第2話 若き鬼祓師たち


 チャイムの音が響き、学級委員長が号令をかける。それを合図として途端に教室は騒々しくなった。

 ある者は部活へと急ぎ、ある者は友人とおしゃべりに興じ、ある者は放課後にやることをクラスメイト達と話し合う。

ま、いつもの光景だな。

 帰宅部の俺はいつもならクラスメイトと少しだべって家に帰るんだが、今日は『飛輪』の呼び出しがある。

「新しいラーメン屋が出来たから行こうぜ」と誘ってくるクラスメイトに「また今度な」と軽く手を振って教室を出た。

 飛輪は俺のような陰陽師とかいわゆる鬼祓師連中の集まる、ようは相互機関のことだ。

 はるか昔は陰陽師と高野山の僧正だとか似たような仕事をしている者同士でなわばり争いのような諍いが絶えなかったらしい。

 連携がとれないことで一般市民に犠牲がでるようでは困る。互いの事を知らないばかりに名ばかりのもぐりが悪名を広めるというのも問題だった。

 何より強力な魑魅魍魎が現れたときに対処出来ない。実際協力に欠け、過去に強力な悪魔を退治し損ねたなんて事件もあった。

 そんな経緯があって互いの協力や情報共有、練度向上の為に出来たとガキのころ親父から聞かされている。一応影ながら世界中に協力機関があるし、密かに国家規模で予算が回されている、らしい。

 ま、内部事情までは末端にはわからねえけどな。

 待ち合わせとなる離れ校舎の三階。第二視聴覚室に入ると先客がいた。

「月雲」

 手を挙げると、大きな瞳が俺を見上げてくる。

「やっほー、八代」

 相変わらず上品そうな顔立ちとは裏腹な、明るい声で犬のように無邪気な笑顔を向けてきた。

 見慣れた同級生、巫条(ふじょう)月雲(つくも)だ。

 同じ鬼祓師の仲間で神道の力をつかう、いわゆる巫女という奴だ。

 隣に座ると清楚な小さめな顔とは不釣り合いな活発な目で、俺をのぞき込むように見つめてきた。

 首元で束ねた長い髪の毛が、顔の動きに合わせて大きく動く。

「――俺の顔に何かついているか?」

「ううん逆。今日は顔にヨダレがついていないなあと思ってさ」

「……前のことをいつまでも引っ張る奴だな」

「前、じゃなくて、いつもでしょ?」

「それは子供のころの事だろう」

「あれ、そうだっけ?」

 何が面白いのか耳障りのいい声で笑う。こういうとき互いにガキの頃から知っている、幼馴染みという奴は始末が悪い。

「清十郎はまだか?」

「まだだよ。たぶん小角先生の所」

 飛輪の構成員はどこにでもいる。

 俺たちの学校の国語教諭である小角は、そんな連絡員の一人だ。俺たちの仕事は近くで霊障と言われる鬼や悪魔の被害が起こったときに動くか、飛輪から直接現地にいる鬼祓師に依頼とされる。今回は後者の用件とのことだ。

 授業がどうとか、最近出来たらしいパフェの店とかを月雲が話すのを聞いていると、やがてドアが開き、三人目が姿を現した。

「済まん、待たせたな」

 同級生の若宮清十郎(わかみやせいじゅうろう)がさわやかな表情で教室に入ってくる。

「お疲れ様、清十郎」

 月雲に合わせて「よ」と手を挙げると、同じように小さく片手を挙げて返してきた。

 百八十を越える長身痩躯で、短い髪の毛の下にある眼鏡をかけた表情はあいかわらず知的な雰囲気がある。俺には絶対だせないだろう。実家が寺なこともあって礼儀作法が俺たちよりしっかりしている。

 その寺は代々密教の力を使う家系で、本人も法力僧だ。

「小角先生の所に寄る前に生徒会の仕事を頼まれていてな。遅くなってすまない」

「清十郎、相変わらず忙しそうだな」

 どこか生徒会長とか委員長という雰囲気がある清十郎だが、実際生徒会の役員でもある。

「ああ。お前達が少しは代わってくれるといいんだがな」

 「えへへ」と月雲が向いた矛先をごまかすように乾いた笑い声をあげる。

「そういうのは適材適所といってだな。おまえ以外に適任はいない」

 ぽんと肩をたたくと特に表情を変えることなく眼鏡の縁に手をあてる。

「大丈夫だ。言ってみただけで期待はしていない」

「あ、清十郎。その言い方ひっどい」

「ほう、月雲。今度から君が飛輪からの依頼のまとめ。本部への報告。怪異の伝聞記録をやってくれるのか。さすが高校二年生ともなると違うな」

「あ、えーと……ほら。それはそれという奴でして」

 うっすらと汗を浮かべながら清十郎から顔を背ける。

「月雲をあんまりいじめてやるなよ」

「つい、な。だから安心しろ、月雲」

 からかわれたことに気付いた月雲が抗議の声をあげるが、清十郎はやんわりとかわす。幼い頃から身に染みついた力関係ってのはなかなか覆らないもんだ。

「で、飛輪の仕事ってどういうの? 最近連日だよね。八代じゃないけど寝不足になりそう」

「仕方が無かろう。親父どの達が今は忙しいからな」

「……まあな」

 飛輪結成のきっかけとなった過去に封印されし悪魔。九尾の狐や酒天童子に匹敵するといわえるそいつの封印が最近ついに解けてしまった。

 正六階位以上のほとんどの鬼祓師達がそいつを追っている。

 追い詰めてはいるようだが民間人に被害がでないことを最優先としているので中々トドメをさせず、連日連夜駆けずり回っていた。

 で、人手が足りないってんで学生の俺たちに仕事が廻ってくるわけだ。世の中うまくできているねえ。

「さて、任務の話をしようか」

 清十郎はそういうと鞄の中から角三形ぐらいの薄緑色の封筒をとりだした。一般の人間にはわからない、簡単な術の封印を解くと中から書類。それから何枚かの写真が出てくる。

 それを俺が座っている机の上に広げた。

 映っているのはどれも同じ女の子だ。

 街中の横顔で取られた写真。正面から取った制服姿の証明写真のようなもの。それに少し遠くから取られた写真だ。見た感じ俺たちより少し年下だろうか。

「美人だね」

 月雲が一番はっきり映った正面からの写真を持ち上げ、感嘆したように声を漏らす。

「そうか?」

 実際長い黒髪に白い肌。眼鏡の下にある顔立ちはかなり整っている。

 絵画から飛び出たお姫様みたいで、どこか儚げな印象だ。深窓の令嬢というのが一番しっくりくる。

 だけどなんだか生気がなくて人形じみている。写真映りの問題もあるだろうが。

「八代の理想が高すぎるんじゃ無いの?」

「好みの問題だよ。この子と比較するなら月雲や伊緒里(いおり)の方が全然美人じゃね」

「え、そうかな?」

 なぜだか嬉しそうに頭をかく。ちなみに伊緒里は俺の妹だ。

「この子の名前は黄泉坂(よもつざかざか)深夜(みや)、十五歳。俺たちの学校の一年生。C組だ」

「うちの生徒なんだ!」

 月雲が相変わらず写真をもったまま驚きの声をあげる。

「こんな綺麗な子、入学して一ヶ月も経ってるんだったら噂にあがりそうだけど」

「そこまでか?」 

 といいつつもそうかもしれないな。好みではないが絶世の美少女といわれればしっくりとはくる。

 それに学校が終わればさっさと帰る俺とは違って月雲は非常に社交的だ。クラスメイトだけでなく同学年どころか違う学年にもかなり友人が多い。

 所属する合唱部でも面倒見がいいと聞くし、学年で有名なら名前位は聞いていることだろう。

「こっちは一般的な情報だが」

 と前置きして清十郎が黄泉坂深夜なる少女について説明する。

 祖父がオーストラリアかどこかの富豪らしく、本人も帰国子女なこと。

 父親も俺でも聞いたことがあるでかい海外企業の役員であること。

 現在両親は仕事で海外に転勤になり、それに合わせて東京からこの街へ引っ越してきたこと。

 現在一人暮らしであること。

 病気か何か知らないがあまり学校に来ていないことなど。

 どこのお嬢様な設定だ、それは? 冗談ではなく、本当に深窓の令嬢だったらしい。白人の血が混じっているなら肌の白さも納得だ。てかよく授業料が安いだけが自慢のふつーの私立高校に来たもんだ。

「なるほどー」

 と俺と同じ微妙な表情を浮かべて頷く月雲に続く。

「で、一般に出てこない方の情報はなんだ?」

「特別な能力に目覚めそうって話だ。それを鬼が狙うかもしれないそうだ」

「任務ってこいつの護衛か」

 時々なんらかのきっかけで得体の知れない能力に目覚める事がある。

 俺たちのように親が神社やら仏の関係者ならともかく、ほとんどの人間はどうしてそんな能力があるのかすら気付かない、なんてこともざらだ。

 どうして鬼に狙われるのかもな。

 そういう連中を守る仕事というのは過去にもあった。

「もうこいつはそのことを知っているのか?」

「いや……もしかしたら霊感が高いとか自覚があるかもしれないが能力自体はまだ目覚めていない。小角先生が検査結果で気付いたらしい」

 幼い頃は能力がなく、成長してから目覚めるってのもある。逆よりは少ないが。

 そしてこの学校の経営母体は飛輪と協力関係を結んでいた。入学者にこっそりと霊力などの検査を行ったりとか教師として雇い入れたり位には協力的だ。

「じゃあまだどんな能力かきちんとわかっていないってことか?」

「そういうことだ。期間がどれほどになるかわからないし、同じ学校で歳も近い俺たちが適任との判断だ。『門』が現出して鬼が現れたら直接狙うかもしらん。それなりに仲良くなっておいて近辺を守るのに不都合無いのが理想だな」

「門がいつ、どこで開くか解れば楽なんだけどな」

「そればかりは予測は出来ても確実とはいえん」

「そりゃそうだ。……じゃあこの件は月雲が適任だな」

「わたし?」

 俺たちは大げさに頷く。

「女子同士だし、お前なら誰とでも仲良く出来るだろ?」

 面倒だから押しつけているのではない。見知らぬ後輩女子といきなり仲良くってのはハードルが高い。

 それに男ならこっそり護衛のつもりでつけて、ばれようものならへたすりゃストーカー扱いされてしまう。

 世知辛い世の中だ。

「俺も君が適任だと思う。頼むよ月雲」

 月雲は清十郎と俺を交互に見ると、「うん」とうなずき、にこりと笑顔を向けてくる。

「そういうことなら任せて。黄泉坂さんはちゃんとわたしが守るよ」

「そいつは頼もしい。なあ、清十郎?」

「ふふふ、そうだな。代わりとは言っては何だがそれまでの間、他の仕事は俺たちに任せろ」

「おう、任せた」

明るく応える月雲だが、一つ忠告。

「だが月雲、わかっていはいると思うが」

「うん、もちろんだよ。なんかあったときは無理せずに助けを呼ぶから。二人とも助けてくれるよね?」

「ああ、当然だ」

「聞くまでもないだろ」

 決して一人に厄介毎を押しつけないし、一人で何もかも考え込まない。

 それが三人で誓い合った不文律だった。



 ある程度方針が決まり、少しこれからの打ち合わせをしたところで今日はお流れとなる。

 肝心の護衛対象はおそらく帰っているだろうし、明日から学校に登校次第月雲が彼女に接触することに決まった。

 鬼は不安につけ込むのでなるべく門が開く前にそういうのを解消させておきたい、と月雲は張り切っている。

 打ち合わせが終わると清十郎は早足に出て行った。剣道部のエースでもあるので今から部活に顔を出すのだろう。本当に忙しい奴だ。

 月雲の方も今から合唱部の方に顔を出すらしい。

「途中まで一緒に行こうよ。どうせ帰るだけでしょ?」

 そんな月雲の申し出を断る言い訳がなかったので頷きかけたが、鞄を教室に忘れていることに気付いた。

 教科書は放って置いてもいいが、弁当を忘れると母さんがうるさい。

「悪い、忘れもんだ。合唱部の部屋と逆方向だし俺は先行くわ」

「そう……」

 月雲は一瞬顔を曇らせたがすぐに明るい顔を向ける。

「じゃあ、また今度ね」

 おう、と手をひらひらとふって教室へと戻る。

 授業が終えてからだいぶ経っているので、廊下ですれ違う生徒もいなかった。

 グラウンドから運動部の声だとか吹奏楽部の演奏の音などが響くので、静かというにはほど遠いが。

 まだ受験まで時間があるので教室には残って勉強をするといった奇特な生徒はいないようだ。

 鞄を取り、さっさと廊下に出る。

「とーまじゃんか」

 と俺を呼ぶ甲高い声に立ち止まった。

 声の主を探して見回すと、廊下の離れた所に体操服を着た小柄な生徒がいた。

 うちの学校は学年でジャージの色が決まっている。そいつは緑色だから一年生だ。

 違う学年の棟にくるのは珍しいが、それより俺を呼んだのはこいつか?

 帰宅部の俺に年下の知り合いは多くなく、先輩を呼び捨てるような無礼な知人はいないはずだが。

 立ち止まっていると向こうが駆け足で近寄ってくる。

 顔がはっきりと見えてきたが、それよりもこの特徴的な赤とも茶色いともいえないこの髪の毛は……。

「お前この間の!」

「よ、また会ったね」

 いつぞや鬼に取り憑かれた猫(マヤ)の飼い主だ。明るいところで見ると、アイドルと紛うような整った白い顔立ちがはっきりとわかる。

「同じ学校で驚いた?」

「……まあな」

 むしろ高校生だったことの方に驚いたんだが。

 そんな俺の内心などお構いなしに先日とは違って愛想良く話しかけてきた。

「食堂のおっさんのことを言っていたからうちの学校だと思ってたよ。二年生だったんだ」

 ああ、そういえばそんな話をしたっけな。

「じゃあ俺を探していたのか」

 途端に表情が引きつった。

「いや……そんなわけ……」

「違うのか」

「そうだけど、ないよ……」

 なにやらごにょごにょ口の中でつぶやいている。こいつ言いたいことをはっきり口にするのかそうでないのかわかりにくい奴だ。

「何もないなら帰るぞ」

 離れようとすると「ああ」とか「うう」とかなにやらうめいている。仕方ない、待ってやるか。

 たっぷり数十秒は経った後、ようやく本題を喋り始めた。

「その……この間のこと謝ろうと思って」

「何かしたっけ?」

「だって……とーまはきちんとしてくれていたのに、何も知らずに邪魔してたじゃんか。後でそれに気付いてさ。……ごめんな」

 そういえばあのとき首を絞められたっけ。だけどその件には触れてこなかった。

「そいつは律儀なこった」

「……なんだよその適当な言い方。折角こっちが素直にあやまっているってのに」

「適当にいってるんじゃあねえよ。人からそんな風に言われ慣れていないだけだ」

 元々一般の人間からお礼を言われるようなことが少ない仕事だ。助けた相手に「お前達のせいだ!」と罵られたこともある。

 何も知らない人間から見たら当然の反応だと長年この世界にいるといい加減悟っている。

「ま、そういうことだから気にするな」

「そうか、へえ」

 犬歯をむき出しにして不機嫌そうな顔を向けたが、俺の言葉に納得したらしく表情を緩める。

 それから興味深げに見上げてきた。

「とーまは子供の頃からああいうことやっていたの?」

「まあ家業だからな」

「家業? 一子相伝の技とか受け継いでいたりするんだ」

「……どこの世紀末覇者だ、それは。基本お寺や神社と同じだ。家がやっているから自然子供も覚えたり目指したりするんだ。もちろん実家が普通の人でもなる奴はいる」

「じゃあ高校卒業後の進路志望とかで書いたら先生が教えてくれたりするの?」

「そこまでおおっぴらじゃあない。鬼の被害に遭った奴が自分も同じようになりたいとかで弟子入りするとか、霊力がある奴が……」

 飛輪にスカウトされて、とあやうく喋りそうになる。

 なんで俺はこんな事をぺらぺら喋っているんだ。

「みんなには内緒だと言ったろう。好奇心だけで突っ込んできていい話じゃない」

「そ、そんなつもりはないよ。ただ……」

「ただ?」

「借りを作りっぱなしというのも気持ちが悪いからさ。何か手伝って借りを返せないかと思ったんだよ」

 口が悪いけど案外律儀だよな、こいつ。

「気持ちはありがたいが手伝えることなんて」 

 無いと言いかけてジャージの胸元の数字が目に入った。

 うちの学校のジャージにはクラスを記入する事になっている。こいつのクラスは一年C組だった。

 護衛対象と同じクラスか。学校にはあまり来ないって話だが少しは俺たちの知らないことを知っているかも知れない。

 月雲のためにも情報を得ておくか。

「……そうだな。お前、黄泉坂深夜って奴のことを知っているか?」

「――なんの用?」

「あまりおおっぴらには言えないが、俺たちの仕事についての話だ」

「だから何の用さ」

「悪いがお前には関係の無いことだよ」

「なんで? 当事者なのに」

 当事者って同じクラスなだけだろ。まさか俺の仕事を知ったから自分も当事者って言いたいのか?

 それとももっと親しい関係とかなのだろうか。恋人とか。

「もしかして仲良かったりするのか?」        

「仲良いもなにも、あたしがその黄泉坂深夜だけど」

「…………はい?」

「だからあたしが黄泉坂深夜。名前言ってなかったっけ?」

 自分を不機嫌そうな顔で指差す。

 …………ちょっと待て。何かおかしい。

 えーと、落ち着いて整理しよう。

 俺たちは黄泉坂深夜という人物を護衛するように言いつかっている。

 黄泉坂は深窓の令嬢という言葉が似合う我が校の女生徒だ。

 で、こいつはその黄泉坂だと名乗っている。

 てことはこいつ……女? 

「…………まじで?」

「マジだよ。生徒手帳を見せようか?」

 思わず顔を見つめ、視線を胸元に落とす。服の上とはいえ全然わかんねえぞ。

 ……でも高校男子の声にしてはそりゃあ高すぎるし、背も低い。そして顔が綺麗すぎる。何より本人がそう言っているしなあ。

 珍しい名字だから同じ名前なんて古典的な勘違いも無いだろうし。

「納得したか」

「……あ、ああ」

「それであたしに何の用があるっていうのさ」

 ああ、それは当然主張すべきことだ。

 でもさ、俺は俺で主張したいことがあるのさ。

「写真、全然違うじゃねえか……」

 後で小角にとことん問い詰めんと。

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