Genocider from the Dark 28

 衣服の上から切られているというのが、また問題だった――波打った刃に絡め取られた衣服の繊維の切れ端が、傷の内部に入り込んでいる可能性がある。

 とりあえず呼吸は弱々しいし心臓の鼓動も若干早くなっているものの、吸血痕は消え一命も保っているという事実に安堵して、アルカードは小さく息を吐いた――などと誰かに言ったら目を丸くされるだろうが。

「こちらホァン、了解」 耳障りな空電雑音ヒスノイズとともに、短い返答が返ってくる。

「タイガー・ワンよりイーグル・リーダー――作戦は終了した。小鳥たちを連れて帰れ。タイガー・ワンよりベア・リーダー――広域封鎖は解除、爾後は予定どおりデビルズネストの封鎖にかかれ。タイガー・ワンよりウルフ・リーダー――現場の安全は確保された、直ちにタイガー・ツーおよびタイガー・スリーの身柄を確保しろ。各コールサイン、受領通知アクノレジ。イーグル・リーダー」

「イーグル・リーダー了解、イーグル・チームはこれより撤収し現場を離脱する。現刻を以て通信網より離脱」

「タイガー・ワン了解。ベア・リーダー」

「ベア・リーダー了解。現在、現場の封鎖に移行中」

「タイガー・ワン了解。ウルフ・リーダー」

「ウルフ・リーダー了解――すでに当該建物に侵入したコンプリート

「タイガー・ワン了解。ウルフ・チームはドラゴンとの同士討ちブルー・オン・ブルーに注意せよ」

「ウルフ・リーダー了解」

 ホァン――タイガー・ワン?――とほかのチームの間で、そんな通話が飛び交っている。ずいぶん多くの人間が動員されているらしい。

 ブルー・オン・ブルーは同じチーム同士で争う、すなわち同士討ちを意味する言葉だ――身柄を確保すべき対象がタイガー・ツー、スリーのコールサインで表わされていたこのふたりであるとするなら、ドラゴンというのは自分のことになるのだろうが。

 吸血鬼は全員片づけたはずだが、それでも一応警戒のためにMP5を抜きながら、アルカードは無線でホァンを呼び出した。

「アルカードです。ドラゴンというのは俺のことですか?」

「こちらホァン。そうです。貴方が現場に移動している間に、警察から支援チームを呼び寄せました。現場の封鎖を確実に出来る様にと思いまして。タイガー・ワンが私。ツーとスリーはそこのふたり。イーグル・チームは現場の状況把握のための監視も兼ねた狙撃チーム、ベア・チームは周辺封鎖を行っていたチームです。彼らはこれより建物の封鎖に移行します。ウルフ・チームは現在そちらに移動中の、緊急医療チームです」

「ドラゴン、了解」 物々しい呼び名だと思いながら、アルカードは首を振った。だが、ドラキュラの父親であるヴラド二世の異名・ドラクルの由来が竜の騎士、ドラキュラの異名の由来が竜の子であることを考えると、ドラゴンのコールサインはある意味で自分にこそふさわしいのかもしれない。

 そんなことを考えて皮肉げに唇をゆがめたとき、こちらが自分のコールサインを把握したからだろう、ウルフ・チームが無線で呼びかけてきた。

「ウルフ・リーダーよりドラゴン」

「ドラゴン――感度明度とも良好。状況を報告されたい。今どこだ?」

「ウルフ・リーダー。今そちらがいると思われる扉の前に着いた。ブルー・オン・ブルーを防ぐため、二度ノックしてから進入する」

「ドラゴン、了解」

 言いながら、扉にMP5の銃口を向ける――二度のノックののちに扉が開き、六人の男たちが姿を見せた。いずれもヘッケラー・アンド・コッホのショートカービンで武装し、ガスマスクとトラウマ・パッド入りのタクティカルベストを身につけている。

「貴方がドラゴンか?」 先頭にいた長身の男が、こちらの姿を認めて声をかけてくる。声からして彼がウルフ・リーダーだろう。アルカードが銃を下ろすのを確認して、彼らはこちらに近づいてきた。彼は壁際の死体たちに視線を向けて顔を顰めながら、

「香港警察のツァオだ」

 ガスマスクをはずしながら、ウルフ・リーダーがそう声をかけてくる。アルカードはうなずいて、

「アルカード・ドラゴスだ」

 ロンたちを視線で示すと、ツァオはうなずいて仲間たちに目配せした。手分けして手早く応急処置を施し担架の用意を始めたウルフ・チームの隊員たちを横目に見ながら、ツァオの腕を引っ張って軽く合図する。

 ツァオとふたりで壁際に移動すると、アルカードは小声で彼にささやいた。

リーさん――タイガー・ツーとスリーのどっちなのかは知らないが、意識の無いほうだ。パン切り庖丁で服の上から切られてる」

 その言葉に眉をひそめ、ツァオは小さくうなずいた。こちらの言葉の意図がよくわかっているのだ。

「わかった――ウルフ・ワンよりウルフ・セヴン。これよりターゲットを搬出する。すぐに動き出せる様に準備しろ」

「ウルフ・セヴン了解」

 無線機のイヤホンから短い返答が返ってくる――おそらく救急車輌で待機している運転手だろう。それを聞いて、アルカードは折りたたみ式の担架にふたりの体を手早く固定しているウルフ・チームと彼らによって運び出されようとしている重傷者ふたりに視線を戻した。

 彼らの救いのひとつは、病院から一キロと離れていないことだろう――救急車などの公用車輌で搬送すれば、十五分後には瑪嘉烈醫院マーガレットイーイェンの手術室に運び込まれているはずだ。

「すまないが、我々はすぐに出る。あんたはどうする?」

 ツァオの言葉に、アルカードは壁際のいくつかの亡骸を視線で示した。

「あそこの死体を検分してから行くよ」

「わかった」 ツァオがうなずいて、プロフェッショナルらしいきびきびした動きで踵を返した。

「行くぞ」

 医療チームが出ていくのを見送って、アルカードは反対側の壁際に打ち棄てられた亡骸に歩み寄った。

 

   †

 

 ホァンがくだんのごろつきどもの巣窟――デビルズネストに入ったのは、指揮官であるツァオに率いられたウルフ・チームの隊員たちが重傷を負った部下ふたりを建物から搬出し、救急車に乗せて撤収を開始したあとのことだった。

 無論申し合わせたうえでのことだ。いかな関係者とはいえ、特徴を知る者は少なければ少ないほどいい。

 建物の外見はぼろぼろで、内部はひどく黴臭い。中国本土の粗悪な業者が施工したのか、建物内外のコンクリートが剥落して中から腐りかけた竹をビニールロープで固縛しただけの安っぽいという表現すら勿体無い様な芯材とコンクリートの使用量を減らすためかペットボトルや飲料、缶詰の空き缶が顔を出している。

 連れの二名――劉斗龍リゥツォウロン司祭と修道女楊美玲ヤンメイリンが手抜き工事の痕跡に気づいて、いかにも気が進まなさそうに顔を顰めている。だが入らなければならないのはわかっているからだろう、ふたりは意を決した様にホァンに続いて建物に足を踏み入れた。

 すでに安全なのはわかっているつもりだが、やはり足取りは重い――これからなにを目にすることになるのかを思えばさもあろう。

 建物の奥から手前に向かって、二階へと昇る階段がある――手すりはコンクリート製で隙間が無いため、階段そのものの様子は窺えない。

 長年愛用してきたSigザウァー九ミリ拳銃を構えたまま、手すりというか柵を廻り込んで階段を覗き込んだところで、ホァンは動きを止めた。

 二階へと続く階段の下で、ひとそろいの衣服がくしゃくしゃになっている――上着、シャツとカーゴパンツ、トランクス、靴下に汚れたスニーカー。先に侵入コンプリートした医療ウルフチームの隊員に踏みつけられたのか、ビブラム・ソールの足跡がついている。

「これは――」

 まるでついさっきまで人が身につけ動いていたかの様な衣服を見下ろして、ホァンは疑問の声をあげた。

「吸血鬼が先ほどまで身につけていたものでしょう」 という斗龍ツォウロンの返答に――ホァンはそちらに視線を向けた。

「ドラゴス教師に殺されると、吸血鬼は灰になります――だけが灰になるので、吸血鬼が死んだあとには身につけていたものだけが痕跡として残るのです」 斗龍ツォウロンがそう続ける――なるほど、だけが無くなった結果こういう状態になるのか。

 この衣服の持ち主は薬物中毒者ジャンキーだったのか、注射器や上膊を縛るためのゴム紐も床に落ちていた。足元にはずいぶんと日本製のラジカセが放置されており、Red Hot Chili Peppersの楽曲を奏でている――ホァンは手を伸ばして、演奏停止ボタンを押した。

 先に侵入コンプリートしたアルカードが放置していったのは、自分の活動音を消してくれると考えたからだろう。あるいは演奏を止めたら、異状アタックを気取られると考えたのかもしれない。いずれにせよ――

 この衣服とラジカセの持ち主は、銃で射殺された様だった。壁際に無煙火薬コルダイトの発射ガスで薄汚れた九ミリ口径の空薬莢エンプティ・ケースが転がっている。

 空薬莢ケースにこびりついた発射ガスの煤はまだ新しい。おそらく十数分経っていない。

 とりあえずそれはそのまま放っておいて、二階へと上がる――どんどん強くなってくる濃密な死臭に、ホァンは顔を顰めた。

 かつてライブハウスとして使われていた時代のメインホールであったろう部屋の中は、ひどい有様だった――周囲には階段下にあったもの同様大量の衣服だけが散乱している。いずれも穴が開いたり切り裂かれたりしており、この場で目の前の金髪の青年に殺された吸血鬼のものなのだとわかった。

 最初に目についたのは、正面のライブステージの壁に残った逆様の十字架みたいな血の跡だった――その下の床の上に、ほとんどただの肉の塊となり果てた物体が崩れ落ちている。

 テーブルは薙ぎ倒され、通り側のコンクリート壁がぶち抜かれて、風穴から光が差し込んでいる――昼間の太陽は高いので、残念ながら射し込んだ光で内部の吸血鬼が全滅、というわけにはいかなかった様だが。

 先ほどこの壁の正面に近い位置から監視していたイーグル・チームのひとりから、壁が崩落してふたりの男たちが飛び出してきたと連絡があった――もっとも、そのときの表現の仕方から判断する限り、みずから飛び出したのではなく放り出されたと考えるべきなのだろうが。

 ふたりの男たちは直射日光下に放り出されるや否や突然炎に包まれ、そのまま地面に落下するよりも早く燃え尽きて、灰も残さずに消滅してしまったという。

 部屋の中は無意味に広い――ライブ用ホールなので当然だが。

 照明は機能していないが部屋の片隅でポータブル式の小型充電器が稼働しており、それが白熱電球に電源を供給している――おそらくここを溜まり場にしていた連中が、それを使って照明を確保していたのだろう。すぐ横には蓋のはずれたままのポリタンクが置いてあり、車内で用意していた閃光音響手榴弾ディストラクション・ディヴァイスを使わずに済ませたのは、それが理由だろう。

 アルカードが車内で用意していたのはデフテック社製のMk.25閃光音響手榴弾ディストラクション・ディヴァイス、凶悪犯やテロリストを実力行使で排除する特殊作戦部隊で用いられる特殊手榴弾の一種だ。

 Mk.25ディストラクション・ディヴァイスは燃焼剤サブミッションと呼ばれる無数の細かなペレットを周囲に飛散させ、次の瞬間それらが一斉に燃焼して閃光と轟音を発する。その特性上広い空間であっても効果が均等な半面犯人や人質に与える負担ストレスが大きいのだが、もうひとつの問題点が可燃物に引火しやすいことだった。

 部屋の隅には石油ストーヴも置かれている。きっと燃料は盗んでくるのだろう、灯油のポリタンクも置いてあった。彼らの火気取り扱いはどうにもデリカシーに欠けるきらいがあるらしく、キャップが開いたままになっている。

 燃料が大気開放されたまま放置されていることに気づいたから、彼は燃料への引火の危険を恐れて閃光音響手榴弾ディストラクション・ディヴァイスによる敵の無力化ニュートラライズを試みなかったのだろう。

 風穴の開いた道路側とは反対側の壁際には、いくつもの死体が放り出されていた――女性の亡骸は、だいたいが酷い暴行を受けた形跡がある。殺される前にどんな仕打ちを受けたのかは考えるまでもあるまい。

 おそらくこの金髪の吸血鬼が追っているという女の吸血鬼も、そういった被害者と同様に乱暴目的でこの建物に連れ込まれたのだろう――身勝手な性欲の捌け口として。

 彼女自身にとっては、彼らはアルカードの足止めの道具でしかなかったのだろうが――

 男性の亡骸もあるのは、ただ単にたまたま目についてしまったために拉致され、暴行を受けた被害者に違い無い――死体がいくつもあるのは、彼らのグループがいくつかに分散して活動しているからだ。その割に被害者が実際に発見されないのは、行方不明者が出ても被害届が出ることがあまり無いことと、実際にその被害に遭った人からの届け出が無いからだ。

 おそらく外国人観光客などのどこにいてもおかしくない者たち、それに単身生活者などの行方不明になっても誰も気づかない者たちが被害の中心になっているのだろう――この手の連中はたいてい馬鹿の割に悪知恵だけは人一倍働くので、そこらへんは抜け目無くやっているらしい。

 おそらく、ここにある遺体もじきになにか人目につかない方法で廃棄されることになっていただろう――もう十年ほど前、たしかショーワ天皇がヘイセイ天皇に代替わりした年だから一九九〇年代半ばのことだが、日本では女子高生の遺体をドラム缶に入れ、コンクリート詰めにして投棄するという事件が起こっている。

 アルカードはというと壁際にかがみこみ、来ていたものを剥ぎ取られて全裸に近い格好をさせられた血まみれの女性の亡骸を見下ろしているところだった。あられもない姿の遺体の首筋が、血で真っ赤に染まっている。

「吸血鬼殿、なにを……?」

「ああ――ホァン警部」

 ホァンが室内に入ってきたことに気づいたのか、立ち上がったアルカードが肩越しにこちらを振り返る。

斗龍ツォウロン美玲メイリンは?」

「どういった状況かわかりませんでしたので、部屋の外で待ってもらっています。ところでその女性は?」

 その言葉に、アルカードは床の上に横たわった女性の亡骸に視線を戻した。

「吸血被害者です。ここにある亡骸の中で、彼女も含めて二、三人、血を吸われた痕跡がありました」

 言いながら、アルカードが右手に保持した大型の携行火器を軽く翳した。ヘッケラー・アンド・コッホのMP5サブマシンガンだ――A3かとも思ったが、レシーヴァーには伸縮式ストックのレールを潰す形でフラットバーが熔接され、フォアストックを取り去ってアンダーバレル・ライフルグレネードが装着されている。

 MP5のレシーヴァーは冷間圧延鋼板のプレス成型で作られていて、長期間の使用でひずみが生じてくる。一定の弾数を射撃したら、メーカーに矯正に出す様にと取扱説明書にも書かれていたはずだ。特殊部隊用途などのために特別誂えで作られたモデルの中には、ひずみによる強度や精度の低下を可能な限り防ぐためにレシーヴァーに鋼板フラットバーが熔接されているものがある。

 これは法執行機関向けに開発された精密狙撃用のPSG-1狙撃システムにも見られるカスタムだ――伸縮式ストックは使えなくなるが、そもそもこのMP5にはストックが無い。

 折りたたみ式のストックや固定式ストックなら使えるはずだが、MP5K用のエンドカバーを流用して開口部を潰している――言うまでもなく扱いが難しくなるが、常人離れした身体能力を持つ吸血鬼アルカードにとっては関係無いのだろう。

 おそらく装薬量を増やしたハイプレッシャーの弾薬に耐えるために、内部機構も徹底的に強化されているはずだ。直接のベースになったのは、MP5Aをベースにフランス警察用に特注されたMP5Fらしい。

「吸血鬼殿、なにを――」

「被害者です。彼女は死体に戻っていない・・・・・・・・・

 ホァンの問いかけにそう返事をしてこちらから視線をはずすと、アルカードは足元で埃だらけの床の上に力無く横たわる女性の亡骸の頭部に手にした短機関銃サブマシンガンの銃口を向けた。ホァンが止めに入るよりも早く、一瞬の躊躇も無くトリガーを絞る。

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