第6話 If you want to be happy, be.

海辺での告白の後、スズハを家まで送った帰り道、その時も俺の頭の中にはスズハのことしかなかったよ。

もう、本当にそれくらい嬉しかったんだ。


「こんばんは」

突然聞こえたその声に俺は驚いた。

実際、暗闇で急に声をかけられるのは怖いんだよ。


目の前の人影を見ようと目をこらすと、よく知った顔がそこにあった。

「イソザキ先生?」

「ああ、どうしたんだこんな時間に」

いつも教室で見る先生とは違う何かおかしな雰囲気が、目の前の先生からは感じられた。

それを少し不審に思いながらも、俺は返事をする。


「いや、ちょっと遊びに行った帰りで」

「もう、補導される時間だぞ」

「ごめんなさい、もうすぐ家なんで、見逃してもらえると……」

イソザキ先生はそんなに厳しい先生でもないし、たぶん大丈夫だろう。


「そういうわけにもいかないな、お前には思い出してもらう必要がある」

先生の口から出た言葉が何を意味しているのかわからなかった。

「何言ってるんですか?」

「お前も本当はわかってるんだろう? このまま忘れたままじゃいけないんだ」

「だから、何の話を——」

「ユメミヤの話だよ」


ユメミヤ、その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にはいろいろなことが思い出された。

だけど、俺はそれに鍵をかける、否定する、拒絶する。

俺は絶対に認めない。


「なんですかそれ?」

だから俺は聞く、だってそんな奴のこと聞いたことがない。

「わかってるだろ、お前は昨日ユメミヤに会って——」

「だから何言ってるんですか? 俺はそんな奴のこと知らない、会ったことも聞いたこともない」


「嘘だ、お前は知っている。知らないわけがない。だってそうだろ? お前は昨日ユメミヤに会って夢と現実を交換した。夢を買う代わりに現実を売ったんだ。思い出すんだ、そして受け入れろ」

そう言って先生は、俺の頭に手を伸ばしてかざした。



「……お呼びですか?」

ユメミヤはいつものように、いつの間にかそこにいた。

「別に呼んでなんか——」

「……いや、呼びましたね。……あなたは心のどこかで私を呼んだ。……だから私がここにいるんです」


「……それで、御用は? ……まあ、聞かなくても、予想はつきますが」

スズハは現実にはいない。

それを受け入れられない俺が、自分でも気づかないうちにユメミヤを呼んだっていうのか?


そんなの……そんなの、その通りじゃないか。

そうだ、スズハがいないセカイなんて俺には必要ない。

俺に必要なのはスズハだけだ。


だったら……

「ああ、わかった。夢を買いたいんだ、買わせてくれ」

「……わかりました。……それでは代価として現実をいただきます」

「現実?」

「……ええ、現実です。……夢を売る代わりに、あなたがいま生きている現実を私が貰います。……あなたはもう現実には戻れません。……それでもいいですか?」

返事はすぐに出た。

「ああ、それでいい。それでいいから、夢をくれ」

スズハがいればそれでよかった。


「……わかりました。……それでは良い夢を」



「違う! ……違う、俺は……俺は知らない」

こんな記憶は俺のものじゃない。

潤んで歪んだ視界の中でも、先生はよどみなく話す。

「今ならまだ間に合うんだ、今ならまだ現実を取り戻せる」

「そんなのいらない! 俺にはスズハがいればいいんだ」

そうだ、スズハさえいれば、他には何もいらない。


「それじゃダメなんだよ。なあ、なんで俺がユメミヤとお前のことを知っていると思う? ここは夢の中だ、夢の中ってことはお前の本心が出るってことだ。つまり、本当はお前だって気づいてるんだ、このままじゃダメだって。だから俺が、お前が創り出した俺が、お前を現実に引き戻そうとしているんだ」


「わかってるよ! そんなこと俺だってわかってる。でも、スズハがいない世界のことを考えるだけで、俺は……」

「それでも、夢の中じゃ意味ないだろ?」

先生はいつの間にか俺と同じ姿になっていた。

顔も身長も服装まで全部。

自分と同じ姿のやつからでた言葉はきっと俺の本心で、俺は自分に嘘をつくわけにはいかなかった。


「わかったみたいだな、自分の気持ちが」

先生——いや『俺』はそう言った。

「じゃあ、本当のことを教えてやるよ」

もう、見た目も声も何もかもが俺と同じになった『俺』が言う。

「よく思い出せ、この夢に入ってから何か、俺の思い通りになったことがあったか? 俺の思ったようにセカイが動いたことがあったか?『俺』は俺が創った、たった一つのイレギュラーだ。つまり、わかるだろ?」


『俺』が言ってることなんだ、俺にはわかる、わかるに決まってる。

まったく、今までいったい何を悩んでたんだろうな。

悩む必要なんかなかったんだ。

最初から俺には悩む権利なんてなかった。


「そしてこれが最後の言葉、いふ ゆー うぉんとぅ とぅ びー はっぴー びー、だ。こっちも意味はわかるな?」

俺は頷く。

「ならいい。うまくやれよ、俺」

そう言って『俺』は消えた。


ああ、うまくやる。誓う。

だから俺は行かなきゃいけない、夢から覚めるために。

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