第23話 相棒

 喉にくい込む力がだんだん強くなっていく。

 俺は無我夢中で深夜の腕を掴んでいた。必死で開こうとするが動かない。女の力じゃねえぞ、これは?

 このままだとまずいが、これ以上力を込めるとこいつの細い腕をへし折ってしまいそうだ。

 無論そんなことダメなんだがこのままだと俺の意識が持たない。

「――しろ」

 意識が飛びそうになる中、かすれるような声が聞こえる。

 深夜が必死な形相で口を開いていた。

「八代……あたしの手が……勝手に……」

 細い手の甲から血管が浮き出ている。こいつも必死で抵抗しているってことか。

「……や。シンヤ……落ち着け」

 なんとか声を振り絞る。一言ごとに指が喉に食い込み、かなり苦しい。

「慌てるな……おち……おちついて指を離すんだ。お前、な……出来る」

 俺の方もこれ以上は喉が限界だ。深夜をじっとみるとこいつを掴んだ手をゆっくりと離す。

 逆にこいつの力がこれ以上強まったらいくら俺とてまずいが、俺は信じる。

 深夜は俺をじっとみながらゆっくりと深呼吸する。苦しいのか表情は歪み、額から汗が流れだしている。

 ふと喉が楽になった。

 少しずつ深夜の力が離れていくのを感じる。

 一本一本、ゆっくりと指が離れていくのが首に触れる感触でわかった。

 最後の一本が離れるのと同時に俺は身体を一気に離した。

 空気を肺に入れるために咳き込むと、俺はすぐに構えた。誰かが術で深夜を操っている。魔界だからどんな奴がいてのおかしくはないが。

 まずは深夜の術を解こうとしたが、

「ふひー」

 と脱力した声をあげて深夜がかがみ込んだ。術が解けたってことか。

「シンヤ、よくやった」

「しんどかった……で、ここどこ?」

「魔界だ。もう身体は大丈夫か?」

「魔界! 異世界ってこと」

「目を輝かすな」

 こんな時だっていうのにのんきなことだ。帰れないかもしれないってのに。いやそれはこいつの力を借りればなんとかなるか?

 問題はこいつに術をかけたやつだ。周囲の気配を探る。

「まさか抵抗するとはナ」

 声が聞こえた。

 そいつが術の主だというのは口調からして間違いないのだが……。

「自らの手でマジュツシを殺すことによって絶望の底に落とそうと思ったガ。うまくいかないものだ」

 ゆっくりと術師が姿を現す。

 現れたのは3メートルほどの、一見巨体でアメリカンヒーローに出てくるようなシルエットの――

「馬鹿な! ダイダラボッチ、お前は確かに倒したはずだ」

 さっきとは体格が違うが、頭に響く声も感じる力もあいつに間違いない。

「え? それって前に八代ん家きた奴のこと? 倒したんじゃなかったの?」

「もちろんだ。そしてさっき俺がぶっ倒したはずだ!」

 身体が消滅するのも瘴気が完全に消えるのも見た。

 だが、それなのにこいつは当たり前のように立ってやがる。

 どういうことだ? 

 わけがわかんねえ。今の俺にできることは深夜を抱き寄せて庇い、奴に対峙するだけだ。

 なんとか立ち上がるが足が震えているのがわかる。ほとんど力が入らねえ。

 アバラも相当痛み、少し動くだけで悲鳴をあげそうだった。それにだいぶ血を失ったのか頭が重くて朦朧としている。

 奴はそんな俺たちをみると、愉快そうに笑った。

「ソウカ、お前たちは知らなかったのだな。ニンゲンの寿命の短さゆえ」

 指先の感覚をたしかめる。大丈夫だ、まだ印は組める。術は使える。

「何かしようとしているようダガ無駄だ。我は不死身ダ」

「不死身?」

「そうダ」

 深夜の声にご丁寧に返事を返す。

「いかなる術であろうと、我を滅ぼすことはできなナイ」

「そんな戯言が……」

「嘘だと思うかマホウツカイよ」

 俺の声に重ねてくる。

「試してみるがいい。最大の術で我を滅ぼしてミロ。先程の剣か? いつぞやの仲間のような強力な術か? それともムスメの力を使うか?」

 こちらを試すように手を開いて見せた。妙に人間っぽい仕草が感情を逆なでする。

 いや落ち着け。あいつのあれは。

「我がこうやって貴様の力を測っている、とでも思うタカ。挑発して術が使えるかどうかをネブミしているとでも」

 ぎくりと心臓が音を立てた気がした。

「ふふふ、だったら前貸しで契約シテモ構わぬゾ。貴様が術を我に撃つまで一切抵抗しないとな。もしそれで我を倒せるのだったら代償は不要。貴様等のイう悪魔の契約。これほど貴様等に有利な契約はアルまい?」

 痛む足で思わず後ずさる。

 何を考えてやがる。

 不死身……絶対に死なねえというのか。

 強力すぎて勝てない相手がいるとしても、消滅しない鬼なんか聞いたことがない。

 だが、こいつのこの余裕は……。

「そ、そんなはったりなどきかねえぜ」

 声がうわずった。

 汗が半端ないのは怪我の痛みや、魔界の瘴気だけじゃあない。わかってはいるが、認めるわけにはいかねえ。

「ズイブンと虚勢を張るものダ」

「虚勢かどうかは直ぐにわかるぜ」

「だろうナ」

 意外な返事に次が続かない。何を考えてやがる?

「我は確かに不死身。ダガ徒党を組んだ貴様等の先人に術で封印されたのは事実ダ」

 巨体の顔にあたる部分を俺たちに向ける。

「我はニンゲンを侮ってはイナイ。実際まだ若いのに貴様は充分な強さをミせた。我以外のバアルなら滅ぼせたかもしれぬ。若い貴様でそうなのだから、貴様の仲間のマホウツカイ達はもしかしたら我をまた封印するかもしれない。だから積極的に戦うのをサケタ」

 こう言いたいのか?

 親父達に追いかけられていたとき、戦えば勝っていたがもしかしたら封印の術を施されるかもしれない。だからあえて見逃して様子をみていたと。

「だがしばらく貴様達をミていて確信した。今の貴様達に我を封印することは出来ない。マシテここには貴様一人。切り札を失った慢心創痍のナ」

 こいつの言葉に愕然とする。

 そんな、まさか……だが思い当たることは……

 一言一言がぐっと心の中に入り込んでくる。

 それは俺達を絶望へと誘う。

 深夜が白い顔を青くして俺の方を見る。

 心が揺れている。

 そして俺にすがりついているのだ。

 自分には何も出来ないかもしれないけど、俺ならなんとかしてくれるかもしれないって。

「どうしタ、それでもまだ我と戦ってみるか」

「いや……」

 俺は認めた。

「……てめえの言うとおりだ」

「八代!」

 俺の導き出した答えに、深夜は震えながら俺の名前を叫ぶ。

「認めるぜ。お前は人類の前に立ちふさがった最強の鬼だ。お前を滅ぼす術は俺達――飛輪にはない」

「ホウ」

 俺は拳を握りしめた。拳が震えているのが自分でもわかる。

「先人達は油断していたお前を結託することでようやく封印に持ち込んだ。俺一人ではお前のような化け物を倒すなんて出来ない……」

 頭をうなだれる。

「俺の負けだ」

 深夜が俺の腕から離れ、その場にへたり込んだ。

 奴の表情はよくわからない。だが勝ち誇った笑いを浮かべているのだと確信できた。

「すまん、シンヤ」

 深夜は力なく座りこんでいたが、俺の声に弱々しく顔をあげた。

 そして妙にすっきりした顔でこくりと頸を縦に振った。

 そうか、許してくれるのか。俺を。

「別れは済んだようだナ。我とここまで戦った褒美だ。セメテ苦しまずに殺してやる」

「ああ、頼む……」

 俺は深夜から離れ、奴の前に向かう。

 傷ついた足で一歩ずつ、ゆっくりと。

 その気になれば遠距離で倒せるのだろうが、あえて奴は俺が来るまで待っていた。

 俺に策があって近づいているだけではと疑わなかったのか。

 もっとも不死身ならやられたところで気にならないものかもしれない。

 やがて俺は巨人の前に対峙した。手を伸ばせば届く距離だ。

 抵抗する気などない。手を広げて立つ。

「ところで俺は人間だからわからないが……」

 そしてぽつりと呟いた。

「封印されていると苦しいのか? それとも眠っている感覚なのか? 死ぬのと違いは何なんだ」

「死ノ間際故ノ疑問か。我は滅びた事がナイので死というモノはわからないが」

 悪魔は鷹揚に答える。

「封印は人の見る夢に似てイル。動くことは叶ワぬが、外の様子は見えてイタ」

「夢、か。あんたほどの大悪魔ならその夢に干渉も出来るんだろうが」

「ニンゲンの身ではムリな話だナ。死が夢デあることを祈るがいい」

「ああ、ありがとう」

 従順に頷いた。

「陰陽師として、最後をあんたみたいな大物と戦って散ったことを誇りに思う」

 奴の力がこもるのがわかる。巨大な腕が風切り音を立てて俺の頭に吸い込まれる。

 後はそれが俺の頭を吹き飛ばすだけ。

「なんて言うと思ったのか!」

 俺は身体を落とす。浮き上がった数本の髪の毛が宙に舞った。

 奴がどんな反応をしたのかわからねえ。飛行術を使うとすぐ後ろで座り込んでいる深夜まで飛ぶ。

「え? きゃー!」

 深夜はいきなり宙に抱え上げられて悲鳴をあげたが、俺だと認識しすると落ち着いたようだ。

「シンヤ、一旦離れるぞ!」

 そして二人して一目散に空を飛ぶ。少しは時間を稼がねえと。

 魔界の生物が沼の中で蠢いているのが見える。それにわきめを降らず、飛ぶ。

「すげえな、八代。お前アレ全部演技だったのかよ!」

 落ち着いた深夜が俺の腕の中で興奮した声をあげた。

「てっきり本当に諦めたのかと思ったぜ」

「全部が演技というわけじゃあないさ」

 距離をとったのが気配でわかったので、速度を落として深夜に話しかけた。

「俺の術でやつを倒せないのは間違いない」

「ここから逃げるんだな?」

「あいつを倒さない以上現界に戻るのも無理だろう。魔界の中で開いた奴のテリトリー内だからな」

「え、じゃあどうるんだよ?」

 不安そうに見つめる深夜ににやりと笑う。

「だからすまんといっただろう、シンヤ。どうもお前をお姫様みたいに守るってことはもう無理だ」

 きょとんとした顔を浮かべた深夜に対し、続ける。

「お・れ・一人では間違いなく勝てない。――だから、シンヤ。お前の力が必要だ。お前の能力があれば勝てるかもしれない。奴を倒すのに協力してくれ」

 呆けたような表情にだんだんと感情がこもっていくのが分かる。そして鋭い犬歯を見せながらさっきの俺と同じような笑みを浮かべた。

「仕方ねえな。お前がどうしてもって言うなら助けてやる」

「どうしてもだ。頼むぜ相棒」

「任された」

 抱き抱えた状態で器用にどんと自分の胸をたたく。実に硬そうだ、うん。

「でもよ」

 とその自信有り気な表情をしぼめる。

「あいつ不死身なんだろ。どうやったら倒せるんだ?」

「不死身のわけがない。なにか秘密があるはずだ?」

「どういうことだよ」

「不死身ならお前を執拗に狙ったりする必要がない。ましてあいつはわざわざワルプルギスの夜が終わるのを、門が閉じるのを待っていやがった。奴の言うとおり不死身で俺たちに封印する術がないと分かっているのならそれに合わせて攻めればいいだけだ。それで俺たちを皆殺しにできたはずだ」

「あーー」

「なにか秘密があるんだ。それはお前を狙っている理由なんだろうさ。門を開ける以外のな」

「あたしの力……」

「ああ、仮説で話したとおりお前の能力は奴らにとって何らかの意味がある。だから生贄として欲している。門を開け閉めできるのは副産物の一つだろうさ。それに奴はお前の手で俺を殺そうとした。俺を殺すよりお前の感情が暴走させのが目的と思っていい」

 現界でこいつの感情の暴走は鬼の力を高め、門を現出させた。おそらく魔界の空気とか酸素とかそういう力の源が負の感情から湧き上がるのだろう。同時に正の力は門を閉じたり、俺の術を増幅させたりできるのだが。

「あたしの力の暴走……」

 なにか考えがあるのかぶつぶつとつぶやく。周囲で魔界の生き物とおぼしきおぞましいものが飛んで俺たちの様子を伺っているが、少なくともまだダイダラボッチは追いかけては来ていない。

「あたしの力を吸うと身体が巨大化するとか」

「なんだそりゃ?」

「だって巨人っていうわりにはそんなにでかくないから。巨大化するのが目的かなって……いや不死身と関係ないな」

「……続けてくれ。不死身は気にしなくていい」 

 知らないからこそ柔軟な考えがでることもある。ましてこいつの勘はするどい。

 確かにあいつの伝説は「山より大きな巨人」とかそういう類のものだ。

 だが姿を現したこいつはそこまで言い伝えられるほど巨大とは感じない。さっき外で門を蓋していた悪魔の方がよほど巨体だ。

 伝説は嘘とか大げさだったとか、なわけないよな。

 じゃあどういうことか。

 巨体、身体。

「それか分裂するとか。鬼ってどうやって増えるか知らないけど、力があがると増えてそれが子供とか?」

 増える。分裂。身体が……

「それだ!」

 あいつの不死身の正体がわかった。

 抜けているピースがぴたりと埋まる感触。

「シンヤ、前に俺はお前に話したな。俺達の世界は物質界と呼び、魔界は、鬼達の世界は精神界と呼ぶと」

「ああ、覚えているけど……」

「俺達物質界の住人は身体の入れ物がなくなったらそれは死と同じ。でも精神界の住人は違う」

 なぜ俺は同じだと考えていたのか。

「名前の通り精神が本体だ。だから俺達物質界において大事な肉体が滅んでも死なない。あいつはお前の身体を操ってみせてだろう? 巨人という異名に騙されていた。身体はいれものに過ぎない。だから肉体を滅ぼしても死なない。それがあいつの不死身の正体だ」

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