Genocider from the Dark 8

 

   †

 

 最後の寄せ肉フレッシュゴーレムを撃破した金髪の青年が、手を斜めに振り抜く。ヴンという重い風斬り音とともに、目に見えない得物の刃から振り払われた血が床と壁にこびりついた。

「さてと――待たせて悪かったな、クロウリーよ」 肩越しに振り返った金髪の魔人の、暗闇の中でおのずから輝く血の様に紅い瞳がレーザーの様にクロウリーを捉える。男は完全に振り返ってこちらに向き直ると、全身を鎧う甲冑の装甲板がこすれる音とともにゆっくりと歩き出した。

 目の前にいるのが『クトゥルク』の下僕サーヴァント、吸血鬼の一種であることは百も承知であるのだろうに、金髪の男の歩みには焦りがまったく無い――まるでクロウリーの脚の銃創が治癒しないことを、確信してでもいるかの様に。

 生地が異様に分厚い黒いコートの下に時代錯誤な重装甲冑と現代戦で用いる様な装備ロードベアリングベストを着込み、胴体には二本のベルトを互い違いに襷掛けにしている。いずれも筒状のケースが無数についており、一方はショットガンの弾薬筒が納められ、もう一方は四十ミリ口径の射出式擲弾が収められている。両腕の下膊を鎧う手甲はコートの上から取りつけられており、装甲の中心線に沿って出縁フランジが張り出していた。

 獅子の尾を思わせる金髪の青年は、相も変わらず――彼はまるで透明な棒でも持っているかの様になにか棒状の物体で肩を叩く様な仕草をしながら、

「まったく、三週間もあちこち引きずり回してくれたよな、ええ? こうも短期間にあっちこっち行ったり来たりされたんじゃ、のんびり観光も出来やしない。いつだったかなんか、せっかくトップレスの美女を思う様鑑賞するチャンスだったってのに、おまえらがとっとと逃げ出してくれたおかげで台無しだ。これ以上手間をかけさせるのは、出来れば無しにしてほしいんだがね」

 ゆっくりと歩む足を止めずにそんなことを言いながら、金髪の男が手を今度は水平に軽く振り抜く――軽い風斬り音とともに、その手先から一メートルほど離れた壁にびしりと音を立てて裂け目が走った。

 あれは――間違い無い、あれは霊体武装だ。

 霊体武装とは魔力の扱いに習熟した戦闘者が自身の魔力を凝集して作り出す、自分専用の武装を指す。通常の武器と違って具現化と消失が可能なために完全な隠匿携行が可能で、洗練すれば実力的に大幅に劣る者の目にはその姿を見えなくすることも出来る。

 もとより魔力強度に圧倒的な差があるうえに洗練に洗練を重ねたものなのだろう、あの男の霊体武装はクロウリーには影すら知覚出来なかった。

 周囲に絶叫が響いている――まるで数百人が拷問にかけられている尋問施設の只中にいるかの様に。

 男の声。女の声。若者の声。子供の声。老人の声。嬰児の声。老若男女の悲痛な絶叫。

 あの武装だ――手で耳をふさいでなお脳裏に響く叫び声に、クロウリーはその絶叫の正体に思い当たった。

 ――男の手にしたあの目に見えない霊体武装。

 男の姿は驚くほどに若い――なにも知らずに見れば、まだ十代後半の若者に見えるだろう。だがその少年と言ってもいい様な男こそが、欧州最強の呼び声も高い同族殺しの魔物だった。

「さてと、クロウリーよ? 一応聞いとこうか――我が愛しの君、麗しのベアトリーチェ・システティアーノ・ロザルタはそこの扉の向こうで寝てるのか?」

「……」

「答えるつもりは無い――か?」 クロウリーが答えないでいるのをどう取ったのか、適当に肩をすくめる。

「まあいいさ、とりあえず部屋を家捜しさせてもらうぜ。いなかったらいなかったで、手足の一本も斬り落としてやれば、おまえの口も少しは軽くなるだろうしな」 言いながら――無造作に振るった一撃が、クロウリーの両脚を膝のあたりから切断した。 膝のあたりから完全に切り落とされた両脚が床の上に――ぱたりと――倒れ、傷口に焼き鏝を当てられた様な激痛にとめどない悲鳴が喉から漏れる。それを適当に聞き流して、男は床の上でのたうち回っているクロウリーのかたわらを通り過ぎた。

 と――男がそこでひたりと足を止める。彼は突然天井を振り仰ぐと、手にした霊体武装を頭上に向かって突き出した。

 同時に、天井の板に切れ目が走る――天井板を細切れにして、ジャクソンが天井裏から飛び降りてきた。

 どうもさっきから姿が見えないと思ったら、そんなところに隠れていたらしい――男の不意を衝くつもりだったのか、あるいは最初からゴーレムたちを棄て駒に使って疲弊を待っていたのか。

 いずれにせよ、無駄だった様だが。

「ケァァァッ!」 ジャクソンが振り下ろした魔剣『ザ・カーニバル』と――

Woooaaaalalalalalieオォォォォアァァァァララララララィッ!」 

 咆哮とともに翳された男の手にした霊体武装の物撃ちが、がきりと音を立てて噛み合う。

 ぎいん、と金属音が響き渡り――細切れにされた天井板の破片が床の上にばらばらと落ちて埃を巻き上げた。

 部屋のほぼ中央で鍔迫り合いの体勢を維持したまま、ふ、と青年が笑みを漏らした。

「こいつは驚いた――我らが友人ジャクソン・スタンレーじゃないか。三十六年ぶりか? まったく、レイルにあれだけ痛めつけられてもまだ生き返ってくるとはな――『クトゥルク』の下僕サーヴァントというのも便利なものだ」

 ジャクソンのザ・カーニバルは魔術によって精製された鋼を鍛え、煮え滾る熔岩の熱を刃に封入したものだ――専用の鞘から抜き放たれると、その刀身は周囲に猛烈な遠赤外線を放出する。

 どうやら欧州の魔術師から奪い取ったものらしい――ジャクソンは三十六年前にも一度この同族殺しと戦っているらしいから、この男に一度こてんぱんにやられた借りがあるのだろう。この男が話題に出ると、ジャクソンは決まって瞳に殺意を滾らせていた。

「珍しいおもちゃだな」

 じりじりと肌を焼く遠赤外線に顔を顰めながら、金髪の男がそんな言葉を口にする。

「電熱ストーブの代わりになら使えそうだ――キャンプに持ち出せば役に立つかもしれんな」

「わざわざ貴様への復讐のために用意したものだ」 それまでとはまったく違う口調で、ジャクソンが告げた。

「三十六年前に貴様に八つ裂きにされたときから、今日を待っていたよ――あのとき貴様が俺をバラバラにした様に、今日は俺が、貴様を消し炭に変えてやる」

 その言葉に、青年の口元にかすかな笑みが浮かぶ。

「それは頼もしいことだ、――やれるものならやってみろ。その決意に敬意を表して――戦って死なせてやろう」

 

   †

 

「わざわざ貴様への復讐のために用意したものだ」 溶岩をそのまま固めたかの様に赤熱する刃を備えた剣を押し込みながら――憎悪もあらわに、ジャクソン・スタンレーが返事をしてくる。

「三十六年前に貴様に八つ裂きにされたときから、今日を待っていたよ――あのとき貴様が俺をバラバラにした様に、今日は俺が、貴様を消し炭に変えてやる」

 それを聞いて、彼はすっと目を細めた。

「それは頼もしいことだ、――やれるものならやってみろ。その決意に敬意を表して――戦って死なせてやろう」

 しっ――歯の間から息を吐き出しながら、踏み込みと同時に塵灰滅の剣Asher Dustを押し込む。スタンレーはその動きに逆らわずに、後方に跳躍していったん間合いを話した。

 ――ギャァァァァッ!

 ――イヤァァァァァァッ!

 ――うがあぁぁぁぁぁッ!

 塵灰滅の剣Asher Dustがすさまじい絶叫をあげる――ジャクソンの手にした魔剣の刀身が発する高熱によって、壁に掛けられた朽ちたタペストリが燃え上がる。空気中の塵に火がついているのだろう、炎を纏わりつかせながら紅蓮の刀身が宙を走った。

 轟音とともに、塵灰滅の剣Asher Dustの刀身とジャクソンの炎の剣の刀身が激突した――反動で離れた刀身が宙を滑り、互いにもう一撃。

 塵灰滅の剣Asher Dustの刀身の絶叫がさらに強くなり、ジャクソンの魔剣の刀身に纏わりついた劫火が躍る。

 ちりちりと、刀身の発する熱が肌を焼く――それを感じながら、彼は振り下ろされたジャクソンの魔剣を塵灰滅の剣Asher Dustで受け止めた。鋒が弧を描いて床を削り取り、斜めの軌道で振り上げる様にして、両者の物撃ちが轟音とともに衝突する。

 そのままジャクソンの剣を弾き飛ばし、彼は前に出た――いったん振り抜いた剣を左肩に巻き込み、今度は真逆の軌道で振り下ろす。

 剣を側方に弾き飛ばされて無防備になったジャクソンが、あわてて後方に飛び退る――彼の着ていたスタジャンが、塵灰滅の剣Asher Dustの鋒がかすめて斜めに引き裂かれた。

「ほう。レイルにやられたときよりは、少しはましになったじゃないか」

 コンスタンティノーブルで一度戦ったときに比べると、反応速度が大幅に上がっている――今の二撃の交錯でそれを確認し、彼はかすかに笑みを浮かべた。

 三十六年前にコンスタンティノーブルで『クトゥルク』を滅ぼすべく襲撃したとき、彼とレイル・エルウッドは今回と同じ様に『クトゥルク』と――そしてジャクソン・スタンレーと戦った。

 結果として、当時はまだ技術的に未熟だったレイル・エルウッドはそれなりの手傷を負わされ――その直後、ジャクソンは彼と戦うことになり、そして瞬時に斃された。

 所詮『クトゥルク』の下僕サーヴァントだ――たとえレイル・エルウッドに負わされた手傷というハンデを無しにしても、まがりなりにもロイヤルクラシックである彼の相手は務まらない。

「ほざけ」

 唇をゆがめてそう言い返してくる――彼は口元に刻んだ笑みをさらに深くすると、

「それは残念だ――せっかくこうして久しぶりに会ったんだ、少しくらい昔のことを語らっても悪くはないだろう?」

 

   †

 

「ほう。レイルにやられたときよりは、少しはましになったじゃないか」 口元に皮肉な笑みを刻んで――金髪の男はそう言ってきた。薄暗がりの中で、その双眸が紅く光っている。

 魔の眷族の証たる、紅い紅い魔人の。それはこの男があらゆる吸血鬼の最大の敵対者でありながら、また同時に吸血鬼の中にあっても屈指の強大な力を持つ個体であることを証すものだった。

 ジャクソンの手にしたザ・カーニバルが、男の手にした不可視の霊体武装と噛み合ってがりがりと音を立てる――魔術によって精製された鋼の刃は信じ難いことに、この数秒の鍔迫り合いの間にどんどん傷んでいた。

 決してザ・カーニバルが鈍刀なまくらなわけではない――武装の基本性能と、それを稼働させるために注ぎ込んでいる魔力の量が桁違いなのだ。

「ほざけ」 動揺を抑え込むためにそう毒づいて、ジャクソンは小さく舌打ちした。

 男の容貌は、三十六年前とまったく変わっていない――相変わらず十七歳くらいの少年の様に見える。少なくともこの男が自分の五倍は長い時を生きているなどと言われても、誰も信じないだろう。

 そう、この男は人間ではない。

 この男もまた吸血鬼だ――少なくとも五百年以上、吸血鬼でありながら吸血鬼を狩り続ける同族殺しの吸血鬼。

「それは残念だ――せっかくこうして久しぶりに会ったんだ、少しくらい昔のことを語らっても悪くはないだろう?」 三十六年前にコンスタンティノーブルで、彼の仲間三十三人を――レイル・エルウッドと彼が戦っている、わずか三分足らずの間に――皆殺しにしてのけたその男は、かすかに笑みを深くしてそんなことを言ってきた。

「よく――ほざくッ!」 声をあげて、彼は魔剣に魔力を注ぎ込んだ。活性化した魔剣の刀身から放射される熱がさらに強くなる――だがその熱波が、使用者である彼に影響を及ぼすことは無い。

 押し寄せる熱波に顔を顰めて舌打ちを漏らし、男が剣をはずして後退した。手にした霊体武装があげる絶叫が、さらに激しくなる。

「暑苦しい得物だな、まったく――だがまあ、この時期なら役に立つかもしれんな」 そんなことを言いながら、金髪の男が手にした不可視の霊体武装を重い風斬り音とともに斜めに振り抜いた。

「なら、雑談は終わりにしよう。俺としても、これからあの毒婦アマを始末しなくちゃならん。いつ復活するかわからない以上、あまり時間はかけられないんでな」

 その言葉に、ジャクソンは床を蹴った――うなりをあげて振り下ろされたザ・カーニバルの刀身が発する熱で空気中の塵が燃焼し、刀身が炎を纏って緋色に染まる。

 金髪の青年の口元に笑みが浮かんだ――笑みを浮かべたまま、彼は霊体武装でその一撃を迎え撃った。

 両者の一撃が激突した瞬間、腕に痺れが走る――反動で離れた剣を引き戻し、男が続く一撃を振るう。

 麻痺した腕では対応が間に合わない、そう判断してジャクソンは後退するために床を蹴った。眼前を目には視えない鋒が割っていくのが風斬り音でわかる――ほんの一瞬でも後退が遅れていたら、それで目から上が無くなっていただろう。

 霊体武装を帯びた相手と戦うときに、一番恐ろしいのはそれだった――霊体武装は使用者の習熟次第で魔力の弱い相手の目には視えなくすることが出来る、今ジャクソンが男の霊体武装を視認出来ていない様に。

 それはつまり、ジャクソンの能力が眼前のこの男に比べて大幅に劣っていることを如実に示している。彼の得物が見えないということは、それだけで勝ち目が薄いのだ。

 男の動きからそれが剣、あるいはなんらかの長い棒状の物体であることはわかるのだが、それだけだ――形状が正確にわからないということは、当然その間合いも正確には測れない。

 さらに、霊体武装のサイズは一度消して再構築することで変更出来る――霊体武装が視えない以上、いつ消して作り変えたのかもわからない。

 警戒も顕わに身構えるジャクソンを見遣って男がふっと笑い、そして――唐突にその姿が虚空に溶ける様にして失せて消えた。

 反応出来たのは、まさに奇跡そのものだったと言えよう――振り返り様に剣を翳す、次の瞬間には幾度と無く襲ってきた衝撃で剣が火花とともに欠けた。

 三回、四回、否それ以上。立て続けに斬撃を繰り出したあと、男の口元に笑みが浮かぶ。彼が剣を引き戻した瞬間に、ジャクソンは反撃を仕掛けようと――

 するより早くこめかみを襲ってきた衝撃に、視界がぶれる。

 なに!?

 左肩に巻き込む様にして引き戻した剣と腕を見せ物に使って下半身の動きからジャクソンの注意を逸らし、彼の意識が上体に向いた隙に廻し蹴りを繰り出してきたのだと気づいたのは、一瞬あとのことだった――三十六年前に戦ったとき、この男は蹴りなど使わなかった。

 まあ、あのときは一合合わせる間も無く斬り殺されたのだから無理も無い――体勢を崩したジャクソンに向かって、男が蹴り足を踏み込みに使って踏み出しながら剣を振るう。

 咄嗟に剣を翳して受け止めたものの――膂力の差は歴然だった。百二十キロの重量をまるで人形の様に吹き飛ばし、金髪の吸血鬼が口元をゆがめて笑う――背後の壁に背中から叩きつけられ、コンクリートの壁にびしりと音を立てて亀裂が走るのがわかった。

 ――ぎゃぁぁぁぁぁッ!

 ――がァあァアぁぁッ!

 ――うがァァァァッ!

男の手にした霊体武装が、脳裏にじかに響く絶叫をあげる――金髪の吸血鬼が床を蹴り、同時に手首を返して振り抜いた霊体武装の柄を握り直した。

Wooo――araaaaaaaaaaオォォォォォォ――アラァァァァァァァァァァァァッ!」

 咆哮とともに――金髪の吸血鬼が手にした霊体武装を、今度は真逆の軌道で水平に薙ぎ払った。ほとんど床に倒れ込む様な体勢でかろうじて回避したジャクソンの頭上で、コンクリートの壁に水平に裂け目が走る。

 続いて、男が顔面を踏み抜きにくる――転がって躱したのも束の間、今度は霊体武装の鋒が頭上から降ってきた。

 視認出来ない霊体武装の鋒が突き込まれてきたのを躱せたのは、ほとんど奇跡に近かった。男の霊体武装の鋒が――ジャクソンがさらに転がって躱したために――、朽ちた絨毯を深々とえぐる。そのまま刃を奔らせて、男が追撃を仕掛けてきた――黴の生えた埃まみれの絨毯が引き裂かれて絨毯の繊維とリノリウムの破片、その下のコンクリートの砕片が撒き散らされる。

 こちらの首を床ごと刎ね飛ばさんと強振されたその一撃を、ジャクソンはぎりぎりのところで躱して立ち上がった。

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