第15話 黄泉坂深夜③
館の全体より長いとおぼしき距離を歩き、俺はようやくドアの前にたどり着いた。
術で距離感も狂わせているのだろう。
戻るまでに月雲が解いてくれれば帰りは楽だが、それは後だ。
かすかに聞こえる清十郎の声を聞きながらドアを解析する。変な術はかかっていないし、鍵もかかってねえ。
ゆっくりとノブを回し、扉を内に開く。
部屋には電気が付いていなかった。
カーテンが開け放たれていて、月の光が部屋を照らしている。
外観から想像出来たが中もかなり洋風の作りだ。
深夜の姿は……ない。
「シンヤ、俺だ。八代だ」
代わりに「なお」という鳴き声が俺を迎え入れた。
すぐに独特の鈴の音が俺の方に近寄ってくる。
「マヤか、久しぶりだな」
かがんで頭をなでると、ごろごろと猫特有の喉をならすような声をあげる。相変わらず賢い奴だ。
マヤは俺から離れ、元来た所に戻り始めた。
そこには天蓋付きのベッドがある。そこでようやく人が座っていることに気がついた。
マヤがその側に走り寄っていく。
「シンヤ……」
声をかけて足を踏み出す。
同時に窓からの明かりが光度を増した。雲に隠れていた月が顔を覗かせたのだ。
月の光がはっきりとベッドに座る人影の姿を映し出した。
その姿に、思わず絶句してしまう。
シンヤは天蓋ベッドに腰をかけて、こちらに顔をむけていた。
相変わらずの茶色い髪の毛。洋館には不釣り合いな白袴姿。
身体から溢れる力を少しでも抑えるためだろう。よく見ると首元や手首にもなにやら巻いている。
元々白人の血が混じっていて色が白いのだが、それが月明かりで照らされて際立っていた。
陶磁器、いやオパールのような透明感のある肌が、月明かりに照らされて輝いている。
言いたかないが見惚れるほど、綺麗だった。
だが……なんというか生気が感じられない。初めてこいつの写真を見たときと近い印象だ。
「シンヤ、俺の声が聞こえるか?」
「……八代」
術をかけられて意思がないとか、そういう類いではなかったことに安心する。
「……何しに来たの?」
「助けに来たんだよ」
さて、何をどう説明したらいいか。
「実はな、飛輪はお前を生贄として使うつもりだ。このままここにいたらそのまま差し出されちまう。逃げるぞ」
こいつがどういうリアクションをするか、俺なりにいくらかパターンを想像していた。だが深夜の反応は予想外にも冷淡なものだった。
「なんだ、そのことか」
「知っていたのか!」
「聞いたよ。あたし世界で唯一、ワルプルギスの夜とやらを終わらせることができる特別な存在なんだろ?」
「お前の命を使うことでな! だから逃げるぞ」
立たせようと手を伸ばす。だが深夜は無感情に、冷ややかな眼を向けるだけだった。
「いいよ、別に」
「わかっているのか? ここにいたらお前死んでしまうんだぞ!」
「知ってる」
「だったら……」
「知っているっていっているだろう。来なくて、良かったのに」
俺だって別に「助けてくれてありがとう。八代大好き、チュッ」なんて妄想じみた期待をしていたわけじゃあないけどよ。
素直じゃないのは知っているが、そこまでだといくら温厚な俺でも怒るぞ。
「いい加減にしろよ! 今回の為に月雲と清十郎は飛輪に逆らってまで来たんだぞ。俺ならともかく二人にそんな態度を見せたら殴るからな」
「助けてくれなんて、言ってないじゃん」
「お前!」
「だってさ」
更にどやしつけようとしたが、その表情をみて言葉が出てこなかった。
深夜は顔に笑顔を作っていた。どこか作り物じみた笑顔を。
「悪魔の大侵攻。やってくれば大勢が死ぬ。それを被害を出さずに止めるのって、あたしにしか出来ないんだろう? 格好いいじゃん」
「馬鹿か! お前が死ぬ時点で被害ゼロはねえよ」
「でも、他の関係のない人は……助かるんだろ」
「なんで自分を犠牲にする必要があるんだ。誰が死んだところでお前に関係無いだろうが!」
「……関係無くないよ」
深夜は視線を落とし、マヤの頭をなでる。
「聞いたよ。八年前は戦いですごく人が亡くなったって。それもあのとき生贄として申し出た人がいなければもっと犠牲者が出たって」
「それが俺たちの仕事だ。鬼祓師になるって決めた時点で全員覚悟はあるさ」
「……だったら八代も死んじゃうかも知れないじゃないか」
顔をあげるとまっすぐに俺を見つめた。その表情に思わずたじろぐ。
その瞳から、水が流れて出ていたから。
「あたしは見ていたよ。八代があたしを守る為にいつも大変だったのを。もし悪魔の大侵攻なんかあったら八代が死ぬかも知れない。……ううん。八代はきっと最前線で戦い続ける。もしあたしが生贄にならなくてもいいってなったら、そのためにがんばりすぎると思う。あんたがそういう人間だって、わかっているから……」
「……シンヤ…」
「今回だって飛輪って所に逆らってまで来たんだろ? そんなことをしたら生きて帰れても、もう八代に安息の場所とか……ないじゃん」
くしゃくしゃと表情を歪ませる。
瞳から流れた水は頬を滑って顎を伝い、シーツをにじませていく。
「あたしだって死ぬのは嫌だよ。でも、そうすることで八代が助かるっていうなら……あたしにはそれが出来るなら……」
そうかい、お前は、俺の為に……。
「あんた達が変な事をされないように、それだけはお願いするから。八代達を許してくれないならこの話なかったことにするって絶対説得するから。だから……」
「そうか……」
だったら俺に言葉で語ることは何もない。
俺は深夜の肩を左手で優しく抱き寄せる。
深夜は涙にまみれた顔をこちらに向けた。
ふと深夜の表情がゆらぎ、こくりと頷くと瞳を閉じる。
俺たちは少しずつ顔を近づけた。
そして――。
振りかぶった右拳の一撃が頭に決まった。
「いっっっっっったあああああああああ!」
深夜が悲鳴をあげ、その声に驚いたマヤが鳴き声をあげてベッドから逃げ出す。
「え、え? いきなり何を?」
全く訳がわからないといった表情で深夜は涙目を泳がせながらキョドる。
何って子供をしつけるのに、最終にして最後の武器はゲンコツだろ?
「どうして? え? この展開でなんであたし……ずったあああああ!」
二撃目が頭頂部に決まり、色気も何もない叫びを上げる。
痛いのは当然だ。人体でもっとも堅いと言われる、頭での一撃だからな。
問題は俺もすごく痛いということで、ぶつけたところがじんじんしている。
「何しやがるんだ!?」
「それはこっちの台詞だ。なんでも勝手に決めやがって」
「なんでって、あたしはあんたが死なないようにって……」
「それこそ勝手な決めつけだ。誰が頼んだ? 誰がそれで喜ぶんだ!」
「誰がって……あたしだって考えて」
「それが勝手な決めつけだってんだ。だからお前、友達がマヤしかいないんだ」
「そ、それは今関係無いだろ!」
「関係大ありだ。それにお前が死んだらマヤをどうするつもりだ?」
「え? 世話してくれるんじゃあないの?」
「馬鹿か、俺んちは動物が飼えないんだよ。小さな動物だと霊的に清浄になりすぎて、外に出たときに却って鬼とかに取り憑かれやすくなるからな」
「待て! そんな話聞いていなかったぞ!」
「言わなかったからな」
「なっ! マヤに何かあったらどうするつもりだったんだ?」
「あのときは怖がっている子供をなだめることを優先していたんでな。忘れていた」
「だ、誰が怖がってたって言うんだよ!」
「そうなのか。すがりつくような目だったから怖がっているとばかり。俺の勘違いだったのか。わりいわりい」
「全然心がこもっていないじゃないか!」
「そうか? 俺は割と真剣なんだが」
「お前! それでもしマヤに何かあったら承知しないからな!」
「承知? 何を承知するってんだ。大体お前今から死ぬんだろ? 死んだ後に猫がどうなったかなんて知る術なんかないだろう」
「ど、どうする気なんだよ!」
「そうだなあ……そういや俺、知り合いに保健所の所長がいるんだけど」
「てめえ、それ以上その言葉を口にしたらぶっ殺してやる!」
後はもう互いに罵りあいだった。
しかし、こいつ罵詈雑言が出るわ出るわ。
そりゃ俺だって「友達いないくせに人の気持ちわかるのか?」とか「胸がみじんもないくせにどこをみて女だと思えるんだ?」とか少しばかり口が過ぎたのは認めよう。
でもよ、こいつが俺に対する悪口は「お前等三人が並んだらお前だけ一人失敗面で見ていて痛々しい」とか「言動がいちいち寒い。今年冷夏で農家の人が困ったらお前のせいだ」とか。
女子高生が口から出す言葉としては際どい、テレビだったら放送禁止のピーって修正が入るような言葉もてんこもりだった。
なんでこいつ普段口数少ないのに、他人をけなす言葉のボキャブラリーがこんなに豊富なの?
そしてやっぱり俺のこと実は嫌いなの?
と本気で考えてしまうほどだった。
俺が気の弱い人間なら自殺しているぜ、これ。
「うるせえよ、てめえなんか勝手に死ね!」
ゼーゼーと息も絶え絶えになりながら何十回目かのその言葉を吐き出した。
白い顔は真っ赤になっていて、その肌と赤い髪の毛にべっとり汗がへばりついている。
俺を睨むその瞳は元々変わった色だが、月の光りに照らされて邪悪な光りを放っているようだった。
顔が整っているだけにかなり怖い雰囲気を漂わせている。
弟ならそれを見ただけで泣きそうになるだろう。
恐怖で。
でも、先程とは違って間違いなく生気に溢れていた。
「ああ、お前に言われなくても死ぬときは勝手に死ぬさ」
言葉を切ると、笑って見せた。
俺たちはベッドの前で顔をつきあわせて罵り合っていたので、顔がすごく近いところにある。
自分の表情が深夜の目を通して映っていた。
「スッキリしたか?」
そう問いただすと力なくベッドに座りこんだ。
張っていた糸が切れたようだった。
荒い呼吸音がだけがしばらくつづき、少し落ち着く頃に避難していたマヤが飼い主の膝へと戻ってきた。ほとんど無意識で深夜は抱き上げ、その頭を撫でる。
「全く、マヤにも心配かけさせやがって」
文句を言うとゆっくりと首を上げ睨んでくる。
涙の跡こそ残っているものの、いつもの深夜がそこにいた。
「お前の言うとおり俺は死ぬときは自分の責任で死ぬ。だから、お前が無理して何かをする必要なんて無いってことだ」
静乃といい、こいつといい、どうして自分一人で抱え込むんだろうね? 残された人間がどんな気持ちになるか、もっと想像するべきだと思うぜ。
「ええ、と……」
なんだか恥ずかしそうにもじもじして、上目遣いで訊いてくる。
「いいの? あたし生きていて……」
「馬鹿か。死にたくないなら自己犠牲を発揮するんじゃねえ」
「ば、馬鹿とはなんだよ。あたしなりにいろいろ考えた結果なんだよ」
「それで考えた結果どうだった?」
深夜は考える込むように額に皺をぐっと寄せる。
だがそれも一瞬のことですぐに弛緩させると、
「わからねえや」
とはにかむような笑い顔を向けてきた。
ああ、そうさ。
解るわけねえんだよ、正しい答えなんて。
だったら自分と、自分を心配してくれる人間や猫の事を考えようぜ、全く。
「じゃあ言ってやる。生きろ。もう心配かけさせるんじゃあねえぞ」
深夜は「子供みたいに言うなよ」とぶつぶつ文句を言ってきたが聞かなかったことにする。
ま、ともあれ。
「帰るぞ」
「ああ……」
手を伸ばすと今度こそしっかりと俺の手を握り、立ち上がった。
その手は細くて小さい女の手だったが、しっかりと力が込められていた。
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