ホワイトクリスマスの夜に

     b-2.

「あ、妹尾くんだ」

 十二月二十四日。僕にとっては何の意味も為さない平日であったこの日、本当に偶然、僕は彼女とばったり出くわした。弟に見栄を張って家を出て、仲睦まじい男女の多さに打ちのめされた、意味無き散歩の帰り道での出来事である。僕は、その頃にはすっかり彼女のストーカーと化していたのだが、彼女の私服を見るのはこの時が初めてであった。(ストーカーを自称していても、流石に彼女のプライベートまでつけ狙う気概は、僕には無かった。)彼女は膝ほどのスカートに黒のニーソックス、スポーツシューズを履き、温かそうな鈍色のセーター、その上にはダウンコートという出で立ちで、奇しくもホワイトクリスマスとなった雪中の宵の口においても、防寒はばっちりといった様子である。

「どうしたの? こんなところで。――あっ。で、デートに行く途中、とか!?」

 僕が応じるより早く、敷島さんがそんなことを言い出す。口元を覆って、白い頬を朱色に染める。この様子から察するに、敷島さんにはまだそういう相手が居ないように感ぜられて、僕は内心、嬉しいような、嬉しく思うのが情けないような、複雑な感情に苛まれる。

「……デートする相手なんて、いないから」

 小声で、聞こえたのか聞こえなかったのか定かではないが、僕は小さく反論する。彼女の前に立つと、僕は喉元が苦しくなって、上手く言葉が話せなくなるのである。

 敷島さんは、とりあえず、雰囲気から僕がデートに行く途中でないことを悟ったようで、ぽんぽんと僕の肩を叩きつつ、「同士だね」としみじみ呟く。それからくるりと振り返り、イルミネーションが煌びやかな夜の街並みをぼうっと見つめる。十分に時間が経ってから、小さくぽそりと彼女は呟く。

「――凄いよね、みんな」

 どこか、憧憬にも似た眼差しで、彼女は夜景を遠くに見ている。僕は「どうして」と言葉を返す。

「だって――」

 だって。とだけ言って、彼女は言葉を失くしたみたいにしんとなる。また十分に時間が経ってから、僕の方へと視線を向ける。

「――ね、妹尾くんはさ、人を好きになったこと、ある?」

 咄嗟に僕はチャンスだと思った。なんだかよく分からないが、敷島さんがロマンチックなオーラを纏っている。……ように僕には見えた。「あるよ」「へえ、誰」「敷島さん」からの聖なる夜のデート。という道筋が、僕の脳裏にありありと浮かび上がる。僕はごくりと生唾を呑み、鼻で空気を取り入れ、息を吐くのを足掛かりにして、聖夜への道程を一歩踏み出す。

「あ、るよ」

 敷島さんの大きな瞳が、興味深そうに見開かれる。

「へえー。どんな人? ――か、聞いてもいい?」

 一度身を乗り出してから、流石に不躾な問い方だと思ったのか、はっとして、彼女は一歩後ずさる。僕は寧ろ、彼女がちょっと近づいてくれて嬉しかったので、また離れてしまったのが、残念でならない。

 それは兎も角として、これは千載一遇の大チャンスである。万年二軍ベンチのバッターが、一軍選手の相次ぐ故障により一軍ベンチへと招集され、延長十五回の総力戦にて最後の野手として代打へ入り、一点差、二死、走者二、三塁ときて、更にすっぽ抜けた投球がストレートど真ん中に滑り込むというくらいには、大チャンスである。彼女の前へ立つことすらままならないこの僕に、今後、これほど自然な流れで彼女へ告白するチャンスが果たして巡ってくるだろうか。いや、こまい。六道輪廻の先にすら、こんな幸運は落っこちていまい。言え。言うしかない。言わざるべきか。言わないでか。さあ。さあ! さあ――。

「――しっ」

「し?」

「敷島さんっ! ――みたいな人・・・・・

「…………ん?」

 ――空振り三シーン!! 人生終了ゲームセットォ

 粉雪舞い散る聖夜の空に、魂の慟哭が木霊した。


 その後の敷島さんの反応を簡単に記しておく。まず、「私、――みたいな人?」と困惑した様子で僕に尋ね返し、僕が意気消沈して何も答えられずにいると、「んー」と深々と考え込み、結局、「あ、もしかして、陸上部ってこと?」と僕の発言を解釈し、「なら、私、応援するよ!」と花丸百点の笑顔で僕の二の腕をぽんと叩いた。この間、僕は言葉を挟めないくらいには悄然としていた。何故『みたいな人』と付け足したのかと問われると、あまりの緊張ゆえとしか答えようがない。もう、何も考えたくない。でも、腕を叩かれたのは嬉しい。

 というわけで、僕は結局、敷島さんに思いを伝えられなかったわけだが、そんな僕の大失言を露とも知らない敷島さんは、笑顔で僕の前から去ろうとしていた。行くところがあるという話だった。僕はつい彼女と別れるのが惜しくて、もう少しだけ話をしていたくて、彼女に一つ、問いを投げかけた。

「――敷島さん、旅行にでも行くの?」

 彼女は振り返って、不思議そうな顔をしてふるふると首を振った。どうして? といった様子で小首を傾げる。

「いや、だって……」

 僕は敷島さんの左手に視線を落とす。キャリーバックが握られている。敷島さんも自分の手元をじっと見下ろす。それから、得心のいった表情で「ああ」と小さく呟き微笑む。

「これ、お父さんラインハルトと、お母さんメアリー。これから埋めに行くの」

 山の麓の、少し高台になっている小さな広場で、僕は言葉もなく立ち尽くした。無神経なイルミネーションの煌めきが、ずっと遠くの都心の街を幻想的に彩っている。辺りに人影はない。

 額から一筋、汗が伝った。雪が降っていてこんなにも寒いのに、おかしいなあと、僕は思った。

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