Genocider from the Dark 3

 

   †

 

 噛まれ者ダンパイアと呼ばれる吸血鬼がいる。

 それは個体の名前ではなく、吸血鬼たちの一種の種類を示す言葉だ。

 もっとも、それをraceと呼ぶのもまた正しくない――生物をこれはヒト、これはイヌ、これはネコといった様に生物学的分類で区別したり、あるいは白人と黒人と黄色人種を区別したりといった、そういったたぐいのくくりを表す言葉ではないからだ。

 言葉の定義からいくと、呼び名というより侮蔑語に近い――ダンパイアという言葉の本来の意味は『劣る者』、すなわち自分の血を吸った吸血鬼の性質を完全に継承出来なかった劣化コピーに対する蔑称だからだ。

 噛まれ者ダンパイアはその名の通り、より上位の吸血鬼に噛まれたことによって吸血鬼と化し、自分を噛んだ吸血鬼の下僕となった者たちだ――噛まれ者ダンパイアに噛まれた吸血鬼も噛まれ者ダンパイアと呼び、畢竟一部の吸血鬼を除くすべての吸血鬼を噛まれ者ダンパイアと呼ぶため、この言葉の定義は極めて広範である。

 犠牲者の血を吸って噛まれ者ダンパイアに変えた吸血鬼もまた特別な一部の個体を除いて噛まれ者ダンパイアであるが、噛まれ者ダンパイアに変えられた吸血鬼を下位個体、その吸血鬼の血を吸って噛まれ者ダンパイアに変えた吸血鬼をその噛まれ者ダンパイアの上位個体と呼ぶ。

 下位個体の吸血鬼は基本的には自由意志を持っているが、自分を噛んだ上位個体の肉声に支配される――上位個体に肉声で命令されると、下位個体はその命令に逆らうことが出来ないのだ。

 喰屍鬼グールという魔物がいる。彼らは吸血鬼の犠牲となった人間の中で、吸血鬼となる適性を持たなかった者が変化する魔物である。吸血能力は無く、知能も持たず、ただ肥大した食欲に苛まれて他者を喰らう。

 高度な命令実行能力は持たないものの主の命令に服従する彼らは、下位の吸血鬼たちにとって貴重な下僕であると言える――だが上位の吸血鬼は、喰屍鬼グールではなく噛まれ者ダンパイアを増やすことを好む。

 上位個体は自分の下位個体となった噛まれ者ダンパイアがさらなる犠牲者の血を吸うとき、そこから奪い取る霊的な生命力――魔力の大部分を吸い上げて自分の強化に利用することが出来るからだ。喰屍鬼グールが犠牲者を襲ってもそこから魔力を搾取することは出来ないし、証拠の隠滅を行う知恵も無いから、自分が直接吸血するための生贄を拉致してこさせることさえ出来ない。

 そのため、ある程度力をつけた吸血鬼にとっては喰屍鬼グールは邪魔にしかならないのだ。

 さらに上位の吸血鬼になればなるほど犠牲者が噛まれ者ダンパイアになる確率は上がり、噛まれ者ダンパイアのほうが知能が高いぶん命令実行能力が高く、また彼らが人間から奪い取った力を吸い上げることが出来るために、吸血鬼にとっては便利な下僕なのだ。

 前述したとおり、噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールと違い、血を吸うときに同時に獲物の魔力を奪う。上位個体の吸血鬼は下位個体の噛まれ者ダンパイアが犠牲者から奪った魔力の七割から八割程度をなにもせずとも吸い上げることが出来るため、みずから血を吸って回るよりもはるかに効率よく自己の強化を図れるのだ――ただしその上位個体自身も、配下から吸い上げた魔力の七割がたをより上位の吸血鬼に奪われているのだが。

 ゆえに吸血鬼はみずからの配下を増やす『繁殖』行動において、喰屍鬼グールよりも噛まれ者ダンパイアを増やすことを好む――喰屍鬼グールが自己強化に役立たないことを理解出来てくると、襲った獲物が喰屍鬼グールに変わった途端に自分で始末する吸血鬼も少なくない。

 噛まれ者ダンパイアは肉声で命令しないかぎり上位個体の指示に百パーセント従うことは無いが、上位個体が下位個体の吸血鬼をしていることは別に珍しくない――彼らが自分の指示に従おうが好き勝手やっていようが、別に問題無い。噛まれ者ダンパイアは血を吸わなければ生きていけないので、放っておいても勝手に人を襲って血を吸う――上位個体は彼らが吸血しさえすれば力を回収出来るので、なにかしら人数が必要でなければ噛まれ者ダンパイアがまとまって行動することは珍しい。

 無論上位個体が必要に応じて下位個体を手元に置いておくこともあるし、下位個体に命じて拠点を防衛させたり、食糧となる人間を拉致させることもある――ただ単に下位個体を並べて喜んでいる上位個体もいるし、肉声で直接命令すれば逆らえないという特徴を利用して異性の下位個体を性的に虐待する上位個体もいる。

 この場所にいる吸血鬼どもも――上位個体が自分たちの拠点防衛のために下位個体を利用している例のひとつだった。


 ふっ――短い息吹を吐き出しながら、彼は苛烈に踏み込んだ。上段に翳した霊体武装Asher Dustを、やや角度のついた真直の軌道で振り下ろす――回避のいとまも与えられないまま、目の前にいた西洋系の吸血鬼の腕が一本切断された。悲鳴をあげるために口を開きかけた吸血鬼の鳩尾に、彼が至近距離から繰り出した横蹴りが突き刺さる。

 極めて近い間合いから撃ち込まれた蹴りによって壁に叩きつけられ、吸血鬼の背後の壁に亀裂が走った。

 吸血鬼の口から踏み潰された蛙の様な聞くに堪えない短い悲鳴が漏れ、続いてその悲鳴が破裂した内臓から喉に上がってきた液体の泡立つ嗽の様な音に変わる。

 致命傷にはなっていないのか、それで消滅はしなかった――だがどうでもいい。

 それでとりあえず、その吸血鬼は放置――内臓がみっつかよっつまとめて破裂した状態では、満足に動くのは不可能だ。この吸血鬼の気配から考えて、重要臓器の損傷が完全に治癒するまでは三十分ほどかかるだろう。

  視界の端で、ふたつの屍が塵へと変わって朽ち果ててゆく――この廃ビルに踏み込んで、最初に斬り斃した喰屍鬼グールたちだ。

 残りは――

Woooaraaaaaaaaaaaオォォォォアラァァァァァァァァァァッ!」

 咆哮とともに、彼は手にした霊体武装を振るった――振り返りざまの横薙ぎの一撃で胴体を輪切りにされ、二体の喰屍鬼グールがその場に崩れ落ちて塵に変わる。

 ――ぎゃぁぁぁぁっ!

 攻撃の軌道に巻き込まれて腕を斬り落とされ、噛まれ者ダンパイアが悲鳴をあげる――外で射殺した噛まれ者ダンパイアと同年代の、香港人のまだ若い男だ。おそらく今は床に蹲ってげえげえ嘔吐している、西洋系の吸血鬼たちの被害者だろう――だからといって同情する気には到底なれなかったが。

 胸中でつぶやいて、彼は一瞬だけ視線を転じた。

 少なくとも部屋の隅にうつ伏せに倒れたさんざん暴行を受けた形跡のある若い女ふたりの亡骸を目にしては、連中に同情する気には到底なれない。

 それぞれ自分を魅力的に見せるために整えたであろう衣服は今は痣だらけの姿態に申し訳程度にまとわりつく襤褸布になり果て、内腿には白濁した粘つく液体がこびりついている。なんとか逃れようとずっと抵抗を続けていたであろう肌はところどころ擦り剥いた痕があり、首筋には大量出血の痕跡が残っていた。

 見るも無慙な光景から視線をはずし、身も世も無く泣き叫んでいる香港人の吸血鬼に視線を戻す。

 切断した腕が、床に落ちるよりも早く塵と化して消えて失せた――香港人の悲痛な悲鳴に微塵の同情も感じないまま、彼は無造作に伸ばした左手で香港人の顔面を鷲掴みにする。

 もしこいつらに同情出来るとしたら同じ穴の貉の犯罪者か気違い、あとは博愛主義者だの人道主義者だのといった白痴どもだけだろう――要するに自分に被害がこないから好き勝手言っているだけの、なんの役にも立たない偽善者どもだ。

 確かに暴力はなにも生み出さないだろうが、寄ってたかって女子供を犯す様な手合いを殺せば、少なくともその下種どもが次の被害を出すことだけは避けられる――その明白な事実を理解出来ていない愚か者が加害者の命が尊いだのと寝言を吐き散らして、本来尊重すべき被害者の尊厳と権利と名誉をないがしろにするのだ。

 次の瞬間、男の悲鳴が一オクターヴ跳ね上がった――男の顔面を掴んだ左手の人差し指が、右目に突き刺さっているからだ。

 そのまま、眼球に突き刺した指で眼窩をえぐる――激痛に錯乱して、男は反撃を行うという思考すら出来なかったに違い無い。だが彼はその悲鳴に塵ひとつぶんほどの同情も覚えないまま男の体を引きずり回し、手近な壁に後頭部から叩きつけた。

 掌に抑え込まれたまま後頭部から壁に激突した男の体が、びくりと大きく痙攣する――すさまじい膂力で以て叩きつけられた後頭部を中心に壁に亀裂が走り、動脈血と静脈血の混じりあったまだら色の液体がおぞましい模様を描きながら壁を伝って床に滑り落ちていく。それを無視して、彼は後頭部を割られた男の体をゴミ袋の様に床に投げ棄てた。

 鈎爪の様に曲げた指を眼窩から引き抜くときにまぶたを引きちぎられ、男の絶叫がさらに甲高くなる――より早く、彼が叩きつけた脚甲の踵が床の上で転げ回っている男の頭蓋を踏み砕いて沈黙させた。

 次の瞬間脚甲に這わせた魔力が頭を踏みつけにした吸血鬼の霊体を喰い潰し、続く一瞬でその肉体を黒い塵とも灰ともつかぬものに変えて消滅させた。

 さて――とりあえずやるべきことは最後の噛まれ者ダンパイア無力化ニュートラライズすることだ。

 仲間が実に易々と殺されたからだろう、最後のひとりは警戒もあらわにこちらを睨み据えている。

 それを無視して、彼は自分の動く空間を確保するために壁から離れて間合いを詰めた。それに合わせて、噛まれ者ダンパイアが後ずさる。

 愚かなことだ――警戒というのは戦闘開始時にするものだ。味方の戦力が減ってから警戒しても意味が無い。味方が駆けつけてくることも期待出来ず、戦力差もすでに明らかになっている。

 今更少々警戒しながら戦ったところで、有効な戦法を見つけることなど不可能だ。最初に『黙らせた』吸血鬼と足元の噛まれ者ダンパイア喰屍鬼グールどもがまだまともに動ける状態のときならまだしも有効な戦略の組み立て方もあったのだろうが、目の前の噛まれ者ムシケラ一匹で出来ることなどなにも無い――もっとも、目の前にいる敵が一人から百人に増えたところで、彼にしてみればたいした差は無い。せいぜいが数が増えたぶん、手間が増えるだけのことだ。

 が――

 彼は足元に落ちていたゴルフクラブを脚甲の爪先で掬い上げ、左手で掴み止めた。アイアンのヘッドを壁に叩きつけてぼきりと叩き折り――残ったシャフトを振り返りざま、背後に向かって投げ放つ。

 アイアンのシャフトは彼の背後でようやっと立ち上がりかけていた、西洋系の吸血鬼の首に突き刺さった。魔力を這わせて補強しているので、壁に突き刺さるほどの力を込めても曲がったり折れたりはしない――シャフトの先端が吸血鬼の喉を容赦無く貫通して、背後の壁に縫い止める。

「思ったよりもタフじゃないか、

 答えは返らない――深々と突き立てられたアイアンのシャフトは西洋系の吸血鬼の頸部を完全に貫いて抜き型でクッキーの生地を切り取る様に皮膚と筋肉、左側の頸動脈と気道の一部を切断し、そのまま背後の壁に深々と突き刺さっている。頸動脈からあふれ出した血が気道を伝い落ちて肺へと流れ込み、肺胞を濡らしてゆく。

 壁に縫い止められた吸血鬼が、悲鳴をあげることも出来ないまま口蓋から大量の血を吐き出す。返事をしようとしたのかもしれないが、そんなことは彼からすれば心底どうでもいいことだった。

 先ほどの蹴りで破れた内臓はまだ完治してはいないらしい――それでも立ち上がってこられたのはたいしたものだ。胸中で称賛の言葉をつぶやいて、彼はかすかに笑った。

 だがもう無理だ――吸血鬼は人外の怪物であり、またこの世の理の外にある存在ではあるが、元が人間であるために生き物であればすべからく捕らわれる軛をすべて振り払えたわけではない。

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