Genocider from the Dark 27

 反面緻密な魔力制御の出来ないアルカードの魔力戦技能はバケツ一杯の水をぶちまけて床の上に置いたコップに水を入れる様な、きわめて効率の悪いものだ。バケツからコップに水を移そうとしてコップの上でバケツを逆さにすればコップに入ったぶん以外の水は無駄になってしまう様に、実際に攻撃に使われる魔力よりもただ拡散して散っていく魔力のほうがはるかに多い――吸血鬼は生身の人間よりも霊体に対する依存度が高い生き物だから、魔力の枯渇はそのまま死に直結する。

 そのため実際に衝撃波を構成する魔力容量よりもはるかに多くの魔力を浪費する魔力戦技能は、アルカードにとってはかなり使いどころの限られる技術だった。

 だがその一撃と引き換えに十人の敵を一度に始末出来るのならば、まあ無駄というわけでもなかろう。口元をゆがめたまま、角度がよかったために難を逃れたらしいマオに向き直る――繰り出した世界斬World Endの軌道があと二センチも低ければ、マオも左隣にいる取り巻きと同様頭蓋骨を斜めに削り取られて絶命していただろうが。チビでよかったというところか。

 マオの頭上、一番近いところでは頭から一センチも無い高さで、背後の壁に斜めに切り込みが走っている――マオの左にいた吸血鬼ふたりは頭蓋骨を斜めに削り取られ、今はすでに床の上で塵の山になっていた。

 今の一撃で死なずに済んだという意味では、まあ幸運だったといえるだろう――もっとも、だからと言ってそれが真に幸運とは限らないのも事実だったが。

 少なくとも、彼らが死なずに済んだのは別に幸運ではない――たとえこの場から逃げ仰せたところで、地下通路でも無い限り脱出は不可能だ。晴天の昼間に噛まれ者ダンパイアどもが建物の外に出るのは、自ら鎔鉱炉に飛び込むに等しい。

 一歩踏み出すと、甲冑の脚甲が音を立てた。その足音を聞いて、それまで立ちすくんでいたマオの取り巻きの最後のひとりが床を蹴る。逃げ出すのかと思ったが、そうではない――かといってこちらに襲い掛かってくるわけでもない。

マオの手下の吸血鬼は床の上に倒れたままのホァンの部下たちふたりに肉薄すると、ロンだかリーだかわからない警官のうちひとりの髪の毛を掴んで上体を引き起こし、その首筋にナイフを突きつけた。

「動くな、こいつがどうな――」

 繰り言を最後まで言い終えるより早く、短い連射に頭蓋を粉砕された噛まれ者ダンパイアの体が塵と化す。いまだ銃口から硝煙をあげる九ミリ口径を懐にしまいこみ、アルカードはさもつまらないものを見たと言いたげに鼻を鳴らした。

「……なにか言ったか?」

 返答などあろうはずもない――床の上で塵の山になった噛まれ者ダンパイアの屍を見遣って、アルカードは適当に肩をすくめた。

 それで最後の手下が死に――最後に残ったのはマオひとりだけになった。

 その表情にはもはや、アルカードに対する殺意は感じられない――その瞳は恐怖に染まり、膝はがくがくと震えている。当然と言えば当然か、他はともかく最後の一撃は彼らとアルカードの決定的な戦闘力の差を如実に示している。

 そろそろ終わりか――

 胸中でつぶやいて、アルカードはマオに視線を向けた。

 そろそろママのおっぱいが恋しくなってきてるんじゃないのか、小僧?

 皮肉な笑みを口元に刻んで、アルカードはマオに向かって一歩踏み出した。

 そしておまえの人生は――

「そしておまえの人生は――」

 ラジカセから流れる歌詞に合わせてそのフレーズを口にしながら、懐に左手を突っ込んでX-FIVE自動拳銃を引き抜く。

 それを目にして――とうとうマオは逃げをうった。無様な悲鳴をあげながら身を翻し、扉に向かって走り出す。

 そこで終わりを迎えるのさ――

「ここで終わりを迎えるのさ――」

 アルカードがトリガーを引くと、自動拳銃が二度火を噴いた。

 相手の動きを予測して放った概略照準連射ダブルタップで発射された銃弾がみずから射線上に走り込んだマオの脇腹に命中し、着弾の衝撃でマオの体が入口近くで横薙ぎに薙ぎ倒される。

 だが、彼は容赦しなかった――マオがその二連射で即時消滅しなかったからということもあるが、救急医療メディックチームはそこから入ってくるのだ。脅威を残しておくわけにはいかない。

 塵灰滅の剣Asher Dustを消したために空いていた右手を翳し、両手の手の甲を密着させる様にして銃を固定する。本来はフラッシュライトやナイフを持ったまま、相手を照らしながら撃ったり素早く接近戦に備えるための構え方だ――昔索敵クリアリング訓練で仕込まれて以来、このやり方が染みついてしまった。

 照準線上に標的を捉え、口元をゆがめてトリガーを二度絞る。

 解き放たれた精密照準連射コントロールペアが、二発の弾頭をマオのこめかみに送り込んだ。

 着弾の衝撃でマオの頭部の皮膚がずたずたに裂け、紅い霧の様に鮮血が飛び散る。頭蓋骨が粉砕され、撒き散らされた脳漿が壁にへばりついたあと、そのまま塵と化して消滅した。

 扉の横の椅子の上に置いてあったラジカセが倒れ込んできたマオの体に椅子ごと押し倒され、床の上に落下する。落下の衝撃でかCDプレイヤーの蓋が跳ね上がり、まだ続いていた演奏が止まった。ターンテーブルからはずれて飛び出したCD-ROMが車輪の様に綺麗に直立したまま壁際まで転がっていってから、床の上でぱたんと倒れる。

そして残るは――And the rest――

 マオの体が黒い塵へと変わっていく、それを一瞥してから、アルカードは床の上にうつぶせに倒れたままこちらを見つめているロン――ということにしておこう――に向き直った。胸元に右手を当てて、演目を終えた役者の様に優雅に一礼する。低頭したまま、穏やかな低い声で彼は続けた。

――沈黙のみ――is silence」 シェイクスピアの一節の暗誦を最後に、早足でロンのそばへと歩み寄る。教会によって予備知識を与えられているためにこちらが人間ではないことも理解出来ているのだろう、アルカードを見上げるロンの視線には未知の存在に対する恐怖と圧倒的に上位の生命体に対する畏怖が込められていた。

 あまり怯えられても困るんだがな――苦笑してそうつぶやくと、アルカードはロンのかたわらにかがみこんだ。

「よう、あんたがロンさんでいいか?」 そう尋ねると、ロン――だと勝手に判断した――が無言のまま小さく首肯してきた。

 ロンのスーツのワイシャツの首元が、血で真っ赤に染まっている――手甲をはずしたアルカードが彼の首元に手を伸ばしても、ロンは視線にこめた警戒感を強めはしたものの、抵抗しようとはしなかった。こちらが化け物であっても味方だと判断しているからか、それとも弱ってその余裕すら無いのかは知らないが。

「奴らの仲間はほかにいるのか?」

「否、あんたが殺したぶんだけだ。あ、それと階下したにひとり」

「そいつはった」

 ロンの返事にうなずきながら、首筋をまさぐってみる――が、激しい出血の痕跡にもかかわらず首筋に傷は無い。

「奴らに噛まれたか?」

 アルカードがそう尋ねると、ロンは小さくうなずいてみせた。かすれた声で首肯してくる。

「ああ」

「どっち側だ?」

「あんたが触ってる側の首だ」 アルカードはその言葉に小さくうなずいて、そのまま手を引っ込めた。

「なら問題無い」

 その言葉に、ロンがいぶかしげに眉をひそめる――吸血鬼の吸血痕は、三つの条件のいずれかひとつを満たすと消える。

 ひとつは死亡した被害者が蘇生し吸血鬼化して他者の血を吸い、完全な噛まれ者ダンパイアになったとき。ひとつは吸血被害者が噛まれ者ダンパイアとして蘇生したあと、他者の血を吸う前に加害者がなんらかの形で死亡したとき。もうひとつは被害者が蘇生する前に加害者が死んだとき、これは被害者が喰屍鬼グール適性を持っている場合に限った話だが。

 この場合は吸血被害者が死亡する前に加害者の吸血鬼が死んでいるから、どの条件にも当てはまらない。だが、目の前にいるロンには吸血鬼化する様な魔力の変動は無く、そのうえで吸血痕が消えている。

 主持たずヴァンパイヤントであっても最初の吸血を行うまでは吸血痕は消えないから、ロンが生きたまま吸血痕が消えているのであれば吸血鬼化する心配は無いだろう。

 面倒だったので説明は省略し――説明したところでなにが解決するわけでなし、そもそもここにいる吸血鬼が全滅している以上、その作業自体が確認程度の意味しか無かったのだ――、アルカードはとりあえず致命傷になる様な重傷や大量出血が無いことに小さく安堵の息を吐いた。

 脇腹のあたりに手が触れると、ロンがわずかにうめき声を漏らした。

「肋が何本か折れてるな――だが内臓を傷つける様な折れ方はしてない。右腕もだ。ナイフで切られた跡は――後遺症は無いが傷は残るな」

 どちらかというと、リーのほうが重傷だ――先ほどから呼吸音は聞こえるが、ほとんど動きを見せていない。問題は出血性ショックのほうだが――胸中でつぶやいて、アルカードはロンのそばで倒れているリーに歩み寄った。

 首筋に指先を這わせて噛み痕を確認しつつ、片手で無線機の電源を入れる。

ホァン警部――こちらアルカード。受信していますか?」

「――はい、こちらホァン。状況の報告を」

接敵コンタクトがありました――すでに戦闘終了、敵を殲滅しました。建物の安全は確保、入ってきても大丈夫です。部下の方ふたりはともに生存、ただし一名は重体です――可及的速やかに、高度な治療の行える病院に搬送する必要があります。医療チームの手配を願います」

 送信ボタンから指を離し――床の上に転がっていたプラスティック製の柄のついたパン切り庖丁を目にして、アルカードは小さく舌打ちした。

 リーの左腕に衣服の上から切りつけられた傷跡は、おそらくこの庖丁によるものだ――パン切り庖丁は刃の部分が切れ味を増すために波刃になっていて、柔らかい物に対して効果的に切断能力を発揮する。

 それがパンだろうが人間の肉だろうが、同じことだ――パン切り庖丁で斬られた傷は、中世ヨーロッパで使われていた刀剣フランベルジュと似た様な破壊状態を呈する。傷口が不規則に荒らされるために出血の止まりが悪く治りも悪く、結果感染症や壊疽ネクロージスも起こしやすい――鋸で切られるのと同じ様なものだ。鋸ほど傷の状態はひどくないにせよ、普通にナイフで切られるよりもはるかにひどい激痛と出血を伴うのは間違い無い。

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