Genocider from the Dark 9
そのまま再び男に正対する――男は動きを見せていない。信じられない相手だ――針の様に研ぎ澄まされた明確な殺意と、まるで凪いだ湖面の様に静かな呼吸。相反する戦闘者として不可欠な要素をこれ以上無いくらいの高水準でその身の内に孕みながら、その男は静かな表情でこちらを見据えていた。
この殺気と冷静さは、五年や十年の戦歴が生み出す様なものではない――それこそ数百年もの間戦い続けてきたものだけが身に纏いうる、巨大な岩の様な気配。
ふっ――鋭く呼気を吐き出しながら、男が再び床を蹴る。重武装をものともしない、まるで電光が駆けるかのごとき動きで瞬時に側面に廻り込みながら胴を水平に薙ぐ様にして撃ち込まれてきた一撃を、ジャクソンは横に体を投げ出す様にして躱した。
回転して体勢を立て直し、そのままいったん距離をとり――手近に転がっていたバランタインの壜を爪先で掬い上げ、男に向かって蹴り飛ばす。男は追撃のためにこちらに向かって突進しながら、あろうことか飛んできた壜を空中で掴み止めて投げ返してきた。
バランタインの蒸留酒の緑色の壜が、彼の顔面めがけて飛んでくる。
左手ではたき落とすべきか躱すべきか一瞬逡巡したとき、唐突に壜が砕け散った――男が右手を突き出している。不可視の武器のためにわかりづらかったが、彼は硝子瓶がジャクソンの視界の真正面にきた瞬間にそれを死角に使って刺突を繰り出してきたのだ。
武器が見えないために間合いもわからないまま、ジャクソンは横跳びに跳躍した。一応先ほどの水平の一撃を躱したときにジャケットの裾を斬られたことで、彼の得物の間合いが一メートル強であることだけは掴めている――だが正確な長さを測るほどの余裕は無かったし、そもそも霊体武装は本人の意思で自由に長さを変えられる。相手の武器の長さが正確にわからない以上、後退するのは愚の骨頂だ。
突き出した剣を、男がそのまま水平に薙ぎ払う――これもまた、刺突からつないで繰り出す技としては珍しくもない。だが速度の桁が違う――横跳びをそのまま後退動作につないでいなかったら、間違い無く首から上が無くなっていたはずだ。それに――
舌打ちを漏らして、ジャクソンは自分の左腕を見下ろした。
腕に力が入らない――ジャンパーの袖と一緒に、中の上膊が半ばまで切断されているのだ。
今の刺突からつないだ横薙ぎの一撃を、躱しきれなかったのだ。刺突から横薙ぎに変化させるという速度の稼ぎにくい攻撃派生だったにもかかわらず、ジャクソンは躱しきれずに左腕の骨まで届くダメージを受けた。
否――今まではジャクソンに基準を読み誤らせるために、わざと速度を抑えていたのか。刺突に続いて繰り出された横薙ぎの一撃は、本来であれば刺突ほどの速度を稼ぎにくい動きであったにもかかわらず、まるで閃光の様に速かった。
初撃は最初から躱されるのが前提、彼の速度の基準をジャクソンに見誤らせるための見せ技で――本命は二撃目の、彼本来の速度で繰り出された薙ぎ払い、ということか。
即時消滅させられるほどのダメージではないが、今の一撃は上腕三頭筋を引き裂いて骨にまで届いている――筋肉の束を完全に切断されたために、腕が動かない。もはや左腕は数日は使い物になるまい。
「ふん」
唇をゆがめて、金髪の青年が動く――彼は無造作に右足を引き、手にした霊体武装を両手で保持して、肩に担ぐ様にして身構えた。振り下ろしに軌道を限定した、一撃必殺の構えだ。
「さあ――あの世逝きの時間だ、小僧」 唇をゆがめて、男がそんな言葉をかけてくる。
来る――胸中でつぶやいて、ジャクソンは相手の攻撃に対応するために構え直した。
†
叩き込んだ廻し蹴りを引き戻しつつ踏み込みに使って前進しながら、彼は剣を真横に振り抜いた。蹴りを繰り出す際に左にひねり込んでいた上体を今度は逆に捩り込み、ジャクソンが防御のために翳した長剣に
――ぎゃぁぁぁぁぁッ!
――がァあァアぁぁッ!
――うがァァァァッ!
手にした
「
咆哮とともに、手にした
振り抜いた剣を引き戻していたのでは、追撃が遅れる――彼はそのまま踏み込んで、片足でジャクソンの頭を踏み抜きにいった。
だん、と音を立てて、目標をはずしたブーツの踵が床に敷かれた朽ち果てた絨毯を蹂躙する――だが、ジャクソンは床の上を転がる様にしてその攻撃から逃れている。
そのときには
ジャクソンがさらに転がってその攻撃を躱したために、
荒い息を吐きながら、ジャクソンが剣を構え直す――あれだけ転がり回っていて、自分の体を傷つけなかったのはたいしたものだ。 彼がまだ養父から剣の指南を受けていたころには、剣を持ったまま落馬したときに受け身を取る訓練で何度と無く自分の体を傷つけたものだが。
こちらに対して腰が引けているのか、ジャクソンの作った間合いが先ほどまでよりいくらか遠い――こめかみに撃ち込んだ廻し蹴りが効いているのか、足元も覚束無い。
人によっては戦いにおいてもっとも重要なのは精神だと言い、ある人はまた本能だと言い、あるいは技だと言い力だと言うだろう。どれも正解だが、同時にどれもはずれでもある――それらはすべて、もっとも重要視すべきものの次にくる。
攻撃手段が限定されたスポーツとしての格闘技と違い相手を殺すことが前提の対人白兵戦においては相手の体勢をいかにして壊し、そしていかにして自分の得手とする間合いを敵に壊させること無く維持し続けるかが最大の焦点となる。
ジャクソンはまだ呼吸が整っていないらしい――待ってやる義理も無いので、彼はさして間も置かずに床を蹴った。
瞬時に側面に廻り込みながら、腹から背中にかけて胴を薙ぐ一撃を繰り出す――ほとんど悲鳴に近い声をあげながら、ジャクソンはとっさに彼が廻り込んだのとは逆方向へと跳躍してその一撃を躱した。
目標を失った
そのまま床の上で一回転して立ち上がり、体勢を立て直したジャクソンが手近に転がっていた十七年物のバランタインの壜を爪先で掬い上げ、こちらに向かって蹴り飛ばした。おそらくこちらに回避行動を取らせて隙を作るつもりなのだろう。
だが無駄なことだ――彼は飛んできた壜を空中で掴み止め、ジャクソンの顔面めがけ投げ返した。
緑色に着色された壜が、ジャクソンの顔面めがけて飛んでいく――その反撃は予想していなかったのか、ジャクソンの気配に動揺が混じった。
ジャクソンは即座に動かなかった――叩き落として迎撃するか、それとも体ごと躱すべきかで逡巡したのだろう。
だが遅い――すでにジャクソンの選択肢はゼロになっている。
バランタインのグリーンの壜が彼が突き出した
「――!」
焦燥のうめきとともに――ジャクソンは横跳びに跳躍して、彼の繰り出した刺突の一撃を躱している。
いい判断だ――ジャクソンの目には、おそらく
横跳びをそのまま後退動作につないでいなかったら、間違い無く首から上が無くなっていたはずだ――それでも躱しきれなかったのか、ジャンパーの袖が上膊の半ばあたりで大きく裂けたジャクソンを見遣って、彼はゆっくりと笑った。
惜しい――もっと
だが左腕は力無く垂れ下がり、指先を伝って血が滴り落ちている。初撃の
まあ当たり前だ――初撃の刺突を見せ技に、二撃目はかなり速さを吊り上げた。本来、腕を伸ばした状態から薙ぎ払いに切り替えるこの追撃は、さほど速度を稼げない攻撃だ――普通であれば、二撃目の薙ぎ払いは初撃に比べて絶対に遅くなる。
彼の二撃目をジャクソンが躱しきれなかったのは、初撃の刺突を見せ技にするために速度を抑えていたことで、こちらの速度の基準を見誤ったからだ――普通の剣士が今の動きを再現したときの刺突の速度を十、薙ぎ払いの速度を五とするならば、彼の刺突の速度は千――当然、続く薙ぎ払いの速度も同等に速くなる。刺突の速度を意図的に抑えることで速度の基準を見誤らせれば、それを基準にこちらの速度を判断している相手が二撃目を躱すことなど到底不可能だ。
正直に言えば、今の一撃で腕を落とすつもりだったのだ――それをさせずに躱し切っただけでも、まあ瞠目に値すると言ってよかろう。
だが問題無い――腕一本切断とまではいかなくとも、腕の伸展を支配する上腕三等筋は筋肉束を骨ごと完全に切断されている。もはや左手を添えて剣を振るうことは出来ない。
さて――
右足を引き、
これ以上時間をかける意味も無い。あの高熱を発する長剣も冬場のキャンプでストーブ代わりに暖を取る程度の使い道はあるだろうが、それだけだ――わざわざ奪い取ろうと思うほどの大層な業物ではない。これ以上遊んでいても時間の無駄だ。
「さあ――あの世逝きの時間だ、小僧」 その言葉とともに――ジャクソンの肩を叩き割るための一撃を繰り出そうとした瞬間、轟音とともに建物が揺れた。
「なんだ!?」 声をあげて、ジャクソンも体勢を崩している。どうやら彼にとっても、この事態は予想外だったらしい。
ジャクソンの表情に、はっきりと動揺が滲んでいた。『クトゥルク』がまだ眠りこけているのだ――眠ったままの『クトゥルク』は完全に無防備だ。『クトゥルク』は普通の吸血鬼と違って、眠っている間だけではあるが普通の人間と変わらない――吸血鬼ならどうということもない攻撃、魔力など一切通っていない普通の武器でも十分通用する。
眠っている間ならば、喉をナイフで切られただけで死んでしまうのだ――だからこそ、命を人質にとって自分を守らせるための駒が必要になるのだ。
無論攻撃によって負傷した場合だけでなくなんらかの災害、あるいは事故に遭った場合も同様で――瓦礫で棺ごと押し潰されたりしたら、それだけで『クトゥルク』は死ぬ。
音はすぐ間近だった――もしもこれが彼の戦力が起こした事態ならば、主をやられたスタンレーやクロウリーはじきに死ぬ。
だが、違う。これは違う――なにが起こったのかはわからないが、はっきりしていることもあった。彼に予備戦力はいない――ジャクソンの側の戦力も、残るはここにいるふたりだけ。
となると、あとは――
チッ!
舌打ちして、彼は地面を蹴った。今の体勢だと左手側、入ってきた扉と向かい合わせにしつらえられた扉に向かって走り出そうとする――より早く、ジャクソンが背後から突き出した魔剣の鋒が甲冑の隙間から帷子を貫いて、左肩に突き刺さった。
高熱を発する剣の鋒が、甲冑の装甲の隙間から帷子の鎖を引き裂いて体に入る。空焼きしすぎた鉄板に肉を投げ込んだときの様な音とともに、肉の焦げて炭化する嫌な臭いが漂い――
「――邪魔だ、貴様ぁッ!」 咆哮とともに――彼は振り返り様に
もう一度刺し込み直そうとしていたのかいったん引き抜かれた魔剣の刃がその一撃で紙の様に切断され、同時にジャクソンの体が胸のあたりから斜めに切断される――斬撃の軌道に巻き込まれて斬り落とされた腕が、床に落ちるよりも早く塵と化して消滅した。
三十六年前は霊体を完全に破壊する前に『クトゥルク』が復活してしまったためにとどめを刺し損ねたために、ジャクソンは生き延びた。それでも全身を十六個に分断されて生きていたのには驚きだが。
が――今度は違う。
衣服と破壊された霊的武装だけを残して消滅していくジャクソンには目も呉れず、彼は扉を蹴破った――両開きの扉が向こう側に倒れ、床に積もった埃がもうもうと舞い上がる。
部屋の中央には円が描かれている――その円の中に頂点が円に接する五角形が描かれ、さらにその各辺に外周が接する様に描かれた円、その内側にもうひとつ五芒星が描かれた図形が描かれている。外周には生贄の数を表す、十三本の燭台――そしてその中心には、木材剥き出しの簡素な棺が安置されていた。
棺の蓋は開け放たれ、無造作に放り出されている――棺桶の中身はすでに空になっていることは明らかだった。
舞い上げられた埃は、壁に空いた大穴から外に流れ出していった――つい今しがた穿たれたものだろう。
もはや魔力の残滓しか残っていない棺を、彼は無造作に蹴り壊した。
くそッ!
毒づいて先ほどの部屋へと取って返すと、ちょうど両足首を斬り落とされたクロウリーが床の上で這いずりながら部屋から逃げ出そうとしているところだった。
「おい」 背後から声をかけると、クロウリーが背中をびくりと震わせ――それを無視して、彼は向こう脛のあたりから左右まとめて綺麗に切断されたクロウリーの両脚に向かってMP5を据銃した。トリガーを引き絞ると同時に、立て続けに吐き出された銃弾がクロウリーの両腿を挽肉に変える。
ぎゃぁぁぁぁっ!
クロウリーの口から、刺された豚の様な絶叫がほとばしる――その場でのたうちまわるクロウリーの体を爪先ですくい上げる様にして仰向けにすると、彼は太腿の傷口を思いきりブーツの踵で踏みつけた。踵で傷口をぐりぐりと踏み躙りながら、
「さてと、クロウリーよ? 残念だがお別れの時間だ」
その言葉に、クロウリーが首を振る。
「厭だ、殺さないでくれ」
「殺さないでくれ、ね――」 彼は視線をめぐらせて、彼は部屋の隅に固められている女性の死体の山を見遣った――いずれもひどい暴行を受けた跡がある。
「なら、あそこで山積みになってるあれはなんだ――彼女たちはおまえらに捕まったときに、同じことを言わなかったのか? 厭だ、うちに帰してくれ――とな。少なくとも、自分の末路を歓迎はしていなかっただろう?」
その言葉に、クロウリーが表情を引き攣らせた――彼の言葉の奥にある、冷たく硬いものの正体を悟ったのだろう。
表情を引き攣らせるクロウリーの眼前で、彼は一度消していた
ギャァァァァァッ!
イヤァァァァァァッ!
ヒィィィィィィッ!
魔力を注ぎ込まれて活性化した霊体武装の絶叫が、周囲に響き渡る――彼は
「――死ね」
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