Genocider from the Dark 16

 

   3

 

 香港警務処――警察からの電話を受けた斗龍ツォウロンがアルカードを呼んでくる様にと美玲メイリンに頼んできたのは、約五時間後のことだった――そろそろ南の空に高く昇り始めた太陽を横目に、宿舎の二階に用意したアルカードの部屋へと足を運ぶ。

 廊下は暖房が入っていないので、やや肌寒い――少し歩調を早めたとき、ぱんぱん、という拍手の音とともに犬の鳴き声が聞こえて、美玲メイリンは足を止めた。だんご、だんご、だんごという声も聞こえてくる――だんご?

 どうも口調からするとだんごをただ連呼しているわけではなく、歌の様に拍子をつけている様だったが――だんご……団子? 確か日本のお菓子だった様な気がする。

 だんごという声とともに手を叩いている様だ――ついでに犬の鳴き声も聞こえてくる。

 声のするほうを視線で追うと、あの金髪の吸血鬼にあてがわれている部屋の扉が半開きになっていた――マークツーが出入りし易い様にだろうか。

 どうやら、声はその隙間から聞こえてきているらしい。

 中途半端に開いたままの扉からアルカードの部屋の中を覗き見ると、体にぴったりフィットしたcw-xのシャツの上に着たTシャツ、ジーンズといったいでたちのアルカードがベッドに腰を降ろしているのが見えた――どことなく楽しげに微笑みながら、なにやら歌を歌いつつ時折手を叩いている。

 あるひきょうだいげんか、と歌が続いている――だんご、という歌詞を口にするたびに吸血鬼が手を叩き、そのたびに彼の足元で蹲ったマークツーがきゃんと鳴いた。

 しばらく聞いているうちに、アルカードが歌っているのが日本語の歌なのだということがわかった――語学に堪能な斗龍ツォウロンと違って、美玲メイリンには歌詞の意味するところまでは理解出来なかったが。

 はるになったらはなみ、あきになったらつきみ――内容はわからなくても、テンポとはなみという単語からなんとなく平和な歌だということだけはわかる。

 はなみ――花見か。咲き乱れる桜や梅の花の下でサークルや会社の新入りが急性アルコール中毒と戦う、日本的組織特有の命懸けの儀式のことだったと記憶しているが。

 だんご、だんご、だんごとアルカードが連呼したところで歌が終わったらしい――抱き上げたマークツーを褒めながらぎゅっと抱きしめているアルカードを見ながら、美玲メイリンは部屋の扉を開けて中に入った。

「アルカードさん……なにをしてるんですか」

「ああ、美玲メイリンか。否マークツーがな、手を叩くと反応して鳴くもんだから、面白くてちょっとな」

 そんな返事をしながら、アルカードが仔犬を床の上に降ろしてパンパンと二度手を叩き鳴らす――それに反応して、マークツーが二回鳴き声をあげた。察するに、面白くてちょっと芸を仕込んでいたのか――美玲メイリンは溜め息をついて、

「うちのマークツーに芸を仕込まないでください」

「駄目か? この芸があれば忘年会の主役間違い無しだぞ」 マークツーがな。そう付け加えながら、アルカードは仔犬を抱き上げて膝の上に降ろした。

「そういうことはご自分で犬を飼ったらやってください――だいたいうちの教会には斗龍ツォウロンとわたしのふたりしかいないんですから、忘年会なんてしませんよ」

 美玲メイリンはそう返事を返してマークツーから視線をはずし、そのお腹をさすっている金髪の吸血鬼に視線を向けた。

「――というかなんですか、今の歌?」

「ん? 今のか? 今のはダンゴという日本のお菓子の販促ソングだ。砂糖醤油を塗ったり餡をかけたり蓬や桜で色をつけたりして串に刺さってる。でも一番美味いのはやはり月見団子で――」

 なにやら語り始めた吸血鬼を遮って、美玲メイリンは片手を挙げた。

「ごめんなさいアルカードさん、ちょっとお話が――」

「なんの話だ? ああ、別にいいぞ、お漏らしの件なら俺は別に気にしてない」

「〇〆々仝+-±×÷=≠<>≦≧℃¥$¢£%#&*@§☆★○●◎◇◆□■△▽▼※〒!」

「わかった――わかったからせめて人類語で話せ、あと手も離せ」 興奮のあまり自分の肩をがっくんがっくん揺さぶりながら意味不明の叫び声をあげている美玲メイリンを宥める様に片手を挙げて、アルカードがそんなことを言ってくる。彼は昔剛懿カンイーが買ってきてくれた土産物のおもちゃ――水飲み鳥みたいにがくがく首を揺らしながら、

「それよりも、なにか用があったんじゃないのか?」

 その言葉に、美玲メイリンはアルカードの肩を揺さぶる手を止めた。

 ひたすら叫んだ上に腕だけだが激しく動かしたせいで、結構息が上がっている――アルカードもあまりに激しく揺すられたせいか、微妙にグロッキー状態になっている様だった。揺さぶられながらしゃべったから舌を噛んだだけかもしれないが。まあそれはともかく、

斗龍ツォウロンからの伝言です――『クトゥルク』かどうかはまだわかりませんけど、吸血鬼らしい目撃証言があったということで、そうお伝えする様にと」

 その言葉に、吸血鬼がゆっくりと口元をゆがめた。先ほどまでのぐったりした表情はどこへ消えたのか、精悍というか獰猛というか、そんな感じの背筋の冷たくなる様な笑みを口元に刻み、

「場所は?」

「聞かされてません――斗龍ツォウロンから直接説明を受けてください」

 美玲メイリンの返答に、吸血鬼が酷薄な笑みを浮かべた。

「わかった」 彼は足元に寄ってきたマークツーを抱き上げて美玲メイリンに視線を向け、

「さて、美玲メイリン――斗龍ツォウロンはどこにいる? 手掛かりがどこかにいなくなる前に、口を割らせなくちゃならないからな――早いところ、斗龍ツォウロンに話を聞きに行こう」

 

   †

 

 アルカードが美玲メイリンを伴って司祭控室に入ってきたのは、彼女が出て行って十分くらいしてからのことだった。ずいぶん時間がかかったのが気になったが、それは聞かないことにする。今は急ぎたい。

「お休み中のところ申し訳ありません、ドラゴス教師」

「かまわない、どうせ美玲メイリンが来る前にマークツーに起こされてたからな。それより話を聞かせてくれ。そちらは?」

 アルカードの視線を追って――斗龍ツォウロンはそばに控えていた人物を手で示した。美玲メイリンが出て行ってほどなく、斗龍ツォウロンを直接訪ねてきた人物だ。

「香港警察のホァン警部です。今回我々の要請で動いている、香港警察の捜索チームの指揮官を務めていらっしゃいます。ホァン警部、こちらがアルカード・ドラゴス教師。今回ヴァチカン教皇庁聖堂騎士団の戦力として『クトゥルク』追討のため派遣された吸血鬼です」

「はじめまして、吸血鬼アルカード――香港警察甲部門のホァンと申します。お噂はかねがね」

 黒髪を後ろに撫でつけた中年の男――ホァンが、握手を求めてアルカードに手を伸ばす。優れた武人は利き腕を相手に預けないから、高度な戦闘者同士は習慣の有無にかかわらず握手はしないと聞いていたのだが、アルカードはあっさりとそれに応えてホァンの手を握り返した。

「アルカード・ドラゴスです。今回は協力いただいてありがとうございます。本案件の解決まで、どうかよろしくお願いします」

 その会話を聞いて――斗龍ツォウロンは今の握手が、ホァンがアルカードの信頼を得るために行ったものだということに気づいた。

 中国拳や格闘術の達人であるホァンは、やはり利き腕を相手に預ける習慣は無い――実際斗龍ツォウロンとはじめて引き合わされたとき、ホァンは彼の握手を断りを入れたうえで無視した。

 だがアルカードにとって、相手の握手を無視する意味など無いのだ――相手が人間であればどんなに優れた武術家でも、アルカードは卵をそうするのと同じ感覚で相手の手を握り潰すことが出来る。ホァンはそれをわかっていて、自分に敵意が無いことを示すために彼に右手を預けたのだろう。

「さて、吸血鬼の案件ですが――」 手を離したホァンが口を開く。

葵青クヮイチン葵涌クヮイチャンの集合住宅附近で、我々の捜査員が数人消息を絶っています」

「警部の手勢が?」 アルカードはそう尋ね返して、

葵青クヮイチン葵涌クヮイチャンといえば、たしか現代貨箱碼頭モダン・ターミナルの運営するコンテナターミナルのある町でしたか」

 アルカードが顎に手を当てながら口にしたその言葉に、ホァンは至極感心したという様にうなずいてみせた。

「よくご存じで」

 葵青区クヮイチンキョイは香港の十八ある区域のうちのひとつで、九龍カオルン半島の一部である葵涌クヮイチャン藍巴勒ランブラー海峡をはさんだ離島である青衣チンイー島のふたつの部分からなっており、座標的には九龍カオルンの北北西に位置する。区域住民は香港で三番目に教育レベルが低く、収入は平均以下で、七十五パーセントの住民が公共の高層住宅に住んでいるといわれている。

 青衣チンイー島にはその北西の端から北大嶼山ダイユーサン公路を通って香港国際空港へとつながる、青馬チンマー大橋と呼ばれる長大な吊り橋がある――支間スパン長千三百七十七メートル、世界第六位の規模を誇る大規模な吊り橋であり、また車道鉄道併用橋としては世界最大規模の吊り橋だ(※)。

 青馬チンマー大橋は青衣チンイー島とその西にある馬湾マーワン島を結んで馬湾マーワン海峡を横断しており(青馬チンマー大橋の名前はここに由来する)、上層部に片側三車線の道路、下層部には二レーンの鉄道路と二車線の保守用道路が設けられた二層構造となっている。

 鉄道路はMTR東涌トンチャン線と機場快線空港行き快速の路線の一部として使われていて、爛頭ランタオ島の香港国際空港と九龍カオルンを連結していた。つまり、そこから空港に行ける。

 だがもっと重要なのは、アルカードが口にしたターミナルだろう。

 葵青クヮイチン地区の陸地側である新界葵涌クヮイチャン青衣チンイー島の間の藍巴勒ランブラー海峡の岸沿いには、国際的に有名な葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナルがある。

 操業から三十年を経た今でも世界屈指の貿易中継点として機能するコンテナターミナルのひとつで、二〇〇五年度には約二千二百四十三万TEU(TEUはtwenty-foot equivalent units、二十フィートコンテナ一個の大きさを用いた貨物取扱量の単位)で世界第二位のコンテナ取扱量を記録した。

 アルカードは現代貨箱碼頭モダン・ターミナルが運営していると言ったが、正確に言うとそれは正しくない――葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナル現代貨箱碼頭モダン・ターミナル一社だけでなく香港国際貨櫃碼頭インターナショナル・ターミナルズ・リミテッド、中国本国に本拠を置く中遠國際貨櫃碼頭有限公司COSCOパシフィック・リミテッドを含む五社の共同出資によって運営されているからだ。とはいえ現代貨箱碼頭モダン・ターミナル葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナルの三分の一を独占する、最大企業であることも確かだったが。

 葵青貨櫃碼頭クヮイチンコンテナターミナルの荷役業務の形態は大きく分類して三種類あり、それぞれが重要な役割を担っている。

 ひとつは、通常のコンテナターミナルで行う荷役。

 もうひとつが珠江を通じて華南経済圏から発生する貨物をバージで輸送する水上荷役リバートレード

 そして最後に特徴的なのが沖荷役と呼ばれるミッド・ストリーム・オペレーションで、海上に停泊させているコンテナ船にクレーン付きのバージが接近して荷役を行うという形態だ――取扱量は順に千四百万TEU、五百万TEU、三百万TEUとなっている。

 そして最後に特徴的なのがミッド・ストリーム・オペレーション、沖荷役と呼ばれる荷役形態で、海上に停泊しているコンテナ船にクレーン付きのバージが接近し海上で荷役を行うというものだ。貨物取扱量は順に千四百万TEU、五百万TEU、三百万TEUとなっている。

 コンテナターミナルは最初のひとつを行う港湾貨物取り扱い施設で、大型貨物船がひっきりなしに入港している。

 なるほど、大型貨物船ならば人ひとり紛れ込んでいてもそうそう見つからないだろう――大型貨物船の荷役作業は百人規模の人間がかかりきりになるうえ、取扱量によってはその作業時間は数日に及ぶ、かなり大規模な作業だ。『クトゥルク』が水に入っても平気だというのならば、接近して忍び込むのはさほど難しくはないだろう。

 そんなことを考えている間にも、話は続いている。

「――また、戴いたモンタージュに似た女性も附近で目撃されておりまして。吸血鬼殿の推測が正しいなら、おそらく標的の目的はコンテナターミナルの貨物船でしょうな」

 その言葉に、アルカードはうなずいた。


※……

 支間スパンとは吊り橋の大きさを示す指標のひとつで、主塔同士の距離で表します。ただし全長と支間スパン長はイコールではありません。

 支間スパン長で比較したとき、世界最大のものは明石海峡大橋です。また、二〇〇七年にこの作品の初稿を書いてたときは世界第六位でしたが、青馬チンマー大橋は支間スパン長で比較した場合現在世界第十位です。

 なお、車道鉄道併用橋としては現在でも二〇一八年現在でも世界最大の吊り橋です。

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