第16話 対峙


「八代、ちょうど良かった。終わったところ」

 ドアを開けると月雲が駆け寄ってきた。眷属の気配もなく、術が解かれたのか館の姿がさっきより鮮明になっている。

 俺の側に来ると、背後にいる深夜に気付きいつものように笑顔を向けてきた。

「黄泉坂さん、大丈夫。怖いこととかなかった? 怪我とかしていない」

 まっすぐな好意を向けられて、深夜は俺の背中に隠れた。

 悪いな月雲、こいつはこういう奴だよ。

 それでもにっこりと笑顔を向ける月雲に対してこいつなりに思うところはあったのだろう。

 背中から首をだす気配があり、それから背後の俺がようやく聞き取れる声で、

「……迷惑かけて、その、あ、あと。どうも……」

 とたどたどしく伝える。

 まったくもう。

「『いろいろ迷惑かけて申し訳ありません。それと助けに来てくれてありがとう』だとよ」

「ふふふ、どういたしまして」

 年上の月雲が余裕を見せる。

 ファーストコンタクトの印象の悪さと俺の怪我とかで一時敵意を持っていたようだが、本来月雲は面倒見が良くて人を気遣える優しい奴だ。

「とにかく帰ろう。四人でカラオケとファミレスに行くんだから」

「……カラオケ?」

「脱出したら説明する」

 いぶかしげに首をかしげる深夜に適当に答える。

 後は清十郎と合流して脱出するだけだが……。

「待て」

 先行して歩き出した月雲の背中に声をかけた。

「清十郎の声が聞こえない」

 言われてから気がついたのか、月雲がはっとした表情で振り返った。

「式神を全部倒したんじゃあ」

「だったらいいが逆の可能性もある。何かあったら月雲はシンヤと脱出してくれ。俺は清十郎を拾ってから後を追う」

 簡単に打ち合わせると、深夜の手を引き一階へと急ぐ。

 ドアは俺たちが入ったときと同様開け放たれていて、明かりが外から入ってきていた。

 違うのはそう。

 ドアの前に男女四人が倒れている。

 三人は知らない人間だが、もう一人は清十郎だってのが遠目でもわかる。

 駆け寄りたいが、それは退路を防ぐように立ちふさがった男を前に断念するしかなかった。

「小角……」

 左右には関西だか四国だかの伝統であるようなからくり人形が控えている。

 人の姿を模倣していない分戦闘に特化した式神。

 かつてはおれのじいさんが使っていた、最強の式神。

 牛頭と馬頭。

「さすがは若宮だな。七階位とはいえ実力は中級位の上位程度はあると思っていたが俺の見立てが甘かった。ここまでとは……。一人で来ていたらやられていたな」

 眼鏡の縁を上げながら俺たちをギロリと睨んでくる。

「遠間、自分のやった事がわかっているのか?」

「それはこっちの台詞だ。生贄だなんて時代錯誤もいいところだよ」

「それを決めるのはお前ではない。黄泉坂、戻るぞ」

 俺の背後にいる深夜に向かって手を伸ばす。

「い、嫌だ」

「大勢の人が死ぬぞ」

「それでも嫌だ!」

 はっきりと主張したか、偉いぞ。

 なら俺はお姫様の意見を通すまでだ。

「そういうわけだ。赤の他人の為に死ななければならない法も道理もないんだよ。だからどけや、小角」

「どくわけにはいかん」

 小角は主張すると指を動かす。

 二体の式神が主に仕える騎士のように小角の前で牽制をかけてくる。

「師より受け継いだ牛頭と馬頭。お前も知っているように純粋な力なら戦車とも渡りあえるように出来ている。熊程度なら簡単にたたきのめすぞ」

「おいおい、ひでえな。俺は熊扱いかよ」

「お前が熊ほどかわいい相手なら苦労はしないがな」

 小角はそう言いながら眼鏡に手をかける。

「鬼相手にこそ霊力で若宮に一歩譲るが、遠間。お前も本来ならもっと上位階位の実力だ。飛輪では高卒以上が中級位の認定条件だから下級位に甘んじているがな。こと対人相手だと上級位とも互角に渡り合えるだろう。天狗の技を得意とし、『鴉天狗』の異名を持つような猛獣相手に手加減が出来るわけ無い」

「やめろよ、そういう厨二みたいな異名」

 ちなみに中級位というのが正六階位以上だ。

 背後で深夜が「え?」と声をあげる。

「……八代って凄かったの?」

「見ていて気付かなかったのかよ」

「だって……いつもぼろぼろだし」

 そういう風に思われていたのね。悲しすぎて涙がでてくらあ。

「遠間。別に私はお前と戦おうとしているわけではない。話を聞けといっている」

「シンヤを殺す算段ならお断りだぜ」

「……確かに彼女は犠牲になってもらうしかない。だが考えてみろ。ワルプルギスの夜の被害はこの街にとどまるレベルではない。お前達はまだ小さかったから事態の深刻さを完全に理解していなかったかもしれないが、被害の中心では凄惨なことになる。前回来た所は街そのものが津波で沈んだ。何千人と死に、何万人も心に傷を負った。そういう人達をなくしたいと思わないのか」

「前回の被害は場所もわからず奇襲だったんだろ? 今回は来る場所もわかっているんだから前みたいにはさせねえことは出来るはずだ。俺たちが死ぬ気で戦えばその被害は少なく出来るはずだぜ」

「……飛輪の被害は前回の比ではなくなるぞ」

「だからどうした。馬鹿か? 船乗りが船沈むからって、一般人をおいて逃げるのかよ。警察が犯罪事件に巻き込まれて、死にたくないから一般人を盾にするのかよ? それは数じゃなくてそういう仕事を持っている人間の義務だ。だいていてめえも教師だろう。生徒を守る職業だろうが」

「……その通りだ。この街に来る以上は学校の生徒も被害にあるだろう。遠間、それに巫条。お前達のクラスメイトやその家族が犠牲になるかも知れない。その事を考えたりはしなかったのか?」

 そう来るか。

 俺は一般的な高校生ほど学校に強い執着を持っているわけじゃあない。

 だけどクラスにはそれなりに話す奴もいるし、気に入っている先生もいる。

 食堂のヒゲダルマが作ってくれる蕎麦だって珠に食べたくなる程度には好んでいる。

 月雲は学校でも仲のいい人間も多いことだし、今のはかなり揺さぶられるだろう。

「学校の生徒ね。シンヤも生徒の一人だぜ?」

「重々承知だ。大切な生徒を失う罪、俺は一生背負う覚悟がある。彼女が一人犠牲になってもらえれば他の生徒全てに危険な目に合わせることはなくなる。そう言って納得してもらった筈だが」

 深夜が服の裾を握ってくる力が強まる。

 なるほど、それで説得されたのかお前は。

 だけど今の決断を悔やむ必要はないんだぜ?

「正論だな。残る人間が自分に言い訳するには充分過ぎるほどのな」

「……遠間、お前の気持ちはわかる。鬼に狙われたうえに今度は生贄だ。お前は仕事に対する責任感も強いし、護衛についた黄泉坂に情が湧くのも仕方がない。だが、ワルプルギスの夜がやってきて被害が出たら後悔するのはお前だ。お前達だぞ、遠間、巫条。一時の感情に流されずに冷静に考えてみろ。黄泉坂もだ」

「よおく考えての今夜の行動だよ。動物だって自分の仲間を助けるために行動するだろうが。その他の事をいちいち考えるか? だいたい俺は八年前に後悔し尽くしたんだよ。同じ事を二度と起こさせるか」

「静乃のことか」

「そうだよ……ん?」

 こいつ静乃を名前で呼んだな。俺たちでも普段は名字呼びなのに。

 そういや今まで考えなかったがこいつ学校にいつからいるんだ?

 もし八年前もすでに教師だってんなら同じ学校の生徒だった静乃のことも直接知っていたことになるが……。

「おい、もしかして静乃に能力の事を教えたのはお前か?」

「……女王蜂の方はそうだ。彼女は俺の生徒だった」

 なるほど。学校と家しか行き来しない静乃が能力の事を知ったのはそれでか。

 それを聞きつけた飛輪の誰かが静乃をそそのかしたってことか。

「お前八年前はそれで納得したのかよ! 自分の教え子だったんだろ?」

「納得するわけないだろう。俺は納得しなかった!」

 今まで見たことがないぐらい感情のこもった声だ。

 そういやいつの間にか自分を俺っていってやがる。

「俺は彼女を犠牲にしたくなかった。お前の言うとおりだ。他の何万人が亡くなろうが知ったことではなかった。ただ彼女には、静乃には生きていて欲しかった」

 小角は俺たちを見回す。そして自嘲気味に笑うと、口を開いた。

「……俺は静乃を愛していた」

 マジでか?

 いや、そうだったかも知れない。静乃が鬼をおびき寄せるの女王蜂の能力を持っていたなら、護衛はおそらく小角だったのだろう。

 覚えていないがその時顔も見たかもしれない。

 彼女は誰にでも好かれるような人だった。

 当時は歳も近かった小角ならそんな感情をもっていてもおかしくない。

「俺は彼女にそんなことを辞めてくれるように頼んだ。頼み込んだ! だけど止められなかった。自分の命より世界が、自分を好きだと言った俺や、好きな子供達、つまりお前達が笑って暮らせる日々の方が大切だと!」

 それは慟哭だった。

 こいつがどれだけあの日に悲しんだのか、今なお後悔しているのがひしひしと伝わる。

 それは月雲もそうだろう。

 横目で見るとなんともいえない表情を浮かべていた。

「後悔したかだと! お前達に静乃の何がわかると言うんだ! 俺は何度も後悔した。だがそれで彼女が帰ってくる訳ではない。だったら彼女が死んだ意味をせめて守ろうと誓った! 彼女が愛した世界を守り切るのだと! それが彼女の望みだからだ! そのためには俺はなんだってやるとな!」

 どことなく無感情で冷静な奴だと思っていたが……ここまで強い感情を秘めていたとは。

 当時子供だった俺たちとは違い、小角はもう自分の力を持っている大人だった。

 淡いあこがれ程度の俺とは比べものにならないほどの後悔だったのだろう。

「……そうだな。あんたには静乃に関してそれを言う権利はある。俺等がどうこういえる立場じゃあ無い。それは認める」

 静乃を失った時の喪失感はあんたの方が遙かに重かっただろうさ。

 けどよ。

「だがシンヤに対してあんたには何の権利がある? どうして生贄になれと強要できる?」

「それはお前もだ。彼女が自ら生贄になると答えて、それを止める権利がお前にあるとでも」

「あるね」

「……なんだと?」

「俺はマヤの友達なんだぜ。そしてマヤが飼い主を助けて欲しいと頼んできた。だったら俺には助ける義務も権利もある」

「……馬鹿な事を」

「知らないのか? 猫ってしゃべるんだぜ」

 それに答えるように「なお」と返事した。

 さすがだね。飼い主より物わかりいいよ、お前は。

 ……保健所の件は本気じゃないからな? 本当だからな。

「……いいだろう、遠間。その猫がお前に頼んだとして静乃の願いをどうする気だ? 彼女はお前達が生きて無事に過ごしてくれることを願っていた。お前達だけじゃあない。俺や俺たち飛輪の関係者全員だ。それに日本の多くの人々全て。その頼みはどうするというのだ」

「知るか」

 即断するとこいつこんなに面白い顔が出来たのか、てぐらい呆気に取られた表情を浮かべた。

「静乃にはお世話になったし、尊敬していた。死んだときに何か出来なかったか俺も後悔している。だがよ。俺やあんた、多くの人間に後悔させて、悲しませて勝手に死んでいった人間の頼みなんか知った事かよ。そんなに頼みたければ生きて頼めば良かったんだ」

「そうだよ!」

 じっと俺たちのやりとりを聞いていた月雲が賛同する。

「わたし達だってお姉ちゃんが亡くなったときどれだけ泣いたか。どれだけ周囲の人が悲しんだか。それだけでもずるいのに生きている人の事を縛り続けるなんてあんまりだ。わたし達は生きている。だから生きている大切な人の事を一番に考えて生きていく。わたしは死ぬ前の最後の願いとか絶対言わない。生きて、悩んで、相談して、失敗して、立ち直って。そうやって生きていく」

「そういうこった。死んだ静乃と生きた友達たるマヤの願い。どっちが重たいかなんて比べるわけもないぜ。それに俺だってこいつを生贄にするのはごめんだ」

「……若い。若さという奴だ、お前達のな」

「それに俺はもう一つ気にくわないことがあるんだよ」

 小角は何も言わずに歯ぎしりするようににらみつけてくる。

「お前達はワルプルギスの夜にこだわっているが、別にそんなもの来なくても自然災害はある。それで死ぬ人間だっている。昔の人間は台風ですら人柱を立てたというが、そんな馬鹿な話、今だと信じられないだろ? それを二十一世紀の文明国の人間がやろうとしているんだぜ?」

「普通の自然災害とは違う。この災厄は生贄で止まる」

「それだ!」

 大げさに指を小角の野郎に突きつけた。

「ワルプルギスの夜は自然災害じゃあない。異界からの侵略だ。つまりは人が死ぬのも、天変地異が起こるのも鬼が原因だ。わかるか? 鬼のせいなんだよ。誰かに責を取らせるとしたら鬼を放置して滅ぼせなかった俺たち飛輪や前任達の咎だ。それを生贄を立てなければ多くの人間が死ぬ? 被害者を無理矢理犠牲者にして言い逃れしているだけじゃねえか」

「違う……」

「違うもんか。お前達のやっていることは何百人もの人を殺した殺人鬼が『気分がいいから誰か一人を殺したら見逃してやる』という強要を飲んでいるだけだ。それで選ばれた人間が断ったら『お前のせいで多くの人間が死んだ』だろ? 悪いのは殺人鬼なのに罪は被害者。それと何が違うっていうんだ」

「違う!」

「そうだよ。八年前も鬼って殺人鬼が周囲の人間を殺しまくった。次は自分かも知れねえ。それで鬼が静乃を指差した。『こいつを殺させてくれたら今回は殺すのを辞める』。それで静乃を差し出したんだ。ただそれだけだよ。それでまた気分が変わって殺しを続けようとするからその前に機嫌をとろうってわけだ。それをいつまで続けていく気だ? 多数の人間を救う為にと言い訳をしながらよ」

「黙れ!」

 小角の前にいた二体の式神が同時に動き出す。

 目標は俺。明確な敵意、いや殺意がひしひしと感じる。

 叫ぶ深夜を月雲の方に突き飛ばし、俺は迎え撃つ。

 かつてその名を轟かせた二体の式神が俺に向かってくるのと、体内のチャクラを開くのは同時だった。

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