Genocider from the Dark 12

 

   *

 

 同日現地時間で十四時、ヴァチカン市国――

 ヴァチカンはローマ教皇庁によって統治されるカトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地、いわば『総本山』である。

 ヴァチカン市国はローマの北西部に位置するヴァチカンの丘の上、テベレ川の右岸にある。その国境はすべてイタリアと接しており、かつて教皇を外部の攻撃から守るために築かれたヴァチカンの城壁に沿って布かれている。

 面積は約〇・四四平方キロと、国際的な承認を受ける独立国としては世界最小で、東京ネズミーランドよりも小さい。その狭い領土の中にサン・ピエトロ大聖堂、ヴァチカン宮殿、ヴァチカン美術館、サン・ピエトロ広場などが肩を並べている。

 だがそれらとともに、関係者に対しても高度に秘匿されたひとつの施設が存在することはほとんど知られていない。

 教皇の居城として機能しているヴァチカン宮殿の地下に存在するその施設はかつて異端審問官、エクソシストと呼ばれた者たちを源流として存在する非公式騎士団のための施設となっている。彼らがヴァチカン修道院ではなく宮殿の地下に居を構えているのは、ヴァチカン修道院には一般のカトリック教徒が多数存在するからだ――また、カトリックの総本山を侵す不埒者が教皇の命を狙ってきたときに、速やかに対処するためでもある。

 その施設の訓練場で、数人の男女が対峙していた。

 正確にはひとりの男を、ふたりの男女が挟んでいると言ったほうが正しいか。

 囲まれているのは金髪を整髪料で後ろに撫でつけた、四十代後半の壮年の男だった――黒と暗い色合いの赤を基調にした外套を羽織り、左手に鞘に納められたままの刃渡り一メートル強の長剣を持っている。年齢不相応の若々しさを備えた厳しい面差しは、若年のころの精悍さをはっきりととどめていた。

 彼を囲んでいるひとりはこちらはこちらは黒い外套に赤い衣装を身に纏った、二十代前半の銀髪の青年だった――両腕と両足を、鈍い銀色に輝く具足で鎧っている。

 もうひとりはすらりとした肢体を修道服に包み込んだ、背の高い女性だった。隣にいる赤いコートの若者とほとんど変わらない。目深にかぶったベールの下から、腰のあたりまで届くウェーブした黒髪が覗いている。左手には長大な日本刀の鞘を手にしていた。

 広々とした訓練場の中央から離れた壁際に、やはり数人の男女が立っている。

 ひとりは背中まで届く黒髪をうなじのあたりで革紐で束ねた、小柄な若者だ――おそらくこちらも二十代の半ばごろか。整った顔立ちに今は真剣な色を覗かせて、対峙している三人を見守っている。

 そのそばで同じく彼らを見守っているのは、六人の少女だった。上は十八歳から下は十二歳まで、いずれも黒に近い濃紺の修道服に身を包んでいる。

 茨で編んだ冠を模した腕章をつけている者が数人混じっているのはいまだ実戦に参加した経験が無いことを示し、左の襟元に縫い止められている小さな徽章は彼女たちが所属する教室を表している。

 彼女たちの『教師』――リッチー・ブラックモア教師は右の襟元には少女たちと同じデザインの徽章が、左の襟元には異なる意匠の徽章が縫い止められていた。

 右襟の徽章は荊の巻きついた、折れた鳥の片翼。左襟の徽章は目をモチーフにした装飾が施された、同じく荊が絡みついた曲刀の意匠。

 左の襟元の徽章はブラックモアの出身教室、右の襟元の徽章は彼が現在開催している教室を示す徽章である。

 彼の左襟の徽章は、ある意味どこにでもあるものだった――位階を持たない上級幹部クラスの聖堂騎士や高位階の聖堂騎士のほとんどが、この徽章を左襟につけているからだ。

 そして今少女たちの視線の先にいる三人の男女全員が、同じ徽章を左襟につけている。

「よく見ておけよ」 ブラックモアが、対峙する三人を視線で示して口を開く。

「特に団長をな。団長の訓練なんて滅多に見られるもんじゃない――聖典戦儀を基本にしてるおまえたちにとっては、あの人の技術は学ぶことが多いだろうから」

 少女たちはうなずいて、そろって三人のほうに視線を戻した。

 ブラックモアが視線を転じて、自分の隣に立っていた少女に視線を向ける。

「特におまえはな、フィオレンティーナ――聖典戦儀をいったん聖書に戻さずに別のものに作り替える技術は、今のおまえに一番足りないものだ」

 黒髪を邪魔にならない様にショートカットにして、まだ成熟しきっていない体を修道服に包んでいる。そこそこの美人だと言っていいだろう――幼さを残してはいるものの、その瞳は凛とした意志の強そうな光を湛えていた。

 フィオレンティーナと呼ばれた少女がその言葉に彼に視線を向け、小さくうなずいて再び三人に視線を向けたとき、三人が同時に動いた。

 

   †

 

 男女ふたりに挟まれていた壮年の男が、懐から取り出した聖書のページを足元にばら撒く。綴じ紐を抜かれたページがバサバサと音を立てて足元に落ちるより早く、ひとりでに空中に舞い上がった。

 真紅のコートの青年が、それを目にして身構える――刀を手にした修道女が、鞘を払いながら床を蹴った。

 男の手にした長剣と修道女の刀の刀身が、金属音とともに激突する――ふたりが相手の戦闘だからだろう、男は鍔迫り合いを避けて修道女の刀の横腹を弾き飛ばし、体勢を崩した彼女を取りあえず放置して真紅のコートの青年に向き直った。

――Shaaaayaaaaa――ッシャァァァイヤァァァァッ!」 咆哮とともに――青年が繰り出した拳がサイドステップした男の頬をかすめる。次の瞬間には、震脚の轟音とともに青年の体が弾き飛ばされていた。否――男が青年の鳩尾に撃ち込んだ、極めて近い間合いからの拳の一撃の直撃を避けるために後退したのだ。

「今のは浮嶽フガクと呼ばれる技だ」 視線をはずさないまま、黒髪の青年が口を開く。

 後退した青年に向かって、男が追撃の横蹴りを繰り出す――両腕でガードしながら後退する青年に、男が追撃を仕掛けた。

「フガク?」 それを見ながら、フィオレンティーナが尋ね返す。

「外的な衝撃というよりも震盪性の衝撃波だが――発想としては中国拳法の奥義『透かし』に近い。熟練者が使えば、当たりどころによっては生身の人間であれば即死することもある。俺たちの先生が人間相手に本気で撃てば、間違い無く内臓を片端から破裂させられて即死するだろうな」

「先生も使えるんですか――あ、先生のお師匠様じゃなくて、」

 フィオレンティーナのその言葉に、ブラックモアと呼ばれた青年はあっさりとうなずいた。

「ああ、使える。俺だけじゃなく、俺の先生の直接の弟子は全員な。ただ、体格や腕力で威力はまちまちだが」

 その言葉にうなずいて、フィオレンティーナが再び視線を戻す。

「お、くるぞ」 その言葉に会わせたかの様に――男の周囲に舞っている聖書のページに異変が起こった。数百枚の聖典のうち十数枚が激光を放ったかと思うと、刃渡り一メートルほどの長剣に変化したのだ。

 次の瞬間には、十数本の長剣がひとりでに撃ち出されて青年に肉薄していた――そのうちのひと振りを掴み止め、青年が飛んできた剣を片端から撃ち墜とす。

 撃ち出された剣のうち数本は、女性のほうにも飛来している――彼女は落ち着いて間合いを取り直すと、飛んできた長剣を叩き落とし、そのうちの一本を拾い上げて男に向かって投げつけた。

 だが長剣は男に近づくや否や、再び彼の支配下に置かれたらしい――飛んでいった長剣が空中でピタリと静止し、続いて十数枚の聖典ともども激光とともに黄金色に輝く穂先を持つ槍へと変わった。

 今度は槍は撃ち出されずに、男の周囲で滞空している――跳躍しかけた赤いコートの男が、その場で躓く様にして踏鞴を踏んだ。

 男が表情に動揺をにじませながら、足元に視線を落とす――先ほど叩き落として地面に転がっていた長剣が、今度は黄金色に輝く鎖と化して彼の両足に絡みついていた。

 両足に絡みついた鎖を振りほどけないまま、コートの青年が小さくうめく――表情を引き攣らせた赤いコートの青年に向かって、黄金に輝く槍がひとりでに撃ち出された。

 

   †


「あ……!」

 今の自分では到底真似の出来ない絶技を目にして、フィオレンティーナ・ピッコロは思わず声をあげた。

 先ほど赤いコートの男――聖堂騎士団第四位アンソニー・ベルルスコーニが叩き墜とした十数本の擲剣聖典が激光とともに黄金に輝く鎖と化し、まるで蛇の様に動いてベルルスコーニの両足に絡みついたのだ。

 踏み出しかけた両足の動きを制限され、ベルルスコーニの動きが止まる。両足に絡みついた鎖を振りほどけないままの彼に向かって、黒と赤の色の衣装を纏った男――聖堂騎士団長レイル・エルウッドが撃ち出した、無数の槍が襲いかかった。

 先ほどからエルウッドが遣っているのは、聖典戦儀と呼ばれるものだ。

 聖書のページに魔力を通して聖書が帯びた聖性の強い魔力と自身の魔力を呼応させることで武器に変化させる、聖堂騎士団の技術の一種だ――ポピュラーなものはエルウッドが最初にやった様に、剣に変化させる護剣聖典と呼ばれるものだ。

 だが本人の熟練次第で剣から槍から格闘用の手甲、果ては全身甲冑まで、機械的な要素、つまり可動部分を持たない武器や防具はどんなものでも作り出せるらしい――今彼女たちの眼の前で、エルウッドが剣と槍と鎖を作ってみせた様に。

 聖堂騎士団の上位の騎士たちの中には、キリストやほかの聖人、あるいはなんらかの形で神にゆかりのある聖遺物と呼ばれる品物を遣う者たちがいる。

 そもそも武器として遣える聖遺物自体がそう多くはないのだが、その代表格は千人長ロンギヌスの槍、かつてゴルゴタの丘において磔刑に処されたイエス・キリストの死亡を確認するために彼の脇腹に突き立てられたという千人隊長ロンギヌスの槍だった。

 キリストの血を浴びることで強烈な聖性を帯びた千人長ロンギヌスの槍は、呼応する魔力を持つ使用者に強大な力を与えると言われている。

 だが、所詮聖遺物はろくに数のそろわない代物だ。聖杯は現存するものの武器としては機能せず、聖十字架はとうの昔に失われ破壊されてしまった。聖骸布は現存するが、布切れ一枚がなんの役に立つわけでもない――もっとも強烈な魔力を帯びた素材は衣服に加工すれば、魔物たちに対して強力な防御機能を発揮するだろうが。

 武器として遣えるのは、千人長ロンギヌスの槍とエレナの聖釘せいていくらいなものだ――イエスを十字架に磔にするのに用いた聖釘のうちヴァチカンが保有しているものは二本あり、そのうちの一本を聖堂騎士が武装として用いている。

 聖典戦儀によって作り出される武器は聖遺物の様に手にしただけで強大な魔力を賦与される様なことは無いが、熟練次第で誰にでも使えるうえ、力の上限が無いという特徴がある。

 対して聖遺物は誰が使っても力の総量は一定だ――使い手を選ぶ代わりに成長もしない。

 聖典戦儀は使い手の技量次第でいくらでも力をこめられる――初心者用の武装だが、超上級者にとっても理想の武装なのだ。

 そしてまさしく、レイル・エルウッドは超上級者と言えるだろう――フィオレンティーナとは技量のレベルが比べ物にならない。

 エルウッドが作り出した無数の槍が、ベルルスコーニに襲いかかる。それを横から割って入って叩き墜としたのは、日本刀を手にした女性――第五位の聖堂騎士リーラ・シャルンホストだった。

 リーラが手にした日本刀で、続いてベルルスコーニの両足を縛めた鎖を切断する――それで解放されたベルルスコーニがエルウッドに向き直ったときには、エルウッドはすでに地面を蹴っていた。

 フィオレンティーナには視認すら出来ない様な動きで、とうにベルルスコーニの間合いを侵略している。

 ひゅ、という風斬り音とともに、虚空を銀光が引き裂いた。

 そのまま二条、三条と、エルウッドの手にした剣が宙を走るたびに照明を照り返した鋒が輝く軌跡を虚空に刻み、ベルルスコーニの両腕を鎧う装甲に這わされた魔力と干渉して紫色の火花が飛び散る。

 ベルルスコーニは回避で精いっぱいの様だった――攻撃が十を超えたあたりで、左腕の手甲を叩きつける様にしてその攻撃を受け止める。手甲に這わされた魔力強化エンチャントがエルウッドの長剣の衝突の衝撃を散らして閃光と轟音を発し、一瞬視界を塗り潰した。

 続く一動作でベルルスコーニが一歩前に踏み出し――そしてそれと同時に、エルウッドが弾かれた様に後退した。リーラの繰り出した鋭い刺突が、直前まで彼がいた空間を貫いている。

 いったん間合いを離したエルウッドが、ゆっくりと笑う。彼が再び床を蹴ろうとしたとき、落雷を思わせる大音声だいおんじょうがその動きを止めた。

「おい、レイル!」

 その声はエルウッド本人のみならず、その場にいたすべての者がそちらに視線を向けるほどに大きかった。

 フィオレンティーナが視線を向けると、訓練場の入り口に燃える様な赤毛の長身の男が立っていた――長身というよりも巨人に近い。身長二メートルを超える巨体のその男は無遠慮に背後を親指で指し示すと、

「香港の師匠から連絡が入ってる。今すぐ話したいってよ」

「ああ、わかった」 うなずいて、レイル・エルウッドは剣を下ろした。彼は腰に吊った鞘に剣を収め、ベルルスコーニとリーラを交互に見遣ると、

「ここまでだ。すまんな、つきあわせて」

「いえ」 ベルルスコーニがかぶりを振ってみせる。

「後進に見せるためにはいい稽古でした」 そう言って、彼はフィオレンティーナのほうに視線を向けた。

「そうか」 うなずいて、エルウッドは踵を返して歩き出した。

 訓練場から出ていく彼を見送って、かたわらに立っていたリッチー・ブラックモアが口を開く。

「どうだった?」

「正直なところ、なにがなんだか。あんなふうにいくつもの聖典戦儀を使い分けることが出来るなんて、思いもしませんでした」

 正直にフィオレンティーナが答えると、ブラックモアはあっさりとうなずいた。

「だろうな――まああそこまで聖典戦儀を使いこなすのは、俺やアンソニーにも無理だ。おまえに今出来ないからといって、恥じる必要は無い――ただまあ、目標として見据えるのはいいと思う」

 慰めているともつかないブラックモアの言葉に、小さくうなずく――実際のところ、今の模擬戦においてベルルスコーニとリーラは有効な攻撃を一切繰り出せていない。ごく短時間の戦闘だったが、ふたりはエルウッドに圧倒されっぱなしだったのだ。

「聖堂騎士ブラックモアは、確か団長と同じ方に師事したんですよね?」

 グリセルダがそう尋ねると、ブラックモアが軽く首肯してみせた。

「ああ、そうだ――先生は聖典遣いじゃないから聖典戦儀は俺たちはほかの人に教わったが、基本的な戦闘技術は先生に教わった」

「どんな方なんですか?」

「俺の先生か?」 フィオレンティーナの言葉に、ブラックモアが適当に肩をすくめる。

「なんというか――あれは真性の怪物だな」

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