。一時間ほど前に、葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナルから日本の東京に向かって出港した貨物船があるそうです」

「なるほど。捜査員をここに引っ張り込んでから無線機を破壊して注意をこっちに引きつけ、その間に高飛びか」

 アルカードは納得した様に小さくうなずいてから、

「わかりました。そのご友人には、お礼を伝えておいてください――『クトゥルク』が葵涌ここにいたことから考えても、奴の目的はたぶんそれでしょう」

 そう返事をしてから、アルカードはかたわらの斗龍ツォウロンに視線を向けた――手にしたショットガンをホルスターに戻しながら、

「行こう、斗龍ツォウロン――今度こそ本当に、もうここに用は無い」

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