第8話 婆亜瑠②
結論を言うと戦いは一方的だった。
もちろん向こうのである。
身体から発する光線や身体の強さは語るに及ばずだが、ここは奴らが有利な奈落である。
鍾乳洞一杯を黒く染め、コウモリのような昆虫の様な生物を無数に繰り出すなどと空間を使った攻撃も仕掛けてくる。
それらを防ぐだけでも手一杯だった。
何十枚の霊符があっという間に消滅し、俺は印と術を休み無く繰り返し続けていた。
結界術に集中しながらも隙を見ては霊符を投げつけたり、印による術を放つのだが全て奴の足下にたたきつけられている。
かろうじて勝負になっているのは大量の霊符を惜しげもなく使っていることと、俺が防御に徹していること。
何より奴の力がかなり削がれているからだ。
何とか食らいついてはいるが俺もわずかに受け損なった奴の攻撃でぼろぼろだ。
神行業の術で身体を強化している俺は、多分格闘技の世界チャンピオンとだってやりあえる位だと思うんだが……ここまで無力とはよ。
心が折れない自分の精神力をまじで褒めて欲しいぜ。
人間ニシテオクニハ惜シイ男ダッタナ
ぼろぼろの俺を、たぶん眼がある位置で見下しながら脳裏に声が届く。
悪魔の感情はよくわからねえがせいぜい手こずらせたという程度だろう。なにせ俺の術は出会い頭で投げつけた奴以後は一撃たりとも当たっていない。
やっぱりこいつ強さの桁が違うわ。万全なら日本中の鬼祓師が総出で立ち向かわなければならいような奴だ。
かつてこいつを封印した連中もさぞかし苦労しただろう。協力して飛輪を作ろうなんて話になるわけだ。
残った霊符も後数枚。
純粋な疲労で膝が笑っているし、直撃こそ免れているものの体中傷と痣だらけだ。顔も特に右目がひどく、さっきからまぶたが開かない。男前を台無しにしてくれやがって。
ソレデモ立チアガルノハ感心ヲ通リコシテ呆レルガナ
「そうかい? よく顔を覚えとけよ。お前を初めて呆れさせた人間の顔だ。もっとも倒されるまでの短い間だがよ」
奴は何も言わない。
深夜の様子はわからない。俺が傷を負っているときも悲鳴らしい声を上げなかった。
信じて堪えてくれているのか
単純に気を失っているのか
奴の頭が一瞬光る。例の奴か……もう動き回って避けるのは無理だろう。さて霊符が最後まで持つか。
結界を張る為に意識を集中させる。
そのとき、凜とした声が耳に届いてきた。
「……祓へ給ひ清め給ふことを天つ神国つ神、八百万の神等と共に願わん」
続いて朗々たる声が続く。
「……ダンセンダマカロシャダソワダヤウンタラタ……」
そいつらは悪魔の後方から異界へと現れた。
それぞれの術を唱えながら、二人の鬼祓師が登場する。
悪魔を滅っさんとするために。いや――俺を助ける為に。
「いいところだったか?」
「バッチリのタイミングだよ、清十郎」
「八代傷だらけじゃ無い! 大丈夫なの?」
「この程度かすり傷さ、月雲」
結構へろへろだったのに、もっとやれる気がしてくる。ま、これは不思議でもなんでもないけどな。
二人は俺が飛ばした式神をみて駆けつけてくれた。
式神は連絡手段として使う方法もある。電話と違って相手が電話を取れないだとか、こっちがかけれる状態でないとダメだという制限もない。それに電話だと伝えられない細かい情報や作戦を伝えることだって出来る。
深夜には苦手だと話したが、こういう小さな式神だと俺の術速度は相当に早く正確だ。情報を瞬時に書き換えることだって出来る。式神を連絡手段として極めることを選んだためだ。
仲間ガイタカ
悪魔が俺たちに意思を飛ばしてくる。
ダガ二人増エタ所デ結果ハ同ジダ
「どうかな?」
術を別の物に切り替える。
次の瞬間、地面で五芒の星が光り、バアルを包み込む。
それは強烈な光を放ち、動こうとする奴を容赦なく照らしつける。
コレハ?
「霊符五枚がけの結界だ。いくらてめえでもすぐに動けねえだろ」
身を守りながらこっそりと術を施していた。
結界と奴の攻撃の合間に張り、地面に転がったり逃げた際に張った。
五枚の霊符をそれぞれ支柱として発動するように術を施した。合成術の威力は単純に五倍なんてものじゃない。
まして――
横目で見ると月雲が術を施している。
あいつは他の術を増幅させたり、安定させたり、別系統の術をうまくつなぎ合わせるのが抜群にうまい。月雲の力と合わさって盤石となっている。
「初めからてめえみたいな化け物に俺が一人で勝てるなんて思ってねえよ」
俺の術は一撃たりとも当たっていない。
当然だ。最初から当てるつもりがないからな。最初に一番強い術の直撃を食らってもぴんぴんしているような奴に俺が何かしたところで焼け石に水だ。
だから最初に俺の術がなんだかわからなくする術をあの時、かがみ込んで光線のようなものを防いだときにかけていた。
後は地道で神経のすり減る作業だった。
この結界もそうだが他の術を効きやすくする術。他の術を増幅させる術。他の術と交わる事で俺自身の術を強化する術等々。
全てこのために準備してきた。
式神から現れた悪魔の情報や俺の作戦は全て二人に伝わっている。
二人が来てくれることを前提とした、布石。
その前に俺がやられたりしたら全てが元のあくらみだが、それでも二人は全てがうまくいくという前提で万全の備えをして来てくれた。
俺を信じて。
「だが三人でなら勝てる」
俺達の術の詠唱が重なる。
俺は結界の維持と残りの霊符を使い、印を交えながら仕掛けた術を次々発動させる。
月雲は力の流れを調整し、より術が効果的に働きかけるようにコントロールする。
そして俺たちの一撃に込める力の流れは、清十郎の唱える術と共にあいつの持った錫杖へ。
俺たちの中でも一番破壊力のある攻撃術を使える清十郎に、俺たちの力が託されている。その力は俺の術や月雲の協力もあって普段の何十倍にも高められているだろう。
キサマラテイドガ我ヲ滅ッセルトオモウテイルノカ!
ああやれるね。
「いいのか、俺が最後をもっていって」
「そこぐらい持っていかないと、お前今回見せ場なしだぜ」
術の詠唱を繰り返しながら清十郎がにやりと笑う。
手にもつ錫杖に集まる力。それがどれほどのものなのか奴もわかっているのだろう。
必死で身体を動かすが俺の、俺達の結界が逃さない。わずかに回復した肌の部分が再び光沢の無い黒に染まり、それがひび割れていく。月雲のサポートでこれまでかけていた他の術がようやく効き始めたか。
ニンゲンドモガアアアアアアアアアアアアア!
先程までとは違う明らかに感情が窺い知れる強力な声が俺たちの耳に届く。
それだけでも人間を、現界の生物を心臓からすくみ上がらせそうな雄叫び。
だがな、もう怖くねえ。悪あがきだって気付いているんだろ?
「オン・マケイシバラヤ・ソヤカ……参る」
術を込めていた清十郎が動く。その力を、俺たちの力を法具である錫杖に込めて。
「滅びよ悪魔……南無!」
清十郎の一撃が鬼を打ち据える。
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!
奴の身体が光に包まれ、断末魔の絶叫が俺たちの頭に響く。
光が消滅し、続いて鍾乳石の壁や天井がぼやける。
一瞬の瞬きのあとに映った光景は、壁と天井が派手にぶっ壊れた俺んちの客間だった。
神話の怪物、ダイダラボッチの最後だ。
『イエエイ!』
清十郎と月雲が右手のひらを強く叩き合う。それが勝利の合図となった。
二人は同時に右手を挙げる。これで俺が同じように叩くってのが俺らのやりとりだが……まだ仕事は終わっていない。
「シンヤ、大丈夫か? シンヤ!」
振り返って赤毛を探す。さっき見た崩れた瓦礫の下は……いない。
「シンヤ!」
「……聞こえている」
うお、どこから! と思ったらすぐ側にいた。
いつの間にか俺の側にマヤを抱いてちょこんと立っていた。身長差があるからかマジで気付かなかった。
「よかった、無事だったか」
無言でこくりと頷く。
「特に巻き込まれたりはしなかったか? マヤも」
再び肯定。
「言いたいこともいろいろあるがまず……」
俺は両手を合わせた。
「すまん、助けるのが遅くなって! それで怪我までさせちまって悪かった!」
歩けると言うことは折れたりはしていないだろうが、もしかしたら傷が残るかも知れない。
陰陽師の術は回復を早めたり毒などの異物を取り除くことは出来ても、怪我を瞬時に治したりなんて奇跡みたいなものは存在しない。
「ここなら安全だと思ったから連れてきたのに、こんなことになってすまなかった。俺の見通しが甘かったみたいだ。怖かったろ」
安全と思ったから、なんて結果からして言い訳にはならねえよな。
「怪我の治療をしないとな。母さんが起きているはずだから手当てしてもらうか」
「あ……、え、と。……う……」
こくりと頷くのだが、俺からわざとらしく視線を外してなにやら言いかける。
あ、清十郎と月雲(=知らない人)が来たからまた緊張してんのかな。
「それはそれとして、簡単に諦めようと思った事については後で説教だからな」
もちろん約束通りゲンコツ二発も付け加えるつもりだ。たっぷりと。
「……八代」
とようやくまともに口を開いた。焦らずに次の言葉を待つ。
「痛かったし、怖かったけど、八代が絶対何とかしてくれると信じていた。……だから八代も無事で良かった。……ありがとう、助けてくれて」
そういうと、はにかむような笑顔を向けてきた。
「……あ、そうか。うん、良かった」
……なんだよ、おい。普段は人を罵るようなことしか言わないくせに。
でもなんでだろう。
それだけでいろいろと今までの苦労とかそういうのが全部洗い流された気がした。
折角公言通りゲンコツ二発落とそうと思ったのによ。
ずりいよな。
「ま、まあとにかく母さんの所に。二人とも悪い。先にこいつのケガを観てもらう」
なにか気まずくて視線をそらすために清十郎達を振り返る。
その背後に、巨大な腕が迫っているのが目に映った。
「清十郎!」
叫ぶのと清十郎が振り返って錫杖で身を守るのは同時だった。衝撃で吹き飛ばされ、まだ無事な壁に激突する。
「え? 清十郎! なに、どうしたの?」
月雲が慌てながらもすぐに術の体勢に入る。深夜を庇いながら同じように印を組む。
部屋の景色がぐにゃりと変わり、ただひたすら闇が映る。
その正面に、顔と腕だけの巨大な生物が現れる。顔はひどいやけどを負ったような、見るだけで不快感と恐怖を与えるようなそうな顔だった。
マダダ、ソノムスメヲヨコセ!
こいつ……あれで滅んでいなかったのか? まずい、もう霊符が残っていない。
「八代、月雲。そいつはその子を狙っている。守るぞ、いいな!」
清十郎が立ち上がりながら指示を飛ばす。それが一番だろうがもはや守れるだけの術が使えるかもわかんねえ。……ま、やるしかないか。
伝説の大巨人との伝承に相応しいその巨体に、何かのエネルギーが溜まるのがわかる。
俺と月雲と清十郎がそれぞれ術を唱えた。三人がかりで止めきれるか? そして止めたところで次は?
背中の服をだれかがぎゅっと握った。
……そうだな深夜。俺を信じてくれているんだったな。だったらとことんやるまでだ。
覚悟を決めて次々と印を結んだ。夕方に護身剣を失ったのが悔やまれるぜ。
奴が動こうとするのが肌を通して伝わり、俺たちに緊張が走る。
リン……
鈴の音が鳴った。初めはマヤの首輪だと思った。
次の瞬間闇が払われ、俺たちを、バアルを取り囲んでいる数十人の姿が現れる。
「親父殿!」
「親父……」
「お父さん!」
見知った顔に俺たちはそれぞれの敬称を口にする。
ダイダラボッチを滅するために追い回していた、仲間の鬼祓師達。
俺たちの声に応えるように一斉に攻撃を開始した。
さしもの怪物も今の状態で飛輪の精兵相手では耐えられない。次から次へと飛び交う術の前になすすべもなく刻まれていく。
やがて断末魔の叫びをあげ、今度こそ消滅した。
最後の最後まで、伝説に恥じない化け物だったぜ。全くよ。
全てが終わり、夜空の光がぶっこわれた俺んちを照らす。
俺たち三人はため息を吐きながら同時にその場に座りこんだ。……もう動けねえぞ。
「すまない。まさか遠間家に現れるとは……。式神を見て慌てて駆けつけたんだが」
母さんと妹弟二人の名前を呼びながら慌てて母屋の方に走った親父に変わり、顔見知りの陰陽師が俺たちの方にやってきた。
親父の方にも飛ばしておいた式神から情報が伝わったか。
「まさかあれを君たち三人であそこまで追い詰めるとは。よくやってくれた」
それには曖昧に笑う。正直今は考える気力すら湧かねえ。
清十郎にはあいつの親父がいろいろ話しかけていて、月雲は一人娘の無事に抱きついてきた父親に、抵抗を試みるもされるがままになっていた。
「なお」と鳴く声と、それを抱いた飼い主の安心したような顔が見える。ああ、大丈夫だ。そう思うと同時に力が抜けていくのがわかった。だんだんと意識が暗転していく。
今度こそ完全に終りだよ。
深夜にきちんと伝えることができたかどうかわからないまま、俺は意識を失った。
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