第20話 希望


 ハサミの先端が深夜の首元に吸い込まれるその刹那、腕を拘束する力が弱まったことに気付いた。

 深夜に圧倒されて、手が緩まった!

 考えるより早く手を拘束している奴を殴り飛ばし、すぐに術を唱えて体内のチャクラを解放する。

 飛行術で一直線に深夜に飛びかかった。

 俺の両手が深夜の右手を掴むのと、首に掛かっていたチョーカーが外れるのは同時だった。

 深夜の右腕を掴んだまま地面へと転がる。

 赤い飛沫が噴き出して俺の顔を染めた。

 深夜は首を朱に染め、瞳を閉じていた。右手ごと血に染まったハサミを抜き、呼びかける。

「シンヤ!」

「八代、離してくれたんだ。良かった」

 眼を開けた深夜はこんな状況にもかかわらず、俺を見て微笑んだ。

「お前馬鹿か! お前を助けに来たのに自分から死んでどうするんだ?」

「そうしないと八代の話を聞いてくれないと思ったから……」

「思いつきで行動するのいい加減にしろ!」

 こいつ本当に思い込んだら一直線だよな。とことん説教したいところだが、さすがに今はそんな状況じゃないことぐらいわかっている。

「痛いだろうが我慢しろ」

 首を見るとぐっさり刺さったためか出血がひどいが、動脈を深く抉ったりはしていないようだ。命に関わる傷ではないことにほっとため息をつく。

「気休め程度だが術をかける。おとなしくしていてくれよ」

 治療符を首元に張って出血を止める。気休め程度だが放っておくよりはましだろう。

 ……ったくよ。『護衛』なのに対象に傷を負わすなんて、二流もいいところだ。

 深夜に手を貸して立たせると周囲を見回した。

 今の騒ぎでどこか呆然としていたようだが、俺が立ち上がったのをきっかけにようやく皆我に返る。清十郎が解放されて立ち上がる姿が確認できた。

 だがそれ以外は一番近くの小角を含めて、誰一人動こうとしなかった。ここまで馬鹿な事をやってのける人間がいることに、呆れかえって頭が働かないのかもな。

 最初に動いたのは、さっき深夜に治療されていた鬼祓師だ。

 法力僧らしい。今の騒ぎの間も悶えていたが、ようやく頭の痛みがマシになったらしくこちらに「いたた……」と場違いにのんきな声をあげて歩いてくる。

 そしてそいつは空を見上げ、その表情が絶望に歪んだ。

「門が……」

 その声に全員が再び空を見上げる。

 空が再び赤く染まり始めていた。

 悪魔を抑えている門が、ゆっくりと割れていく。

 そして悪魔が同じようにゆっくりと降下を始めていた。先程まで右腕と頭しか見えなかったのに、左肩が見えてきている。

「……もう間に合わん」

 小角がうめく。

 小さく「静乃……」と呟いたのが聞こえた。無意識か。

 諦めるんじゃねえよ。まだ何かあるはずなんだ。

 だが誰も動こうとしない。呆然となっている月雲を必死で揺さぶる清十郎だけだ。

 空を見上げると、悪魔の眼と視線があった。いやそう感じただけか。

 おおおおおおおお!

 突如として巨大悪魔が吠えた。

 霊力の衝撃が地上へと台風のように降り注いでくる。

 咄嗟に深夜を抱き寄せて庇い、衝撃に耐えた。

 他の鬼祓師達も霊力の風にバランスを崩したり、飛ばされてたりしている。清十郎が月雲を庇うのと、さっきの法力僧が吹っ飛んで木に頭をぶつけるのが見えたが、これ以上他の人間を気にかけている余裕がない。

 空のあいつが落ちてきたら俺たちは終わる。だからなんとかしないと。

 何とか出来ること……。一か八かだが、こいつが抵抗してまで俺の話を聞いてくれるように行動したんだ。俺としてもこの決意に応えたい。

「な、なに!」

 手を握るとうわずった声を上げたが説明をしている時間が惜しい。

「シンヤ、俺は空の奴を何とかしたい。協力してくれ」

「協力って……何をすればいいの?」

「願ってくれ。なんとかしたいって」

 唐突すぎる言い方にハテナ顔を浮かべたが、すぐに了承すると眼を閉じた。

 俺は左手で深夜の手を握ったまま右手で五芒星をきる。

 力が欲しいと願いを込めながら。

 突然心臓が激しく鳴りだした。

 深夜の手を通して熱とか気とか。そんな「なにか」が俺の身体を巡っていく。

 その熱は幾度となく切った俺の手から五芒星に伝わり、それははじき出されていく。

 術を使ったときとは違う、言葉にはしがたい力があふれ出た。

 その時、俺は切った五芒星から光がほとばしるのを見た、気がした。

 光が上空に昇り、消えると俺の心臓は少しずつ収まり続けていく。

 そして変化は起こった。

 ゆっくりと降下していく悪魔の動きが止まったのだ。

「まさか、門が!」

 誰かが叫んだ通り、再びゲートが少し閉じ悪魔を押さえつけたのだ。

 何が起こったのかわからないらしく、全員狐につままれたような呆けた顔をしていた。

「やはりそうか……」

 深夜の白い顔をまじまじと見つめる。犬歯を覗かせながら俺を不思議そうに見つめる、深夜に俺はきっぱりと言った。

「やっぱり、お前の力を使えば門を閉じることが出来る」

 呪禁師の言葉にあった違和感にようやく気付いた。

 あいつは鬼に狙われると言ったが、初めて会ったとき動物霊に狙われたのはマヤの方だ。そしてあのときの穢れは別にパワーアップしたりしなかった。

 おそらくあの時点で深夜は能力に目覚めていたから同等の効果があったはずなのに。

 同じ陰気を祓う力が通じる鬼だが、地上で発生した「穢れ」にはなく、門を通ってやって来る鬼にあるもの。

 それは俺たちと同じ物質界の存在か、異界の存在であるということだ。

 そして、三度もこいつがいることでゲートが開いている。

 女王蜂の力は蜜のように鬼を引き寄せるんじゃあない。

 おそらく門そのものと同質の存在。あるいは異界と現界を繋ぐ高純度のエネルギーといったところか。蜜とは言い得て妙だ。

 門は陰気が集まる場所で開く、とされているが実際のところそれだって鬼に対する考えからきている。

 鬼のことをわかっていなかったのは飛輪(おれたち)の方だ。

 陰気に集まりやすいのは間違いないだろうが、そのエネルギーがこの現界にうっすらとあるのだろう。それが異界からの歪みと化学反応を起こして門になる。

 だから異界の連中は本能で深夜の存在がわかるし、神出鬼没の門が深夜の前で開いたんだ。

「あたしの力で?」

「ああそうだ。俺とお前の力でな」 

 それからもう一つ。門が開いたことには三度とも共通点があった。

 俺が一緒にいたことだ。

 


 さてようやく話が整理出来たわけだが、いろいろ問題がある。

 まだ茫然自失状態から回復していない他の鬼祓師達を見回した。

 俺の方法はどうしても他の鬼祓師の協力が必要不可欠。そもそも落ち着いて話を聞いてくれるかどうか……。

 そんな風に考えたときだ。強力な術が周囲に展開される。

 リン……

 と透き通るような鈴の音が鳴り響き、近くに落ち葉が集まったかと思うとそれは突風が吹いたかのように飛び散る。

 その中から現れたのは数十人の人間だ。

 それもただの「人間」じゃあない。先程必死で願った者がいたであろう援軍。それも精鋭だった。

 その先頭に立つ男に気がついた鬼祓師達は次々と敬礼を行う。

 ワルプルギスの夜に対して日本における戦闘指揮を任された正二階位の鬼祓師。

 存命の陰陽師の中では俺が知る限り最強と思しき男。

 遠間雨竜(うりゅう)。俺の親父だ。

 親父はまず周囲の鬼祓師達をみると開口一番に、「遅れてすまない」と頭を下げた。

「そしてよくやってくれた同士達よ。おかげで最初の被害は留めることが出来た。もう君たちだけを死地におくるまいぞ」

 親父の言葉にへたれ込んでいた鬼祓師達はある者は歓声をあげ、ある者はその場で泣き出した。

 絶望的な状況の中で、希望と呼ぶにふさわしい援軍だからだ。

 親父は次に俺達の方に向かって歩いてくる。

 小角は親父の方を見ていたが、ふと俺の方に顔を向けた。

「そうか、式神か……」

 当たりだよ。こんなこともあろうかとワルプルギスの夜が起こって戦闘が始まる直前に飛ばしておいたのだ。

 秘密裏の作戦で電話すらなかなか通じなくても、そこは親子。なんとなく親父のいるところがわかるものだ。

 小角の言っていたように飛輪の命令で待機状態のままこないかもしれない不安もあったが、そこは親父を、鬼祓師達の同族意識を侮っていたようだ。

 親父は俺たちの前に立つと俺と深夜、そして小角を交互に見る。

 もう一つ問題として深夜を生贄をすることは飛輪の決定だということがある。親父が知っていて関与していた可能性があるってことだが……。

「詳細は息子に聞いた。なぜ年端もいかぬ少女を生贄にしようと考えた?」

 それは杞憂だったらしい。親父も知らされていなかったのか。

「飛輪本部の決定です。これより被害の少ない方法は他にはないと私も思っています」

「つまり本当か」

「黄泉坂も納得して下さいました。あなたも飛輪の鬼祓師にて前回の戦いに参加していた身。身内の私情で流されないと信じております」

「わかっておるよ。八代は鬼祓師として生きていくと決めた時点でもう一人前だ」

 親父は遠い目を向ける。やっぱりそういう流れになるのか?

 緊張で深夜を握る手に力がこもる。

「え、えと。こんなところで……」

 何か勘違いしたのか、緊迫感でテンパっているのか深夜が妙なことをつぶやいた。

「待ってくれ。深夜の力を使えば生贄にしなくても門を閉じることができる!」

 俺の声を聞かず、親父は小角の方に視線を向けた。

「辛い任務だったろう。実行隊長の私にすら伝えなかったこと。皆の為に心を鬼にした君の辛さは多少はわかるつもりだ。それについて責めるつもりはない」

 俺のすぐそばまで近寄っていた小角の肩に手が置かれる。

 ちくしょう。親父達まで敵になるのかよ!

 つい二人を睨みつけると、次の瞬間激しい音がした。同時に小角の鼻から血が噴き出す。

「それはそれだ。そしてこれは人様の客人を勝手に連れ出して怖い眼に合わせた分だ。この程度は覚悟の上だろ?」

 思い切り私情挟みまくっとるがな!

 それはそれとしてなぜ俺まで殴られないないといけないのか? 深夜に頭突きをかましたところと同じ所を綺麗に殴られて思わず悶絶する。

「母さんと伊緒里達に黙って家を出て行こうとしていた分だ。馬鹿者め」

 身内がどうとか言ってなかったか?

「母さんに怒られた方が良かったか?」

「愛の鞭ありがとうございます! お父上殿!」

 深夜から手を離し、最も相手を敬うという60度のお辞儀をする。母さんに怒られないためなら90度だって、120度だって曲げるよ、俺は。

「八代のお母さんって優しそうなのに、どうして八代は恐れているの?」

「さあ……」

 いつの間にか近くに来ていた月雲とそんな話をしているのが聞こえたが……世の中には本当に恐ろしい物ってあるんだよ。

「さて、私情はそれとしてお前の言う方法を教えて貰おうか」

「遠間さん。悪魔が迫っているこの状況でですか?」

「あの程度の悪魔などどうとでもなる。それより本当に門を閉じることが出来るのか?」

 最初からいた鬼祓師はその一言で変な声をあげて黙った。

「もちろんだ」

 本来なら指揮権を持っている上、この場にいる鬼祓師で一番階位が高い。その親父が決めたとなれば、他の鬼祓師達も従わざるを得ない。

 俺は先程の現象を含めた仮説を話した。

 静乃が深夜と同じ能力を持っていたことに驚いたようだが、黙って聞いてくれた。 

 ゲートとは陰気に集まるとあるエネルギーが集まってできるのではということ。女王蜂とはそのエネルギーと同質のものであること。悪魔は現界では本来の力を失っており、強いゲートの力を受けると元の力をえること。陰腐なんかも進化した方が本来の姿なんだろう。

 そして、深夜の力を利用すれば門を開け閉めが出来るのではということ。

「それは本当なのか?」

 清十郎が一同を代表して疑問を口にする。信じられないが実際ここにいる連中は、先程やって来た親父達援軍以外は門が一部閉じるのを見ている。

「では今回この場で門が開いたのも黄泉坂の力だというのか?」

「少し語弊がある。実際はこいつの力を使って無意識に門を開いたのは俺だろう。そして今回三週間も早めて閉まったのは……これが原因だ」

 深夜の両手首に巻いてある封印を指さした。

「深夜の力は本来身体から常に漏れている。空気に混じっている程度なら微量だし気にすること無いんだがな。無理矢理封印するとその力が中にこもって膨大になるんだ。後は普段暮らしているところかな」

 最初の悪魔はこいつが住んでいるマンションだった。

 そして今回はこの封印。二回目の時はおそらく偶然だが影響大といったところか。

 門そのものと言ったが開く時はきっかけになる『歪み』が必要で、それは俺も詳しくは知らないが飛輪が今回察知したのはその歪みを発見したからだ。二回目の時はもともとどこか近くで歪みが出来ていたのが、ちょうどいいエネルギーがあったからあそこで開いたという所か。

「感情が高ぶるとエネルギーが漏れるのは間違いない。ただそれに加え周囲の感情もどうやらこいつ感知してしまうみたいなんだ。その辺りはみんな俺より詳しいだろう?」

 子供の頃は能力があっても大人になって無くなるのが多い所以だ。要は情緒不安定で周囲に対して敏感であるってことだ。

「それに術の媒体体質なのもあるようだ。特に力をコントロールする術士の激しい陰気は良くないようでね。」

 最初の二回は近くの俺がかなり動揺していた。ここでは百人以上が不安を抱えていた。それがいわば発動のきっかけだったのだろう。

 同時に深夜が感じていた得も知れない不安。それが形を変えて歪みを呼び、門を開いた。

 特に今日のは絶望的な状況で「何かあってほしい」という暗い気持ちが鍵となったと見ている。

 不安や焦り、恐れのような陰気が魔界から鬼を呼んじまう。だが同時に安心感や幸福感のような陽気は門を閉じることに転用できる。

 現状では唯一ゲートを閉める能力を持った人間だということになる。

 だが……開く時はもとから発生した歪みを応用するから少ない力で済むが、閉じるのには触媒がないからより多い力を使う。

 それを術で補うというのが俺の作戦だが、そもそも門を閉じるなんて術は誰も知らない。ぶっつけ本番になるし、失敗すれば自然に開いた門から出た悪魔に飲み込まれる。一か八かの賭けだった。 

「成功するかどうかも解らない術にこの場にいる全員と多数の命をかけるのか……」

 しかも俺の仮説はあやふやの所が多い。それならばまだ生贄の方が勝算があるのでは? 

 他の鬼祓師たちの何人かがそう考えているだろう。

 決め手となったのはもう一つの仮説だ。

「本来数十年から百年周期のワルプルギスの夜が、時々今回みたいに数年で来ると言っていたな。それはもしかして生贄を出した直後とかじゃねえのか?」

 深夜みたいな能力者が毎回都合良く用意できるとは限らない。

 そもそも毎回使っていたらさすがに記録に残されているだろう。

 それに俺の最初の仮説が正しければ能力者は門の力を内包している。その力を悪魔どもが生贄として手に入れることで、力を強めているんじゃあないかと考えたのだ。

「……確かに全ての記録が残っているわけではないが、生贄を使ったと思しき後は必ず数年で起こっている。今回も含めてな……」

 これは呪禁師。なぜこいつが詳しく知っているかと言うと、小角と同じ正四階位で全貌を知らされているかららしい。

 ということは清十郎は四階位二人を含む四人とガチでやり合ったのか。今度あいつを怒らせることがあったら素直に謝ろう。

「ならば答えは一つだ。可能性として自分の家族や大切な人達が今後苦しむ可能性があるのならば、そちらを潰しておきたい。……失敗すれば一般人が犠牲になると? では訊くか守りたい一般人は君にとって誰だ。それは家族や親しい人だろう。私は全世界の人類全てと妻と子供達。天秤にかけられたら家族を選ぶ。ほとんどの飛輪に所属する者はそうだろう。世界の平和は家族が平和に過ごすために、ついでに守っているに過ぎん。なあ?」

 一緒にやって来た同門に話を振ると、

「当然です」「何を今更」「家族より世界平和優先しろとか言われたら脱退しますよ」などと口々に同調した。

「これが成功すれば今後我々は千年と続く奴らとの戦いで大きな前進を得るだろう。自分たちの子供や孫、甥、姪が少しでも犠牲だとかナハトの乙女などというものに選ばれないようにするのなら、この作戦に賭けてみるのも悪くはない。私は博打は好きではないけどね」

 親父の宣言により、ワルプルギスの夜、最後の作戦が始められることとなった。

 それに応えた鬼祓師達の表情は、命令だから従うとかではなく、どこか満足げであった。


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