第13話 雁谷静乃
数日間三人でいろいろ調べ回ったが、わかったことはそれほど多くなかった。
ヨーロッパの方で「衰えた悪魔に呪文を唱えることで、活性化させ従えさせた魔女がいた。それを王が軍を指揮して退治した」だとか「悪魔に狙われていると騎士に助けを求めた娘がいた。だが娘こそが悪魔の母だと騎士が見破り討った」なんて伝承を、月雲が親父さんから聞いたこと位だ。
魔女の件は偏見もあるのだろうが、その話が本当なら似たような能力者はいたことになる。
実際調べてみると伝承としては世界的にそれっぽい話はいろいろあった。
だが飛輪の記録には一切残っていない、と無数の資料を調べた清十郎が断言した。
「ただし」と気になったことも話してくれた。
「凶事……お前達で言うところの陰気を集めて意図的に門を開くという禁呪は中世時代にあったようだ。今回のこととは関係無いだろうが、どこか似ている気がしてな」
望むところに門を開けるか。
深夜の目の前で開いたことを指してそんな事をいったのだろう。
あいつ自身は術などとは無縁だが確かに言われてみたら近いな。深夜の能力と関係あるかまでは解らないが。
俺の方も昔じいさんに紹介してもらった陰陽博士を自認しているおっさんに聞いてみた。
いわゆる情報屋で金を払えば裏のことまで教えてくれる。で、何を言ったかというと、
「知らないな。もしかしたらいたかも知れないが、記録には残されていない」
と意味深なことだ。その件について飛輪本部に問い合わせも無駄だろうという忠告をくれた。
このおっさん飛輪に所属していないモグリのくせに、俺たちより裏の内情に詳しい。何者かは未だ解らないが情報は正確だ。
しかし飛輪が隠し立てする必要性というのがわからない。
「どうしたもんかな……」
座布団を枕にして横になる。
ここまで飛輪についてもやもやするのは、静乃が亡くなった時以来かねえ。
あのときは何もかもを疑い、飛輪本部から来た人間に片っ端から食ってかかっていた。
健在だったじいさんに折檻されたんだよな、確か。忘れていたぜ、そんなこと。
最近どうも静乃がいた頃の記憶がよぎる。
彼女が自ら生贄となった時と同じ状況が近づいてきたからだろう。そりゃ嫌でも思い出すだすわな……。
「静乃の時と同じ?」
自分の声にドキリとした。俺、今何を考えた?
状況は似ている。いや、似ているってワルプルギスの夜が来た事ぐらいだが……
あの頃は静乃が二度と帰ってこないということに対しての怒りと悲しみで一杯で、他の事を考えたりはしなかった。
だが一旦考えてしまうと、疑問が消えねえ。
悪魔のゲートを一斉に閉めることが出来る、『ナハトの乙女』と名付けられた生贄の資質。。
彼女はその能力をどこで知ったのか。
そして誰からそれを聞いたのか。
俺の覚えている限り静乃はあの頃学校から帰ってきたらずっと家にいたはずだ。
特に戦いが激化してからは俺たち子供の面倒を見ていたから外に出ることはなかった。
深夜が悪魔に一度襲われてから能力が判明したように、静乃も自分の力が何なのか知るきっかけがあったはずだ。
しかも生贄になるための能力なんぞ普通に考えて自分一人で気付くなんてまずあり得ない。
誰かから教えてもらったはずだ。
じいさんや親父。彼女も俺たちと同じ学校だったから飛輪の関係者と接触する機会は確かにある。
だが教えたのが飛輪の誰かだとしても、それはそれで疑問がある。
なんで静乃がそんな能力者なんてわかるんだ?
霊力があるかどうか位ならともかく、いくら飛輪の人間でもいきなり「君が生贄になることで悪魔の門を閉める能力をもっている」なんてわかるわけがねえ。
考えられるとしたら過去にもそんな能力者がいたことか。
でもそれが静乃にあるって知ったのはどうしてだ? 俺の知らないような入念な検査の結果とか?
あるいはその能力者に共通の別の力があったとか……。
「え?」
ちょっとした疑惑だった。
だが、まさか……。でもそれだと全てが繋がる。
しかし俺の仮説が正しかったとしても、それを調べる手段は残っていない……
「静乃……あんたは……」
「静乃さんがどうしたの?」
女の子の声にぎょっとして慌てて起き上がる。
伊緒里が眼の前に立っていた。
ま、居間だからいてもおかしくないが、部屋に入ってきて声をかけられるまで、俺が気付かなかったことに何より驚いちまった。
「静乃さんって昔うちにいたっていうあの静乃さんよね?」
「ああ、ちょっとな……」
伊緒里も静乃のことは知っている。
本人がどこまで覚えているかわからないが、小さな頃面倒を見てもらっていたし、彼女と一緒に映っている写真だって残っている。
「彼女がいた頃にあった大きな事件がもうじき来るんだ」
妹弟二人には詳しいことは話していないが、うちの子だ。父親と兄が何か大きな事に巻き込まれているのは肌で感じているだろう。
こういうとき、親や兄なんてのは子供や下の妹弟に心配をかけまいと黙っていたりするが、そういうのは子供ながらの感受性で結構気付いていたりする。
そして自分になぜ話さないのか不安に思ったりするもんだ。
何せ俺がそうだったからよ。
「それでその頃のこと思い出してさ。お兄ちゃんいろいろ考えていたんだよ。伊緒里も協力してくれないか?」
「どんなこと? わたしでわかるかな?」
案の定、真面目な顔でこっちを見つめ返してくる。話すだけでも頼られている、仲間はずれにされていないという安心感ができる。
少しでも不安が解消できるなら、こいつに質問する意味はあるだろう。
「さっき名前をだした静乃だけどな」
「うん」
「あの人って亡くなったじいさんの知り合いで、その頃なんかの能力があったみたいなんだ。もしかしたら今回の事件に関係するかもしれない。それを一緒に考えてくれないか」
伊緒里はこっちを見つめていた瞳をふと天井に向ける。
左上で結んだ髪の毛が大きくゆれるのが真っ先に眼に入り、俺を見る大きな瞳が続いた。
「元気にする力だって」
「え?」
「怖い人を元気にする力があるって。でもそれが役に立てるって静乃さんが言っていた」
言っていたって……直接聞いたのか。まさか……。
「お前……そんなちっちゃな頃のこと覚えているのか?」
「誰が言ったかまでは覚えていなかったけど、でも昔誰かに膝の上にのせられてそんな風に話しかけられた事があるの。パンダか何かのぬいぐるみを抱いていたと思う」
思い出した。
確か静乃はものすごく不細工なパンダのようなキャラクターを気に入っていた。
そのぬいぐるみは静乃がいなくなった後、八つ当たりで俺がだいなしにしたのだ。
それがまだあったころの記憶なら、おそらく伊緒里は正しい。
「伊緒里、お前すごい奴だよ!」
思わず抱きしめて頭をなでる。
静乃は何も言わずに自分一人で抱え込んでいた。
だがやっぱり彼女も人だ。なんのきっかけがあったか知らないが伊緒里に自分の事を話したのだ。
「お兄ちゃん……苦しいよ」
「ああ、悪い」
腕の中で暴れる伊緒里を慌てて解放する。
文句を言おうとしたようだが、バカみたいに喜んでいる俺の顔をみて何も言わずに苦笑いを浮かべただけだった。
確信できた。静乃がどうして生贄に選ばれたのか。
そして深夜の能力を、飛輪がひた隠しにしている理由にも。
だけ俺の考えが正しいってことは、俺は選ばないといけない選択肢が出来たって事になる。 俺なんかの手には余る、とても大きな事を。
4
「生贄、だと」
眠気眼をこすりながら学校に着いた俺は、早朝から二人を呼び出した。
予想したとおり、二人は眼を見開いてこわばった表情を俺に向ける。
「ああ、間違いない。あいつは次のナハトの乙女だ。飛輪は最初からシンヤを生贄にしてワルプルギスの夜を終わらせるつもりだったんだ」
そう考える根拠を二人に告げる。
静乃も深夜と同じ能力者だったこと。
飛輪本部がとことん情報を隠していること。
ワルプルギスの夜が来るのがわかった時点で、深夜を連れて行ったこと。……いや、むしろワルプルギスの夜が近いからこそあいつの能力を確定させたかったのかもしれねえ。
「そんな、ひどい……」
月雲が憤りを隠そうともせずに声を荒げた。
「人の命をなんだと思っているの!」
「静乃さんが女王蜂の能力者だったとはな……確かにあの人はお前の家から出ることが少なかった。当時は気にしなかったが、霊的結界の強い場所から出ることを避けていたのか……」
静乃が生贄になったとき、それで悪魔の侵攻はぴたりと止んだ。
大規模なゲートが開くのと同時に深夜を生贄として差し出すつもりだろう。
小角が言った。「今回は前のように被害を出さない」と。
間違いなく事実だろう。なにせ今回は最初から生贄を差し出して抑えるつもりなのだから。
戦力を必要としているのは何らかの儀式が終えるまでの間、持ちこたえること。
それから失敗した時の保険といったところだろうか。
「かつては静乃が犠牲になった。だから俺たちが助かったのかもしれない。だけど静乃が死んだときに誓った。こんな犠牲は二度とださないって」
「当然だよ!」
「だがわかっているのか、八代」
興奮する月雲とは違い、清十郎は冷静な声で俺を冷ややかに見る。
「お前の推論が正しいとなれば、多数の同胞、それに多くの無関係な人々の命を救う為の、飛輪とて苦渋の選択の筈だ。その選択を台無しにするつもりか」
もちろん考えたさ。
この結論にたどり着いたとき愕然となった。そして考えなければならなかった。
ワルプルギスの夜は相当な被害が出る。
規模は毎回違うがそれは間違いない。
俺たちが全力で悪魔退治にいそしんでも、魔界から溢れた悪魔による災害は必ず起こる。一般の人達にも多数の犠牲者が出るはずだ。
だったら深夜一人を犠牲にすれば、少なくとも一般人の犠牲者は彼女だけですむ。
だが深夜は確実に死ぬ。
黙って深夜を見殺しにするなんて俺には出来そうになかった。
しかし深夜を犠牲にしないと確実に死ぬ人が大勢いる。大事な人に先立たれて悲しむ者はもっとだ。
一晩中考え続けた。
考えてはぐるぐると、頭の中で答えの出ない思考が回転していた。
なるほど飛輪が俺たちに対して極秘にしているのは、そういうことなんだなと多少の後悔もあった。
何時間も悩み続け、気がついたら空が明るんでいた。
雀がさえずる声を聞いたとき、ふと気が楽になった。
「みんな責任感を持ちすぎだ」
子供の頃、もし俺に力があってその決断を迫られたら、それでも間違いなく静乃を助ける方を選んでいた。
なぜって数多の知らない人より、彼女の方が大事だったから。
もし俺が今責任を発揮しなければならない者がいるとすれば、大多数の哀れな被害者より、妹弟たちと深夜に違いないってね。
「俺はシンヤに説明した。鬼や悪魔を退治するのは仕事だってな。その延長にたまたま平和が付いてきただけの話だ。未成年の間に、仕事に他の事を犠牲にしたくはないね」
「それがお前の出した結論なんだな」
「もちろん正しいのは飛輪の方かもしれねえ。いや、実際そうだろうな。それでも俺は深夜を助けに行く」
はっきりと俺の意思を二人に伝える。
「もちろん俺一人だと勝算は少ない。本当なら協力者が欲しい」
相手は飛輪だ。もし事情を知れば全員が敵に回る可能性だって充分ある。
「お前等についてきてくれとはいえない。だけど俺を友達と思うならせめて報告するのを少し待ってくれないか。俺の力が及ばないのなら、まだ納得は……できないかもしれないけど誰も恨まなくて済む」
「何を言っているの!」
月雲は黒くて大きな瞳でまっすぐに俺を見上げてくる。
「あたしだって一人を生贄して助かろうなんて納得できないよ。わたしも八代に協力する」
「……いいのか? 月雲」
「当たり前でしょ! わたしは自分たちが助かるために女の子を犠牲にしたりするのは嫌いだし、今ここで八代を放っておくのも嫌なの」
「すまない……いや、ありがとう」
笑顔を向けると、「どういたして」と百点満点の笑顔を返してくれた。
ああ、本当に、お前はいい奴だよ。感謝してもしきれねえ。
「理屈を優先するならお前らの行動を止めるべきなんだろうがな」
「清十郎……」
「だが理屈だけで生きていけるなら苦労はしない。それに感情が何より優先することもわかるつもりだ」
清十郎はふと笑った。自嘲じみたものではなく、晴れ晴れとした表情で。
「俺も協力しよう」
「……いいのか、おまえまで」
「理屈では小角先生の、飛輪の方が正しいだろう。感情的に考えるなら女の子一人を生贄にするのは俺だって嫌だ。だったら俺は友の選んだ答えにつきあおう」
無造作に伸ばしてきた右手を、俺は強く握りかえした。
「子供の頃からずっと一緒だったが、かくて飛輪全てを敵に回すときまで一緒とはな」
「これも腐れ縁だ。それに相生相克はお前達陰陽師の考え方だろう。もっとも飛輪を、もしかすれば世界中を敵に回すことになるとまでは思わなかったがな」
確かにな。だが驚くほど俺は悲嘆がなかった。
仮に世界中が味方であっても、二人が敵だったら俺はここまで前向きには思えなかっただろう。
それほどに、心強かった。
「でもさ」
ちょとからかうような声で月雲が清十郎を見上げる。
「清十郎が感情と理屈を同じぐらいのウエイトに置くのって珍しいよね」
「それだけ、かつての静乃さんの死が俺には重たかったということさ」
「静乃おねえちゃんには一杯お世話になったものね」
「……まあそれだけではないがな」
清十郎にしては珍しく言葉を濁す。どこか普段と違う様子には月雲だけでなく、俺も何事かと顔を覗き込む。
「……笑わないで聞いてくれるか?」
「今更俺たちがお前の何を笑うんだ」
「実は……俺の初恋の相手は静乃さんなんだよ」
このとき俺はおそらくかなり呆けた顔をしていた。
なぜなら思わず顔を見合わせた月雲が、口を半開きにした呆けた顔をしていたからだ。おそらく俺も同じ顔をしているに違いない。
「もし当時の俺に今ぐらいの力があれば、全人類を犠牲にしてでも彼女を選んだろう。だから同じ状況の今回はその頃の感情がどうしても高まってな。いや、だからといってあの子に気があるという訳でもないのだが……」
普段冷静な清十郎が顔を赤くして、明らかに狼狽している。
俺たちは珍しい物を見たことでしばし固まっていたが、やがて二人同時に吹き出してしまった。
「笑わないと約束しただろう!」
「いや、すまん。あまりもお前の顔が面白くて……」
「うわあ……今の写メで取っといたら良かった」
腹を抱えて笑い転げる俺たちを、清十郎は憮然とした表情で睨んでくる。
わりい清十郎。でもやっぱりお前は無二の親友だよ。
チャイムの音でようやく解放された俺は、同じく涙目の月雲と一緒に立ち上がる。
そして三人で顔を見合わせた。
右腕を上げると、清十郎も同じようにあげ、互いの腕をぶつけ合う。
月雲が笑顔を向けながら両手を上げ、俺たちは同時に月雲の掌の自分のそれをぶつけた。
もう俺たちにそれ以上の言葉は必要ない。
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