Genocider from the Dark 11

 

   2

 

 真祖と呼ばれる吸血鬼がいる。

 ノスフェラトゥもしくはロイヤルクラシックと呼ばれ、数千年にわたる人間の歴史上七人しか確認されていない。彼らは誰かの吸血によらずみずからの資質だけで吸血鬼となった『真なる吸血鬼』であり、地上に存在する吸血鬼の大半の祖にあたる存在であるとされている――その力は下位個体たる噛まれ者ダンパイアとは桁がひとつふたつ違い、太陽の光を忌むことはなく、滅ぼされぬ限り滅ぶこともまたない。

 『クトゥルク』の様な特殊な系譜を除くすべての吸血鬼は、その系統をたどれば必ず彼らの誰かに行き着くのだ。

 そのひとりがヴラド・ツェペシュだった――ドラクレシュティ家のヴラド三世もしくはヴラド・ドラキュラ公爵という名で一般にも広く知られる彼は、かつてのワラキア公国の統治者であり、十五世紀のワラキア公国とオスマン帝国の戦争においては串刺し君主カズィクル・ベイ串刺しヴラドヴラド・ツェペシュという呼び名で恐れられてきた。

 その力は今までに発生が確認されている真祖の中では最強と目され、人類の擁する様々な退魔組織が彼を滅ぼさんと刺客を差し向けてはその悉くが返り討ちにされている。

 彼はその永劫の追跡者だった。

 『剣』と呼ばれる吸血鬼がいる。

 ロイヤルクラシックの手で直接吸血を受けた噛まれ者ダンパイアの中でも、最上級の個体を指す言葉だ――真祖に忠誠を誓いみずから望んで吸血を受けた彼らは、真祖の特性を色濃く受け継いでほかの噛まれ者ダンパイアとは桁違いの能力を持つ強大な吸血鬼になる。

 太陽の光を浴びれば瞬時に塵と化し消滅するほかの噛まれ者ダンパイアとは異なり太陽の光を浴びても意に介さず、その力も並みの噛まれ者ダンパイアとは桁がひとつ違う。

 みずから望んで吸血を受け入れたがゆえに血と引き換えに流れ込んできた魔素が拒絶反応無く完全に定着するからだというのが、様々な退魔組織の間での一般的な認識になっている。

 そのうちのひとりが、彼だった。

 血塗られた十字架ブラッディークロス

 折れた剣ブロークンソード

 黎明の処刑者ドーンパニッシャー

 さまざまな名で呼ばれる、同族殺しの吸血鬼――ほかの『剣』をはるかに超えた、真祖でさえも瞬殺するほどの強大な力を誇った魔人。

 十六世紀初頭、パリのノートルダム大聖堂で真祖カーミラを瞬殺して歴史の表舞台に登場したその男は、聖堂の正面玄関前にたどり着くなり大きく伸びをした。

 昨夜教会を出るときに見たのと同じ様に黒いコートの下に二本の弾薬ベルトを襷掛けにし、その下に特殊部隊用途の装備ロードベアリングベストを着込んで、さらにその下には中世が舞台の映画に出てきそうな黒光りする重装甲冑――両腕を鎧う手甲だけは、コートの袖の上からつけている。うなじのあたりで括ったやや癖のある金髪が、朝陽を反射して煌めいていた。

 ひとしきり伸びをしてそれで満足したのか、彼は東の空に昇りかけている太陽を見遣ってかすかに笑った。

 その面差しは、どう見ても二十に届かない様な若者のそれだった――そう、目の前にいる男は誰がどう見ても、百人中百人が間違い無く十七、八だと思うだろう――もっとも、彼とじかに目を合わせればまた考えも変わるだろうが。

 若々しく精悍に整った顔立ちの中で、深紅の瞳だけが異彩を放っている――その視線に囚われれば、誰もが彼を少年だとは思うまい。血の様に紅い瞳だけが、数百年の年月を生きた人間外の生き物の風格を纏っている。

 彼女――楊美玲ヤンメイリンが自分を注視しているのに気づいたのか、吸血鬼はこちらの視線を捉えて若干疲れ気味の穏やかな笑みを浮かべてみせた。

「お疲れ様でした、ドラゴス教師」

 劉斗龍リゥツォウロン司祭が金髪の青年に歩み寄り、そんな言葉をかけている――ドラゴスと呼ばれた男はその言葉に、どうにも十代後半にしか見えない面には似つかわしくない穏やかな笑みを向けた。

「君もな、斗龍ツォウロン――だが、別に朝まで待ってなくてもよかったんだぜ?」

「いえ。私は私でほかの諜報員の指揮がありましたので」

 アルカードのねぎらいにそんな言葉を返し、斗龍ツォウロンは眠そうに眼をしばたたかせた――実際彼はひと晩起きていたので、欠伸を噛み殺すのに苦労しているらしい。その様子を見遣って苦笑すると、アルカードと呼ばれた青年はストレッチ気味に頭の後ろで組んでいた腕を下ろした。

 こちらも疲れている様だが、彼の場合はどちらかというと精神的な疲労の様に見えなくもない――斗龍ツォウロンと一緒に街に買い物に出たときに、彼が道端に吐き棄てられたガムを踏んづけてしまったときにちょうどこんな顔をしていた。なにか嫌なことでもあったのだろうか。

 だがそういった仕草のひとつひとつを取っても、自分より若干若い様な年代には到底見えない――どちらかというと、自分よりもはるかに年上に見える。

 実際その通りではある――目の前にいるこの男の実年齢は、十七、八どころではない。

 彼は昇り始めた太陽に視線を向けると、すぐに斗龍ツォウロンに視線を戻した。

「すまない、さしあたりヴァチカンに連絡を取りたい。レイルの奴にも、顛末を知らせておく必要がある」 そんなことを言ってくる。この吸血鬼の弟子には現在の聖堂騎士団長であるレイル・エルウッドも含まれており、そのために彼は美玲メイリンが見たことも無い団長の名前を実に気安く口にしていた。

 その言葉に、斗龍ツォウロンが小さく首肯する。

「わかりました」

 その返答を確認して、アルカードが教会の建物に向かって歩き出した。どうも彼は、ずっと昔にも何度かこの教会に訪れたことがあるらしい――美玲メイリン斗龍ツォウロンとも会ったことがあるのだろう、彼の態度は会ったときからひどく親しげでとっつきやすいものだった。

 吸血鬼がかたわらを通り過ぎる――ふわりと金髪が揺れ、その拍子にかすかに残った血腥い臭いが鼻腔を刺激する。錆びた鉄の様な血臭に混じって、燃えた火薬の臭いが漂ってきた。

 彼の背中を視線で追うと、彼は教会の玄関脇でちょこんとお座りをしていたまだ小さなポメラニアン――六週間ほど前にパン屋の紙袋に入れられて教会の前に棄てられていたところを、斗龍ツォウロンが保護したのだ――の前でかがみこんだところだった。

 教会に来たときにはまだ目も開いていなかったこの仔犬が、アルカードはいたくお気に入りらしい――そもそもが動物好きなのだろう。教会の中で飼っている猫にも、よく餌をやろうとしては斗龍ツォウロンに止められていた。

 足元にすり寄ってくる仔犬の耳の後ろをくすぐってやってひとしきり愛撫してから、再び立ち上がる――斗龍ツォウロンによってなぜかマークツーと命名されたポメラニアンが足元から離れようとしないのを見て、彼は仔犬をひょいと抱き上げて歩き出した。

 そのまま教会の玄関を開けて、建物の中へと姿を消す――きっと教会の司祭控室にある、ヴァチカン聖堂騎士団との直通の秘話回線を使うつもりなのだろう。

「寒いし私たちも戻ろうか、美玲メイリン」 こちらに視線を向けて、斗龍ツォウロンがそう言ってくる。

 美玲メイリンはうなずいて、彼の後に続いて歩き出した。

 

   †

 

 教会宿舎に用意された自室に戻ると、アルカードは小さく息をついて腕の中のマークツーを足元に降ろしてやった――足元でころころ転がっている仔犬に苦笑を向け、彼は部屋の電気をつけないままベッドに歩み寄った。

 与えられたのは、日本の基準でいうなら六畳くらいの洋室だ。

 劉剛懿リゥカンイー――現在日本に赴任しているライル・エルウッドを除けば極東方面最強の聖堂騎士であり、ついでに言うなら自分が育て上げた愛弟子のひとりでもあり、かつてのこの教会の管理者であった男の気質を受け継いで、質素ではあるもののそこにいる者の気分を落ち着かせくつろがせてくれる雰囲気を醸し出している。

 カーテンは昨日の晩に出かけるときに閉めたままで、クリーム色のカーテンに優しく遮られた日の光が室内を柔らかく照らし出していた。

 手甲のストラップをはずして腕を引き抜き、壁際に装甲を放り出す――スペクトラ・シールドとチェーンメイルのために重いコートも、床の上に置く。

 マークツーが足元にいるので、少々気を遣わなければならない。ポメラニアンは骨格が脆い――ましてや生後二ヶ月に満たない仔犬であればなおのことだ。マークツーが下敷きにでもなったら、大怪我をしてしまう。

 ひとしきり武装を解除してからベッドのそばで床の上にじかに腰を降ろし、アルカードは差し伸べた手につられて近づいてきたマークツーを抱き上げた――ポメラニアンの骨格は脆いので、丁寧に扱ってやらないとすぐに骨折してしまう。仔犬であればなおさらだ。

 腕の中に抱いた仔犬が、首元に鼻を近づけて匂いを嗅いでいる。耳元を愛撫してやってから、アルカードはいったん仔犬を降ろして立ち上がった。

 まずはヴァチカンに顛末を報告しなければならない――彼はヴァチカンと秘密裏に共闘関係にあるが、それは彼がヴァチカンに服従することと同義ではない。

 しかし、今回の仕事はヴァチカン聖堂騎士団からの依頼によって引き受けた仕事だから、彼には報告の義務がある。

 報告がすんだら、シャワーでも借りて少し休もう。胸中でつぶやいて、彼は部屋を出た。マークツーがついてきたので、彼が出るのを待って扉を閉める。

 結局昨夜はずっと九龍を中心に市街地を捜索していたが、とうとう『クトゥルク』は発見出来ずじまいだった。

 つまるところ、昨日の成果はあの女の配下を皆殺しにしたことだけだ――上位の聖堂騎士でもなければそうそう出せない戦果ではあるが、アルカードにしてみれば雑魚を踏み潰しただけのことだ。

 正直言って気分の悪い戦果だが、それは仕方が無い――今までの記録から考えると、『クトゥルク』が復活するまでには最低でも三日は余裕があるはずだった――が、それを鵜呑みにしていたのは自分のミスだ。それはあくまで記録であって、根拠ではなかったのだから。

 レイル・エルウッドに報告を終えたら、少し休んでまた捜索に戻ろう。そんなことを考えながら、彼は宿舎の廊下を歩き出した。

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