第19話 絶望

 元の夜空が戻り、上空では星が輝いている。

 周囲の木々は歪なままで、ちょっと環境への悪影響とか懸念されるところだが、あいにく今の俺たちに大自然を慈しむ余裕なんてない。

 今夜を、また明日から激しい戦いが待っているのだろうが、ひとまず今夜を乗り切った安堵感が満たしていた。

 決して大きいとはいえないが、至るところで呆けた笑い声が聞こえてくる。

 地上に降りた俺だが、最初にやったことはぶっ倒れることだった。いや、マジでもう動けねえぞ。

 周囲を見渡すと俺だけじゃあなく全員が肩で息をしていた。誰も彼もが疲れで顔色が悪く、頭も服も汗でびっしょりだ。

「八代」

 呼びかける声に身体を起こし、声の主に頭を向ける。

「これで完全に終わったのか?」

 清十郎が俺の方に歩みよってきて、状況を確認するように俺に尋ねてきた。

 他の術士達は座り混んでいるか、立っているのもやっとだというのに元気な奴だ。

 ま、もう俺たちを捕まえようとか考える奴もいないだろうけどさ。

「みたいだぜ。門が見えない」

「そうか……強力な悪魔がいれば危なかったな」

「……確かにな」

 数こそ多かったが出てきた鬼はいわば低級だ。修羅と呼ばれるやつとまで言わないが、前にマンションで深夜を襲ってきた程度の悪魔が一匹でもいたらどうなっていたか。

「シンヤと月雲は?」

 探したら二人はすぐに見つかった。少し離れた先にある負傷者が集められた結界内にいる。

 月雲も術を使いっぱなしで疲労があるのか地面に座りこんでいた。俺に気付くと疲れた笑顔を向ける。そして隣でけが人の包帯を巻いている深夜の肩をつついた。

 その深夜は俺の姿を見るや否や勢いよく立ち上がり、慌てて駆け寄ってきた。

「大丈夫なの? ケガとかない?」

 行動とかがどうも動物っぽいよな、こいつ。

 そうか、子供というより猫みたいなんだ。

「ああ、お前は?」

「平気。そもそもあたしは何もしていないし」

「そんなことはないだろう。治療とかも手伝ってくれていたし」

 さっきまで深夜に手当てされていた男が、突き飛ばされた勢いで石に頭をぶつけて悶えているのが視界の端に映ったが……許せ。見なかったことにさせてもらう。

 もちろんそんなことを知らない深夜は「へへへ」と照れたように笑う。

 それから上目遣いに俺を見上げた。

「終わったの?」

「ひとまずな」

「八代、本当に空とか飛べるんだ。凄いんだね」

「ああ、言っただろう。俺は強いって」

 笑顔を返すと隣に目線を向けた。

「それに清十郎と一緒だしな」

 別に存在に気付かなかった訳ではないのだろうが、改めて紹介されると相変わらず緊張した面持ちで後ずさる。

 しかし視線を下に向けながらも、おずおずと口を開いた。

「助けに来てくれて……、それと、ありがとう……」

「こちらも思うところがあった。気にしないでくれ。それに八代のことは礼をいわれるまでもない」

 こんな激闘の後だというのに、相変わらず小憎らしくなる爽やかな笑顔だ。

 しかしさすがは清十郎。通訳なしでこいつの言うことを理解するとは。

 深夜は安心したように胸元を抑え息を吐き、すぐに俺の方に視線を向け直すと「でも」と続けた。

「ほら、あたしって鬼を強くしたりするんだろ? それ大丈夫だったの」

「……大丈夫だったみたいだな。そんなことよりお前が狙われないかの方が心配だったんだが」

 それにもう一つ。三週間後の筈のゲートが今、しかもここで開いたのが気になった。最初に襲われたとき、それから三日後の陰腐。さすがに三度も偶然はおきない。

 こいつの能力、女王蜂だっけか。鬼をどうこうよりむしろ……。

「大丈夫。その首と手に巻いている奴が効いている」

 横から割り込んできた女性の声に思考が中断する。

 咄嗟に深夜を背中に隠して霊符を入れている懐に手を入れた。清十郎も錫杖を身構えている。

 姿を見せたのは二十代半ばほどの女性。小角と一緒に最初からいた呪禁師だ。

「俺たちの怪我なら大丈夫だぜ。ほら、向こうに怪我人がいるだろ?」

 こいつの名前が何か、同じ飛輪とはいえ知らない。だが呪禁師は怪我の治療に長けているのは知っている。

 頭をまだ押さえ悶えている向こうの男を指さすが、見向きもしなかった。

「警戒するのは当然だが、お礼ぐらいは言わせて欲しいな」

 汗のついた前髪を手で流すと、両手をゆっくりと挙げた。その動作だけで手が震えるほど疲労しているらしい。清十郎が眼で合図を送ってきたので、話の先を促させる。

「シンヤを生贄にしようとした事に対する申し開きかよ」

「それに関しては最善との判断だった。そして彼女も納得していた」

 表情を変えずにのたまう。こいつも小角と同類か。

 ……と思っていたら眉間に皺を寄せると済まなそうな表情を作り、手を元に戻して頭を下げる。

「だが離反した身で助力してもらったのには感謝の言葉もない。手助けがなければ被害は甚大になっていただろう。おかげで死傷者はださずにすんだ。ありがとう」

「……協力はお互い様だ」

 この呪禁師は先程の戦い、八面臓腑の奮戦をしていたのを見ている。

 何百という眷属に怪我人の運搬や手を離れた呪具の回収を任せ、自身は戦線の真っ只中で小角と共に指揮や叱咤激励を行っていた。

 その上で術による回復を繰り返しつつも他所の援護を広範囲にわたって支援しているのが空から見たのだ。

「お礼を言ったからさっきの続きをしようってか」

「……今更やるまいよ。もう終わったことだ。今後は正攻法で当たっていくことになるだろう。それに……お前達はあのとき逃げようと思えば出来たはずなのだからな」

 嘘は言っていない。おそらくだが。

「それでさっき言おうとしたのはどういうことですか?」

 清十郎に促され頭を上げると、深夜の方を見ながら言葉を開く。

「女王蜂は鬼を引き寄せ、能力を強化させる厄介な力だ。そして能力を完全に抑える術は知らない。だけどその封印がある限り気付かれないようには出来るのさ」

 てことは防ぐ手段はないから隔離するというのは生贄を確保するための方便か。

 口に出して文句を言ったら悪びれもせず「その通りだ」とのたまいやがった。

「といっても霊的に強い所で陽気を高めてながらこそ初めて封印が出来る。まるっきり嘘でもない」

 つまりこのまま連れ帰ったらまた狙われると言いたい訳ね。

「さっき狙われなかったのも同じ理由か?」

「おそらく。結界内から出なかったし、瘴気に溢れていたからだろう。綺麗な空気に異臭が混じるとすぐ解るが、別の異臭に混じってしまえば多少なら気付かない」

「瘴気に交じって……」

 やはりなにかひっかかる。うーんと考え込んでいると「八代?」と背中から心配そうに声をかけられた。

「何か気になるとことでもあったの?」

「……少しな」

 そもそもこいつの能力、女王蜂の持ち主が生贄になる資質を持っているのはどうしてだ? というのは前から考えていたことだ。

 鬼が必要とする能力。

 同時に魔界からの大侵攻を命を持って止めることが出来る。これではまるで……。

「さっきあんたが言っていたことだが」

「能力を抑えているという話か?」

「……いやそこじゃねえ」

 なんだか解らねえが、違和感を覚えている。凄く大事なことのような気がする。

「もういいのではないか、八代。こうしてひとまずワルプルギスの夜は一旦終えた。後は編成されている筈の後詰めに合流するために一旦引き上げよう。俺たちの当面の役目は終わった」

 清十郎がそう意見し、顔を向けると視線を別の所に向けた。

 視線の先には治療術を終えたのか、月雲が汗でべっとりした長居髪の毛を結び直しながら近寄ってきていた。

 足下には眷属、ではなくマヤがついてきている。

 そうだな……とりあえず深夜を家に帰し、親父達に今夜の報告を済ますか。

「帰るぜ。文句ないだろう」

 呪禁師にそれを告げるが、返事は彼女からではなかった。

「ダメだ。帰すわけにはいかない」

 この声、小角か。

 さっきから姿が見えなかったが、どうやら散らばった動ける仲間を集めていたらしい。後ろからぞろぞろと着いてくる。俺たちの緊張感が高まる。

「何の用事だ? 最初の侵攻は終わったはずだぜ」

「そう話は簡単では無い。そんなものなら八年前に静乃を犠牲にしたりはしなかった」

 そうなのか? と周囲に目を向けたが全員微妙な表情だ。

 階位的にも八年前に参戦しているのはこの中ではもしかして小角だけか?

「門が今日にもまた開くって言うのか?」

 どういうことだか訊いたら、

「くくく……」

 と神経を逆なでするような笑い声をあげる。

「国語教師なら擬音語で説明せずに、美しい日本語を使えよ」

「八代、空をみろ!」

 小角への文句は清十郎の声で中断する。

 反射的に空を見上げる。そこには一見何もない。ただ夜空が……、

「夜空が……欠けている」

 星空が一部見えない。雲一つないにも関わらずだ。

 自然、星が見えない所に意識が集中していく。

 その時、空がわずかに輝いて、その一帯を照らす。

「なんだあれは!」

 そして俺は、いや全員が見た。

空から巨大な手が地上へと伸びていた。

 更にその上に何がついているか、一瞬解らなかった。いや信じられなかった。

 それは人型の鬼だ。空を覆い尽くすほど巨大な。

 そいつは胸部分が何かに締め付けられていて、頭と右腕だけをこっち側に、現界に具現化していた。

 見かけだけではない。今更ながら恐ろしいほどの瘴気を感じる。間違いなく悪魔と呼んでいる、そもかなり高位の存在だ。

「あんなのがこちら側に……」

 誰かが声をあげる。その巨大な悪魔は見るものを恐怖に陥れるような顔で、ただ地上を見おろしていている。

 この場にいる全員が、唖然としてただ空を見上げていた。 

「あいつが挟まっているのって、まさか門か?」

「そうだ」

 清十郎の声に小角が応える。

「先程のはワルプルギスの夜の前兆、いや前兆ですら無い。台風の前に小雨が少し降る。その前の雨の一滴にしか過ぎない」

 うるせえよ、とは言い返せなかった。

 月雲も、飛輪の鬼祓師達も青い顔をしている。そして小角本人も。

「夜はまだまだこれからだ。今はあの悪魔が栓となってたまたま塞がれていただけ。だがもう少しゲートが安定すればいずれ降りてくるし、その背後から先程とは比べものにならない数の悪魔達が降ってくるだろう。次から次へと際限なく、な」

 誰も声を発しなかった。

 先程の戦いですらギリギリだった。ほとんど全員が死力を尽くし、戦う力が残っていない。

「本部からの応援は……」

「予定を遙かに超えた三週間前倒しなのだぞ。充分な兵力を集めてすぐ来れるとでも? 最も被害を減らすのは我々を見捨て、万全の準備を速やかに整えることだろう」

「そんな……」

 誰かが絶望にひしがれて声を上げて膝をつく。それは次々と伝染していった。

 月雲も茫然自失で持っているお祓い棒を地面へ落とす。

 呪禁師も、ただ真っ青な顔で立ち尽くしていた。

「は、てめえ等みたいなおっさんと一緒にするなよ。俺たちは若いんだぜ。まだまだいけらあ。なあ清十郎」

「ああ。さっきのはいい準備運動だった」

 そういって不敵に笑い合う俺たちだけだろう。元気なのは。もちろん空元気だが。

「若さだな。だが夜通し戦い続けながら言ってられるかな? しかも朝が来たからといって終わりでは無い。幾度ともなく門は開かれ、何度ともなく現れる。しかも門がいつまで開き続けるかなんて誰にもわかりはしない! 一ヶ月か? 一年か? それとも十年か? もしかしたらどちらかが完全に滅びるまで続くかもしれない。それがワルプルギスの夜だ」

 小角は気がふれたように大きな声で笑い声をあげた。

 その哄笑を止める者はいない。

 ただただ奴の言う意味がじわじわと俺たちを締め付けてくる。

 絶望という名の鎖が。

 いい加減うっとうしく感じ始めたその時だ。

 俺の近くにいた誰かが突然白袴姿の、深夜の手を取った。あっと思う間もなくそれは小角の所に引っ張って行く。

 式神だと気付いたときには深夜の手は小角に握られてた。

「来い、黄泉坂。儀式を行うぞ!」

「てめえ!」 

「今ならまだ間に合う!」

「小角さん! 今更」

 呪禁師の女が非難の声をあげるが、それを小角が制した。

「今だからだ! 幸い上の悪魔が蓋となっていてしばらく次はでてこない。奴が抜け出たときはこの場にいる者達が全滅する。いや、それですめばいいがこの世の地獄の始まりを告げることになる。だから今なら、今生贄の儀式を行えば奴らを押し戻すことが出来る!」

「行かせるかよ!」

 飛び出そうとすると、突然何者かが俺を押さえつける。一人じゃない。何人もだ。

 先程まで絶望にひしがれていた鬼祓師達だ。ご丁寧に術が使えないように指も固められた。

 すぐ隣で同じように清十郎が地面に押さえつけられている。

 このままだと全滅する。その恐怖が後押しをしているようだ。

 他に手段がなければ抗うか諦めるしかない。だがそれ以外の可能性を示唆されると人はそれにすがりつく。

 まさしくそんな状況だった。

「離せよ、こら! 八代、八代!」

 深夜は必死で抵抗しているようだが、大人の男と女の力差はいかんともできず、ずるずると引きずられていく。

 俺も清十郎も必死で抵抗するが、連中も火事場の馬鹿力を発揮している。

 唯一自由な月雲は空を見上げて呆然自失状態から抜け出せていない。呪禁師も説得はしているが力尽くで止める、という気はないようだ。

「どうせあの悪魔が降下してきたらお前も助からん。だったらせめて遠間や他の人間を助けるためにその命を使ったらどうだ?」

 俺の名前を出されて一瞬ひるみやがった。それを見逃す小角ではなく式神を召喚すると深夜を抱えあげた。

「待て、小角! まだだ、まだ方法はある」

 俺の叫びにようやく小角はこちらに視線を向けた。

「生贄にしなくても、深夜の力で門を封じる方法がある!」

「それは初耳だな。それは具体的にどうするんだ?」

 具体的も何もひょっとしたらという程度だ。

 だが今深夜を助けてかつ悪魔達を封じるにはこれしかないと思っている。その説明を言い淀む俺を見て小角は嘲笑を俺に向けてくる。

「はったりか。もうそれは聞き飽きた。では行くぞ、覚悟を決めろ黄泉坂」

「うるせえ、八代が話しているんだから聞け、聞けと言っているだろう! 聞かないなら」

「なんだ?」

 小角はそう答えようとしたのだろう。だがその表情が曇る。

 深夜がどこからかハサミを取り出して握っていた。さっき包帯を切るのに借りたのかもしれない。

 それを躊躇無く自分を抱きかかえている式神にぶっさす。その式神はさほど強度が強くなかったらしく、その衝撃で術が解けた。

 深夜はそのまま地面に転がり落ちる。

「無駄な抵抗だ。そんなモノをどうする気だ」

 深夜は小角を睨みつけるとそのハサミの真ん中を握り、その先端を自分の首に近づけた。

「八代を離せ! そして話を聞けよ。そうしないならあたしは今から死んでやる!」

「何を馬鹿な事を」

「知っているんだぞ! ばあるだとかいうやつもあたしを殺せなかった。あたしが死んだらその生贄の儀式とやらもつかえないだろう?」

 整った白い顔に必死な形相を浮かべ、深夜は小角と、いやこの場の鬼祓師達と対峙する。

 俺を押さえつけている連中も力こそ緩めないが動揺しているのが伝わる。

「そんな脅しが」

 小角が決めつけて深夜の肩に触れる。おそらくひっぱろうとしたのだろう。

 そのわずかな衝撃でハサミの先端が深夜の首に刺さり、白い首から赤い液体がこぼれるのが俺の位置からでも見えた。

「嘘だと思っているのか!」

 深夜は不思議な色の双眸で小角を睨みつける。

 ようやくみんな気付いた。

 深夜の奴が本気だということに。

「馬鹿な事を……」

「馬鹿なもんか! あたしは本気だぞ!」

「だったらなぜ、死ぬ覚悟があるならこんなところで……」

 深夜はそれには応えずその目を小角から俺、そして他の鬼祓師達へとむけた。

 周囲に得体の知れぬ動揺と、緊張が走っているが伝わってくる。

 鬼と様々な駆け引きや死線でのやりとりを行ってきた鬼祓師達が、単なる少女に過ぎない深夜に気圧されていた。

 その姿は、そう。まさしく女王と呼ぶに相応しかった。

「シンヤちゃん、そんな……」

 とようやく茫然自失状態から回復した月雲の声が聞こえた。

「十秒で八代を離せ。そうしなけりゃ死んでやる」

 俺を取り押さえた鬼祓師達が動揺しているのがわかる。

 ちらちらと小角を見ているんだが、小角自身もどうしたらいいか解らないらしく応えあぐねていた。

 そうしている間に、時間は無情にも過ぎていく。

 おいてめえら、その手を……

「十秒だ。八代、お前はこっちに来るなよ」

 一瞬だけ俺に笑顔を向けるのと、手の握る力を入れるのが見えた。

 ハサミの先端が、白くてキレイな深夜の首筋に吸い込まれていった。

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