第10話 日常の終焉
「また鬼……」
「安心しろ。たいした奴じゃ無い」
そいつらを見て思わずほっとしたものだ。
陰腐(いんぷ)とか呼ばれている下級の鬼だ。
体長は十センチほど。胎児のような姿にネズミのようなしっぽをはやしている。知能も何もない、魔界の小動物だ。それが四十から五十匹辺りか。
数が多少多いが、ここ最近祓ってきた奴に比べると雑魚もいいところだ。
「脅かしやがって。こいつらなら霊符が無くても楽勝だ」
「本当に大丈夫なの? 八代もう怪我したりしない?」
やれやれだ。護衛対象に心配されるとはね。
「大丈夫だよ。さっさと終わらせて夕食にしよう。楽しみにしているんだぜ」
買い物袋だけ手渡すと、背中にかばって印を結ぶ。式盤で気配を探ったがやはりこいつらだけのようだ。
ゲートがまた目の前に開いたってのが気がかりだが、今気にしても仕方が無い。こいつらは小動物が紛れ込んできたようなもんだし、さっさと終わらさせてもらうぜ
不快な声をあげる陰腐どもが一斉に飛びかかってくる。
その前に俺は九字の印(ドーマン)を結ぶ。五芒の星が陽気を高めるなら、これは陰気を弱めたりする術の基本だ。鬼からマヤを助け出したときにも用いたが、低級な鬼を封じたりもできる。
たちまち格子の術が、陰腐どもの突進を空中で阻み、押さえつける。
「折角出てきたところ悪いが、決めるぜ」
すぐさま指で祓いである五芒星(セーマン)をキリながら術を唱える。
土の槍が五芒星から飛び出し、封じた鬼どもに突き刺さった。
よし、制圧完了だ。
「終わった。帰るぜ」
「まだだよ、まだ!」
「え?」
深夜の方に向けた身体を彼女の声でもう一度振り返る。大多数が術を食らったにも関わらず、立ち上がってきていたのだ。
そんな馬鹿な。あれで祓えないような強い鬼じゃあ無いだろ!
「仕留め損なったのか?」
やはりまだ身体が本調子じゃないからか? だが一体や二体ならともかくこれだけを倒しきれないなんて……。
「八代、危ない!」
突然左肩に激痛が走った。慌ててそこを見ると陰腐が一匹、俺の肩に牙を向けて噛みついてやがる。いつの間に!
「このやろう!」
霊符を貼り付けてすぐ術を唱える。四散して消滅するのが見えた。まさか陰腐一匹ごときに霊符を一枚使うとは。
新しい霊符を用意しようとして痛さに顔をしかめてしまう。思ったより傷が深い。左肩から血が溢れでて、服を赤く染めていく。
勉強したこいつらの生体を必死で思い出す。毒とかは無かったか?
いや、後の事よりこの傷で印が結べるか……。
「八代……血……」
「大丈夫だ、落ちつけ」
背後で深夜が狼狽したような声をあげている。
「早く、早く止血しないと……」
「だから大丈夫だから。また眼を瞑ってかがんでいろ」
こいつ半分パニクってやがる。
「このままだと八代死んじゃう!」
深夜が叫んだのと同時だった。
「な、なんだ?」
陰腐たちの姿が変わっていく。
小さな身体にコウモリのような羽が生え、爪や牙が鋭くとがっていく。体長もそれに合わせて少し大きくなったようだ。見るからに強くなっている。
陰腐にこんな能力があったか?
だがそんなことを考えている余裕なんてほとんど無い。
奴らは出来たばかりの翼をはためかせ、俺の方に向かってくる。後ろに深夜がいるので神行業の術で避ける訳にもいかない。
なんとか霊符を取り出すと、発動の術を唱えながら投げた。
周囲に結界が張られる。
だが霊符はあっという間に黒くなり、術が解けた。
牙をむき出しにして鬼達が迫ってくる。
「深夜、お前だけでも逃げろ!」
左肩が痛むのを堪えて印を結ぶと結界の術を張る。
こいつは結構足が速いのだ。陸上部にでも入ればいいととこにいけるだろう。
「逃げろって八代を一人には……」
「それが俺の仕事だ。こいつ等は奈落に人を留めておく力が無い。早く!」
俺一人なら何とかなる。数が厄介だが、一体ずつ確実に倒して行けば時間はかかるが倒せる。
だが深夜を守りながらでは無理だ。それにこいつらは深夜を狙っている。
「そんな八代を放って出来ないよ! 怪我までしているのに!」
「ち!」
押し問答をしている余裕が無くなった。
陰腐たちが映えたばかりの羽を広げ、こちらに向かってきたからだ。
左肩の痛みを抑えて印を組み、結界の術を唱える。
奴らは大きくなった爪を結界に向かって何度もふるって来る。さすがに結界を破るほどの力は無いようだが、一瞬でも緩めたらあっという間に群がってくるだろう。
このままだと数に圧される。くそ、どうしたら……
「八代……」
深夜が背中の服をぎゅっと握る気配があった。
この状態でこいつだけを逃がすことが出来るか? 今だと俺から離れた瞬間深夜を狙う。結界符を持たせてももたないだろう。ならいっそ神行業の術で二人とも飛び上がるか?
深夜への身体の負担は大きくなるが、このままよりは断然いい筈だ!
術を唱えながら頭をフル回転させる。
そこに何者かが飛び込んできた。
「え? なんで人が!」
深夜の疑問通り、そいつらは黒いスーツを着た人間の男性、に見えた。
突然現れた獲物に悪魔たちが俺からそいつ等に矛先を変える。男達は首や足を噛まれ、次々倒れていった。「ひ」と深夜が悲鳴を上げかけるのを振り返って口を押さえる。
「大丈夫だ、落ち着け」
陰腐が離れた隙に霊符に術を込め、それを奴らに投げつけた。
爆発がおこり、男達を巻き込みながら吹き飛ばした。
「あいつらは式神だ。もう大丈夫だぞ、深夜」
それに応えるように、二人の男が俺たちの前に現れる。
「いいところだったな」
「お前、タイミング狙っているだろ?」
「さあな」
「話は後だ、若宮」
霊符をもった小角が現れる。
「まずはこいつ等を祓うぞ」
清十郎は錫杖を構えたまま返事する。
二人は陰腐の群れの中心に向かって歩いて行く。
そして小角の背後から二つの人影。
他の式神と違い、日本のカラクリ人形を思わせる姿はどうみても人間にはみえない。
だからこそその二体の式神は強力な力を持っていた。
飛輪きっての式神使いである小角が、その師匠より受け継いだ最強の式神、牛頭と馬頭。
戦車すら単独で破壊するという二体の式神が迫り来る陰腐達から、主を守る為に立ちはだかった。
後は一方的だった。
二体の式神に蹂躙された陰腐達を、清十郎が術で確実にトドメをさしていく。
俺は霊符で結界を張り、印をさらに結んで深夜を守ることに徹するだけだった。
数分で陰腐は完全に消滅し、周囲は元の景色へと戻っていった。
「終わったのか……」
結界を解くと、今更ながら左肩に激痛が走った。思わずうめいて膝をついてしまう。
「八代!」
女の子の声。地面を蹴る足音が続き直後に誰かが、首元に抱きついてきた。長い黒髪が俺の顔をなでる。
「月雲か……来てくれてありがとう、助かった」
「すごい怪我じゃ無い! すぐに治療の祈祷をするから!」
「大丈夫だ……」
「大丈夫じゃ無いでしょ!」
「わかったから……耳元で怒鳴らないでくれ。傷に響く」
女の声ってのはどうしてこうもキーンと来るのかねえ?
「どちらにしろ路上でやるべき事では無いな」
やせぎすの身体にスーツを纏った男が、こちらに声を投げかける。
「小角せんせーが来てくれるとは思わなかったぜ」
「いろいろと話すことがあったついでだ。黄泉坂のことも含めてな」
「え?」
「いろいろ聞きたそうだな。もちろんだが落ち着いた所に行く必要がある。……そうだな、遠間の家にお邪魔するが構わないな」
「親父達はいないが大丈夫だが」
隣で月雲が、錫杖を一般の人に見えないように術をかけていた清十郎が遅れて頷く。
「君も構わないな、黄泉坂?」
「え? ……はい」
深夜はというと、俺のすぐ後ろで立ちすくんでいた。上の空って感じで返事する。
やれやれ。鬼が怖かったのか、それとも人が突然増えたから緊張したか知らないが。
「怪我は無かったかシンヤ」
「……あたしは、無いよ。八代こそ大丈夫なのか?」
「重傷ではない、だろう。多分な」
「なんだよ、情けないな」
近づいて話しかけると、ぎこちなくもいつもの通りの口調で笑顔をむけてくれた。
「違いないな。格好悪くてすまないな」
笑みを返すとシンヤはうつむいてなにやら喋る。「……なのに、……って」とわずかに聞き取れるが意味まではわからない。まあとにかく帰ろうぜ、お姫さん。
「まずは黄泉坂の能力についてから説明しよう」
俺んちの客間。
客間というのは人が止まるときに使っているのでそう呼んでいるだけで、実際は二十何畳かある家族が使わない部屋だ。
そこに俺たち、俺、小角、清十郎、月雲、深夜の五人が座っている
足下には伊緒里がさっき入れていったお茶が人数分あった。この人数だと狭い方でも大丈夫だが、そっちは深夜が使っている。
悪魔に壊されなかったかって? それはあの日俺が気を失っている間に親父が式神で綺麗に直してある。
「その前にもう一度尋ねるが遠間、今の陰腐が黄泉坂の声に反応したというのは間違いないな」
「多分な。確証はないんだが」
「おそらく間違いないだろう。報告でも最初の悪魔は黄泉坂が悲鳴を上げてから牙のようなもので攻撃を仕掛けてきたとある。それにバアルもな」
黒い傷がはがれて肉体が現れたことを言っているのか? それが深夜の悲鳴と関係していたか……実はよく覚えていない。
「結論から言おう。黄泉坂は悪魔をおびき寄せ、力を促進させる能力を持っている」
その場の小角以外の視線が深夜に集まる。
全員に注目されたためか、深夜は正座して膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「黄泉坂の身体からは鬼からすれば栄養満点のミルクが溢れているということだ。奴らにとってごちそうであり、陰腐のような低級悪魔なら進化を促すほどのな」
「そんな能力があるのですか?」
「それも感情が溢れたときに強く漏れ出るようだな。遠間の話から結論づけた」
「うーむ」と清十郎がうなった。
「我々は『女王蜂』と呼んでいる。高純度の蜜を身体から発し、その恩恵にあやかろうと鬼どもが群がる。本能的にな」
鬼を蜜蜂とかけているってわけかい。
「ということはこいつの力はもう目覚めていたのか?」
「そうだ。ダイダラボッチが精兵部隊が張った強力な術結界を破り、しかも霊的結界をものともせずに侵入して奪おうとしたのだ。もうその時点で、……いやその前にマンションで悪魔に襲われた時点で目覚めていたのだろう」
「おかしくないか? 俺が護衛に付いていたけどそんなきっかけなんかなかったぞ。なあ、シンヤ」
「え、……はい。そう……です」
清十郎に続くと、うつむいたまま深夜が頷いた。
「黄泉坂さん。あなたの事なんだから、ちゃんと聞かないと。意見もあるなら言って」
月雲が注意を促すが、深夜は押し黙ったままだ。こいつは人目があるとこんなか、反発するかのどっちかなんだが。
「もしかしたら遠間が護衛になったことで目覚めたのかもな。元よりこういった能力はあやふやなものだ」
深夜のことを是正する間もなく、小角が続ける。
「能力が発現しないようになるべく日常生活を妨げないようにしていたが、こうなった以上、今のままにしておく訳にはいかない。今後は『飛輪』のきちんとした施設に隔離し、彼女には充分な警備態勢を取らしてもらう」
ちょっと待て。
「隔離! 学校も休ませるんですか?」
真っ先に反応したのは月雲だ。
「そんなのあんまりじゃあないですか!? 八代の負担が大きすぎるなら夜ここに何人か泊まり込むとか、いろいろあるじゃ無いですか! 今更知った人間以外は嫌だって黄泉坂さんも言いませんよ!」
月雲が声を荒げる。深夜に対して好意的とはいえない感情を抱いているようだが、だからと言ってその人が不幸な目に合うことを許せないのはこの幼なじみの最大の美点だろう。
「それが悪いとはいえん」
そっと口を挟んだのは清十郎だ。
「ここが霊的に強い所とはいえ、専門的な場所では無い。ただでさえ八代の状態が悪いのだ。しかも悪魔の力を強めてしまうのでは護衛側の負担がはかりしれん」
「清十郎は賛成だっていうの! 知り合いも誰もいない所で一人閉じこもっているのってすごく辛いのよ?」
「月雲の意見はただの感情論だ。このままだと彼女を守り切れない」
「おい、清十郎。俺じゃあ不足だと?」
「普段なら言わんが今のお前を見るとな。ただの陰腐がああまでなり、しかも果てとなく攻めてくるのだ。それからお前は絶対守り切れるとでも?」
ぐうのでもでない。確かに現状霊符を使いつぶし、三角巾でつった左肩からして万全では無い。
深夜の方を見ると不安なのか顔を下に落としたままだった。畜生、情けねえ……
「決まりでいいな」
「……シンヤの意思は?」
「悪いが彼女の意見を尊重できる状況では無い。だが君も悪魔を見たからそれがどんなものかわかるだろう? 担任では無いが教師として自主的に動いてもらえると助かるのだが」
「あ、あたしは……」
指名された深夜は青ざめた表情で何かを言おうと口を開け閉めしている。何を言おうとしているのか自分でもわからないのかもしれねえ。
「小角、もうじき親父が帰ってくる。俺が不足だって言うのなら親父ならどうだ? 飛輪にこれ以上の人材はいないだろう」
普段母さんにでれでれなダメ中年だが、陰陽師としての腕前は間違いない。
飛輪全体でもあいつほどの鬼祓師はそうはいねえ。
だが小角は首を大きく横に振った。
「隔離は飛輪の決定事項だ。それに君の父上はもっと大きな任務が上から申しつけられることになる」
「……だったらせめて避難先に知った人間を護衛に置かせろよ」
「無理だ」
せめてそこで俺が護衛をする、と言おうとしたが真っ向から否定される。
立ち上がって言い返そうとしたが、小角の次の言葉に俺は、俺たち全員は二の句が継げなかった。
「なにせワルプルギスの夜が近いからな」
小角はただそれだけを淡々と告げた。
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