Genocider from the Dark 30

 

   5

 

斗龍ツォウロン

 夕食が終わったところで席を立った吸血鬼に呼びかけられて、テレビのニュースを見ていた斗龍ツォウロンは振り返った。

 金髪の吸血鬼はそれが普段着なのか、アンダーアーマーのTシャツにcw-xのアンダーウェア重ね着し、生地の分厚いジーンズを穿いている――最初に教会を訪れたときの服装から、レザージャケットだけを脱いだ格好だ。

 彼はテレビで流れている昼間の戦闘に関する報道と斗龍ツォウロンを見比べつつ、

「古新聞かなにか無いか? スラッジが固まる前に銃のメンテナンスをしておきたいんだが、なにか敷くものがほしいんだ」

 その言葉に、斗龍ツォウロンは席を立った――テレビの脇に置いてあった段ボール箱の中から昨日の東方日報(香港の主要新聞のひとつ)の朝刊を取り出して、アルカードに差し出す。

「これで足りますか?」

「ああ、ありがとう」

 丸めた新聞を適当に振って、アルカードは食堂から出て行った――それを見送って、斗龍ツォウロンは椅子に座って再びテレビに視線を戻した。

 実施された情報操作によって、デビルズネストで行われた戦闘は実際とはまったく関係の無い、とことんまで歪曲された代物に変わっている。

 テレビの報道は警察の発表をそのまま伝えており、人質をとって建物に立てこもった凶悪犯を飛虎隊フェイフートァイが射殺したことになっている。吸血鬼が死ぬと衣服はそのまま残るが、残った衣服はすでに回収されて焼却され、薬莢等も無くなっている――すべて警察が回収したはずだ。

 真昼に行われた戦闘だったこともあって、アルカードが窓から放り出したふたりの吸血鬼の姿は誰かに目撃されていたらしい――だが幸いというか、飛虎隊フェイフートァイが突入した際に投げ込んだ特殊閃光音響手榴弾ディストラクション・ディヴァイスの炸裂が室内にあったストーヴのそばに置いてあった灯油のポリタンクの中身に引火し、間近にいたふたりの犯人がその引火に巻き込まれて、全身火だるまになったまま飛び出したのだということになっている。

 その報道の通りなら壁をぶち抜いて飛び出したことになるのだが、テレビ画面にはコンクリートに埋め込まれたコカ・コーラの空き缶や紹興酒の空き瓶、シロップ漬けパイナップルの空き缶、腐って朽ちた竹筋にそれを固縛するポリプロピレンのロープという酷い光景が映し出されている。

 たしかにこれなら、大人が全力でタックルすれば壁ごとぶち抜けるかもしれない――というか、よく無事だったな俺たち。

 実際に閃光音響手榴弾スタングレネードの爆発でポリタンクに引火することは無いだろうと思っていたが、アルカードに言わせるとそうでもないらしい――閃光音響手榴弾スタングレネードには成分の一部にマグネシウム化合物が使われており、これが燃焼の際に高熱を発する。

 デビルズネストにはガソリンと灯油、それぞれのポリタンクが蓋をはずしたまま置かれており、彼はその臭いがしたから引火の危険性を避けるために閃光音響手榴弾スタングレネードを使わなかったという様な趣旨のことを食事中に話していた。昼間の襲撃における第一義がホァンの部下二名の安全確保であったことを鑑みれば、正しい判断だと言えるだろう。

 ただしそれを抜きにしても穴だらけのカバーストーリーではあるものの、その程度で十分だというのがアルカードの意見だった――理由は簡単で、香港の一般人は閃光音響手榴弾スタングレネードがどういったものなのかも知らないだろう。

 閃光音響手榴弾スタングレネード特殊閃光音響手榴弾ディストラクション・ディヴァイスとアルカードは呼んでいたが、これらは炸裂の際にごく短い一瞬ではあるが高温を発する――だから引火が起きても不思議ではない、周囲に十分な燃料の蒸気が混合した可燃性ガスがあればの話だが。

 だが、たいていの一般人は手榴弾なんか映画かドラマ、もしくは映画でしか見たことが無いはずだ――ジャッキー・チェンの映画『霹靂火(邦題デッド・ヒート、一九九六年日本公開。犯罪組織のボスがレーサーをやってるというぶっ飛んだ設定の映画です)』におけるテロリストの警察署襲撃事件では、使われた手榴弾は一瞬炎を上げただけですぐに火が消え、特に二次被害も無かった。

 アルカードに言わせると、破片手榴弾フラグメントなら周囲に破片が飛び散って周囲の人間や器物を損傷するし、焼夷手榴弾インセンダリーなら黄燐や白燐が飛散するから、炎はなかなか消えないのだという――特に白燐は皮膚を蒸発させ骨を熔かすほどの高熱を発し、さらには消火も困難だという。

 実際には手榴弾はその様に危険なものだが、香港に限らず兵役の経験の無い一般市民は映画の影響だけで実際的な知識は乏しいから、そんな話でもある程度騙されるだろうというのが、アルカードの判断だった――カバーストーリーが穴だらけだということは認めていたが。

 香港には軍隊は無い――中国本土に対する叛乱を恐れているのか、あるいは中国の庇護があるから必要無いのか、いずれにせよ軍隊がやる様な仕事はたいてい飛虎隊フェイフートァイが行っている。

 飛虎隊フェイフートァイは警察の一部門だから、当然徴兵制も無い――したがって、一般市民が実物の手榴弾に触れたことはまず無いはずだ。

 テレビに映っている自称知識人の判断は、およそ信じがたいほど的はずれなものだった――まあデビルズネストは今も香港警察によって完全封鎖されているし、アルカードが建物に致命的なダメージを与えたことと深刻な手抜き工事が明らかになっているから、近いうちに取り壊されることが決まっている。その作業が専門の解体業者に委託されるのか、それとも飛虎隊フェイフートァイ内爆インプロージョン――アルカードの言葉を借りれば、建物を吹き飛ばさず、強度的に重要な部分だけを破壊して建物を崩壊させる、いわゆる爆破解体だそうだ――を行うのか、そこまでは知らないが。

 いずれにせよ、アルカードにとって重要なのは、『よく晴れた今日の昼下がり、チンピラの巣窟で完全武装の吸血鬼が吸血鬼化したチンピラ三十人ちょっとを相手に大立ち回りをして、皆殺しにしましたよ』という事実が漏れないことだけらしい――まあ実際、彼ら聖堂騎士団や香港警察にとっても、重要なのはそこだけだ。

 斗龍かれにとってさえ、チンピラどもの生き死になどどうでもいい――吸血鬼の犠牲になった挙句にその狩人であるアルカードに殺されたのは哀れといえば哀れだが、それに見合うことをやってきたのだから自業自得だ。むしろ彼らの犠牲になって殺された者たちのほうが、よほど哀れだと言えよう。

 犠牲者たちはいずれも亡骸は残っているが、それも幸せなのか不幸なのか。アルカードによれば、彼らの遺体が蘇生する恐れは百パーセント無いそうだ。

 だが現場に残っていた亡骸が所持していた身分証明書のたぐいはすべて破棄されている様だった――万が一遺体が発見された場合に身元が割れない様にするためなのか、それとも金融業者で金でも借りたのかは知らないが。写真入りの身分証も無くなっていたから、おそらくは前者だろう。

 人種的な特徴から旅行者、もしくは海外から訪れた商社の人間であると判断されており、一言で言うとほぼ全員が外国人だった――香港に在住する人々と異なり、彼らは捜索願を出す人間がいない。無論長期間旅先から帰らなければ、領事館や大使館を経由して渡航先に問い合わせがいく可能性はあるだろう――が、それが通るころには遺体の判別などつかなくなっているだろう。

 いずれもそうだが、特にアルカードが頭を撃った人々の遺体は、あの状態では遺族に返却するのも難しい。

 ヴァチカンへの報告は、アルカードが直接行ったはずだ――彼は電子メールなどを使って、ヴァチカンの聖堂騎士団長レイル・エルウッドと直接連絡を取り合っている。

 五百年生きている吸血鬼アルカードが普通に電子メールだの電話だのを使うという光景は、よく考えるとものすごいものがある――そういえば、昼間ホァン警部もアルカードがなんの説明も受けないまま無線機を使い、特殊作戦部隊特有の暗号を普通に使って話していたことに驚いていた。

 だが実際のところ、驚くには値しないことなのかもしれない――彼は別に、二千数百年も氷漬けになっていて、たまたま現代に蘇生した原始人ではないのだ。

 リアルタイムで人間社会の変化を見続けてきたのだから、彼がそこらの人間よりも現代文明に慣れていても、なんら不思議ではない――まあ彼の手持ちのパソコンの『すべてのプログラム』の中に格闘ゲームが入っているのを目にしたときには、さすがに悪い冗談かと思ったが。

 いずれにせよ、今回の件に関してはヴァチカンがなんらかの形で適切に処理するだろう――遺体が原形を留めているならともかく、そうでないなら行方不明で処理されるに違い無い。

 必要な仕事ではあるが、気分は良くない。

 陰鬱な気分で、斗龍ツォウロンは小さく息を吐いた。

 

   †

 

 夕食を終えて自分に与えられた部屋に戻ってくると、アルカードは手にした新聞紙を机の上に放り出した。

 東方日報という香港の新聞紙だ。日付は昨日になっている。一番上に競馬の記事がきているのは、すでに読まれてばらばらの状態になったまま古新聞を入れておくダンボールに放り込まれてきたものを、渡してくれたまま持ってきたからだ――斗龍ツォウロン美玲メイリンがふたりだけで暮らしているこの教会で、誰が競馬の記事を読むのか知らないが。

 それとも――案外に斗龍ツォウロンが、競馬に興味を持っているのだろうか。

 斗龍ツォウロン沙田シャティン競馬場の観客席で耳に赤鉛筆を引っ掛けて両手に馬券と競馬新聞を握りしめ、自分の張った馬に向かって声を張りあげる光景を想像してみる。そんなタイプには見えないがなぁ。

 首をかしげつつ、アルカードは椅子を引いて着席した。荷物を運ぶのに使っている大型の鞄――『イーグル』製の警察官向けの装備運搬用バッグだ――から薄手の手袋を取り出す。そこらで売っている様なゴム手袋だ。

 肌に張りつく様な手袋を手に嵌めて、アルカードは顔を顰めた――もういい加減、手を汚さないためにこういったものを使うのにも慣れているが、どうにも好きになれない。肌がよくかぶれるせいかもしれないが。

 ロイヤルクラシックは病原菌が原因の疾病に対して完全な耐性があるが、アレルギーなどの体質に由来するものは防げない――実際アルカードは蕎麦殻に対してアレルギーがあり、蕎麦殻の枕を使用すると喘息を起こす。

 よって、肌のかぶれや湿疹などは普通に発生する――先天的な体質の問題だから、慣れが出来るという様なものでもない。一回目の受傷で完全な形での耐性が出来るから、スズメバチ毒などのアナフィラキシーだけは起こらないのだが。

 心をあきらめの境地へと追い遣って、アルカードは脇に置いてあったヘッケラー・アンド・コッホMP5サブマシンガンを取り上げた。

 弾倉を抜き取ってコッキングレバーを引き、薬室内部の弾薬を排除する――さらにグレネード・ランチャーに装填された高性能炸裂弾をブリーチを開放して排出し、抜き取った弾薬と弾倉をまとめて蛍光燈の下に置いてから、アルカードはサブマシンガンの撃発セレクターを単発の位置に合わせて新聞の上に寝かせた。右側を上にして、レシーヴァー後端部の開口部をふさいでいるエンド・カバーを固定している二本のピンを抜きにかかる。

 抜き取ったピンを落とさない様に、弾薬と一緒に並べておく。レシーヴァー後部とグリップを両手でそれぞれ保持してレシーヴァーを引き起こすと、わずかな抵抗とともにレシーヴァー後部が持ち上がった。マガジンリリース・レバー上部のピンを支点にしてレシーヴァーが回転し、ロアフレーム周りからトリガー・ユニットが顔を覗かせる。

 支点になっていたピンを抜き取り、レシーヴァーとグリップを完全にばらばらにする――A3以降のMP5のロアー・フレームとアッパー・レシーヴァーの接合部は、すべてのモデルで共通だ。

 レシーヴァー以外のパーツは、すべて共用が利くといってもいい――系統が同じならばレシーヴァー以外はすべて共通の生産ラインで作れるため、生産コストをきわめて安く抑えることが出来る。

 使用者側としても戦闘状況に応じてMP5AをMP5SDに持ち替える必要が出てきたときに、ストックやトリガーの具合が気に入らなければ自分の使い慣れた手に馴染んだ部品を簡単に移植することが出来る――必要無くなったら元に戻せばいい。

 MP5が一躍有名になったのは一九八〇年にロンドンで起きた在英イラン大使館人質事件に対するSASR――Special Air Service Regiment、イギリス陸軍特殊空挺連隊――の救出作戦、作戦名『ニムロッド』だろう。

 それまで表舞台に姿を見せたことの無かったSASRの対革命戦カウンター・レボリューション・ウォーフェアウィングが突入し、作戦開始からわずか十一分で大使館を制圧して生存していた人質二十六名を救出した作戦だ。

 この作戦はテレビでも繰り返し報道され、ヘッケラー・アンド・コッホ社においても突入中のSASR隊員の写真がカタログなどに使われている。

 アルカードが知る限り、MP5の欠点はふたつだけだ――ひとつはボルト・ホールド・オープン機能が無いこと、もうひとつはディレイド・ブローバック機構の複雑な構造のボルトを備えているため、とにかく手入れが面倒臭い。装薬量が通常の弾薬よりも多いことと、火薬の組成も相俟って、彼の銃は普通の弾薬を使用したときに比べるとかなり汚れがひどい。

 分解したレシーヴァー・アセンブリーを引っくり返して薬室を覗き込む。薬室内部の薬莢が収まる部分には、十数条のまっすぐな溝が切られている――フルートと呼ばれるこの溝はMP5に限らず、その雛型になったG3系列の銃すべてに共通するものだ。

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