Genocider from the Dark 30
5
「
夕食が終わったところで席を立った吸血鬼に呼びかけられて、テレビのニュースを見ていた
金髪の吸血鬼はそれが普段着なのか、アンダーアーマーのTシャツにcw-xのアンダーウェア重ね着し、生地の分厚いジーンズを穿いている――最初に教会を訪れたときの服装から、レザージャケットだけを脱いだ格好だ。
彼はテレビで流れている昼間の戦闘に関する報道と
「古新聞かなにか無いか? スラッジが固まる前に銃のメンテナンスをしておきたいんだが、なにか敷くものがほしいんだ」
その言葉に、
「これで足りますか?」
「ああ、ありがとう」
丸めた新聞を適当に振って、アルカードは食堂から出て行った――それを見送って、
実施された情報操作によって、デビルズネストで行われた戦闘は実際とはまったく関係の無い、とことんまで歪曲された代物に変わっている。
テレビの報道は警察の発表をそのまま伝えており、人質をとって建物に立てこもった凶悪犯を
真昼に行われた戦闘だったこともあって、アルカードが窓から放り出したふたりの吸血鬼の姿は誰かに目撃されていたらしい――だが幸いというか、
その報道の通りなら壁をぶち抜いて飛び出したことになるのだが、テレビ画面にはコンクリートに埋め込まれたコカ・コーラの空き缶や紹興酒の空き瓶、シロップ漬けパイナップルの空き缶、腐って朽ちた竹筋にそれを固縛するポリプロピレンのロープという酷い光景が映し出されている。
たしかにこれなら、大人が全力でタックルすれば壁ごとぶち抜けるかもしれない――というか、よく無事だったな俺たち。
実際に
デビルズネストにはガソリンと灯油、それぞれのポリタンクが蓋をはずしたまま置かれており、彼はその臭いがしたから引火の危険性を避けるために
ただしそれを抜きにしても穴だらけのカバーストーリーではあるものの、その程度で十分だというのがアルカードの意見だった――理由は簡単で、香港の一般人は
だが、たいていの一般人は手榴弾なんか映画かドラマ、もしくは映画でしか見たことが無いはずだ――ジャッキー・チェンの映画『霹靂火(邦題デッド・ヒート、一九九六年日本公開。犯罪組織のボスがレーサーをやってるというぶっ飛んだ設定の映画です)』におけるテロリストの警察署襲撃事件では、使われた手榴弾は一瞬炎を上げただけですぐに火が消え、特に二次被害も無かった。
アルカードに言わせると、
実際には手榴弾はその様に危険なものだが、香港に限らず兵役の経験の無い一般市民は映画の影響だけで実際的な知識は乏しいから、そんな話でもある程度騙されるだろうというのが、アルカードの判断だった――カバーストーリーが穴だらけだということは認めていたが。
香港には軍隊は無い――中国本土に対する叛乱を恐れているのか、あるいは中国の庇護があるから必要無いのか、いずれにせよ軍隊がやる様な仕事はたいてい
テレビに映っている自称知識人の判断は、およそ信じがたいほど的はずれなものだった――まあデビルズネストは今も香港警察によって完全封鎖されているし、アルカードが建物に致命的なダメージを与えたことと深刻な手抜き工事が明らかになっているから、近いうちに取り壊されることが決まっている。その作業が専門の解体業者に委託されるのか、それとも
いずれにせよ、アルカードにとって重要なのは、『よく晴れた今日の昼下がり、チンピラの巣窟で完全武装の吸血鬼が吸血鬼化したチンピラ三十人ちょっとを相手に大立ち回りをして、皆殺しにしましたよ』という事実が漏れないことだけらしい――まあ実際、彼ら聖堂騎士団や香港警察にとっても、重要なのはそこだけだ。
犠牲者たちはいずれも亡骸は残っているが、それも幸せなのか不幸なのか。アルカードによれば、彼らの遺体が蘇生する恐れは百パーセント無いそうだ。
だが現場に残っていた亡骸が所持していた身分証明書のたぐいはすべて破棄されている様だった――万が一遺体が発見された場合に身元が割れない様にするためなのか、それとも金融業者で金でも借りたのかは知らないが。写真入りの身分証も無くなっていたから、おそらくは前者だろう。
人種的な特徴から旅行者、もしくは海外から訪れた商社の人間であると判断されており、一言で言うとほぼ全員が外国人だった――香港に在住する人々と異なり、彼らは捜索願を出す人間がいない。無論長期間旅先から帰らなければ、領事館や大使館を経由して渡航先に問い合わせがいく可能性はあるだろう――が、それが通るころには遺体の判別などつかなくなっているだろう。
いずれもそうだが、特にアルカードが頭を撃った人々の遺体は、あの状態では遺族に返却するのも難しい。
ヴァチカンへの報告は、アルカードが直接行ったはずだ――彼は電子メールなどを使って、ヴァチカンの聖堂騎士団長レイル・エルウッドと直接連絡を取り合っている。
五百年生きている吸血鬼アルカードが普通に電子メールだの電話だのを使うという光景は、よく考えるとものすごいものがある――そういえば、昼間
だが実際のところ、驚くには値しないことなのかもしれない――彼は別に、二千数百年も氷漬けになっていて、たまたま現代に蘇生した原始人ではないのだ。
リアルタイムで人間社会の変化を見続けてきたのだから、彼がそこらの人間よりも現代文明に慣れていても、なんら不思議ではない――まあ彼の手持ちのパソコンの『すべてのプログラム』の中に格闘ゲームが入っているのを目にしたときには、さすがに悪い冗談かと思ったが。
いずれにせよ、今回の件に関してはヴァチカンがなんらかの形で適切に処理するだろう――遺体が原形を留めているならともかく、そうでないなら行方不明で処理されるに違い無い。
必要な仕事ではあるが、気分は良くない。
陰鬱な気分で、
†
夕食を終えて自分に与えられた部屋に戻ってくると、アルカードは手にした新聞紙を机の上に放り出した。
東方日報という香港の新聞紙だ。日付は昨日になっている。一番上に競馬の記事がきているのは、すでに読まれてばらばらの状態になったまま古新聞を入れておくダンボールに放り込まれてきたものを、渡してくれたまま持ってきたからだ――
それとも――案外に
首をかしげつつ、アルカードは椅子を引いて着席した。荷物を運ぶのに使っている大型の鞄――『イーグル』製の警察官向けの装備運搬用バッグだ――から薄手の手袋を取り出す。そこらで売っている様なゴム手袋だ。
肌に張りつく様な手袋を手に嵌めて、アルカードは顔を顰めた――もういい加減、手を汚さないためにこういったものを使うのにも慣れているが、どうにも好きになれない。肌がよくかぶれるせいかもしれないが。
ロイヤルクラシックは病原菌が原因の疾病に対して完全な耐性があるが、アレルギーなどの体質に由来するものは防げない――実際アルカードは蕎麦殻に対してアレルギーがあり、蕎麦殻の枕を使用すると喘息を起こす。
よって、肌のかぶれや湿疹などは普通に発生する――先天的な体質の問題だから、慣れが出来るという様なものでもない。一回目の受傷で完全な形での耐性が出来るから、スズメバチ毒などのアナフィラキシーだけは起こらないのだが。
心をあきらめの境地へと追い遣って、アルカードは脇に置いてあったヘッケラー・アンド・コッホMP5サブマシンガンを取り上げた。
弾倉を抜き取ってコッキングレバーを引き、薬室内部の弾薬を排除する――さらにグレネード・ランチャーに装填された高性能炸裂弾をブリーチを開放して排出し、抜き取った弾薬と弾倉をまとめて蛍光燈の下に置いてから、アルカードはサブマシンガンの撃発セレクターを単発の位置に合わせて新聞の上に寝かせた。右側を上にして、レシーヴァー後端部の開口部をふさいでいるエンド・カバーを固定している二本のピンを抜きにかかる。
抜き取ったピンを落とさない様に、弾薬と一緒に並べておく。レシーヴァー後部とグリップを両手でそれぞれ保持してレシーヴァーを引き起こすと、わずかな抵抗とともにレシーヴァー後部が持ち上がった。マガジンリリース・レバー上部のピンを支点にしてレシーヴァーが回転し、ロアフレーム周りからトリガー・ユニットが顔を覗かせる。
支点になっていたピンを抜き取り、レシーヴァーとグリップを完全にばらばらにする――A3以降のMP5のロアー・フレームとアッパー・レシーヴァーの接合部は、すべてのモデルで共通だ。
レシーヴァー以外のパーツは、すべて共用が利くといってもいい――系統が同じならばレシーヴァー以外はすべて共通の生産ラインで作れるため、生産コストをきわめて安く抑えることが出来る。
使用者側としても戦闘状況に応じてMP5AをMP5SDに持ち替える必要が出てきたときに、ストックやトリガーの具合が気に入らなければ自分の使い慣れた手に馴染んだ部品を簡単に移植することが出来る――必要無くなったら元に戻せばいい。
MP5が一躍有名になったのは一九八〇年にロンドンで起きた在英イラン大使館人質事件に対するSASR――Special Air Service Regiment、イギリス陸軍特殊空挺連隊――の救出作戦、作戦名『ニムロッド』だろう。
それまで表舞台に姿を見せたことの無かったSASRの
この作戦はテレビでも繰り返し報道され、ヘッケラー・アンド・コッホ社においても突入中のSASR隊員の写真がカタログなどに使われている。
アルカードが知る限り、MP5の欠点はふたつだけだ――ひとつはボルト・ホールド・オープン機能が無いこと、もうひとつはディレイド・ブローバック機構の複雑な構造のボルトを備えているため、とにかく手入れが面倒臭い。装薬量が通常の弾薬よりも多いことと、火薬の組成も相俟って、彼の銃は普通の弾薬を使用したときに比べるとかなり汚れがひどい。
分解したレシーヴァー・アセンブリーを引っくり返して薬室を覗き込む。薬室内部の薬莢が収まる部分には、十数条のまっすぐな溝が切られている――フルートと呼ばれるこの溝はMP5に限らず、その雛型になったG3系列の銃すべてに共通するものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます