Genocider from the Dark 2
†
ヴッヴッという抑えられた銃声とともに、スライドの復座の衝撃で銃口が二度跳ねた――発射ガスで薄汚れた空薬莢がふたつ、綺麗な放物線を描いて地面に落下して、コンクリートの上で跳ね回る。
手にした自動拳銃の銃身に装着したサプレッサーから、硝煙が立ち昇っている――足元にくず折れた男の屍を見下ろして、彼は銃を下ろしながら小さく息を吐いた。
彼が手にしているのは、黒色テフロンでコーティングされたSIGザウァーP226 X-FIVE自動拳銃だった――もっとも、その外観はカスタマイズの積み重ねで原形を留めていない。
まだ手に入れて一年足らずしか経っていないというのに完全に指の形に摩耗したグリップを軽く握り直し、彼は足元を見下ろした。
血の泡を噴きながら手足を痙攣させている男を見降ろして、彼は静かに口を開いた。
「
彼はさして気に留めないまま、近接戦闘用に改造した自動拳銃の銃口を男の頭部に向けた。
彼の拳銃に装填された弾薬は百五十グレイン(グレインはヤード・ポンド法における質量の単位の一種。一グレインは六十四・七九八九一ミリグラム。百五十グレインは約八・二三グラム)の弾頭を毎秒千三百フィートで撃ち出すホットロード弾で、初速が速いためにサプレッサーはほとんど効果が無い。
だが関係無い、なにもかもが関係無い。
銃声は大きく分けてふたつの音で構成されている――ひとつは発射ガスの膨張によって発生する破裂音で、一般的に銃声と言えばこちらを想像するだろう。サプレッサーで抑えられるのは銃声の構成要素ではこちらだけで、後述する弾頭が飛翔する際の風斬り音は抑えられない。
そしてもうひとつは弾頭が空気を押しのける際に発生する風斬り音で、こちらは特に弾頭の速度が音速を超えた場合に発生する衝撃波とそれが減衰する際に発する超高音域のソニックブームによって極端に大きくなるが、零距離射撃であれば発生しない――衝撃波やソニックブームが発生する前に、弾頭が標的に着弾してしまうからだ。
自動拳銃のサプレッサーの先端を男の眉間に近づけ、そのままトリガーを引く――抑えられた銃声とともに吐き出された弾頭が頭蓋を砕いて脳に喰い込み、着弾の衝撃で頭部の皮膚が細かく裂け、頭全体が一瞬膨れ上がった様に見えた。
鼻や耳からぱっと血を噴き出させ、血走った眼元から涙の様に血を流して、足元の
スライドが後退したときの衝撃で、銃口が跳ね上がった――続いてもう一度トリガーを引こうとしたところで、力の入りかけた指の動きを止める。排莢口から弾き出された空薬莢が回転しながら地面に落下して、コンクリートの地面の上で何度か跳ね回った。
しばらくの間死後の細かな痙攣を続けていた
くたびれた衣服だけを残してその場で塵の山と化し、そしてその塵もみるみるうちに消滅してゆく――衣服だけを存在の痕跡に跡形も無く消えて失せた
「さて――」
独り語ちて――黒色の装甲板同士が擦れ合う耳障りな音とともに――、彼は歩き始めた。
†
クロウリー・ネルソンは廃ビルの最上階に置かれたくたびれたソファーにふんぞり返って、少々爪の伸びすぎた指先で苛々と頭を掻いた。
「ああ、くそっ!」
テーブルの上に置いてあったヘネシーの空き瓶を、テーブルごと蹴り倒す――それを見かねたのか、向かいのソファーに座っていたジャクソン・スタンレーがあきれた表情で声をかけてきた。
「少しは落ちつけよ」
「落ちつけよ、だと!?」 八つ当たりだとは自覚していたが、クロウリーはジャクソンのほうを睨みつけた。
ジャクソン・スタンレーはイギリス系アメリカ人で、炎を思わせる赤毛の男だ。自分と同じで見た目はせいぜい三十代というところだが、彼の実年齢は九十歳近い。
黒いジャケットを着て、片腕で日本人の女を抱いている――女の表情はだらしなくとろんと弛緩していて、表情同様全身が弛緩し、口の端からは涎が伝い落ちていた。
彼らの配下の
「この状況のどこが落ち着いてられるってんだ――いいか、十二人だぞ。ロンドン、タルトゥにブリュッセル、イスタンブールにプラハ、ブカレスト、ニューデリーに台北だ。三週間でこれだけ移動したってのに、あの野郎はどこに行っても追いついてきやがる。おまけにもうすでにこっちの仲間は十二人も殺られてるんだ!」
「ああ、こないだ一ダース達成したな」 スタンレーはそう混ぜっ返してから盛大に溜め息をついて、
「あのな、おまえ。だからってテーブル蹴倒したって、なにもならないだろうが」
彼は足元に転がった若い女性の屍の頭を踵で軽く踏み躙りながら、
「割った瓶を片づける手間が増えるだけじゃねえか」
ちっ――舌打ちをして、視線をめぐらせる。彼はそのまま、壁際で身を寄せ合う様にしている人影を見遣った。
否、それだと自発的にそうしている様に聞こえるか。壁際に転がっているのは、数人の日本人女性だった――正確にはその遺体だった。
ただ単に亡骸を山積みにしていたという表現が、一番正確だろう。手酷い暴行を受けた形跡のある襤褸布の様な衣服を身につけた彼女たちは、ふらふらと歓楽街を彷徨っているところを三人の香港人の吸血鬼たちが捕まえてきた被害者だ。
身に着けた冬服はぼろぼろになり、体を隠すという機能を完全に失っている――力任せに抑えつけて好き放題に蹂躙したために肌には無数の痣が残り、さんざん泣き叫んだために頬には涙の乾いた痕が残っていた。内腿には白濁した液体の痕跡が残り、ひとりは乙女だったために朱が混じっていた。
ちょっとした都合上、彼女たちの血を吸うのはクロウリーとジャクソン、それにウォルターの三人で行わなければならなかった――逆に言えば生きたまま血を吸うこと以外はどうでもよかったので、クロウリーは配下の香港人の吸血鬼たちに殺しさえしなければあとはなにをしてもかまわないと告げたのだ。
そのため、女たちは死ぬ前に数時間に及ぶ数人がかりの性的暴行ののち、つい三十分前にクロウリーの牙にかかることになった。
畢竟、彼女たちは全身の血のほとんどを吸い出されてこと切れた無慙な姿で、床の上にゴミの様に転がされていた。
次いで、部屋の周囲に視線を這わせる。もともとは社長室だったのだろう、それなりに広い部屋の壁際には全部で二十三体の影が立っていた。
いずれも全身をすっぽりと覆う、黒い外套を羽織っている――外套というよりポンチョに近いその衣装の下に二対の腕が隠されていることは、シルエットからはわかるまい。
深い息とともに若干冷静さを取り戻して、クロウリーは再び埃っぽいソファーに腰を下ろした。
「だが、この三週間で仲間は五分の一に減っちまった。ロンドンとタルトゥとブリュッセルでそれぞれひとり、イスタンブールでふたり、プラハでふたり、ニューデリーでもひとり、台北に至っちゃ四人だ。この調子で殺られるペースが上がっていったら、あと一週間後には誰ひとりいなくなるぜ」
三週間前、ロンドンではじめて襲撃をかけてきたあの深紅の瞳の男の姿を思い出して、クロウリーはうなり声をあげた。
改造された二挺の自動拳銃を遣い、人間離れした運動能力と反射速度、それにあの忌々しいおかしな武装で仲間を殺していったあの男。わずか三週間の間に仲間の八割を殺害し、どこに逃れても必ず追ってきたあの男。
最初、彼らの仲間は全部で十五人いた――それが一ヶ月足らずの間に十二人が斃され、残る仲間はあと三人。ここにいるふたりと、一階にいるウォルターの三人だけだ。
「だが、ここが奴らに割れている道理も無い。だろう?」
「それはそうだがな――」
反駁しかけたクロウリーの言葉を遮って、ジャクソンが片手を挙げた。
「どうした?」
「
その言葉に、クロウリーは立ち上がった。
「なんだと!」
その拍子に舞い上がった埃を適当に手で払いながら、ジャクソンが言ってくる。
「――ああ、
「落ち着いてる場合かっ!」 怒鳴り声をあげて、クロウリーは足を踏み鳴らした。
階下にいる三人の
クロウリーとウォルターはさほど魔力が強くなく、彼らの吸血被害者は今なお部屋の片隅で山積みになっている。
上位個体と下位個体は『絆』と呼ばれる霊的な
三人の
たった今下位個体三人を失ったはずのジャクソンの落ち着きっぷりに、クロウリーはいらいらと頭を掻いた。
クロウリーの様子に、ジャクソンが溜め息をついてみせる。彼は舞い上がった埃を追い払う様に適当に手を振って、
「落ちつけよ。なんのために、こんな木偶人形を大量に準備したと思ってるんだ?」
彼が視線を向けると、それまで彫像の様に身動きひとつしなかった異形の人影が一斉に動き出した――それを見遣って、ジャクソンが立ち上がる。
「
そう言って、ジャクソンは彼の体にぐったりともたれかかっていた女の体を膝の上に引き込むと、襤褸布を身につけただけの格好の女の首筋にかぶりついた。激痛を感じてはいても薬物のために抗うこともかなわない女の首筋の皮膚が喰い破られ、噴き出した血がジャクソンの膝を濡らす。
ぢゅるぢゅると音を立てて女の血がジャクソンの喉へと流れ込んでいく。見る間に血の気が引き、細かい痙攣を繰り返すだけになった女の体を足元に投げ出して、ジャクソンは血まみれになった顔に笑みを浮かべて立ち上がった。
ジャクソンに促され、扉に視線を投げる。扉を扇状に囲む様にして、『人形』たちが半円の円陣を作った――扉から入ってきた者は、前方百八十度からの集中攻撃を受けることになる。
これで準備は整った。ジャクソンがソファーの背凭れの向こう側に立てかけていたバイオリンケースを取り上げる――蓋を開くと、そこには時代錯誤なことに大仰な拵の長剣が収まっていた。
「あの方が完全に復活するまでは、なんとしても奴らにあの方を斃されるわけにはいかねえ。あのくそ野郎はここで殺るぞ」
紅く塗装された鞘に収められた長剣を取り出しながら、ジャクソンがそう言ってくる。
『クトゥルク』である『彼女』の下僕である彼らにとって、『彼女』は命そのものだ。『彼女』が滅べば、『彼女』に命を預けた彼らの不死性も失われる。
クロウリーは隣室へと続く扉を見遣った――今なお『彼女』が眠り続ける棺が安置された部屋。
『彼女』が復活するまでは、彼らは『彼女』を守り通さねばならない、それが契約魔術によって人間であることをやめた彼らの契約の内容だからだ。
彼ら三人は、香港人たちの様な普通の
普通の
主が自らの血を啜ったのちに、復活を待たずに滅びたときもだ――
だが『彼女』の下僕である彼らは違う――彼らは主である『クトゥルク』の魔力供給によって魔となっており、上位個体である『クトゥルク』が死んでも独立した個体になったり、元の人間に戻ったりはしない――彼らは『クトゥルク』の魔力供給が途切れると、その瞬間に死んでしまう。すでに代謝システムが変化して人間のそれとは異なる存在となった彼らは、魔力供給が途絶えてしまうともはや生きてはいけないのだ。
唾を飲み込んで、クロウリーはソファーに立てかけていたUSAS12オートマティック・ショットガンを手に取った。韓国の
ショットシェルをフルオートで発射する能力を持つその銃に二十八発の弾薬が装填されたドラム型弾倉を取りつけ、クロウリーは撃発作動桿を引いて初弾を薬室に送り込んだ。
部屋の入口は、『人形』たちが囲んだ扉だけ――奴が来るなら、必ずここから来るはずだ。
と、突然ドアノブが動く。思わずトリガーにかけた指を引きかけたが、半開きになった扉から転がり込む様にして入ってきたのは彼らと同じく『彼女』の下僕であるウォルター・ラングだった。
ひどい有様だった――くすんだ金髪は血にまみれ、全身を斬り刻まれて、首筋を斜めに貫く様にしてアイアンのシャフトが突き刺さっている。
「殺される……みんな……殺……される」 うわ言の様につぶやくラング――その体が次の瞬間、身の毛も弥立つ様な絶叫とともに消滅した。あとに残った服と一緒に、シャフトが床の上で跳ね回る。
そしてそれとほぼ同時に、半開きになった扉の隙間からなにかが投げ込まれてきた。
ぱっと見はスプレー缶の様な形状で、黒く塗装されている。それがなんなのかは判然としなかったが、白抜きの文字で『NO.25』、それに『DISTRACTION DEVICE』と記載されている。
……ディストラクション・ディヴァイス?
それがスプレー缶の様な形状をした物体だと気づいたときには、すでに
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