Genocider from the Dark 10
†
ギャァァァァァッ!
イヤァァァァァァッ!
ヒィィィィィィッ!
男の手のした霊体武装が隠匿を解かれて徐々にその姿を現していくにつれ、頭の中にじかに響く老若男女の絶叫がさらに激しくなった。
彼が手にしているのは、刃渡り百四十センチほどの曲刀だった。刺突に使える様にか、反りはさほど深くない。金属で出来ているわけではないからだろう、漆黒の刀身は光を吸い込んでいるかの様にいささかの照りも無かった。
「――死ね」 まるで虐殺現場の様に絶え間無い絶叫をあげる霊体武装を振り翳し、深紅の瞳の吸血鬼がそう告げる。
「ま、ま、待て!」
両手を翳して制止のポーズを取ると、吸血鬼はいったん剣を振り下ろそうとする手を止めた――同時に男が手にした霊体武装がそれまで発していた耳を劈く様なすさまじい絶叫が、赤ん坊が泣きやむ様な唐突さで止まる。それまで霊体武装を稼働させるために注ぎ込んでいた大量の魔力の男は左肩に巻き込んでいた武装を右肩に担ぎ直し、刃の背中でとんとんと軽く肩を叩きつつ、
「どれくらいだ?」
男はその言葉に唖然とするクロウリーの反応――彼の表情から察するに、相当の間抜け面だったのだろう――を、観察する様な表情でしばらく見下ろしていた。
「待て、どのくらいじゃないだろう――おまえな、今俺を殺すことのデメリットがわかってるのか!?」
「わからんが。むしろおまえを始末しないでおくことで、俺が得られるメリットなんかあるのか?」
その言葉に、クロウリーは必死で思考をめぐらせた。今まさに殺されようとしている者の命乞いのこつは、殺戮者を納得させられるだけの理由を述べることだ。結局のところ、助命嘆願の条件はそれに尽きる。
「情報だ。俺はトリッシュについて、かなり多くの情報を持っている――あのゴーレムどもも俺の作品だ。知識面であんたにかなりのサポートが出来る。ゴーレムを作ってあんたの行動を補佐することも出来る。だから――」
「ヴァチカン教皇庁聖堂騎士団――全世界のカトリック教圏に影響力を持つ、世界最大規模の対魔組織。貴様ひとりの持つ情報が、それに匹敵するものだとでもいうのか?」 さもつまらないことを聞いたと言いたげに唇をゆがめ、男はそう言ってきた。
「貴様らの潜伏先を悉く突き止めていたのも、ヴァチカンの諜報員だ――おまえらの行動は彼らに筒抜けだった。彼らと共闘関係にあるこの俺にもな」 その言葉に、クロウリーは自分の顔から血の気が引くのを感じていた。状況は絶望的だった――この男は自分に、自分の知識に路傍の小石と同程度の価値しか見いだしていない。
「ついでに言うなら、この状況については貴様にとっても突発事態だったはずだ。あのジャクソンの動揺がいい証拠だ――つまり、貴様らは今後の打ち合わせをまるでしていないか、予想外に早いあの女の復活によってプランがご破算になった。聖堂騎士団があの女の能力についてある程度把握している以上、もはや貴様の知る情報など紙屑同然だ。あのゴーレムどももそうだ――出来はさほど悪くないが、肝心の貴様が愚図すぎた。貴様のゴーレム運用は、まるっきり素人の域を出ない。それで俺の役に立てるとでも?」
残念だな、命乞いは失敗だ――そう言わんばかりの表情で、男が剣の柄を握る手に力を込める。それまで沈黙していた霊体武装が、生贄を求めるかの様に再び悲鳴をあげ始めた。
「ならこれはどうだ――俺はトリッシュの儀式の条件を知っている!」
その言葉に――今まさに振り下ろされんとしていた霊体武装の絶叫が再びやんだ。男がほんのわずか興味を惹かれた表情で、口元に笑みを浮かべる。
「ほう? そいつはたしかに、今のところ俺も聖堂騎士団も把握していない情報だな。いいだろう、話くらいは聞いてやる――言ってみろ」
「トリッシュの儀式は――」
†
「トリッシュの儀式は――」 自分の命惜しさにクロウリー・ネルソンがべらべらとしゃべるのを聞きながら、彼は侮蔑に唇をゆがめた。
ゴミの様な生き物め、出来損ないのくだらない生き物が――大勢の人間を嬲り殺しにしておきながら、自分の命は惜しいか。
部屋の片隅に固められた女性たちの屍を見遣る――いずれもまともに衣服を身に着けている者はいない。どの女性の表情も、断末魔の恐怖にゆがんでいた。
どの亡骸もまだ若い。二十歳そこそこ――もしかしたら十代かもしれない。可哀想に――なにがあったのか知らないが、この疫病神どもとかかわりあいになったがためにこんな目に遭って。
ほんの一瞬追悼の言葉をつぶやいて、クロウリーに視線を戻す。
あらためてこの男に対する殺意を明確に認識しながら、彼はクロウリーの言葉が終わるのを待った。
「だから、あの女の完全な復活には――」
クロウリーの言葉を適当に耳に入れながら、彼は視線をめぐらせて――
彼がいきなり部屋の奥のほうにある埃の積もった紫檀のデスクに向かって歩き出したのに疑問をいだいたのだろう、クロウリーの言葉が止まった。
「おい、どうした――」 訝しげに言葉をかけてくるクロウリーの胴体を――彼がものも云わずに振り向きざまに発砲した自動拳銃の銃弾が蹂躙した。室内に銃声が立て続けに響き渡り、鼓膜に残響が残る。スライドの復座の衝撃で銃口が跳ね回るのを圧倒的な腕力で以て力ずくで抑え込み、彼は銃弾を撃ち尽くすまでトリガーを何度も何度も引き続けた。
発射ガスで黒ずんだ薬莢が銃の工作精度の高さを示す一定の軌道で排莢口から弾き出されて綺麗な放物線を描き、次々と壁に当たって跳ね返っては床の上で跳ね回る。
体内で破裂した弾頭から飛散した水銀と散弾に内臓を蹂躙され、クロウリーの喉から無様な悲鳴がほとばしった。
「な……なにを……!?」
床に這いつくばったクロウリーのうめきを無視して、彼はスライドが後退したまま止まった自動拳銃の銃口を下ろした。クロウリーの体は消滅していない――銃弾に仕込んだ彼の血を介してクロウリーの体内に魔力を流すことをしなかったために、物理的なダメージを負うだけにとどまったからだ。
足元に落ちていた物体を拾い上げる。女の子用の可愛らしい小さな靴と赤い靴下を履いた、小さな足。おそらくは五歳かそこらの。
彼の足元にあるのは、滅茶苦茶に引き裂かれた小さな女の子の亡骸だった――裸にされた亡骸の腹は引き裂かれ、内臓は滅茶苦茶に掻き回されている。おそらく生きたままその責め苦を受けたのだろう、元は愛らしかったに違い無い少女の顔は乾燥した涙と涎と血で汚れ、いつ終わるとも知れぬ苦痛と恐怖に引き攣っていた。
彼は無言で踵を返すと、クロウリーの顔面を脚甲の爪先で蹴りつけた――ブーツの上につけた脚甲の装甲に顔面を叩き潰され、鼻の骨が折れたクロウリーが顔の下半分を流れ落ちる鼻血で真っ赤に染める。
両足を失ったクロウリーの髪の毛を掴んで乱暴に引きずり起こし、壁に叩きつけると、クロウリーの口からくぐもった悲鳴が漏れた。
左手の指に絡みついた引きちぎられた髪を振り払い、手甲をつけて
「――っぎゃぁあぁぁぁあぁぁぁ!」
下腹部を貫かれて、クロウリーの喉から悲鳴があがる――その絶叫を無視して、彼は刃が上を向く様にしてクロウリーの下腹部に突き立てた
「おまえら――」 余人が聞いていれば間違い無くその場で腰砕けになるであろう冷たい声音に、すでに血の気の引いたクロウリーの顔面がさらに色を失った。
「――子供を殺したな?」
「それは――俺じゃない、
「止めなかったんだろう? それにそこの女たちの強姦と殺害にはおまえも関わっていた、違うか」
言いながら、彼はクロウリーの体を壁に縫い止めていた
彼は
それを無視して、彼はさらに時間をかけて胸骨と横隔膜を切り裂いていった。じきに刃は心臓に達するだろう。
「子供……くらい、いいじゃねぇか……よぉ……」
激痛に啜り泣きを漏らし、嗽の様な音とともに血の泡を噴きながら、クロウリーがそんな言葉を漏らす――それを聞いた瞬間激昂で視界が一瞬赤く染まるのを感じながら、彼は手にした
――ヒィィィィッ!
――ギャァァァァァァッ!
――ガァァァァァッ!
魔力供給を再開された
「貴様らは子供を殺した」 心臓の真下あたりにまで達した剣の柄を握り直す。
「――それが許せるかッ!」
逆手に握った
壁に縦に刻まれた斬撃痕と薄汚れた衣服だけを残し、塵となって消失していくクロウリーを見下ろして――彼は踵を返した。
再び女性たちの亡骸に視線を向ける。あの少女は死体の損壊が酷すぎて、たとえ吸血を受けていたとしても蘇生する恐れは無い。だが彼女たちは、まだ生き返る可能性がある。
もとは応接用のものだったであろうテーブルのところのソファの上と足元にひとりずつ、女性の遺体が転がっている。それとは別に、部屋の入口の脇には数人の女性の遺体が積み上げられていた。
吸血鬼の吸血を受けた犠牲者の末路は、たいていの場合ふたつだ。
そして『クトゥルク』の
つまり、あの壁際の女ふたり、それにソファの足元で倒れ込んだふたりの女の死体は、復活する可能性が極めて高い――少なくともその想定のうえで対処する必要がある。
だが
もし死体が
彼はテーブルのところに転がっていた女性ふたりの亡骸のそばに歩み寄り、かがみこんで首元に手を伸ばした。ふたりとも首筋が吸血の際に噴出した血で汚れ、首筋にふたつの牙の跡が穿たれたまま残っている。
吸血鬼に噛まれた人間の末期は三通り――前述した様に
そしてその三通りの末期のいずれをたどるかで、被害者の体に残った噛み痕の状態が変わってくるのだ。
吸血鬼に血を吸われた遺体が
その一方で、
変化のパターンが異なる理由ははっきりしないが
噛み痕が消えた遺体は、放置しておいても問題無い――もうなにも起こらないから、そのまま埋葬してやることも出来る。だが、遺体に噛み跡が残っている場合には放置しておくことは出来ない。
加害者が死んでも噛み跡が消えない死体は、吸血鬼に変化するかただの死体かのいずれかだ――そのどちらであるかを今この場で区別する手段は無いので、復活するものという前提で処置しなければならない。
「……許せ」
抑えた声でつぶやいて、彼は懐から引き抜いた自動拳銃の銃口を噛み跡の残った女性の亡骸の頭部に向けた。
吸血鬼になる適性を持つ死体の蘇生を阻止する方法はそう多くない。死体を完全に凍結させるか、水没させるか、もしくは死体の重要器官に甚大な損傷を与えることだ。
吸血鬼になる死体はいったん蘇生してしまえば少々の損傷は自力で修復するが、復活する前の状態で生命維持に必要な器官に損傷を受けると復活しなくなる。
もっとも確実なのは脳、肺、心臓、脊髄で、このいずれかを破壊してしまえば蘇生する可能性はほぼ潰せる。
出来るなら綺麗なまま葬ってやりたいが――俺にはこれしか出来ることが無い。
彼女たちの遺体がじきに蘇生する可能性がある以上、それを放置してこの場を離脱するわけにもいかない――かといって
謝罪の言葉を口の中でつぶやいて、彼はトリガーを引いた。
乾いた銃声の残響が鼓膜を震わせる――眉間に着弾した銃弾が眉間の骨を粉砕して頭蓋骨の内側に入り込み、脳髄を攪拌した。
排莢口から弾き出された空薬莢がぽとりと音を立てて、朽ちた絨毯の上に落下する――テーブルのそばに折り重なる様にして横たわっていたふたりの横で立ち上がり、彼は次に入ってきた扉の脇に山積みにされた数人の女性の亡骸のほうに歩み寄った。いずれも首元が血で汚れていたので、手探りで噛み跡を探る。
全員首に噛み跡が残っている――彼は右手で保持したままの自動拳銃を据銃して、ひとり一発ずつ、頭部に銃弾を送り込んだ。
「……」
ほかの死体の陰に隠れて見えない死体が無いことだけ確認して、彼は立ち上がった。『クトゥルク』がここにいない以上、もはやここには用は無い。
廊下を歩きながら、コートの内ポケットから携帯電話を取り出す。
この任務にあたって香港のカトリック教会が用立てた、プリペイド式の携帯電話だ――市販の携帯は暗号化されておらず、簡単に盗聴が出来るからあまり重要な話は出来ないが、一言報告するくらいなら問題無い。
携帯電話の通話履歴からひとつしか無い番号を呼び出すと、彼は発信ボタンを押した。「――はい」
涼やかな雰囲気を漂わせた男性の声が、鼓膜を震わせる。それを聞きながら、彼は口を開いた。
「
「え――では、頼んでおいた靴は?」
「すまんな。前にいた連中に持っていかれちまったよ」
「そうですか――すぐにお戻りに?」
「否、その前に別な店を回ってみるよ」 そう答えながら、彼は特に警戒せずに階段を下りていった。寝起きの『クトゥルク』は長いこと眠っている間に魔力が枯渇しているから、今戦っても彼には勝てない――基本的な運動能力に差があるから、不意討ちも仕掛けるだけ無駄だ。
「それと、現場には駄目になった品物があった――悪いがあとの処理の手配を頼む」
「わかりました。お気をつけて」
「ああ」 うなずいて、彼は携帯電話をしまい込んだ。
『バーゲン品』『靴』というのは、『クトゥルク』のことだ――すなわち、『クトゥルク』を取り逃がしたことを意味する。
おそらく『クトゥルク』はすでに香港から姿を隠しているだろう――今の彼女は魔力強度が弱すぎて、彼の能力では逆に感知出来ない。
教会に連絡したことで聖堂騎士団の工作員も動き出すだろう。だが、彼自身も当然動かねばならない。
厄介なことになったかもしれんな――胸中でつぶやいて、彼は自分の爪先を見下ろした。先ほど惨殺したクロウリーの内臓の内容物が、脚甲の爪先にへばりついている。
まずはこれを洗い流そう。この際海水でもいい。げんなりした気分で、彼は廃ビルから出た――廃ビルを囲んだほかのビルが遮蔽物の役割を果たしたのだろう、騒ぎにはなっていない。それは結構なことだ、彼の魔眼の能力は相手が自分に不審をいだいていると通用しない。
いずれにせよ排泄物や内臓や血の臭いをぷんぷんさせていれば不審をいだくこと請け合いなので、まずはそれを洗い流さねばならない。このまま教会に戻ったら、神父にも嫌な顔をされるだろう。いったん
実際に公衆便所があるかどうかは、わからないが――仮にあったとしても、公園のトイレみたいなのではなくフェリーターミナルの中にしか無いかもしれない。フェリーターミナルがまだ営業していればいいが。
すでにターミナルが本日の業務を終了していたなら、そのときはまあ、冬の海水で足湯を試みるしか無い。幸か不幸か知らないが――膝から下がいろんな汚物にまみれている現状に救いを見出すためには、せめてもの幸運と割り切っておくしか無いだろう――、とりあえず
心配しなければならないのはブーツの中に水が入ることと、アンダーウェアのボトムが濡れて一晩不愉快な思いをする羽目になることくらいだ――受肉した悪魔の骨格や外殻、爪や角といった素材をスコットランドの魔同士族ファイヤースパウンの最高の技術を用いて加工し製作され、ヴァチカン教皇庁聖堂騎士団謹製の耐魔製法を施した甲冑は決して錆びることは無いので、劣化の心配は無い。あとははたから見ていると、足が汚物まみれになったために夜を儚んで入水自殺する様な絵面に見えかねないことくらいか。
暗澹たる気分で、彼は
廊下を突っ切って非常階段に通じる扉を蹴り破ると、ぼろぼろに朽ちた金属の階段が視界に入ってきた。
塗装が剥がれ落ち、床の縞鋼板は朽ちてところどころ穴が開いている。非常に危険な階段と表現すればしっくりきそうではあった。
溜め息をついて、彼は軽く膝を曲げ――朽ち果てた階段の手摺を乗り越えて、隣にあったビルの非常階段に向かって跳躍した。
ごう、と耳元で風が鳴る――非常階段の四階部分の金属製の手摺りを掴んで、彼は手摺りを軸に非常階段の踊り場に着地した。七、八階建ての雑居ビルだろう。カオルーンの建築物高さ規制が解除される前の建物に違い無い。
屋上まで昇って、屋上伝いに
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