第3話 黄泉坂深夜①
「――理解しろとは言わん。状況だけ理解できればいい」
「ああ……あたしが鬼に狙われているってのはわかった」
小角の説明に対して、不機嫌そうな声で黄泉坂はそう応えた。
世の中自分の思うとおりになかなかうまくいかないものだ。
本来ならこっそり接触するところだったのだが、俺の正体を知っている人間に対して無防備に質問した以上、今更隠しだては無駄だった。
正直に俺たちが受けた任務について話し、仲間の紹介と任務の詳細について説明すると第二視聴覚室へと案内する。
「八代、いきなり何をしているの!」
と先に戻っていた月雲は教室に入るなり、俺に噛みついてきた。
いや、気持ちはわかるよ? 合唱部の練習だって参加直前でサボったんだし、俺だって逆の立場なら同じ事を聞く。
だけど首を絞めるのはさすがにやりすぎではないだろうか。
すぐに後輩にて護衛対象の深夜の存在に気付くと、苦笑い浮かべながらようやく解放してくれた。
「こんにちは、はじめまして。飛輪の鬼祓師。正八階位の巫条月雲です。八代と同じ二年生、よろしくね」
俺には出せない、人好きしそうな笑顔を深夜に向けて挨拶をしたが、黄泉坂は不機嫌そうにぷいと顔を背けただけだ。
困った顔で月雲が俺の方を見るが、知るか。
凶暴な先輩だとでも思われたんじゃねえか?
やがて清十郎と小角が戻って来て自己紹介をする。
さすがに教師である小角が飛輪のメンバーであることには驚いたようで、「へえ」と意外そうな声をあげた。
小角は三十代の国語教師でやや長身でやせぎす。人気者では無いが生徒からの悪い噂もない。そんな教師だ。
それでその小角が順に説明したわけだ。
この世に鬼という存在がいること。
鬼と戦う飛輪という存在があること。
こいつに妙な能力が開眼し、鬼に狙われているということ。
そして俺たちがこいつの護衛をするということをだ。
初めの二つに関しては話が早かった。
なんせ最近鬼と接触したばかりである。俺と会ったときの状況の補完という感じだ。
「鬼に狙われる?」
自分の能力についてはそんな疑問を持った。
「あたしたしかに霊感とか強い方みたいだけど、鬼なんかこの間初めて見た」
「能力は突然目覚める事があるし、逆に幼少の時だけしかなかったりする。陰陽の流れや門との接触などきっかけで目覚める事もな。完全に理解しろとは言わん。状況だけ理解できればいい」
「ああ……あたしが鬼に狙われているってのはわかった」
これが冒頭のやりとりだが、自分があの鬼達に狙われているってのは理解してくれたみたいだ。
なかなか柔軟な頭をしている。こいつなりに思うところがあったのかもしれない。
問題があったのはそれからだった。
護衛役として月雲が指名されると不機嫌そうな顔でギロリと睨み、
「こんなのに四六時中見張られているなんて嫌だ!」
月雲の何が気に入らないのか、そう反対した。
やっぱり凶暴な女だと思ったのか。でもお前もあんまり変わらねえと思うぞ。
言わないけど。
「巫条が受けることで本部でも話が進んでいる。嫌だというのなら理由を訊こうか」
「あたしは知らない人間に、近くをうろうろされるのが嫌なんだよ。だいたい期限はどれぐらいなんだ?」
「特定の『悪魔』に狙われているのなら『門』が現れてその悪魔を倒せば終わるが」
「わからないってことか。じゃあ余計嫌だ」
「状況はわかっているのだろう。護衛は必要だぞ?」
「こいつが嫌なんだ。なんか頼りなさそうだし」
先輩女子をこいつと呼んで指さすとはいい度胸だ。
引きつらせながらもにこやかな表情を崩さなかった月雲に、俺は脱帽したね。
「そうはいっても今は緊急の事態が重なっていて、正鬼祓師はすぐに派遣できん」
普段から表情の外連味が乏しいのだが、今も大して困ってなさそうだ。
黄泉坂にそう告げると俺の方を向く。
「ならば遠間ならどうだ? 今すぐ動かせる正鬼祓師で腕は立つ方だ。それにどうやら知り合いのようだしな」
俺かよ!
深夜は腕を組んでうなっていたが、
「……とーまなら、まあいいよ」
としぶしぶという感じで頷いた。え、マジで?
何をするかといえば、外出時に護衛。すなわち毎日学校への送り迎えをするらしい。
「いや、仕事ならそりゃ俺はやるけど……お前知らない男にいられる方が嫌じゃ無いか? 女なんだし」
知ったのはついさっきだけど。
「男でも女でもあまり知らない人間が近くにいるの嫌なんだよ。とーまだったら我慢する。これで前の借りはチャラにする。それでいいな」
その理屈なんかおかしくね? だがもはや俺の疑問の余地など介在できない方向に話は進んでいる。
「今日の所は霊符をもって帰ってくれ。気休め程度だが。明日君が学校に来ている間に、本格的な霊的結界を張らせてもらう。知らない人間に家に来られては困るとかは言ってくれるなよ」
それに関しては納得してくれた。ま、こいつも鬼がどんなのかは見ているからな。
「では遠間。今日から頼んだぞ」
「今日! いきなり?」
「事情を知っているなら早いに越したことは無い。それにお前も知っているとおり奴らの存在を知っている人間は自覚して能力に目覚めやすくなる。学校とマンションは結界を貼るのだから危険なのは外出時ぐらいだ。休日はともかく平日は朝と夕方だけだ。さほど問題ではないだろう」
いや……あんたも教師ならそれだけが問題でないことぐらいわかれよ。
だがそんな俺の恨めしい視線を意に介さず、小角は他の仕事は二人を中心に行うこと。
買い物などのちょっとした外出は当面、学校帰りに俺が一緒の時に行うように指示し、さっさと教室から出て行った。
呆気に取られた俺だが、教室内で放たれる禍々しい気配に気付いた。
笑顔を絶やさぬ幼馴染みの方に、おそるおそる視線を向ける。
「よかったね。かわいい女の子と毎日一緒に登下校できて」
目が笑っていなかった。
月雲とは長い付き合いだが、これほど怖いと思ったのは初めてだ。
そりゃあ頼りないとか後輩女子に散々言われ上に、仕事を取られたわけだから気持ちはわかるが……。俺に当たられても……。
薄ら笑いに若干額から汗を流しながら清十郎が俺の肩を叩く。
目で助けを求めたが、ニキビ一つ無い顎の動きで「無理だ」と拒否される。
そりゃないぜ、親友よ。
「じゃあがんばってね」
月雲はおっとり、だがすべてを拒絶するような微笑みを浮かべて出て行った。
清十郎は微妙な表情でそれに続く。最後に目で「がんばってくれ」と言われた。
かくて俺と深夜だけが教室に残される。
ひどく空気が重たい。
どうせえいうねん。
呆然と立ち尽くしていたら、ガタッと椅子の音がなる。
ジャージ姿の深夜が立ち上がっていて、
「帰る。護衛なんだったら早くしろよ」
それだけ言うとさっさとドアから出て行った。少し遅れて俺も続く。
こうして、なし崩し的にこいつの護衛が始まった。
深夜は三十分ほどかけて歩いて登下校しているとのことだ。
自転車にしなかったのは後で聞いた話では、当初バスのつもりで自転車の許可を学校に取らなかった為らしい。
後からでも取れると思うのだが。
「…………」
そしてこいつは何が気にくわないのか不機嫌そうな顔で、ずんずん前に進んでいく。
俺たちの仕事について質問でもされ、どこまで応えていいかとか考えていたのだがそれは杞憂に終わった。
というか終始無言である。
教室前で会ったときは多少なりとも交誼を結ぶ気があるように思えたが、こいつの言った通り単に借りを返すためだったのだろうか。
俺の方が沈黙に耐えかね、髪の色とか家族のこととか、好きなテレビ番組とか当たり障りのない質問をしてみたが面倒臭そうに答えるか「どうでもいい」のどっちかだ。
温厚な俺でもさすがにイラっとなるよ?
そんな気まずい空気を醸し出しながら二十分ほどすごしたころだ。
どこかで見た街並みだなと思いつつ、いつぞやこいつと出会った辺りだと気付いた。
「お前の猫元気? 特に後遺症は残っていないか?」
「……おかげさまで何事もなく元気にしているよ」
空気が少し弛緩した気がする。さすがに家族というだけあって食いつきがいいようだ。
「あの猫の名前マヤだよな? あれ、お前の名前から取っているの?」
「違うよ馬鹿」
え、今馬鹿って言われる所?
「マヤにはもっと壮大な、それこそ浪漫とか溢れる名前をつけているんだよ。歴史とか文明に関わるような」
文明って言われても四大文明すらぱっと出てこないが、それはわかった。
「もしかしなくてもマヤ文明とかインカ帝国のマヤか」
「幼稚園児でも知っているような常識だろう」
たぶん小学三年の弟は知らんし、平均的な小学低学年はわからんだろう。こいつの常識は少し俺たちと違うらしい。
「好きなんだな」
「……変か?」
「なんで?」
身長差があるので深夜が普通に前をみていても俺からは派手な頭頂部しか見えない。
視線を少し外して戻すと俺を見上げていた。白い顔と前髪の下にある不思議な色の瞳が見える。純血の日本人じゃないんだなあと実感する。
「昔すごい文明とか至る所にあったじゃん」
「らしいな」
初めてこいつから話しかけてきたな。
「今の科学でも作れないような建造物とか道具が時々見つかるじゃんか。知っているか? 何千年も前の遺跡でロケットの絵が描かれているんだぜ。しかも同じ所じゃ無くて大陸すら違うのに同じようなのがあったりするんだぜ」
「ああ」
なんか聞いたことはある。
「あたしらの最先端技術でも宇宙には滅多にいけないのに、当時の人達は行っていたかも知れない。日本人が土器とか作っている時代にだぜ。しかも当時では作れないようなオーバーテクノロジーが普通にあるんだ。そんな科学どうやったら出来ると思う?」
「なんかあるのか?」
尋ねると俺の見間違いでなければ、得意そうな顔を浮かべている。
「あたしの見立てではたぶん地球外の高度文明の人間と交易していたんだ。昔の人はテレパシーとかそういう文化があったんだよ。だから今より簡単にそういう人間と交信できていた」
はっきりとは言わないが宇宙人と言いたいんだろう。
「あたしらあたり前に持っているけどさ、今の時代、携帯電話の広まり方は二十世紀末ぐらいまで想像していなかったんだろ? 遠い誰かと交信するっていうのは人間の本能なのさ」
何だか生き生きしはじめてきたな。こいつ。
「何千年も前は交流があってさ。テレパシーとかで連絡し合っていたんだ。だから至る所で文明が発展したんだ。今はその技術が失われているから連絡つかないけれど、それも近いうちにまた繋がるようになると思うんだ。どうだこの説!」
「俺は詳しくないけど、詳しいお前がそう言うならそうかもしれないな」
昔の事なんて知らんし、そもそも鬼だって一般の人は知らない。
こいつの言う連中がいてもおかしくないし、そういうことだって全然ありえるわけだ。
「だったらいつか携帯で神様ともお話する時代が来るわけだ。長生きしないとな」
「お前みたいな奴は百過ぎても元気にしているさ」
なんだ嬉しそうに。
そうこうしているうちに家に着いたらしい。指差したそれは前に鬼と戦った所からそんなに離れていないマンションだった。
高校生の一人暮らしには過ぎたものだが、想像していたより普通だ。ぼろくはないがけっこう築年数がありそうだし、入り口前にテンキーもない。
きっちりマンションの入り口までついていき、部屋では霊符を貼るようにもう一度説明する。
やれやれ、忘れるんじゃあ無いぞ。
「なあ」
帰ろうとしたら背中から声をかけられた。
「明日、朝はうちに迎えに来るの?」
「まあそういう事になるな」
「あたし朝弱いから家出るときに電話してよ」
そう言って手早く携帯の番号を表示すると俺に見せる。
俺は目覚まし代わりか?
ともあれ連絡先は知っておいた方がいいのはたしかで、携帯にそれを入力する。
「じゃあ明日よろしくな、八代」
登録を確認するとさっさと降りてきたエレベーターに乗り込んだ。
相変わらず勝手だが、心なしか表情が柔らかかった気がする。
やっぱこいつ、わかんねえな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます