Genocider from the Dark 1
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西暦二〇〇六年、香港――
一九九七年にイギリスから統治権が中国に返還されて以来、この小島群は中国の特別行政区となっている。
香港島とその周りに存在する二百近い島は、いずれも平地が少ない――そのために数少ない平地に七百万人近い人口のほとんどが集中しており、その集中した人口を住まわせるために、平野部に構築された市街地には数十階を超える様な超高層ビルが文字通り林立している。
以前に来たときは、夏場だった――ビルが林立しているだけにヒートアイランド現象は東京がかすんで見えるほどにひどく、夏場の気候は厳しい。暑いのが苦手な彼は、正直それに辟易したものだ。
香港島北部――
地上四百メートルを超えるこの建物は、建築当時世界で五番目に高いビルだと言われていた――現時点でも五番目なのだが、二〇一〇年には地上百八階建て、高さ四百八十四メートルで完成予定の
周囲のビルが百~三百メートルを超える高層ビルばかりのため、遠目に見るとそれほど高くは見えない。香港にはネオンサインや建築物高さの規制が無い。平原部の人口密度が非常に高く、高層マンションが無いと市街地として成り立たなかったのが、規制が作られなかった理由のひとつだろう。
とはいえまあ夜景は悪くはない、が――
ヴィクトリア
とはいえ、それも深夜になってしまえば――
ちょうど今いるのは
香港島の北部には狭い住宅地があり、そこと
それでなくとも、香港特別行政区だけで香港島、
そういった小島を虱潰しにして成果が挙がらなかったから、これから
香港警察からの情報提供によると、香港の地域内でもっとも大きな島である
搭乗予約をすっぽかした乗客たちは、いまだに出国が確認出来ていない――その大部分は、現在に至るまで特別行政区内のホテルなどの宿泊施設に滞在していることの確認が取れていない。
すなわちまだ見つけられていないだけで、彼の獲物は間違い無く特別行政区内にいるのだ。
そんなことを考えながら――彼は
首をかしげながら視線を向けると、主に観光バスを主眼に置いているであろう駐車場はすでに閉鎖されてチェーンが掛けられていたが、場内にはいくらか人影が見えた――海を眺めている者、陸地側を眺めながら煙草を吸っている者もいる。香港の治安は東南アジア諸国の中ではそんなに極端に悪いほうではないが、それでも夜間にふらふら出歩くのは感心出来たものではない――とはいえいくら治安が良くないといっても中国領だということを考えれば、香港の治安の程度は奇跡に近いだろう。中国本土の治安の程度など、目も当てられまい。
半島南端にはヴィクトリア
ここから
香港映画
昼間の
二十四時間眠らない街とか不夜城と呼ばれるだけあって、この時間帯でも人出がある――ある意味では夜こそが本番だと言えなくもない。そして獲物をあさりたい手合いには、
試食のつもりなのだろう、彼の歩く歩道に軒を連ねた菓子屋の店先で楊枝に刺した菓子の切れ端を差し出そうとした売り子の若い女性が、自分が楊枝を差し出した相手が甲冑を着込んだ外国人だと気づいてぎょっとした表情を見せる――それにかまわずに差し出された爪楊枝を受け取って、彼は歩みを止めないまま二十代前半の可愛い売り子に適当に手を振った。
歩きながら、楊枝に刺された菓子を口に入れる。
しっとりとした皮で木の実を混ぜた餡を包んだ月餅。悪くない。
普段の拠点にしている日本の飲食店には友人が大勢いるが、誰かに写真や土産物を要求されたわけでもないので、周りの店は気にも留めなかった。それでも一応、露店の名前から売っている品物を想像しながら歩を進める。
別に積極的に土産物漁りをするつもりは無かった――当たり障りの無い土産物なら、空港でいくらでも手に入る。これがほしいという要求があったら、そのとき買いに行けばいい。
「さて、どんなものかな――」
まあ
爪楊枝を棄てるためにゴミ箱を探して周囲を見回し――彼はそこで足を止めた。
いる。
ここからそう遠くない。
見つけた。
「お兄さん、それなにか映画の撮影?」 ちょうど近くにいた店の売り子が、興味津々といった様子で英語で話しかけてくる。彼はそれには答えずに、そのまま歩き出した。
「さて――」
†
派手なネオンサインと看板が無数に作られ、道路の両側を結ぶポールから吊り下げられている。
建築途中のビル、廃棄されたまま買い手のつかないビル、人のいる場所寂れた場所――
彼らがいるのは、そんな廃ビルのひとつだった。
建っている位置が悪かったのだろう、新築のオフィスビルが入り口をふさぐことになったせいで目立たないその廃ビルは、破産した持ち主が入り口で首を吊ったという嫌な逸話のせいもあって、買い手がつかないままもう何年も放置されている。
だが、その廃ビルに面した窓が無いこともあって誰も気づかなかったが、そのビルは決して無人ではない。否――ある意味で無人ではあるかもしれない。
サミュエル・
耳にはiPodの偽ブランド商品から伸びたイヤホンを捩じ込んでいる――音質はお世辞にもいいとは言えないが、本物や日本製の品物は高くて手が出ないし、盗もうにもなかなかものが無い。
脚を組んで爪先を軽く揺らしていた
季節風の関係で雪こそ降っていないものの、だからこそ空気は今にも凍てつきそうなほどに冷たい。水を撒けば地面に氷が張りそうな寒さのせいか、黒い革コートを着ている――百八十センチ近い長身のおかげで、男だと知れた。
優れた夜間視力のおかげで、闇の中でも顔がはっきり見て取れる。やや癖のある金髪を背中まで伸ばしてうなじのあたりで紐で束ねた、整った顔立ちをした中欧系の男だ。
なぜかガチャリガチャリという足音が聞こえてきている。まるで鎧でも着込んでいるかの様だ。
だが――どうやって入ってきたのだ?
この廃ビルに入るための路地にはクロウリーが魔術をかけていて、あらかじめ術式を貼りつけられた特定の人員しか路地を認識出来ない様になっているらしい。クロウリーの話は半分も理解出来なかったが、実際この数日間、この路地には誰ひとりとして見向きもしなかった――あの男は誰にも認識出来ないはずの路地の入口をあっさりと発見し、内部に踏み込んできたのだ。
上にいる仲間に知らせようかとも思ったが、やめにした――そのクロウリーは食事の真っ最中だ。彼の機嫌を損なうとあとが怖い。
クロウリーが言うには、魔術の影響をまったく受けない体質の持ち主がときどきいるらしい――そういった体質の持ち主ならこの路地を見つけることは可能だと、彼は言っていた。
あの男もそういったひとりなのだろうか――だがこんな廃ビルになんの用なのだろう。
「
何者かはわからない。だが、脅して追い払えばいい。
「
男の眼前に立ち塞がると、彼は下から睨め上げる様にして凄みのある声で告げた。
男は相変わらず反応を示さない――鎧を着て歩いている様な足音は、つまり鎧を着て歩いているために生じたものだと知れた。コートの下にベルトを二本、交叉させる様にして襷掛けにし、その下にはポケットがいくつもついたポリエステルメッシュの
「おい、いいか。ここは立ち入り禁止だ。さっさと失せな」
それにしても――男は彼の言葉に反応らしい反応を見せていない。英語が通じていないのだろうかと
それが男が抜く手も見せぬまま抜き放った自動拳銃の銃口だと理解するよりも早く、サプレッサーで抑えられた銃声とともに彼の意識は闇に溶けた。
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