One Life
オルカ
第0話 そして彼らは出会う
時に人は、常識や義務、責任、そういった
しかし、それはいつか必ず限界を迎える。
そして、それはいつか闇となって表面化する。
人は救いを求める。自分の中に巣食った闇を取り祓って欲しいと、闇の求めるモノを満たして欲しいと。
その強い願望に影響され、限界を迎えた心は
そうして乖離した心は時に世界に多大な影響を及ぼす。
ただひたすらに
乖離感情独立情報体、通称【ナイトメア】。
人の感情─特に、負の感情や悪感情といったものに起因して具象化される
そして、ナイトメアの発現者を【パンタシア】と呼んだ。
人が出し得ない力で世界に干渉するソレを危険視した人々は対ナイトメア殲滅組織【セプルクルム】を設立した。
そこに所属する者は【エクエス】と名乗り、世界の脅威となり得るソレを打倒し、人類の安寧を守る。それが、彼らの使命。
◇◇◇
肌寒い夜風が吹き抜けた。
金網の柵で囲まれた病院の屋上。そこに独りの少女が立っていた。
死にたい。生きていても楽しいことなんてない。
私は無力だった。どうしようもなく無力だった。
何の
結局、私を取り巻く環境を変えることができなかった。
ただ、自分だけは変わってしまった。
他者を傷つけるだけのバケモノに。
そんな私に価値なんて無い。
どうせ生きていたって何の意味も無いのだ。
だったらいっそ飛び立とう。
何も考えなくていい、何もしなくていい、誰にも傷つけられることのなく、誰も傷つけることのない夢のような世界に……。
そうすれば、きっと──
「こんばんは。
──救われる。
背後から声が聞こえた。
「……誰?」
声をかけられて初めて後ろに人が立っていることに気付いた。
いつの間に現れたのだろう。
「あまり驚かないのですね……。僕は
でも、別に大したことではない。どうせこの人も他の人と同じだから……。
「私に何か用?貴方も私を笑いに来たの?でも、それならごめんなさい──」
「私、死ぬから」
何故この人に謝っているのか自分でもよく分からない。何となく最期に誰かに謝っておきたかったのかもしれない。
でも、この人もどうせ他の人と同じ……。笑われて、蔑まれ続けるくらいなら、傷つけてしまうなら、さっさと死にたい。どうせ、この世に未練などないのだから。
「──柊さん、僕と話をしませんか?」
そう、未練などなかった。
なのに──
□□□
これは、バケモノとして生きることよりも、人として死ぬことを望んだ少女と、人として生きることよりも、バケモノとして死ぬことを望んだ少年の物語。
◇◇◇
「バイバイ」
「またねー」
学校。
退屈で億劫で、無意味で無意義な場所。
友達ごっこで自分を守りたい者がこぞって集団を作る。
そんなの見せかけにすぎないのに。
先程、さよならの挨拶をしていた二人だって仲が良いように見せているだけ。
互いに互いを利用して、自分を守っている。
──くだらない。
そんなものに何の価値があるのだろう。
「柊さ~ん。また一人ぃ?」
「友達いないの?可哀想だからなってあげようか?」
本を読んでいるというのに、二人組の女子生徒に話しかけられた。
話しかけにくい雰囲気─というほどのものではなかったからか、それとも、そういった雰囲気は気にしない
「要らない。余計なお世話よ」
いつもちょっかいを出してくる人たちの知り合いだろうか。少し離れたところに彼女たちの姿が見える。
今話しかけてきた二人も、少し離れたところで見ている彼女たちも、私のような者を餌にいい人面しようとする。
ごくろうさま……。
「何よ。人が親切にしてあげてるのに」
「そうやって孤独ですよアピールしてれば誰かが助けてくれるとでも思ってんの?」
「誰も助けてくれるわけ無いじゃない」
そんなことは分かっている。貴女たちが声をかけるのは自分たちが愉しむため。誰かを蔑んで愉悦に浸りたいから。
ああ、くだらない。本当にくだらない。誰が好んでこんな奴らの
読んでいた本を鞄にしまい、立ち上がる。
「……どいて」
私の行く手を阻むように立っている二人を手で押しのけようとする。私が移動すると予想していなかったのか、不意を突く形になり、右手の子が転びそうになった。
「このっ。人が
よろけた子が怒気を含む声で威嚇する。
あれで下手に出ていたのか……。
「ねぇ、
「……そうかもね」
「じゃあ、舞。お願いっ」
「あいよ、
不可抗力―とは言えないかもしれないが、彼女たちの癇に障ってしまったらしい。
私から見て左手の、舞─という名前の子に腕を勢いよく引っ張られ、鞄が落ちた。
「痛っ。……離して!」
何をするつもりかは分からないが、腕を握る手の強さといい、引っ張る勢いといい暴力沙汰にしたいらしい。
最低な人たち。
「ん?何これ?」
落ちた鞄から飛び出た一冊の手帳。それを美紗─という名前の子が拾い上げる。
「なになに、
ぺらぺらと数ページ捲り、日記だと分かったらしい。
「お父さんのかな?」
「それは……。……返して」
もとより返してもらえるとは思っていないが、一応要求してみる。
「ふぅん。そんなに大事なものなんだぁ。……ねぇ、舞。私いいこと思いついちゃった」
二人とも下卑た笑みを浮かべている。
「へぇ、どんな?」
嫌な予感がする。早々にここから立ち去りたい。
「こうするの」
美紗が手を振り上げ、思いっきり手帳を地面に叩きつけ、脚で踏み始めた。
「────ッッ!!」
手帳は何度も足蹴にされ、ところどころ破れ、汚れていく。
今すぐに手帳を取り返したいが、傍観者たちは絶対に助けてくれない。だから、助けてくれ、と叫んでも意味は無い。
美紗を止めに行かないように見張っている舞を押しのけられるほど、私に力はない。もしかしたら、わざと倒れて被害者ぶるかもしれない。そうしたら、立場が悪くなるのは私の方だ。
じゃあ、どうする?
私に何ができる?
私は無力だ。自分の大切なものが傷つけられてもそれを止められない。見ていることしかできない。
私は、人類全ての中で私が一番嫌いだ。
本当に無力。なんて惨めなのだろう。
無力さを知ったところで何も変わらない。
二人が父の日記を踏みつけるのを
そう、何も変えられない。
私が馬鹿にされるのはいい。
でも……大好きだった父が、誇りだった父が愚弄されるのは許せない!
だから、精一杯叫ぶ。
見ている人たちを動かすためじゃない。父の手帳を踏みつける彼女を
願って──
「やめなさいっ!!」
強烈な破砕音がした。
世界から一時的に音が消える。
「え……?」
「何、今の……?」
顔を上げると、美紗は座り込んでいた。
そして、その横の地面が抉れている。
何が起きたのかさっぱり理解できない。
でも、状況に変化は起きた。例えそれが私の望むような変化でないとしても、変えられたことが嬉しかった。
怯え、動揺し、動けないでいる二人をキッと睨みつける。
「ひっ、バケモノ……」
まず初めに美紗が、次いで舞が慌てて逃げ出す。
そして、傍観者たちも睨みつけたそばから逃げ出した。
……愉しい。
あはっ。あははははははははははっ。
そう、逃げて、逃げて、逃げ惑いなさい。
惨めで滑稽な姿を晒しなさい。
「──ッ!?私、何を……」
こんなことをして愉しいと感じるなんて、まるで彼女たちと同じではないか。
私は彼女たちとは違う。こんなこと……、誰かを虐げて愉しむことなんて、私はしない。
だから、今のは忘れよう。
それに……、こんな、地面を抉るようなこと、私にできるはずがない。だから、これは私のせいじゃない。
そう、悪いのは彼女たち。彼女たちが勝手に怯えて逃げただけ。
だから、私は悪くない。
私は……悪くない。
そっと父の手帳に触れる。
踏みつけられ、破れ、汚れてしまった手帳。
父の形見。
私の宝物。
視界が歪む。
目元に手を当てると、手が濡れた。
涙が止めどなく溢れ、頬を濡らす。
父の手帳を守ることができなかったからなのか、自分がおかしくなってしまったと感じたからなのかは分からない。理由は分からないが、流れ出る冷たい水が止まらない。
「愛っ!」
私を呼ぶ声のした方を見ると、一人駆け寄ってくる者がいた。
確か……
何故か毎日話しかけてくる人─正直、鬱陶しいから止めてもらいたい。
「愛、大丈夫?何があったの?」
「別に……」
この人に教える義理は無い。
それに、今は早く帰りたい。
「でも……、愛、泣いて……」
「何でも無いから。私に関わらないで」
この人も私のことを心配しているフリをしているだけ。
心の中では私を自分の株を上げるための道具としか思っていない。
他の人と同じ。
だから、関わりたくない。
「どうしてそんなこと言うの?愛のことが心配なんだよ?」
「そんな見せかけだけの心配なんて要らない。それに、私は誰かに心配されるほど落ちぶれているつもりはないわ」
心配なんて哀れみを向けられたくない。
哀れみなんて、強者が弱者へ向けるものだ。
静かに立ち上がり、背を向ける。
何か言いたげな顔をしていたが、彼女が口を開くより先に私は立ち去った。
■■■
同時刻、【セプルクルム】日本支部では異常事態の知らせが挙げられていた。
「
「場所は?」
「えーっと……。あれ?変です」
「どうした?」
「消えました」
「は?」
「ですから、出現してすぐに反応が消えたんです」
どういうことだ……?
本来、ナイトメアは一度出現すれば、簡単に消えはしない。周囲の建物や人々に多大な被害をもたらし、手遅れになる前に我々、【エクエス】が討伐に向かうのだ。
「誰か近くにいたのか?」
「いえ」
いや、これは愚問だった。たとえその場に居合わせたとしても、一瞬で討伐できるほどナイトメアは易しい存在ではない。
では、この状況は何だ?何が起きた?
現状では判断材料が足りなさすぎる。
ならばやるべきことは決まっている。
「出現地から一番近いのは誰だ?」
「えっと、海崎さんと
「あいつなら気付いてると思うが……一応、現場へ向かえと連絡を入れておけ」
「了解しました」
◆◆◆
「ここが出現地で間違いないんだよな?」
「そのはずだよ」
「お前の索敵が間違ってるはずはないけどよ……」
ナイトメアが出現したにしては被害が少なすぎる。血痕も残骸も全く見当たらない。
人的被害が無かったのは良かったけど、他への被害が全くと言っていい程無いのは有り得ない。
「確かにおかしいね。僕の知る限りはこんな事例は彼らが関わっている時しか聞いたことがない。でも、今回は被害の規模といい、街中で安易に出現させたことといい、とても彼らの仕業とは思えない」
一瞬だけナイトメアを出現させる。そんなこと普通の【パンタシア】にはできない芸当だ。
「確かにな。……とりあえず、聞き込みしようぜ」
「そうだね。何も知らないままあれこれ考えても仕方がないし」
だが、聞き込みをしようにも、怯えて座り込んでいる子には聞けそうにない。
「あの……」
どうしたものかと思案していると僕たちに掛けたであろう声が聞こえた。
後ろを振り向くと、寂しげで悲しそうな顔をした僕たちより少し年下の少女が立っていた。
◇◇◇
私は悪くない。私のせいじゃない。あんなの私じゃない。
『あんなのとは?』
「────ッッ!!」
慌てて周囲を見回すも、誰もいない。
「……誰?」
耳元で囁くような声量で問いかける。
先ほどの声は外から聞こえたというよりは内から聞こえた。
にわかに信じがたいことだが、物語でよくある心の声かそれに類するモノだろうと推測する。
いや、推測というよりも、そう信じたいだけだ。でなければ状況の説明が付かない。
学校での出来事といい、頭がどうにかなりそうだ。
『私はキミだ。キミの心だ』
「心?」
私の盲信は当たっていたのかもしれない。
『そう、心だ。私のことはグシオンと呼んでくれ』
ここは本当に現実なのだろうか。異世界にでも来てしまったのか。はたまた白昼夢か。
それとも、私の頭がおかしくなってしまったのか。
こんな非現実的なこと──
『ここは現実で、キミがおかしくなったわけでもない。キミは至って正常だ』
「こんな、おかしな声が聞こえるのに正常?」
『正常だとも。当たり前のようにヒトが持っている
心?願望?聴くのは当たり前?
じゃあ、他の人も皆こんなおかしな声を聴いているというの?
『確かに普段ヒトは我々の声に耳を傾けないだろう。それは無意識の内に抑圧しているからだ。やりたいこと、したいことがあったとしても、やるべきことを優先する』
「そんなの当たり前じゃない。人間の社会に生きる者なら果たさなければならない義務があるからよ」
『義務、か……。本当に優先すべき事とは何だ?果たすべき義務とは?自分を捨て、願望から目をそらし、抑圧された生活に準じていることがそれほどまでに大事なことか?』
「だって、そうしなければこの社会では生きていけないのよ」
『では、何故キミは私と話をしている?キミが願望を叶えて欲しいと願ったからではないか?』
「それは……」
『質問を変えよう。命とはそれほどまでに大切なモノか?大好きなヒトを、大切なヒトを失った。周囲からは疎まれ、蔑まれる。助けなどは無く、誰も彼もが敵』
「敵……?」
『そう、敵だ。キミがくだらないと蔑むヒト。彼女たちに蔑まれることは苦痛ではないか?キミが弱者である世界に何の価値がある?』
「私は弱者なんかじゃ──」
『果たしてそうか?他者に蔑まれ、現状を変えたいと思っても、一向に変えられない。それを弱者と言わずして何と言う?』
「……」
『自らの力で
「……うるさい」
『独りでいることを美徳とし、孤独こそが強者であると盲信した。だが、それは違う。他者を従え、他者の上に立つ者のことを強者と呼ぶのだ。孤高であっても、孤独な者を強者とは呼ばない。愛、キミは紛うことなき弱者なのだ』
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいッッ!!」
『そう吼えるな。吼えたところでキミが弱者であるという事実は変わらない』
「だったら……、だったらどうすればいいのよ……。どうしたら変えられるって言うのよ……」
『弱者であることを認めろ。そうすれば、私はキミの力になろう。変えたいのだろう?何故我慢する?守るべきモノなどこの世にはもう存在しない。キミはキミのしたいようにすればいいのだ。強者とは往々にして我欲を為すものだ。なりたいのだろう?強者に』
「強者に……なる……?」
『そう、キミは強者になれる。キミにはその権利が与えられた。キミが望むなら私はこの世界を壊そう。キミの嫌いなモノを壊そう。私なら、キミの望みを叶えてやれる』
「権利……。望んでもいいの?願ってもいいの?」
『ああ、いいとも。言っただろう?キミにはその権利が与えられた、と。欲望に素直になれ、愛。キミを理解できるのはこの世界でたった一人、キミの心である私だけだ。さぁ、望みを言ってみろ。口に出し、それが自分の望みなのだと理解しろ。それを為す時、キミは強者になる』
「強者に……」
『さぁ、愛。キミの望みは何だ?』
「……私は。私は、強者になりたい!」
『ならば命じろ。私にそれを為せ、と。私はいつでもキミの要望に応えよう。キミが望むとおりに叶えてみせよう。それが私という存在だ。それがキミという存在だ。私はキミであり、キミは私なのだ』
その日、また一つ悪夢が顕現した──。
◆◆◆
「今回のことは例外と言わざるを得ないね」
「ああ、全くだぜ。こんな事が何度も続いちゃ救えるもんも救えなくなっちまう」
ナイトメアが出現したのは事実だった。
だが、僕たちのような存在でないことも事実。
何が原因かは分からないけど、ナイトメアは一瞬で消えた。それも、周囲に大した危害を加えることなく。
今回はこの程度で済んだだけで、次もそうとは限らない。
一瞬で消えてしまっては、ナイトメアは観測できても、発現者本人は捕捉できない。そして、ナイトメアには人を一瞬で殺せるだけの力がある。
「とりあえず
「ま、今回はしゃーねーな」
僕たちだけで対処できる案件ではないのかもしれない。
そう判断し、調査を一旦切り上げ、支部に戻ることにした。
「海崎優、並びに、稲垣響也、ただいま戻りました」
「おお、優か。お帰り」
「稲垣副支部長、報告したいことがあるので少しお時間よろしいですか?」
「おう、分かった。じゃあ先に第二会議室に行って待っててくれ。こっちを片付けたらすぐ行くから」
「分かりました」
第一会議室はおそらく今日も定例会議が行われているのだろう。副支部長の瑞希さんが指揮を執っていることと、第二会議室を指定したことから考えればなんとなく想像が付く。そして、支部長が
「なあ、優。いつも言ってるよな?私のことは名前で呼べって。あと、その堅苦しい喋り方を何とかしろって」
「いいじゃねぇか姉貴。優の好きにさせてやれば。呼び方なんて別にどうでもいいだろ」
「黙ってろ、この
響也が口を開けば、瑞希さんが必要以上と感じられる程の返しをする。
ほぼ毎日のように見るこの
「あの、話し始めていいですか?」
瑞希さんは悪い人ではないのだが、どうも弟の響也を毛嫌いしているらしい。
慎重に事を進めたがる瑞希さんと違って、少し無鉄砲なところがある響也とは相容れないものなのかもしれない。
そして、かつて響也が犯した罪。それを今でも瑞希さんは許していないのだろう。
「やはり、ナイトメアは出現していたようです。ただ、僕たちのように自在に操れるというわけではないようです。被害の規模と、街中で安易に出現させたことを考えると、彼らは今回の件に関与していないかと。それから、情報提供者の証言によると、今回の対象は柊愛さんという高校三年生の女子生徒で、ナイトメアは主人である彼女の呼びかけに応える形で出現したようです」
「柊……」
静かにぽつりと呟いた。
瑞希さんも感じているのだろうか。来るべき時が来た、と。
だが、今はそのことを気にしている場合ではない。だから、瑞希さんの呟きには応えず報告を続ける。
「
「まず一つ。お前の予想は半分アタリで半分ハズレだ。心変値はAランク相当。つまり、今回は奴らの仕業ではない。そして、短時間しか具象化できないほど
「つまり?」
「私にもさっぱり分からん」
この情報量でも瑞希さんなら何か解決案を出せると、丸投げしようとしていた数分前の自分を殴りたい。
もとより、この場の三人だけで解決できるような案件ではないのだ。
ナイトメアへの対処は現場の者に一任されているのだが、現場の者だけで対処できないような異常事態の場合はまず、上層部へ話を通し、御三家─簡単に言えば、【セプルクルム】の権力者─の指示を仰ぐのが
「ちょうど隣で定例会議やってるし、お偉いさん方に聞いてみるか」
「そうですね……」
「報告は私からしておくからお前たちは少し休憩しててくれ」
部屋を出る前に響也から「俺、居た意味あるか?」と目で訴えかけられた。
さらに、部屋を出た途端に盛大なため息を
一時間ほど経ってから、暫くは様子を見るため、監視対象を僕と響也をメイン、
◇◇◇
「私の望み、か……」
あの声の主が言っていた話は本当なのだろうか。
本当にグシオンは私の望みを叶えてくれるのだろうか。
もし、本当に私の望みが叶うのなら──
◆◆◆
瑞希、もとい、上層部からの指示を受けて直ぐ、優と響也は愛の捜索に出ていた。
通常時であれば、ナイトメアが出現した場合、その場で対処しきってしまう。
しかし、今回は例外。ナイトメアは消えているため、反応を追うことができない。自分の足で目的の人物を見付けるしかないのだ。
当然、それは時間がかかるものだ。
そして、彼らはまだ捜索対象を見付けられないでいた。
いつまたナイトメアが出現するか分からず、一刻も早く見付けなければ、と焦燥感に駆られる、そんな中、事態は急変した──
「────ッッ!!」
今感じた気配はまさか……。
「どうした?優」
「たぶん、彼女がまたナイトメアを使った」
「マジか……。急ぐぞ。手遅れになる前に止めねーと」
響也に探知はできない。だから、必然的に僕が案内役を務め、前を走る。
監視対象である彼女を見付ける前に事は起きてしまった。
もっと早く彼女を見付けられていれば。
いや、過ぎたことをあれこれ考えても仕方が無い。
今は一分一秒でも早く現場に向かわなければ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「何だ?!今の叫び声は──」
おそらく今のは彼女の声だ。
声が聞こえたからだけでなく、探知した結果から彼女はすぐ近くに居ると確信できる。
探知は、地図の上に対象の場所が示される、なんて程細かく特定することはできない。だが、方角とおおよその距離は分かる。後は、普段見回りの際に歩き回って得た土地勘を生かし場所を推測する。
地図上に正確な場所と、さらに心変値まで細かく表示できる、本部や各支部に配備されている
叫び声が聞こえてから一分足らずで目的地に着いた。
そこには、恐怖で腰が抜けてしまったのか座り込んでいる二人の少女と、彼女たちから少し離れた場所に、気絶し、倒れている少女がいた。
「あいつが今回の【
「そうみたいだね。ナイトメアも消えている……。響也は救急に連絡を」
「おう、分かった」
気絶し、ナイトメアが消えている状態では僕たちにできることはない。おそらく精神に大きな負担がかかったのだろう。ならば、今は医者に任せるしかない。
それに、すべきことは他にある。
「大丈夫ですか?」
怯え、縮こまってしまっている二人の少女に優しく声をかける。こういうのは、女性との付き合いが苦手で、粗暴な言い方しかできない響也には向いていない。だから、決まっていつも女性や子供の被害者への対応は僕がやる。
二人は小さく頷いた。
片方の少女の頬から血が出ている。
「僕は海崎優。【セプルクルム】─簡単に言うと、お二人が見たバケモノの討伐を専門に行う機関の者です。安心してください。彼女は今気絶しています。この状態ではバケモノは現れません」
喋りながらもウェストポーチから消毒液とガーゼ、テープを取り出し、手当を行う。
「今回の件の解決のために情報が必要です。ゆっくりでいいですからお二人の見たものを教えてくれませんか?」
傷を負っていない方―美沙という子が静かに頷くと、ゆっくりと話し始めた。
「えっと──」
■■■
「ねぇ、舞。あれ柊じゃない?」
「ん?どれどれ?あ、ほんとだ」
「ねぇ、ちょっとからかってみない?昼間の事もあってちょっと気分晴らしたいし」
「あたしは……。ううん。いいよ。美沙がしたいなら、あたしは手伝うよ」
正直、あんなことがあったから、あいつには近寄りたくない。でも、美沙が望むなら、あたしは美沙のしたいことをさせてあげたい。
◇◇◇
壊したい。
潰したい。
殺したい。
私を蔑んだ彼女たちを。
見て見ぬフリをした彼女たちを。
「ねぇ、グシオン。本当に私の望みを叶えてくれるのよね?」
『ああ、叶えてみせるとも。それをキミが望むなら、私はキミの望みを叶えるだけだ。私はそういう存在だからな』
「なら、私の望みを今すぐ叶えて」
叶えてくれると言うのなら、それを信じてみるのも悪くないかもしれない。
他人ならば信じることはできないが、自分の心であるというのなら自分自身を信じることと同義である。せめて自分くらいは信じていたい。
『ふっ』
「何がおかしいの?」
『いや、すまない。本来なら私は誰かを呼び寄せるなどという芸当はできないのだが。どうやらキミは運がいいらしい。キミの望む者が向こうからやって来てくれたぞ』
私の望む者。つまり、昼間の二人。
「こんばんは~。柊さ~ん。一人で何ぶつぶつ言ってるの?」
話しかけてきたのは……確か、美沙だったか。その横に舞もいる。グシオンの言う通り、今日は運がいいらしい。
「こんばんは。美沙さんと舞さん、でよかったかしら。わざわざそっちから来てくれるなんてありがたいわ。ご苦労様。〝お馬鹿さん〟」
「────ッッ!!てめぇ、何様のつもりだ!」
彼女たちの方がよっぽど腹立たしい事をしてくれたというのに、自分たちの事は棚に上げて私の発言に怒る。やっぱり、自分勝手な人たち……。
「そう怒らないで、舞さん。私も貴女たちに用があるのよ」
「お前の用なんざどうだっていい。あたしらの、美沙の憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ」
ああ、また自分たちのことばっかり。
でも、ソレを私は許さない。
だって、私の方が強いもの。
自分は強者だと思い込み、傲慢な考えを抱く愚か者には教えてあげないと──
「昼間の事を謝ったなら少し痛めつけるだけで許してあげようかとも思ったけれど、やはり、貴女たちにはちゃんとオシオキしないと。ねぇ、グシオン」
──貴女たちは弱者なのだと。
「はぁ?何言って……」
音はしなかった。
舞の頬が浅く切れ、血が滴り落ちる。
彼女の頬を撫でた風は、まるで鋭利な刃物に切られたかのような傷口を作った。
「な、何?」
舞がそっと頬に触れる。
「これは……血?え、うそ──」
「大人しくしていなさい。そうすれば、少し苦しむだけで済むから」
彼女たちに私に逆らう権利は無い。何故なら、彼女たちに対して、私は今、奪う側の人間だから。
ああ、でも口答えくらいは許してあげてもいいか。だって、ソレは弱者に唯一許された行為なのだから。そして、それと同時に弱者であると決定づける行為。
気付かぬ内に自ら弱者であると認めているなんて、なんて滑稽なの。
「このっ、バケモノ!!」
「あら、バケモノとは心外ね。バケモノは貴女たちじゃない。他人を蔑んで愉しむ。下劣で最低な、人の皮を被ったバケモノ」
この怯えた表情が堪らない。
「そんなバケモノ、さっさと死ねばいいのよ」
「ひっ……来るな!」
この絶望の表情が堪らない。
美紗なんて舞の後ろで顔を青くして縮こまっている。
ああ、他人を虐げるってこんなにも愉しいんだ。
「さぁ、どこからがいい?どこから切って欲しい?選ばせてあげるわ。腕?それとも、脚?心臓や首、頭は駄目よ。即死じゃオシオキにはならないもの」
ああ、これほどまでに愉快なことを何故私は知らなかったのだろう。
確かに、これほど愉しいことなら、彼女たちがやりたくなるのも理解できる。
でも、相手がいけなかった。
私を対象にしなければ一緒に愉しめたかもしれなかったけど……。
まぁ、それは無いわね。
彼女たちと一緒なんてご免だわ。私はそんな低俗な人間じゃないもの。
だから、この方が良かったのかもしれない。
普段の立場と逆転したこの状況。
普段他人を虐げてきた者が、虐げられる立場になるのはどんな気持ちなのだろう。
「ねぇ、教えてちょうだい。貴女たち今どんな気持ち?怖い?恐ろしい?」
「あんた、狂ってる。こんなのまともな人間がすることじゃない」
「私が、狂ってる?まともな人間じゃない?そんなわけ──」
そんなわけ──ない、はず。
だって、私は正常だって……。
私は人として当たり前のことをしているだけだって……。
私はただ、私の願望を叶えるために、人として当たり前の事をするためにこうして……彼女たちを──
あれ?私、何を……。
この状況は何?
なぜ彼女たちは怯えた目で私を見るの?
なぜ?なぜ?なぜ?
──ッ!
頭が……痛い……。
さっきまで私は何をしていた?
二人に、美沙と舞に話しかけられて、それから──舞を……切りつけた?
────ッッ!!
「アアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
美沙と舞は突然奇声を上げた愛に怯えビクッと震え、激しい頭痛に苛まれた愛は意識を刈り取られた。
『愛、何故止めた』
「……グシオン?」
私の望みを叶えると言ったあの声。
信じてみようと思った者。
うっすらと開けた目に映ったのは、荒野のように何も無い、殺風景な世界。
ここが現実でないのは確認するまでもない。
『もう一度聞こう。何故止めた』
そこに一人の男がいた。
いや、男なのかどうかも定かではない。
ローブと靄を纏った、男性のような体格の人─のようなモノ。フードで覆われていて顔は見えない。
「ねぇ、貴方は本当に私の望みを叶えようとしたの?」
『質問しているのは私の方なのだが……。まぁ、いいだろう。ああ、そうだとも。あれはキミが望んだことだ』
「……」
本当に私があんなことを望んでいたのなら──
『おい、何を考えている』
内容を聞かれたのではない。内容の理由を問われたのだ。
だが、答える必要はない。
だって、彼は私の心なのだから。
「別に、貴方に叶えてもらうつもりはないわ。これは私自身で決着をつけなければならない事だから」
私に語りかけてきた声の主。私のしたいことをすればいいと言った者。
その言葉は信じたい。でも、縋っていてはいけないと思う。
依存は時に判断能力を鈍らせる。
だから、彼ではなく、私自身で考え、決断しなくてはならない。
彼の声を聞き、それを信じ、全てを任せてはいけない。そんな気がする。
私は、私の死という結末を以て私自身と、
もう、誰も傷つけないために──
目を覚ました愛は静かに部屋を出、最期を迎えるに相応しい、病院の中で一番高い場所へと向かった。
◇◇◇
周囲をフェンスに囲まれ、それ以外におよそ障害となる物の無い開けた空間─屋上。飛び降り自殺のスポットとして定番の場所の一つである。
そこで、二人の男女が十メートルほどの間隔を空け、向かい合っていた。
「──柊さん、僕と話をしませんか?」
「話?貴方と話すことなんて──」
初めは、この人も他と同じだと思った。他と同じで、私を使って
「──ない」
でも、この人は住んでいる世界が違った。他と同じわけがない。だってこの人は──
「私は死にたいの。死ななければならないの。だから──邪魔しないで」
「生きていることは辛いですか?苦しいですか?」
一歩。
「……来ないで」
「貴女は本当に死を望んでいますか?」
また一歩。
「来ないで」
「貴女の本当にやりたいこととは何ですか?」
近づいてくる。
私に近づかないで。また傷つけてしまう。
だから──
「来ないでっ!」
────ッッ!!
ああ……またやってしまった。
また望んでしまった。
また他人を傷つけてしまう。
もう、嫌なのに──
金属がぶつかり合ったような音がした。
眼前に広がる光景─ても、日常の中で起こり得るとは思えないような内容。
思考が全く追いつかない。
「何が……起きた……の?」
グシオンが彼と似たようなモノと対敵している。女性のようにも見えるが、両手にそれぞれ形状の違う大剣を持ち、背中からは翼のようなものが生え、ソレの近くには大きな時計盤のようなものが浮いている。
「ナイトメアの出現を確認。……心象結界、解放」
そう優が言った途端、辺りは真っ白な光に包まれた。
「……」
急な発光で一時的に見えなくなっていた視界が回復する。
目に映るのは、あの時と同じような、何も無い、殺風景な世界。
「柊さん。先に謝っておきます。すみません」
この人は何を言っているのだろう。さっきから何が起きているのか全く理解できない。やはり、私は頭がおかしくなってしまったのだろうか。
ただ一つ──
「言ったはずよ。邪魔しないで、と」
邪魔。邪魔。邪魔。
死にたい。死にたい。死にたい。
でも、彼が邪魔で死ねない……。
彼のせいで死ねない……。
私は虐げられる側じゃない。
誰かの思い通りに動く人形じゃない。
私は私の望むままに。
私の願いのままに。
傷つけるのは嫌だけど……たった一人の犠牲で他を救えるのなら、傷つけなくて済むようになるのなら、構わない。
だって私は忠告したもの。それでも向かってきたのは彼の意志。だったら全ての責任は彼にある。
そう、私は悪くない。
私は……悪くない。
全ては彼が彼の意志でしたこと。
だから、私には何の責任もない。
彼が邪魔なのだ……。
彼がいるから……。
彼がいるから私は死ねない……。
だったら、することはただ一つ。
「グシオンッ!」
彼を消してしまおう。
◆◆◆
「サマエル、足止めを頼む」
『倒してしまっても?』
「いや、駄目だ」
『そう……。いつものことだけれどつまらないわね』
残忍な笑みを浮かべている。
それでも、彼女は従う。
そういう存在だからだ。
ナイトメア。
人の心より生まれし悪魔。
主人の願いを叶えるためだけに存在し、主人の
ソレが命を奪うモノであっても、僕は使う。
一人でも多く救えるのなら、構わない。
たとえそれで命が失われようとも。
サマエルとグシオンがぶつかり合う音が響く。
報告によれば、グシオンはランクA。
サマエルだけで足止めは十分可能だ。
なら、僕は僕のすべきことをするだけだ。
「……ふぅ」
大きく深呼吸し、気持ちを落ち着ける。
「断片を辿り、過去を視る」
大丈夫。
愛の記憶という膨大な情報の奔流の中から目的の情報を見付け、引き出す。
それは許されざる行為。
「我は暴く者、我は晒す者」
まだ許容範囲内だ。
引き出した情報を自分の中へ取り込む。
それは人が生きて背負うには重すぎる罪。
「其は
まだ僕は僕でいられる。
取り込んだ情報から過去の出来事を再現する。
それは悪魔の所行。
「【
◇◇◇
何かが流れ込んでくる。
何かが見える。
何かが聞こえる。
あれは──
『愛、遅くなってすまない』
『お父さんのばかっ。早く帰ってくるって言ったじゃない!』
『お詫びに今度もう一つプレゼントを買ってあげるよ』
『要らない!お父さんなんて知らない!!』
私の十歳の誕生日。今から七年も前の事。
私は初めて父に反発した。
せっかくの誕生日だというのに、父の返りは遅く、せっかく作った料理が冷めてしまっても、父と一緒に食べたかったから、ずっと待っていた。
九歳の時に母を失った。
それから父は働き詰めになった。
私は知っていた。
私は理解していた。
父が、母のいなくなった穴を埋めるために必死に働いていたことを。
お金に困らないように必死に稼いでいたことを。
でも、私は裕福な暮らしなんて要らなかった。
父が傍にいてくれたら、それだけで幸せだった。
父の笑顔を見ることが何よりの楽しみだった。
私をもっと見て欲しかった。
私の傍にいて欲しかった。
だから、私は家を飛び出した。
そうすれば、父が迎えに来てくれる、私のことをもっと考えてくれる。
そう思った。
『お父さんのばか……。仕事仕事って、そんなに仕事が大事なの?私といるよりも大事なことなの?』
昔、母が生きていた頃、よく家族で遊びに来ていた公園。
家族の思い出が詰まった場所。
此処ならきっと父は見つけてくれる。迎えに来てくれる。
そう思って、入り口で待ち続けた。
『愛!』
その願いは半分だけ叶えられた。
交差点の向かい、横断歩道の先に父は現れた。
『お父さん!』
しかし、父は私を迎えに来ることができなかった。
父が慌てて走ってくる。
私も父に早く触れたくて駆け出した。
迎えに来てくれた。父の姿を再び見られた。ただそれだけで嬉しかった。
キキーッと音がした。
そして、世界が紅く染まった。
歩行者用の信号は赤だった。
気がつくと、騒ぎになっていた。
目の前の道には紅い線が
『お父さん……?お父さん、どこ……?』
それが父だと理解したのは周りの野次馬の「人が死んでるぞ」という声が聞こえたからだった。
『おとう……さん……?』
紅い塊は確かに父だった。
ぼろぼろに破れ、血の染みたスーツ。
ぐにゃぐにゃに折れ曲がり、レンズの割れた眼鏡。
先ほどまで父の外見的特徴の一つだったものが確かにそこにはあった。
顔は判別できないほど酷く、一目見ただけではそれが父だとは分からないだろう。
だが、これは父なのだと確信した。
そして、同時に現実が押し寄せてきた。
『いやあああああああああああああああッッ!!』
次に目を覚ましたのは病院だった。
主治医から事情を聞かされた。
あれは現実だったのだと知らしめられた。
そして、父を殺したのは私なのだと理解した。
私が父に反発しなければ。
私が家を飛び出さなければ。
私が赤だと気付いていれば。
父と母は同じ職場で働いていたらしい。
元々人手不足で、母の死以降代わりの人員を用意することすらままならない状況だったが、父はその仕事を母の分まで一人でこなしていたそうだ。
私はそんな父を誇りに思った。
私だけでなく、他の人も父が立派な人であると理解していることを知った。
私も父のように立派な人になりたいと思った。
それがせめてもの償いだと。
そう信じて頑張ろうと思った。
でも、現実は酷く辛いものだった。
まだ幼い私を置いて死ぬなんて、親は能無しだと蔑まれた。
親の温もりを感じられなくて、可哀想だと哀れまれた。
私の父を侮辱された。
父の偉大さを何も知らない奴らに。
だから、私は拒絶した。
蔑みを。
哀れみを。
そうして私は孤立した。
私は独りでも強くなってみせると誓った。
父がそうであったように、独りでも強くあれる人間になりたいと思った。
そうしてできたのが今の環境だ。
周囲から
こんなのは強い人間がいるような環境ではない。
だから、変えたいと思った。
私が強者でいられる環境にしたいと思った。
そして、力を手に入れた。
でも、それは私の望む力ではなかった。
父は決して人を傷つけるようなことはしなかった。
私も人を傷つけるような人にはなりたくない。
でも、私の中に居続ける
なら、私そのものが消えれば、全て解決する。
だから、私は死ななくてはならない。
目を開けると、また、荒野が見えた。
「柊さん。貴女に会わせたい人がいます」
会わせたい人。誰だろう。
というか、此処に他に人がいるのだろうか。
「貴女がよく知っている人ですよ」
私のよく知っている人。
私が深く関わってきた人など殆どいない。
「顔を上げてください」
あれこれ考えても答えは出ない。
百聞は一見にしかずという
言われるがままに顔を上げる。
──ここは冥界なのかと思ってしまった。
なぜなら、もう二度と会うことは叶わないはずの人がそこにいたから。
『愛。久しぶり。大きくなったね』
「おとう……さん……?」
優しい笑み。
ああ、間違いない。
『愛。すまない、独りにしてしまって』
「そんな……謝るのは私の方よ。あの日……私が家出なんてしなければ……」
『愛のことを見てあげられなかった父さんの責任だ。愛は何も悪くないよ』
ずっと、抱えてきた。
父の死の責任は私にあると。
そう思い続けてきた。
そうしないといけないと思った。
でも、父の言葉で、救われた気がした。
『愛、辛かったね。苦しかったね。寂しかったね』
涙が頬を伝う。
『でもね、愛は独りじゃないよ。父さんも母さんもいつも愛のことを見守っているよ』
止めどなく溢れ出る。
ずっと会いたかった。
二度と会えないと知っていても、会いたいと思った。
母がいなくなって、父がいなくなって、世界から色が消えた。
全てが灰色だった。
灰色の世界に価値はないと思った。
独りで居続けることは辛かった。
ずっと、謝りたかった。
傍にいて欲しかった。
『愛なら大丈夫。愛は強くて、優しい子だから。父さんと母さんの自慢の子だから。誰も傷つけない。愛がそう望んでいるなら、愛がそうしたいと思うのなら、バケモノも必ず制御できる。だから、愛──』
『──生きて』
「……柊さん。生きるも死ぬも貴女次第です。貴女は貴女の望む通りにしてください」
私が望むこと。
それは──
■■■
二人のやりとりを少し離れた場所から見守る三つの人影があった。
一つは高身長で、粗暴そうな少年。
一つは眼鏡を掛けた、インテリという言葉がしっくりくる少年。
一つは二人よりも年下の、ツインテールが似合う少女。
「結局一人で解決しちまったじゃねーか」
「無事に解決できたんだからいいじゃない。それとも何?響也、あんた優のやったことにケチつけようっての?」
「そんなんじゃねーよ。ただ……またあいつ一人に背負わせちまったなって……」
「そう思うのなら、お前は自分の仕事をしろ」
「は?俺がすんのか?」
「今回、俺と芽衣はバックアップだ。優は自分の務めを果たしたんだから、メインのお前も自分の責任を果たせ」
「あんたの仕事なんだからあんたがやりなさいよ」
「勘弁してくれよ、誠人。俺が姉貴苦手なの知ってるだろ。お前の方から連絡してくれよ」
「……」
眼鏡の奥で鋭い眼光が放たれた。
「…っはぁ。わーったよ」
無言の圧力に気圧され、響也は渋々頷いた。
「ねぇ、私だけ蚊帳の外なの何か気に喰わないんだけど」
「……。さーって、連絡連絡っと」
「ふんっ!」
わざと無視した響也に、芽衣が強烈な一撃をかました。
「ぐぁっ。いってぇ。蹴んじゃねーよ。この暴力女」
「はぁっ!」
「ぐぇっ」
さらに、もう一撃。
響也と芽衣のコントのようなやりとりに、誠人はやれやれとため息をついた。
◇◇◇
「海崎さん……で合ってたかしら?ありがとう」
「僕は何もしていませんよ」
「いいえ。何も無い世界だけど、もう少しだけ生きてみようと思うわ」
「何も無い、なんてことはありませんよ。貴女のことを心から心配してくれている人は他にもいます」
「……?」
「古壕
「……そうね」
まずは彼女に謝ろう。
もう少しだけ他人を受け入れよう。
私にも生きる理由が見つかったから。
もう少しだけ生きてみよう。
「本当に……ありがとう」
◆◆◆
『ありがとう、優君。愛を救ってくれて。君がいてくれてよかった』
「いえ、僕は何もしていませんよ。彼女が自分の力で乗り越え、選んだ道です」
『君が愛を救ってくれたことに変わりはない。本当にありがとう。これは、
「はい……分かりました、雄也さん。僕にできることは少ないですが、精一杯努めさせていただきます」
『それから、気を付けて。彼らへの警戒は決して怠ってはいけないよ。君や君の仲間の傍にいるかもしれないのだから』
そう言い残すと雄也さんは静かに消えた。
辛い過去や記憶に囚われていては人は前に進めない。
かといって、忘れたいからと忘れられるものではない。
ならば、それを受け入れるしかない。
だが、それは容易なことではない。
それでも、死に逃げるのではなく、生きていて欲しい。
生きる喜びを知って欲しい。
それを知らないまま死を選ぶのは勿体ないと思う。
だから、僕はこの手で救える命があるのなら救いたい。
□□□
これは、彼らが歩む
記憶という物語の序章。
人とバケモノの出会いの物語。
One Life オルカ @Orca0612
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