第9話 平穏
「……これで良し、と」
書いたばかりの霊符をもう一度確認する。うん、我ながらいい出来映えだ。
先日の戦いで霊符を使いつぶしてしまったので俺の霊符はほぼ空っぽになっている。親父の予備をいくつかもらっているが、やはり自分が書いた霊符でないとしっくりこない。
霊符は先に込める呪文を和紙に書き込み、あとでその術を込める。
術を込める作業を行う日には吉日が決められているので、今日の所はここまでだ。
「ふう……」
脱力すると全身で汗をかいているのがわかった。霊符を書くのはかなりの集中力を要するのだ。
こういった毎日の地道な作業があってこそいざって時に鬼や悪魔と戦える。
着物から部屋着に着替え、シャワーを浴びて出てくるといい匂いがしてきた。
母さんが親父と一緒に出かけて今日は帰ってこないから、晩は出前でも取るかという話になっていた筈だが。はて? ひょっとして伊緒里が何か作っているのか?
「伊緒里、お兄ちゃん手伝うことあるか?」
家事は得意ではないが一応長男だ。台所に足を伸ばし、声をかける。
そこで思わず固まった。
そこにいたのは深夜だった。
夜に襲われたし一人にするのは危険、てなことであれからずっとうちにいるのだからいるのはおかしくはない。
今日も一緒に帰ってきたし。だが……
深夜は制服の上からエプロンを着け、野菜を切っては鍋に入れ込んだりとかしていた。その動作は自然ですごく手慣れていることはさほど料理に詳しくない俺が見ていもわかる。
隣では伊緒里が指示を受けるままに塩を入れたりとか調理器具を出したりとかして手伝っていた。
小動物のように軽快に動く妹と目が合う。
「あ、お兄ちゃん、夜はシンヤさんが作ってくれるからもう少し待ってて」
「あ、ああ……」
上の空で返事する。眼は深夜から離せずにいた。
制服の上にエプロン姿で料理をする女の子というのはなんというか……結構な破壊力があった。
「どうしたのさ」
「いや……別に……」
しまった。さすがについ見とれてしまいましたとは言えない。
内心の動揺を悟られまいと必死で言い訳を考える。
「ああ、少し待っていろ。じきに出来るからよ」
「そ、そうか。期待しているぞ」
「何が期待だよ。偉そうに」
「けっ」と悪態を吐く。……うん、こうすると普段のお前なんだが。
邪魔をすると悪いので退散しようとしたら「シンヤさん」と伊緒里が呼びかける。
「やっぱり片栗粉ないよ。もしかしたらお母さんにしかわからないところにあるかも」
「ああ無かったか。その方がとろみがついて美味しいんだけど……」
「だったら俺が買ってくるよ」
家からさほど離れていない所に小さなスーパーがある。夏なんかはアイスを買うのに重宝していた。
「いいのか? どこかにあるかもしれないぞ」
「日持ちしないものじゃないからあっても困らないだろう? 他に何か欲しいのがあれば買ってくるけど?」
「何かあったっけ?」
「胡椒が少ないな。後は豆板もあれば。せっかく買いに行くなら挽肉ももうちょっとあった方が……」
二人でそう言い合う。
いや、お菓子とかジュースとかそういうもののつもりで聞いたんだけど……。
「何かと言われると説明が難しい。あたしも一緒に行くよ」
「……その方がいいな。今は家に陰陽師は俺だけだ」
「お、仕事を忘れていないんだな。偉いぞ八代」
「なんだよ、偉そうに」
ぶつくさ言い合いながらもエプロンを伊緒里に預け、出ようとする俺についてきた。
「おにいちゃん、でかけるの?」
「スーパーにちょっとな」
「何かお菓子買ってきて」
「おうよ」
千春の声を背中に聞きながら、家をでる。だいぶいい時間で夕焼けが空を染めていた。
「行こうぜ」
犬歯を見せながら、当たり前のように制服姿の深夜が横に並んだ。
「結構買ったな、八代」
「何でだろう? 見るとつい買ってしまうんだよな」
シュークリームが安かったので人数分。俺たち兄弟と両親、それに深夜だ。生モノだし食後のデザートにするか。
「それに千春だけにお菓子を買うわけにはいかないだろう」
袋の中には二人の好きなお菓子をそれぞれ入れてある。
「なんだかんだで八代ってお兄ちゃんだよなあ」
「歳が離れているからな。それに、伊緒里は今日家事を手伝ってくれているんだ。何もねぎらわないわけにはいかないだろう?」
「そりゃそうだ」
歯を見せながら楽しそうに笑う。前ほど不機嫌そうな顔を見せなくなったな、こいつ。
そんな風に思っていたら顔を上げてきた。眼が合う。
「……あー悪かったな。ご飯まで作ってもらって」
「世話になっているのはこっちだし。それにマヤのご飯も買ってもらったから」
別に夕日に照らされたこいつの顔が妙に綺麗だ、なんて思ったわけじゃないよ、うん。
「でも伊緒里っていい子だな。ご飯作ろうかと聞いたらすぐに手伝ってくれた。来た日も布団とか準備してくれたし。普段から手伝ってんの?」
「……まあな」
「あの子も陰陽師になるのか?」
「伊緒里には資質がないから無理だ」
「え、そういうのあるの? 親子だからレイノウリョクとか受け継いでいるのかと」
「ああ。伊緒里は一人母さんの方を受け継いだみたいでな。千春の方は資質があるんだけど」
「じゃあやっぱりあの子も修行とかしているの?」
「いや、まだだ。修行するなら飛輪がやっている学校で学ぶ必要がある。早ければ中学生ぐらいからかな?」
「あれ? 八代は子供の頃からって」
「俺は亡くなった爺さんが師匠だったんだ。親父が人に教えるの向いていないって言っているから、勉強するなら教えて貰えるところで基礎を学ぶ必要がある。それに何も家が陰陽師だからって必ずなる必要があるわけじゃあないさ。今のうちからすぐに将来を考える必要はないさ」
「八代お父さんみたいだな」
「大切な弟だぜ」
くそ生意気な所も多いけどな。
深夜はそれを聞くと視線を外し、声を立てないで笑った。何か変なこと言ったかよ?
再びこちらを向いた深夜は、ニヤニヤと何かを言いたそうな表情を作り、ふと口角が下がって真面目な顔になる。
「じゃあ伊緒里って少しかわいそうだな。兄弟で一人だけ選択肢が奪われているんだから」
「まあ、俺たちの話が蚊帳の外になることはある。……だから普段から親を見て、母さんのまねをしようとしているのかな」
「親……八代の両親を見て……」
突然あたふたと手をばたつかせた。
それから眼をそらしてそっぽを向く。心なしか顔が赤くなっているように見えた。
原因は……まあ考えるまでもないわな。
「何か悪いな……うちの親、その、年甲斐もなく、な」
「あー、い、いいんじゃないか? 両親が仲いいっていいことだぜ」
長い仕事が終わって親父が帰ってきたんだが……うちの両親は本当に仲がいい。しかもバカップルってぐらい。
飯を母さんが「あい、あーん」って親父に食べさせるのとか、休みの日に母さんの膝枕で親父が寝ているとか、二人が互いを褒め合っているのとかいつものことだ。
俺たち子供の前で。
まあ他の両親がどうとか知らないから、俺も小学四年ぐらいまでそれが世間の親の当たり前だと思っていたんだけどよ。
今朝だって、親父が今までの報告で飛輪の本部に帰るのに母さんもついて出たんだが……二人で手を繋いで出かけていた。しかも玄関を出たところで、いわゆる口と口のあれ、をやっていたのが目に入ってしまった。
まったく勘弁してくれよな中年ども……
「いやうん。そうか……。ほらおじさんずっと忙しかったようだし」
深夜は乾いた笑い声を上げる。なぜか目が虚ろで、自我呆然、いや何かを忘れようとしているような不思議な表情。
――まさか……。
「……ちなみに、お前まさかとは思うけど夜トイレ行くときとか道、間違えなかったよな」
俺んちは広くて似たような作りの部屋が多いから、夜とかわかりにくかったりする。客間からトイレに行く廊下を一歩間違うと親父達の部屋の方にいくのだが。
深夜は油の切れたブリキ人形のように不自然に首をこちらに向ける。目が、なんというか虚ろをこえておかしい。
「ううんしらないよしるはずがない。あたしはトイレによるいっていないしそもそもトイレにいくみちをまちがえたりなんかしていない。だからおじさんたちのへやにまちがうなんてあるはずがないしこえもおともなにもきいていないきこえるはずがない」
一気にまくしたてる。……そうか、行っちまったか。客がいるんだから自重しろよな……
「そうか、うん。きっとそうだ。もしなにかあってもそれは夢だから忘れていいぜ」
「そうするよ、いやあたしはそもそも何もしらないんだけど」
ぶんぶんと深夜は首を振った。
いや俺だって高校生なんだからどうやったら子供が出来るぐらいか知っているよ? でも……いや、いい。この話に触れるのはもう。
「ああ、そうだ。深夜はご両親はオーストラリアに住んでいるんだっけ?」
話を強引に変えると、わざとらしく咳払いをしてから「ああ」と返事する。
「本当はお父さんが単身赴任でって話だったんだけど寂しいからって母さんが付いていったんだ。あたしも一緒にって誘われたけどさ」
「外国語が出来ないからとか?」
「授業で学んでいるのに出来ないわけないだろ? それにちっちゃいころはオーストラリアに住んでいたんだぜ?」
……日本の高校生の大部分を敵に回したぞ、今ので。
「引っ越しが多かったしここが一番住み慣れた所だったの。また帰ってくるし、向こうの学校が合わなさそうだし」
置換すると向こうで友達を作る自信がない、となる。
言わないけど。
「ばあさんが住んでたんだっけ? ロシア人とのハーフの」
「ダブルっていうんだよ。そうだよ、いいおばあちゃんだった。あたしおばあちゃん子だったし、いろいろ教えてもらったなあ……」
懐かしそうに空を見上げる。料理とかもそのおばあちゃんに教えてもらったものだろうか。
「八代はどうなの?」
「どうとは?」
「お前の方は子供の頃から陰陽師になることがほとんど決まっていたんだろう? やらされているとか思わなかったのか?」
「んー小さいころは漠然とだったな。師匠のじいさんが厳しかったし、修行がいやだと思ったこともあったかも」
そうだ。でもただ本当に漠然とだった。
俺自身が陰陽師を目指したのは、やっぱり彼女のことがあってからか。
「でも俺はなりたいと思ってなったことだ。確かに危険もあるし、面倒くさいこともある。でも陰陽師だから鬼とこうして戦うことができる。守ることもな」
「……あたしのことも、それで守ってくれたもんな」
「それも含めてな。そういや足大丈夫か? 傷が目立ってないといいけど」
「すぐに治るよ。今はこうやって隠しているし」
そういって長い足を見せつけるように上げる。
膝上位まで丈の靴下、いわゆるニーソックスをはくようにしているようだ。
それは傷を隠す為なんだろうけど……なぜだろうか。肌の面積が減っているのに、こちらの方が妙にエロく見えるのは。
「えーと、なんだ。傷跡が残らないように治療符は使ったけど治るのだけは自然任せなんだ。済まんな」
「謝ることなんかないって。……でも八代は家業だからこそ今こうやって……えーと……」
「ああ。親には言わないけどあの家に生まれて良かったよ。だからこうしてそれなりの力があるし、同じ志の仲間もいる。相生関係っていうんだよ。陰陽道で言うところの」
笑いかけると複雑な表情を見せる。笑っているようで眉間に皺を寄せているというなんともいえない顔だった。そして、
「……あのさ」
と、どちらかというとこわばった表情で質問を投げかけてくる。
「あんた仲間の子がいるじゃん。前も見舞いに来て、最初あたしの護衛をするって言ってた」
「月雲のことか?」
深夜は無言で頷く。
「あの人すごく男子から人気があるみたいだけど」
「え、マジで?」
「クラスの男子が騒いでいるのを小耳に挟んだ。かわいくて社交的で目立つし、性格もよさそうだって。先輩方の中には何人か告白して玉砕しているんだって。だいたいあたしが知っているぐらいだから学校の連中はだいたい知っているんじゃないか?」
「あいつがねえ……」
たしかに見かけちょいと上品な感じだし、「あの子いいな」みたいなことをクラスメイトが話していた気はするが。そんなに人気があったのか。
告白されたとかそんな話一言も聞いたこと無いけど。
「八代あの人とつきあってるの?」
「月雲と? まさか」
「でも付き合っている奴がいるから誰もオッケー貰えないって噂だぜ」
「それこそまさかだな。子供の頃から一緒なんだぜ。もう一人の妹みたいなもんだ」
実際そんな関係だな。伊緒里たちも『お姉ちゃん』と呼んでいるし。
「そ、そうなんだ」
「そういうと清十郎が『じゃあ俺は兄貴だな』ってでかい顔をするから内緒だぜ?」
出会ったときと同じように口に指を当てて仕草を取ると、「馬鹿みたいだ」と言いながら笑う。本当にこいつ案外表情豊かだよなあ。
よほどツボにはまったのかしばらく歩きながら大笑いする。ちょっと笑いすぎで心配なったころにふと真顔に戻った。
「実はさ。あたし、自分が特別だって浮かれていたんだ」
顔は前を向いたままだ。
「面白く無い毎日でさ。そこにやってきたのが八代だ。マヤがおかしくなってビックリしたけど、今まであたしが知らない世界が突然現れた」
そういや学校で会ったとき、嬉しそうだったな。今思い返すと、だが。
「それであたしには特別な力があるって言われて。そうかあたしは他の人とは違うんだ。特別なんだってさ。結構嬉しかったんだ。でもさ……」
深夜は口ごもりながらうつむく。
「それでやってきた連中があんなんで、すごく怖くて。八代はあたしのせいで倒れちゃうし」
「それは気にするな。元々鬼祓師の仕事はそういうものだからよ」
ようやく腫れが収まった左目をなでながら答える。実際体中傷とあざだらけなんだけど、あの化け物を相手にそれで済んだのだからむしろ強運だ。
「あたし知らなかったんだ。特別であることには覚悟がいるってこと。こんな力なら無い方がいいってさ。……勝手だよね。特別がいいと思っていたのに、今度は普通がいいって……」
「特別だといいと思うのは当然じゃねえ? 俺だってそう思うことあるぜ」
うつむいていた顔を今度は見上げてくる。
「そうなの?」
「俺に特別な力があって鬼を瞬時に消滅できたりとか、実は神様の生まれ変わりでその怪我とかを瞬時に治せたり、死んだ人を生き返らせれたりとかな。それもしんどい修行とかしないでできたら最高だな、とかさ」
「……そうだね」
「ないものはねだってもどうしようも無いけどあるものはなにかに活用できるだろうさ。今考える必要も無いし、自分がやりたいことを見つけた時にあって良かったって考えれるかもしれねえだろ。これがあるから良かったって、思えたらそれでいいさ」
「あればよかった、か……」
「だいたい特別ってんならお前充分特別だろ? なんだよ、お金持ちのお嬢さんで、頭もよくて美人だって。それだけでどれだけの人間が羨むと思っているんだ」
ついつい嫌味な言い方をしたがきょとんとした顔をむける。そしておもむろに自分を指さした。
「美人?」
え、いや、確かに一般的にはかなり美人だ、ろう。髪が短くて男っぽいけど、整った顔は間違いない。客観的にみて、うん。客観的にみて。
「そりゃよく言われるし知っているけど……てこら、なんで殴るんだ!」
「……今微妙にむかついた」
あたふたしてしまった俺の心の分だ。あと殴ったなんて人聞き悪い。デコピンしただけだろう。
頭を押さえる深夜に上から声を投げかける。
「鬼は普通に暮らしていたら見ることすらないからな。いろいろと考え込むのはわかるさ。能力に関しては飛輪が調べているし、ひょっとすれば制御もできるかもしれない。ま、その辺は俺もなるべく協力する。迷惑だろうがもう少し我慢してくれ」
「……八代が迷惑なんてことは無い、けど」
「そいつはどうも」
こいつの護衛を初めて10日以上経つ。
ダイダラボッチを倒しても能力が消えたわけではないようなので、まだ任務終わりってわけじゃあない。
この辺は小角からまた説明があるだろう。それまでは……しばらくこうしてこいつの護衛だ。
この間陰の気を祓ったから門がしばらく開くことはないだろうし、現界に強力な鬼が何匹もいるわけじゃあないから今すぐ危険ってことはないだろうが、油断は大敵だ。
視線に感じて横を見ると深夜が俺の方を見上げていた。
「八代ってさ……」
「なんだよ」
「なんか歳あまり変わらないのに泰然としている所あるよね。なんでも受け入れるというか」
「陰陽師の考え方かな。陽気も陰気も、どっちもないと困る。自然と摂理と森羅万象を借りて行使する術だしな。陰気が強すぎるとバランスが崩れるからそれを正すのが仕事だ」
「話とか凄く聞いてくれたりするのも仕事だから?」
「それは普通だろ」
俺は家でも学校でも多弁な方では無いが、別に人嫌いでは無い。
それにこいつの話を聞くのも別に苦痛とか感じないし、こう言うと調子に乗りそうだがまあ、割と楽しくはあった。
「相生関係ってのは、さっき言っていた何かがあるから別の何かがあるってことだよね」
「まあな」
相変わらず理解が早いなあと思いつつ見つめ返す。白人の血が混じっている故の白い顔が、夕日に照らされて赤く染まっている。
「さっきお前陰陽師の家に生まれたからいい出会いがあったって言ってたじゃん」
「ああ」
「あたしもさ。良かったよ。日本に残ったからこうしてお前が助けてくれるわけになったんだろ?」
「……そうだな。そういうのも相生関係だ」
海外に住んでいたらさすがに鬼にこうして狙われなかったろうが、それも含めての縁だろう。
「だからさ……あたしそれで八代とこうやって……会えて……」
気がついたら深夜の顔が近くにあった。俺を見上げている眼はどこか潤んでいる。不思議な色合いの瞳が、ますます神秘的に輝いていた。
夕焼けに染まった顔と相まって幻想的な、女神も対抗意識を抱くほど綺麗だ。
思わず見入ってしまい、その場からしばらく動くことも視線を外すこともできないでいる。
時が止まった気すらしていた。
どれぐらいそうしていたのだろう。どこかでトラックのブレーキ音のような音が響き、それが俺たちの時計を回し始めた。
俺ははっと後ろに下がる。それに少し遅れ、心臓が魔王と戦ったときのように激しく鼓動していた。
深夜の方は夕焼けが原因では無いだろう。顔を真っ赤にして、口が悲鳴のそれに変えている。眼をぐるぐると回しながら犬歯を見せるように口を激しくと開け閉めすると、
「今のなしだ! なしだなし! そうだ、聞いていないな!」
「お、おう……」
俺の方も今何があったかわからない。同じように口を開け閉めして、正直あたふたしていた。
逸る心臓を押さえようと、大きく深呼吸する。
深夜が真っ赤になりながら犬歯をこちらに向けている。こちらに口を開くより前に俺はそれに気付いた。先程の音の正体を。
異界から流れる、独特の風と匂い。
「門の気配だ……まさかこんな……一週間もたっていないぞ!?」
必ず夜に現れるわけじゃあないが、それにしても近場に連続して二回というのは早すぎる。まして俺の家にほど近い、陰気が少ないところになんか。
式神と術の準備を慌ててしたところでそいつは姿を現した。
いつもの俺んちとスーパーを結ぶ通りがぐにゃりと歪み、カビのような物が周囲からあふれ出す。
深夜が隣でつばを飲み込む大きな音が聞こえた。そして奥の闇、魔界からそれが姿を現しはじめた。
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